花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

言葉に現す事ができませんが。。。

2008-06-21 10:34:04 | Weblog
         人間は平等になりえない、、、と思うこと。

高校に行けなかった青年からみれば、
彼は短大まで行けたのだから
青春は有ったはずに思えるでしょう。

専攻が自動車だとすると
日進月歩のエネルギー革命で、
構造も日進月歩の技術によって整備されて行くのでしょう。
同僚、先輩、会社、
取引先、顧客に受け入れられてこそ、
ニーズも把握できるし、
仲間のサポートで
技術も適応してゆくから時代について行けるでしょう。

オールマイティな人間なんて
存在しないのですから。

周りを認められる認識と、
必要とされるまでには時間が要ります。

3年間は
新入社員は「異物」に値する時間だと思わなければ、
周りとはうまくやっていけない時間帯でしょう。

多くの大学は卒業してからの応用力を教えるはずでしょう?
即使える技術の習得では無いと言えるでしょう。

中にはスペシャルな最優秀な大学もありますが、

「学ぶ」ということを「学ぶ」
「教えていただく」という
社会に出てからの姿勢を習得するところでしょう。

教わるのには、
どんなリスクを背負わねばならないか?

「俺!」という自意識が前面に出てしまっては
「学ぶという目的」を
スルーしてしまうことが、後になって気付きます。

代返を認める教官の
なんとなくみて見ぬ振りの苦笑いに、
「なぜ?ホンとに出ている生徒に失礼でしょう?」
「こっぴどく、説教すべきよ!」

そういう教室内の声に向かって先生は答えられました。

「結果は本人が責任を取るでしょう。」

そして、先生は出席していた生徒にしかわからない
上映したスライドから問題を出されました。

代返組みは落第です。

今回の事件で、何があったとしても、
責任は本人が取るという「厳しさ」を
本人自身が解ってほしいと思います。

罪も無い善良な若者の命を奪うことは
責任の転嫁です。

モナリザを描く腕がどうしても得られないからと
モナリザをナイフで切り裂くのとにていませんか?

子育ての時
一番気をつけたことが3つあります。

親の価値観を押し付けるような、
自分のミニチュア人間にするのだけはやめよう。

「感謝」「ありがとう」を言えるまで。
時には
生涯に及ぶかもしれないが、
育児と付き合ってゆこう。

育てることで、
親も多くのことを発見し、
気付き学び、柔軟に若者の時代を認識しながら、
大変さを楽しめるまで自分も生涯教育と付き合ってゆこう。

「時」という大河の流れの中を
光という希望に導かれながら
子供と出会った一期一会に感謝し
どんな努力もいといません。

若き子供たち、孫たちの
希望の持てる社会が地球規模で要求されています。

小さな島国根性を発揮して、
「勝ち組、 負け組み」と言うような、
最も貧乏な教育から脱出してほしいと思います。

先生自身、
職員室の小さな世界から解き放たれた外部アクセスの出来る
大きな職員室になって、

生徒の中に持って生まれた成長曲線を見抜き
じっくりと時間をかけて熟成するように
成績表を、
他者との比較から段階的に評価するのではなく、

多くの場を与え、サポートして
様々な種類の苗を育てながら、
先生自身が
「これはどんな花がさくのかな?」、、、と
謙虚に生徒を観察して
「存在することそのものを優と認めてほしいと思います」

人間の優劣で数字の評価を与える事が
幼い精神に及ぼす間違った「自尊心」や「劣等感」が
「いじめ」や、「切れる」という
短絡に走らせるのではないでしょうか?

自分で責任を取る、、、
どんな理由も、
罪無き他者の命を奪った言い訳にはなりません。

芸術にまで音楽を高めたベートベンの「第九」が
毎年「平等」を高らかに歌い上げても、
平等はありえない社会です。

他人と比較して「切れたり」「孤独になったり」
視野を狭めて、他人の価値観に振り回されるよりも、

いいじゃないの!
私は、「笑点」が好きです。
癒し系の貴族の愛玩音楽と揶揄されようが
モーツアルトが好きです。

坂本冬美さんも
ゼロ君も大好きです。

そして
ベートベンに打ちのめされています。
一瞬間!

仕方ないじゃないの、、、
自分より優秀な人間が星空を作るように社会が出来ている今日。

、、、何をやってもいいから、責任は人に当たるな!
              責任は自分で取れ!

これをもっとうに
若者の自由が許されることを
親も厳しくルールを守らねばならないと痛感しています。





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