花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

北海道在住45年 ミサワホームとパルコンと大雪と

2013-09-29 07:25:17 | Weblog

日大卒業のとき、卒業旅行に行くべきだったのですが、
父をすでに亡くし長男の政権下になっていて、お嫁さんもいた開業医の我が家は
兄の一声でした。卒業旅行と、兄の計画した阿蘇山と重なり、断腸の思いで家族
の意思に従った。10歳も違う新進内科医の院長は家族に絶大な統治権を発揮した。

医者の家族のリスクとも言えるのですが、絶対時間の足りない医師の為にも、
周りはスケジュールをやりくりして、医師の個人的な貴重な時間に合わせてゆく。

独身で、小姑で、薬学を卒業させてもらった兄には逆らえなかった。
阿蘇山を選んで、防空壕のような避難壕に出たり入ったりしていた。

阿蘇山は、雄大で、当時、蒼い噴火口の水が神の創始した山の産湯のようだった。

あれから、運命のいたずらなのか、気がつくと、45年も北海道に住んでいた。
知床も、利尻も、宗谷岬も、常呂も、帯広も、名寄も、友人のように親しめる。

初めて、生活した留萌の寿町の断崖の寮では。寒さを知らない無知な東京人は
流産もした。もらい火の家事にもあった。留萌小学校が、
メラメラト炎の中で燃えているのを、見つめていた。
大学院で収入の無かった主人は、博士論文に日夜
かかりっきりで、真夜中に帰ってきて、食事をすると、実験着のまま出て行った。

当時東京女子医大で心臓の手術をメインにされていたと主人から聞いていた先生が
「心臓」という、分厚い本をだされ、その中で、主人の名前を挙げて、論文を
誉めてくださっていた。
月給の無い無給医の次代、こうしたことが、生きがいのように、かがやいて、
私はひたすら帰らない夫をよそに、
育児と、HBCラジオの
「ママと赤ちゃん」という番組の専属のフリーのインタビュアーとして、
ささやかな糧をいただいていた。
無給医で、奨学金を高校から、大学院まで受けていた為の
返済で、17000円の家賃にもストレスがありました。

やがて、そのAPも階下の住人の夫婦喧嘩でガス爆発があり、偶然の留守のため
命拾いをしました。自分の家を、、、とりあえず買おう!、、、
下から燃えてこないのを!無給医だった時期でもあり、
10坪のテラスハウスの2階建てを500万で手に入れました。
しかし、、、住宅産業というのは、クレーム産業と言っても
はばかりませんね。
3年で手放し、札幌のクラーク先生縁の羊か丘の近くに
「ミサワランド」を見つけ買いました。
当時は栗林ミサワとか言って、東京のダンディな、青年が、
パネルを組み立てたと言う、モデルハウスでした。
1400万円ですが、無給医はローンも最低の条件で、「ミサワ提携ローン」
利息9パーセントと言う、バブルの始まりの金利でした。
23万のボーナス払い、
月に10万前後の支払い。
私は子育てと、アルバイトに走り回っていました。

北海道にも「家のメーカー」で雪に強い家もあったのでしょうが、
哀しいかな東京育ちの私は、ミサワの斬新なパネル工法のバランス感覚を、
尊敬していた。シンプルな美しさが気にいていた。

日大の理工学部に所属していたため、建築家や電気化の生徒と、
ESSを一緒に楽しんでいた。英会話のとき、
「ミサワの社長が同窓であると知りました。」
建築科や土木、電気科の学友と、バルブ次代に先駆け、工場でパネルを創る
ミサワの家を見に言ったこともあった。
おりからの授業のとき、教授が、
これからの日本は「オリジナルな発想で次代をリードして行くと話され
ミサワのパネル工法と、バランスの合力の耐震性などを話された。

日本は木の家を創り、樹が育ち、代が変わり、又新築し、
一生かかって、住宅を建てて、それが繰り返されて、成り立っているような
政治家と庶民の頭脳が2層の構造のような差がありました。
政治だから、「人間と言う、エネルギー不滅の繰り返しに
気がついていたのでしょう、」

建築を目指す諸君は、ヨーロッパなど、
世界の歴史に残っている建物を見る、
広く「建物」を見る事から、「建物って何だ?」と言うことを考えて欲しい。
と、言っていた、

日大の志賀高原のスキー合宿に参加したとき、
日大縁の者だけで建てたと聞いた山小屋に泊まった。
真ん中に暖炉があり、周りが広場で、囲炉裏のある考えを
ダイナミックに洋風にアレンジして、
真ん中に暖炉を持ってきた素敵が感じられた。

母校の日大への愛校心も手伝って、
北海道に来ても日大!と思って、ミサワを購入したのでした。

ところが、モデルルームだった為なのか?見せる要素にこだわったのか、
一冬越せずに、タイルが丸ごとつながって落ちてきたり、すが漏れで
天井がめくれてきたり、、、しみだらけになったり、
洗面所は壁を伝うすが漏れなのだろうか?
布製の壁紙が濃い緑のカビで黒くなり隙間の無い汚れに増殖し、
マスクをして、へらでカビを剥ぎ取る毎日だった。

原因は、屋根の雪が一気にどサーと落ちないように
一メートルぐらいの三角錐の立体を
屋根に五寸釘を使って取り付け、
周りをコーキングもしない、施工にあった。

10数個にわたって、五寸釘の穴が開いており、
そこがすが漏れの原因で、室内が
カビだらけになっていたのでした。

140万円の支払いが加算され、屋根は新しいトタンに変えてくれましたが
2回のテッペンからの美しい一枚者の長尺トタンだったものが、
五寸釘穴のある1階の屋根で切り取られ、
つぎはぎルックのみっともない屋根になった。
30代という若さ、主人が時間貧乏の為、
折衝は女性の私が前面に出たからでしょう
女性受けのする、美術大學の出身の、美的観念は優れていても、
修理のお金が動かせないと言う、アフターの巡回で、
対処療法に誠意を持って、当たることで、
とりあえず、その年は何とか大丈夫と言う、
リホームまで行かないチョいなおし誠意の巡回で、45年経ちました。
二階の屋根の勾配がゆるすぎて、雪が落ちなくて
暖気のとき、巨大な雪の氷の塊が、真下のコンクリーを粉砕して、バウンドして、
2重窓を割って中のラワンの窓枠をへし折り、窓際の机を、
反対側のサイドにまで氷が押してきました。
よく、、、怪我をしなかったと、息子達は今でもここには近寄りません。
よっぽど、、、怖かったのでしょう。
誠意だけはあるが上層部のお金を動かせる部署からは蚊帳の外のような
アフターさんが一間半の三角のバリケードを作ってきてくれました。

壊れたベランダサイズより一回り大きな窓のガラスもサンも
近所の建具やサンに緊急修理をしてもらいました。我が家持ちです総て。
ガラスは同じのが無くてとりあえずあるものをはめてもらって
ちぐはぐなままになっています。
屋根の勾配を急にして、雪を落とそうと言う話には
ミサワホームも積極的に動いてくれて、当方からは60万円、
残りはミサワホームが「雪害保険」で修理したと聞いていますが、
実際はわかりません。
最低限の工事なので、屋根の形がへんてこな
4面のつぎはぎのちぐはぐになりました。
水道は、8回も調査したのですが、漏水しており、
どこが漏水なのかわからないので
止水栓をためてあり、何十年も水道は使っていません。
止めるまでは空き家になっていたのですが漏水していたため、ある日、
水道局から40枚の分厚い基本料の請求書が来て、十数万円一括で支払いました。
とにかく、危険で住めないのですが、
要らない家具や、小さくなった衣類、客布団、古くなったソファー、
主人の本など、
当時逃げ出したままの、子供の部屋の玩具や
VM21のPCや500メガのアップルのPCなど、
雪の爆弾が起きて、戦慄の思いで逃げ出したまま、
何十年も、人が住まず、きれいに、掃除は欠かさず、
税金もローンも支払いながら、去年ローンも終わりました。
今では夏場の孫の遊び場として、スペースだけは長方しています。

ミサワの雪害事件があって、すぐに隣にパルコンを建てました
。払いきれないローンを抱えても、
頓着ない夫は大学の教官の月給で、自給自足のような何年間かを過ごしました。
初めに建てたミサワホームが

「雪国を知っている建物」であってくれたなら、

危険は無いから安心ですよね!、ところが、死ぬ思いの落氷で
隣に阿蘇山の壕のようなパルコンを建てて、
恐怖のPTSDから逃げ回ることになりました。

デザインも、モンドリアンのような高いセンス!
すっきりと無駄が無いミサワホーム。
住めないけど、この家が隣で建っていてくれるので、
コンクリートの重たい感じのパルコンに押しつぶされない逃げ場でもあります。
つぎはぎだらけで、売るにも売れない変なデザインになったけれど、
東京時代を感じさせる軽快さは、孤独を救ってくれる。
根本的にに直してくれる技術の伴った上層部が出てきてくれないので、先日も、アフターに電話したら、「建てて替えなさいよ!」と「当時のミサワなんて、こんなもんですや!」と言って、
はき捨てるように言って帰っていった。
新品の5万円でレンジを買ったのですがそれも、
使い古した古いものに変えられていました

当時の家は鍵もダメってことですね。
あの誠意のある芸大出身のアフターさんは、
根本の修理の機動力のような力は無かったけど
、自分でバリケードを作ってくれた。
「之が無いと、又、雪が窓を壊しますからね、、、。」人間性に負けて

ストレスが癒される訪問には、こまめな配慮があったが。。。
気休めにしかなりませんでした
対処工法のその場限りの危険防止に甘んじた。
去年の大雪で、このバリケードの
三角の土台の足が折れて、バリケードは雪で破壊された、
屋根からの雪はしたのコンクリーも砕く。

ミサワの上層部の設計のわかる人がもしも、危険を感じてくれるなら、そして

来てくれたなら、こんなめちゃくちゃな修理を重ねたシステムに
疑問を感じて、技術面から解決してくれたと思います。

『ミサワの弱点を展示したような歴史の家を』
、せめて、安全にちょっとした手間で、安心をセールスしませんか?
解決してくれると思いつつ、、、
北国の家では災害を第一にデザインすべきと思いました。
この家は愛情がもてるのですが、危険なのです。
クレームミニリホームは3年間でつぎはぎだらけに作品を変えました。
アフターの人は、建て替えるべきと言う視点で、誠意がありません。
今まで住まずに維持してきた長い年月を思うと70才半ばに、
新築を進めるよりも、
ミサワのプライドにかけて、失敗作の危険な展示物を、
自慢のリホーム展示物にしてはいかがかと思うのですが。
危険さえなくなって、水道さえ解決すれば、この家は住めたのですよね、、、
形はめちゃくちゃなつぎはぎになりましたけど。
こういう家を作ると、ローンだけ払って、住めなくて、
維持費だけが消費者の肩にかかります。
主人が後半外科医として、月給が取れるようになりましたので、
50歳からは、返済がスムーズに行きましたが、
サブプライムローンの、
形の違う落とし穴にならないように、
被災地復興の住宅も、
気候や自然現象に対応した素材とデザインに気お付け無いと、
買ったために、一生、余計な出費と不安にさいなまれることになります。

我が家の、、、裏の、、、ミサワホーム、、、どうしたらよいか、、、今年も考えています。
税金がかかるだけに、70代で、禍根を未来に残したくないですね。

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