50年前
鉢植えの五葉松を植えました。
いつの間にか2階の窓の高さになったので
一度、芯止めをしました。
それから、20年ぐらい、、、時が経過したのですね、、、
屋根の高さを越して、ケーブルに接触しそうになりました。
夏だったから、、、木に登ると、、、万一,、落っこちたら
そのまま痴呆行だと思ったものですから、
雪が積もるまで、待ち乍ら、、、五葉松に話しかけました。
長い間、、、毎年、、、東京の花友達の正月飾りに
枝を送ってきたのは、君の見事な五葉の枝を
彼女は、正月になると
お友達を集めて、門松飾りをするんだよ、、、
50年間も、、、松の枝だけで、友情が交流できたのは
君の、五葉の松のしなやかな艶と、薫りと、強さと、色、、、
空に向かって放つ希望の矢のような葉は、普通の松とは違っている。
もっと、、、立派なお屋敷に似合うのに、、、
我が家の、庭で大きくなりすぎて、、、
ごめんね、、、ここは、、、小さな庭すぎて、
君の方で、、、小さく生きてもらうしかないんだよ、、、
夏から、雪が降るまで、話しかけていた。
雪が積もって、、、何度か切らねばと、
のこぎりをもって松の傍に立って、薫りと話していた。
昨日は、、、雪が融け始めて、
それでも決心がつかないでいると、、、
「母ちゃん、、、僕の中心の柱を残して、
上の枝を全部刈り取ってよ、、、僕も、母ちゃんと話すとき、、、
上向いて、首がくたびれている母ちゃんを見おろすより
顔と顔と向き合ってる高さになった方が楽しいよ、、、」
「でも、、、選定は痛いでショウから、、、お酒懸けてあげるからね!」
「云、、、思い切って、母ちゃんの心のままの高さにしてよね、、、
僕は木から抜け出して、屋根の上に居るからね、、、」
話をしながら、私は木に登り始めた。
まるで、階段のように、枝が足を支えてくれて、
私は3メートㇼ以上、登っただろうか、、、?
てっぺんから、全ての枝を切り落としていった。
枝は、少しも逆らう事をしないで、
まるで、、、服を脱ぐように、足元に重なりながら落ちていった。
私の背丈をはるかに越した枝は
存在感がすごい。
60センチの丈に切りそろえ乍ら
残った部分の見事な枝ぶりのは、
季節が過ぎているが、、、東京の花友達に送り、
使ってもらう事にしよう、、、
歳が、76歳になる前に、、、木に登らないと
松との会話をしながら、納得の剪定を出来なくなるものね、、、
50年間、、、ちっちゃな小屋のような我が家を
それなりに、カッコイイ姿で
飾ってくれて、好い薫りで、お帰り~~~と迎えてくれて、
君は、一番の友達だよ。
小さくなったからって、、、愛情は変わらないんだと、、、私なりに思いながらも
庭木の運命の剪定には、私物にしてしまうようなゴメンネがあるのは
疎開で、走り回った山の木々の雄大な姿がわすれられない。
やっぱり、、、山に置け、、、松の木ョ!
ゴメンネ、、、小さな、、、母ちゃんの、、、庭に植えてしまって、、、
若いときは、、、松は、、、こんなに、、、大きくなって
切る方も、切られる松も、、、苦しい日が来るなんて
考えもしなかった、、、庭木は 友達でいてくれる、、、
北海道に来てからは、、、本州の育ちが市見込んでしまっている私には
友達つくりが下手だった。
本州の生まれではあっても、、、19歳で北海道に来て北大を卒業して
北海道には知人も、友人も、職場友達の多い主人には
職業柄、、、悪気が無くても、マイペースで、、、家は巣?
学門のスペースと、眠る自分のコーナーにだけ、主人の気配がある。
後は、舞台裏の倉庫のような我が家には、、、
主婦は居ない、、、付き人のような、、、仕事人の、、、家内という職場。
主人が悪いのでも何でもない。
「命」と向き合う仕事は、、、患者が主体になるのは仕方がない。
帰宅して10分後には救急患者さんで
病院にUーターンしてゆくのを
松と、私は、、、見送った日々が過ぎていった。
2010年、、、
心臓血管外科名誉専門医の称号が認定機構から届いて
主人は 緊急の手術に走る仕事から、外来の仕事を任されるようになった。
臨床医は経験の学門であるだけに
歳をとった患者さんの心身、
まとめて、臨床経験が重なるだけに
昔からの患者さんが頼ってくれているようだ。
60歳以上の乳がんの発生率が高い年代の患者さんから
「手術してから、20年が過ぎました。」
60歳を機に、、先生にお手紙書きました。。。と
家内には、、、
主人が家庭を振り返らないわけが、垣間見える手紙が届く。
五葉の松は、それでも、、、空に向かって伸びて言った。
お父さん、、、
松の木は一千年以上の時間軸で生きるから、、、
私たちも、、、100歳まで位は生きてゆこうね。!