二つの「毎日jp」記事がある。一つ目。
《福島第1原発:1号機のベント「失敗」 弁開放は未確認》(毎日jp/2011年6月24日 3時37分)
国際原子力機関(IAEA)に6月7日提出した政府報告書は3月12日に東電が行った格納容器圧力を下げるベントは「成功」と記載。
だが、実際は失敗した可能性が高いことが分かったという。
専門家「データから、一旦開いた弁が閉じたと読み取れる」
記事が伝える各作業を時系列で並べ直してみる。
1号機――
3月12日午前0時6分――格納容器内圧力が上限値(427キロパスカル=約4.2気圧)を上回る600キロ
パスカルに達する。
吉田昌郎所長がベントの準備を指示。
3月12日午前6時50分 ――政府、原子炉等規制法に基づくベントを東電に指示。
3月12日午前9時頃 ――ベント作業開始。
3月12日午前9時15分頃――非常用ハンドルを手動で回しMO弁(建屋2階)を25%程度開けることに
成功。
3月12日午前9時30分頃――小弁の開放を目指す、付近の放射線量が高く手動での作業中止。
3月12日午前10時17分 ――中央制御室から機械操作で小弁開放を試みる。
3月12日午前10時半 ――建屋外の放射線量が一時的に急上昇、放射性物質が放出されたとみられる。
3月12日午前11頃 ――建屋外の放射線量、元の数値に低下。格納容器内圧力は下がらず、ベントの
効果を確認できず。
3月12日午後2時頃 ――協力会社から借りた仮設の空気圧縮機(電動空気入れ)を使い、大弁に空気
を送ることで弁を開放する作業に切り替える。その後格納容器内圧力は作業直前の755キロパスカルから530キロパスカルまで降下。
3月12日午後2時半 ――東電「午後2時半にベント成功と判断」と発表。経済産業省原子力安全・保
安院、成功を追認。
3月12日午後3時頃 ――格納容器の圧力が下げ止まる。
東電関係者「弁の開放は十分ではなかった」
3月12日午後3時36分 ――格納容器の圧力が上昇し続けて、水素爆発。
東電「圧力が低下したので成功と判断した。大弁の開放は確認できていない」
原子力安全・保安院「ベント成功の判断をしたのは東電で、政府として言及していない」
「政府として言及していない」と言っているが、冒頭に書いたように、〈政府はIAEAへの報告書に「東京電力がベント成功と判断した」と記載し提出〉している。
国内には公表という形で「言及していない」としても、IAEAには書類の形で「言及して」いる。
二つ目の記事。
《福島第1原発:1号機のベント「失敗」 問われる説明責任》(毎日jp/2011年6月24日 3時47分)
記事冒頭。〈東京電力福島第1原発1号機のベント(排気)が失敗していた可能性が高いことが判明し、これまで「成功」と言い続けてきた東電や、それを追認してきた国の説明責任が改めて問われることになりそうだ。併せて、特に重大事故への対応策として整備されてきたベントの「失敗」は、国の安全対策に大きな疑問を投げかける。〉
〈特に重大事故への対応策として整備されてきた〉の言及は、具体的には安全対策(アクシデントマネジメント)の一環として1992年から旧通産省(現経済産業省)が電力各社に整備を求めてきたと記事が書いていることを示す。
要するに地震が起きたら津波を想定して直ちに高台等に避難する回避行動と同様にベントは原発の重大事故発生の場合の重要な抑制手順の一つとして想定・準備してきた。当然、ベントを行わなければならない緊急事態に陥った場合は想定・準備してきた手前失敗は許されないにも関わらず失敗し、安全対策の意味を失った。
しかも1号機だけではなく、東電は2号機でも「ベントの成否は不明」としているという。
記事は、〈「成功」を見直す材料や機会はあったのに、国は3カ月近くもチェックしないまま今月7日、国際原子力機関(IAEA)への報告書に東電の見解をそのまま記載して提出。事故を真摯(しんし)に検証する姿勢はうかがえない。〉と批判しているが、〈「成功」を見直す材料や機会〉とは、前の記事が書いている、一旦は格納容器内の圧力が下がるが、下げ止まって再度上昇に転じて水素爆発を起していることを言っているのだろう。
東電が1号機のメルトダウンを認めたのは地震発生から約2カ月経過した5月12日。機器の損壊や放射能濃度が高くて現場に近づけなかった等が原因となって明確な事実確認ができなかったとする理由を自ら認めるなら、ベントにしても明確な事実確認を欠いていることを以って成功か否かは不明ととすべきだったろう。
「弁の開放は十分ではなかった」と認識していながら、あるいは「大弁の開放は確認できていない」と事実確認を抜きに「成功」と公表、政府も追随した。
検証する姿勢は窺えないと言うだけではなく、危機管理姿勢に厳しさを欠いていたとしか言いようがない。
ベントは重大な原発事故に対する重要な対策として位置づけれら、準備されていながら、手抜かりはあってはならないはずなのに政府と東電共々なぜ検証姿勢、危機管理姿勢にこういった手抜かりを生じせしめたのだろうか。
これまで当ブログにも書き、巷間言われているように菅仮免の原発視察がベントの開始を遅れさせ、治療の遅れが病気の重大な悪化を招いて手遅れを招くようにベントの失敗の原因となったということなのだろうか。
最初の記事が書いている3月12日午前6時50分に政府が原子炉等規制法に基づくベントを東電に指示したとしているのは3月12日午前1時30分頃に出したベント指示に東電が、どういった理由からか分からないが、なかなか応じなかったために指示を法的拘束力のあるベント命令に切り替え発令した時間に当る。
しかも菅首相が福島原発視察のために3月12日午前6時14分に官邸から自衛隊ヘリで出発してから約36分経過した時間の、いわばまだヘリで飛行中のベント命令であり、それから約20分経過した3月12日午前7時11分に菅仮免は福島第一原発に到着している。
しかしベント命令は法的拘束力を持っているにも関わらず、東電が1号機のベントの準備に着手したのはベント命令を発令した3月12日午前6時50分から2時間14分も経過した3月12日午前9時04分である。菅仮免が福島原発視察を切り上げた3月12日午前8時04分から1時間経過してからである。
さらに実際にベントを開始できたのは準備着手の3月12日午前9時04分から1時間13分経過した3月12日午前10時17分。菅仮免が自衛隊ヘリで三陸沿岸部機上視察に出かけた3月12日午前8時04分から2時間13分も経過している。
東電はベント準備着手からベント開始まで時間がかかった理由を放射能濃度の高さと自動開閉が故障していて手動開閉に切り替えたものの思うようにいかなかったとしている。
以上のことを改めて時系列で並べてみる。
1.3月12日午前1時30分頃――海江田経産相、東電に対してベント指示。
2.3月12日午前6時14分 ――菅仮免、官邸からヘリで視察に出発
3.3月12日午前6時50分 ――海江田経産相、東電に対してベント命令。
4.3月12日午前7時11分 ――菅仮免、福島第一原発に到着
5.3月12日午前8時04分 ――菅仮免、福島原発視察を切り上げ、三陸機上視察に出発
6.3月12日午前9時04分 ――1号機でベント準備着手
7.3月12日午前10時17分 ――1号機でベント開始
8.3月12日午前10時47分 ――菅仮免、首相官邸に戻る
9.3月12日午後3時36分 ――水素爆発
問題は3月12日午前1時30分頃に海江田経産相が東電に対してベント指示を発令していながら、東電が即座に応じなかったことである。
止むを得ず、ベント指示から5時間20分後の3月12日午前6時50分にベント命令に切り替える。この間に原子炉内で刻々と状況が悪化していたことを考慮すると、あるいは状況の悪化に対応して復旧が困難化することを考えると、この遅れだけでも重大だと言うのに、ベント命令からベントの準備着手にまでさらに2時間14分もかかり、実際にベントを開始できたのはさらに1時間13分かかっている。
こういった手遅れが招いた、いわば状況の悪化が困難とした、毎日jp記事が伝えているベントの失敗であり、以後に続く水素爆発ということだとしたら、なぜ東電はベント指示に直ちに応じなかったのか、応じなかったことと菅仮免の視察がどう関わっていたのか、検証する必要が生じる。
視察するについては前以て東電に知らせる必要が生じる。何時ごろ知らせたのだろうかインターネットで調べると、次ぎの記事に出会った。 《運命の3月12日-やはり菅は有罪だ》(阿修羅/2011年4月13日)
次のような時系列の状況変化が記載されている。
■11日
14:46 地震発生
15:42 1号機原子力災害対策特別措置法10条通報(全交流電源喪失)
16:36: 1号機原子力災害対策特別措置法15条事象発生(非常用炉心冷却装置注水不能)
21:23 半径3キロ圏内の避難指示
21:52 官房長官記者会見「現時点で原発はコントロールできている」
■12日
01:20 1号機格納容器圧力異常上昇により15条通報
02:30 菅が視察を決定する
03:00 海江田経産相と小森明生・東電常務が会見、ベントを行う旨、発表
03:00 東京電力がベントを行うことにしたとの文書は発表
03:12 官房長官記者会見(東電からベントの必要性について報告受けた)
04頃 1号機中央制御室でガンマ線150μSv/h
05頃 原発正門付近で放射性ヨウ素検出
05:44 半径10キロ圏内の避難指示
06:09 管コメント「場合によっては現地で必要な判断を行う」
06:14 菅陸上自衛隊ヘリコプターで官邸屋上ヘリポート発
06:50 原子炉等規制法64条3項によるベント命令
07:11 菅と原子力安全委委員長、福島第一原発現地入り
07:19 菅福島第一原発の重要免震棟へ
07:23 菅へ東京電力副社長による説明。池田経産副大臣同席。
08:04 菅福島第一原発視察終了
09:04 東電が1号機ベント作業着手(一つ目の弁を開ける)
10:17 二つ目の弁の開放に着手、だが不具合で開放が確認できず
10:47 菅官邸に戻る
14過ぎ 急きょ調達した空気圧縮機を使って午後2時すぎに再度開放を試みる
14:30 1号機ベントによる圧力降下を確認
15:36 1号機棟で水素爆発 (以上引用)――
3月12日午前2時30分に菅仮免の視察を決定。30分後に海江田経産相と小森明生・東電常務が記者会見を開いているから、この間に視察は東電に伝わっていたはずだ。
さらに検索して、経産省のHPからこの記者会見の発言を見つけ出した。《海江田経済産業大臣と東京電力(株)との臨時共同記者会見の概要》(経産省HP/2011年3月12日)
記者会見の日時は平成23年3月12日(土)。3:06~3:48まで。
冒頭発言
海江田経済産業大臣「まず、このたびの地震による事故により福島第一原子力発電所において、格納容器内の圧力が高まっていることから、ベント弁を開いて、内部の圧力を放出する措置をとる旨、事業者であります、東京電力から、報告を受けたところでございます。
この作業にともない、容器内の放射性物質が大気中に放出される可能性がございます。
事前の評価では、その量は微量と見られており、現在陸地から海側に吹いている風向きを考えると、現在とられております、発電所から3km以内の退避、10km以内での屋内退避措置により、住民の安全性は保たれていると思います。
どうぞ落ち着いて事態に対処して頂けますようお願いを申し上げます。
私からの発言は以上でございます」
海江田経産相は「ベント弁を開いて、内部の圧力を放出する措置をとる旨、事業者であります、東京電力から、報告を受けたところでございます」と言っているが、海江田経産相が政府の立場として3月12日午前1時30分頃、東電に対してベントを指示したことに対する了承の報告なのだろう。
東電側が言い出したベントだとしたら、政府公表の3月12日午前1時30分頃ベント指示は時間的な矛盾が生じる。
了承報告だとしても、3月12日午前1時30分頃ベント指示から1時間30分も経過している。東電内でベントを行うべきかどうか検討するのに1時間半必要としたということなのだろうか。
だとしても、東電が自らベントを行うと報告しておきながら、直ちに準備に着手しなかった。海江田経産相は1時間おきぐらいに東電に開始するように催促したと国会で答弁しているが、東電側も了承したベントを政府は指示通りになぜ直ちに機能させることができなかったのだろうか。
また東電も自らベントを了承しておきながら、なぜ直ちに実行に移さなかっただろうか。記者会見の質疑応答を見ると疑問が解けるどころか、却って疑惑が深まる。
記者「(ベントは)何時からという目処はないのですか」
小森常務「3時ぐらいを目安に、速やかに手順を踏めるように現場には指示しています。」
記者「3時ってもう3時ですよ」
小森常務「それはここの皆さんにお話をするという上で、目安としては早くて3時くらいからできるように準備をしておりますので、少し戻って段取りを確認してから」
この「3時くらいからできるように準備をしておりますので」という発言によって、政府の3月12日午前1時30分頃のベント指示に対する了承報告であることが分かるが、同時に既に準備に着手していて、現時点でいつでも開始できる状態になっているとしていることも分かる。
記者「要は、告知した上でやるということですが、準備はできている、では即座にやるということですか」
小森常務「はい、今でもゴーすればできるという状況ですが、そこはちょっとまた必要があれば、お時間についてはお知らせしたいと思います」
記者「言っていることが分からないんですけど、すぐやるということでいいんですね」
小森常務「はい。この会見も含めて、地域の皆さんの告知も含めて、終わり次第やると」
記者「この会見が終わった段階でやるということですか」
小森常務「はい、そういうことでお考えいただければと」
記者「地域への告知はもうされているのか」
小森常務「ええ、並行してその段取りで今、動いていますので、その状況も確認します」
海江田経済産業大臣「すぐ早くこれを終えて、すぐやらなければいけない」
「これを終えて」の「これ」とは住民の退避を指すはずで、避難が終え次第ベントを開始しなければならないとしているが、「発電所から3km以内の退避、10km以内での屋内退避措置により、住民の安全性は保たれていると思います」と既に安全を請合っている。
小森常務「いずれにしても現場の人間がちゃんと動かせるという状況を我々も確認したい」
「今でもゴーすればできるという状況ですが」と言いながら、「現場の人間がちゃんと動かせるという状況を我々も確認したい」と、実行できるかどうかはまだ未確認だとしている。
記者「確認ですが、(非常用)ディーゼル(発電機)が動かなかったのは津波の影響で動かなかったのですか」
小森常務「ええ、これも現場の調査がですね、水がきたりなんか色々していますので、作業とか、運転員の安全を確保しながらですが、まずは海水がかなり発電所まで浸入した、ということで非常用電源側の方の電源がうまくつながらなくなったということです」
海江田経済産業大臣「よかったら告知の件もありますので、私はすぐ官邸に戻りますので、あと細かな何シーベルトとかいう話は保安院がおりますので、保安院に聞いていただけますか」
記者「一つだけいいですか。官房長官の会見の時間は何時か正確に忘れましたが、あれで退避の命令を出したのは、3㎞避難、それから3㎞、10㎞の屋内退避を出した段階で、もうこのことを予見していたわけですね」
海江田経済産業大臣「いや、そうではありません」
記者「ではすぐに(圧力を)開放されるのですか。ここ出られたらすぐに」
海江田経済産業大臣「準備には入っていますから、それをまず官邸に行って、ここで報告をした、会見をやったということを報告してから」
記者「それから決めるのですか。」
海江田経済産業大臣「決めるというか、時間をね。何時になるというのは後でご連絡します」
記者「今の今ではないってことでいいのですね。」
小森常務「みなさんがここに座っている時に現場でやっているということはありません
記者「確認ですけど、要するにやるときには事前に何時からやりますとおっしゃるという理解でよろしいのでしょうか。事前に連絡があるという理解でよろしいでしょうか」
小森常務「わかりました。何時にするということを、報告させるということにいたします」
記者「今の段階ではやってないってことで」
小森常務「はい」(引用、以上)
「現場の人間がちゃんと動かせるという状況を我々も確認したい」以外はまるで即座に開始できるようなことを言っていながら、海江田経産相も「準備には入っていますから」と保証しながら、現実にはベント準備に入ったのは記者会見終了の3月12日午前3時48分から5時間16分後、実際のベント開始までは6時間29分もかかっている。
例え準備に時間がかかったとしても、東電側が政府のベント指示を了承した時点で即座に準備に着手していたなら、ベント指示をベント命令に切り替える必要は生じなかったはずだ。
だが、逆の展開となった。3月12日午前9時04分にベントの準備に着手したものの、準備に手間取ることとなって、実際にベントを開始するのは1時間14分後の3月12日午前10時17分となった。
しかも成功と公表したが、実際は失敗に終わった可能性が高いと言う。
どう見ても、ベントの遅れが原子炉内の状況は刻々と悪化させていったとしか考えられない。
この遅れに菅仮免の視察がどう関わったかである。
この疑惑を解くカギは海江田経産相のこの記者会見での冒頭発言にある。
海江田経済産業大臣「この作業にともない、容器内の放射性物質が大気中に放出される可能性がございます。
事前の評価では、その量は微量と見られており、現在陸地から海側に吹いている風向きを考えると、現在とられております、発電所から3km以内の退避、10km以内での屋内退避措置により、住民の安全性は保たれていると思います」
当初原子力災害対策特別措置法の規定に基づいて3キロ圏内の避難指示、3km~10km屋内退避指示を政府が出したのは3月11日午後9時23分である。
海江田経産相と小森東電常務が記者会見を開始した3月12日午前3時6分まで既に5時間半経過していて、この時間を考慮して「住民の安全性は保たれていると思います」としのだろう。
だが、政府は住民をベントによる放射能汚染から守るために避難と屋内退避の指示を出しておきながら、また海江田経産相が「この作業にともない、容器内の放射性物質が大気中に放出される可能性がございます」と放射能漏洩の危険性を指摘していながら、一国の首相の身であることに反して放射能漏洩の根拠地である福島第一原発に防護服もつけずに視察と称して訪れた。
このことはどう考えたらいいのだろうか。
5月16日の衆院予算委で西村康稔(やすとし)自民党議員がこのことを追及していて、当ブログ記事――《福島原発事故拡大は菅仮免が東電にベント指示を早急に機能させることができなかったことが原因の人災 - 『ニッポン情報解読』by手 代木恕之》に取上げた。
一般住民は放射能汚染の危険性はあるが、一国の首相はその危険性はないと言うなら、住民が避難する方向とは反対方向の原発のある場所に飛び込んでいったというのも理解できる。
だが、放射能汚染の危険性は同じ条件にあるはずである。菅仮免だけが特別というわけではあるまい。その危険性をゼロにするには菅仮免が福島原発を視察中はベントを控え、視察終了から一定の時間経過後に、いわば自衛隊のヘリコプターが安全圏にまで飛行した時間を見計らって開始すること以外に方法はないはずである。
ベントを延期することによって、菅仮免は防護服なしに安心して原発事故の現場に立つことができた。発電所から遠ざかる形で避難し、あるいは屋内退避した住民と同じ放射能汚染回避の条件下に自分を置くことができた。
どうしても、このような解答しか出てこない。
視察がパフォーマンスではないかと国会で追及されるに及んで、東電がベント指示になかなか応じなかった、指示を命令に切り替えたといった辻褄合わせを時間を遡る形で捏造したといったところではないだろうか。
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