花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

冬に向かって

2020-12-12 23:07:45 | Weblog

来週からは、冬将軍が攻めてくる!

北海道の主婦は皆どうしているのかしら?

50年住んでいますが、

お呼ばれしたことも、

人様を呼んだことも無い、、目まぐるしく時間が飛んで行った日々だった。

本州育ちの私なりに、周りを見回して、参考になることを取り入れていった。

雪が降ったら、玄関マットも、階段のマットも、全て滑るから取り払う、

代わりに、砂袋を2袋、車庫の前のスロープに備えておく。

吹雪いて買い物に出れないときがあるから、

赤いキツネを箱買いしておく。

ストーブの上の湯だけはいつも湧いているからね。

米は無洗米を10キロ、ストックしておく。

食パンはストックは冷凍しておく、

大根も、ジャガイモも、箱買いして、

玄関の寒さを利用して、ストックしておく。

雪囲いは済んだし、これで、吹雪が来ても籠城できるし、、、

後は、、、毎日、、雪かき人生が筋トレになるから、

マスクをしっかりして、今年は短時間に、歩く場所だけ雪かきをしよう!

              

         去年までは一日4時間外に居たこともありましたが、、、

コロナにかかったら、76歳の私は、銀河特急に乗って

神様の所に直行するだろうから、、、

             

オリンピックまで生きればいいと思っていた7年前!

オリンピックが近くなってみると、

今度は孫が大学卒業するまでと、、、

生きて行けることを、、、見届けてから出ないとね!。

              

昭和時代も、、、「青白きインテリ」と言われた就職難が有った。

 

我が家には、居候が2家族もあり、、、そのほかにも、

家に住み込んでしまって、、、帰らなかった人も、

父母はまとめて、、、面倒を見ていた。

開業したばかりだったので、我が家も楽ではなかったが

私は、東京横断の所にある国立附属を受験するようにと

担任から願書を貰ってきたとき、

兄は、、、隣に府立第七の女学校があるのに

お前は、毎日、、、東京横断の電車賃を使う気なのか!

兄貴は、願書を曳き破いてしまった。

            どっちでも、、合格したところに行こうと思っていたのに

            先生に返却すれば良いのに、、、破かなくったって!、、、

            返答すると、3倍返ってくるので、、、ポーカーフェイスで、黙っていた。

            戦前に育った兄は、軍隊の上官って、、、

            こんなのかな~~と思わせるような

            絶対の命令権が有った。

            弟の、堂々とした、人格円満が兄をたじたじとさせるのか?

            弟には、強く出ない兄だった。

            次男の兄はおとなしい、音楽や文学の解る兄だったけれど

            長男はむしろ、、、虐めるような無理難題を言いつけるので

            三人は、いつも連合して、長男の攻撃を回避していた。

            戦前に生まれた日本男児は、、、おっかないよね!

 

            国全体がピリピリしていたせいか、、、

            兄貴が来ると、、、電気が走ったみたいだった。

            戦後も昭和30年になったばかりの東京に

            やっと戻って来た、、、シベリアからの叔父さん!

 

            若狭湾まで迎えに行った親戚一同、

            学徒出陣で、、、命が助かって、帰還で来た父の弟、、、

            そのフィアンセ、、、

            叔父さんの家族全員、、、

            皆、職業が無かった。

            叔父さんは28歳で早稲田の理工学部に合格して

            座布団のような帽子を大切にしていた。

            父は早稲田中学校から、慈恵会医科大学に進学したけれど、

            バンカラなところも残っていた。

            「帽子は一度、土間で踏んづけてから、泥を落としてかぶると、早稲田の味が出るんだ、、、とか?

            合格ほやほやの、湯気が出ている叔父さんに、そのような事を言って困らせていた。

            父は叔父さんの卒業まで、親代わりに なって、卒業後は我が家で結婚式を挙げました。

            振袖を着て、お嫁さんより華やかに着飾って、祝い酒を注いで回る私は

            なんなんでしょうね?、

            学芸大学を卒業して、東京の小学校の先生をしていたお嫁さんは

            通勤用のスーツのような白い服で、にこにこしていた。

            その後、叔父さんは高校の先生になって、

            やがて、女子大の教授になって、、、家を出て行った。

            中野駅の近くの瀟洒な鉄筋マンションを借りて、、、子供は要らない、、、と。

            戦場を体験した学徒出陣の、戦友の屍を超えて、生きていることだけで満足のようだった。

            叔父さんは、父と同じ54歳で、教壇の上で、黒板に字を書きながら、、、死んだ。

            子供は居なかった。

                  

            母の弟のシベリア抑留を体験した、、、もう一人の叔父さんは

            三姉妹と、弟が一人いた。

            男の子は、、、「居候!」とクラスで虐められていた。

            どうしてあげることも出来ずに、、、「戦争で国の為に戦ったんだから!!」と

            私が代わりに言い返していたが、、、彼は不登校になり、、、

            車の免許を取得して、、、トラックに乗るようになった、

            3姉妹の長女は日大医学部の兄の友達と結婚した。

            2番目は、看護婦になって、家から出て行った。

            3番目の、気の強い女の子は、ほとんど私とは話したことが無いが、

             千葉大学の法学部を卒業した法律家と結婚した。

             そして、、、居候が、、、皆出て行った、

             家はがらんどうになったみたいだった。

             やっと、、、空気が吸えた気分がした。

            振り返ると、、、父は戦場から帰還できたものの、、、大変な人生だった。

            

            南紀の疎開していた村の、、、父の患者さんたちが、

            東京に帰ってゆく父を、見送りに来てくれました。

         

            疎開地から、故郷の回遊してきた父が、

             生まれ故郷の東京の、焼け残った下町に外科の診療所を開業していて

            従業員と、居候で、我が家はあふれていた。

            戦後は、、、食べて行っている人が、、、

              食べれない人を、、、背負うしかなかった。

        戦争とは、、、社会が無茶苦茶になるものであるよね!

           

             学校の授業は、、、大根の収穫、、、皆の嬉しそうな、、、食糧難の時代の風景です。

        戦争に行って来た人は、帰還できただけでも家族は幸せだった。

        明日の事は明日考えるのだった。

           とりあえず、、、食べて行ける、、、医師の父の周りに人は集まってきた。

            

               当時、、、17人の居候が居た。

               食堂も、3交代で、2つある風呂も、順番待ちだった。

                 120円で行ける近くの高校に通学を始めた私には

                 制服を2枚欲しかったが、周りの手前、、、一枚しか買ってもらえなかった。

               居候の従妹も、同じ高校に引っ越してきていたので、、、

                             3年間1着で過ごした。

                       私が2着買えば、8人の子供たちが皆、

                   制服を欲しいと言い出すだろうからね、、、

                    我慢することが、、、予期せぬ出費を呼び込まないと

                        我慢することが多くなっていた。

 

 

                     冬は寒いけれど、、、戦後の、ドサクサに

                    父の所に親戚が同居した時代が、、、一番の冬だった。

                       

                  自分の部屋も、分けて使う、、、父は大勢の人を抱え込んで頑張った人生だった。

 

                 母と話そうとすると、、、

                従兄の3姉妹が、「おばちゃま、、、おばちゃま、、、」と

                         話題をつくって、私とは接触させない、、、。

                 「いとこ」から、モテまくりの母は、、、

                      3姉妹の術中にまんまとはまり、、、

               せがまれるままに、、、嬉しそうに、素敵なワンピースなどをプレゼントして、

                  ドレメの大学まで面倒を見ては、

                    自分のピアノのコンサートの時の服をつくってもらって

                   盛り上がって、、、にこにこしていた。

                      従妹の長女がドレメの大学で、ファションショウガあると言うと

                        母は、作品の生地を探しに、

                            戸越銀座まで出かけていた。

           確かに、、色は黒いが、、美人で、タレント並みの「華がある,、、いとこ!」

                   郵便受けには、彼女宛てのラブレターらしき。。。?

                             上等の和紙の封筒がしばしば入っていた。

                    ニキビも活火山の高校生の私には、、、

                        太刀打ちできない魅力が、、、彼女にはあった。妖艶で有った。

           

                      理科系の私の顔をみるたびに

              

                「男の子だったらよかったのにね~!」と母は言いながら

       「少しは女らしくならないと、、、黒メガネの似合う、、オールドミスになるよ!」

           母は、私の顔をみると、、、學校の先生のようだね、、、とがっかりしていた。

               「自分だって、、、女学校の先生だったでしょう!」

                蛙の子は蛙なのよ、、、と内心思った。、、、が、、、聴こえないふりして

               不満そうな母の写真をパチリ!、、その場を離れた、、、。忙しそうにね!

                母はプリンセスラインのドレスなどの似合う、お嬢様タイプが好きなようだッタ!(^^!

                ニキビ一杯で、スラックスで走り回る私には、、、がっかりしていた。

             「 我が娘乍ら、、、魅力が無いね~~」と言っていた。

              「魅力つくってる暇が無いのよ、、、!」

                 生地探しへの同行には一切付き合わなかった。

               私は、三人姉妹と一緒に行く気にはなれなかった。

                    結束が固くて、、、賢すぎる三人組の人裁きは、接触を避ける方が無難だった。

                  母の為にも、、、その方が良いと思えたから。

         ニコニコしながら、、、母は、、、姪っ子の姉妹と銀座にgo-!

                   今なら、、、coronaにかかったかも!、、、

                     4人で、不要不急の「マギー」とか「セキネ」などで

                           ひらひらしたワンピースの生地や、ブラウス買って、、、

                      帰りには、レストラン??、、、

                 いいんじゃない?、、、母と美的感覚が同じの3姉妹に、、、感謝!

                 私の力では、母の笑顔は引きだせませんからね(^^

 

               「おみやげに、ブラウス買ってくるからね!」、、と言ったので 

             「私の高校の制服を、もう一着欲しい」と言ったら、、、

              

      「制服なんて、、、高校卒業したら、、、使えないでしょう、、、」

                  とうとう、、、私の願いは却下!

                 あの時の「冬の冷たさを思えば、、、北海道の冬は頑張れる!」

 

                  愛する母を、、、従兄の3姉妹に独占された数年間は、、、冬!!

                 「二番目のいとこ」が結婚したとき、、、母は、

                   「私が運転して、母を送り向けしていた車」を

                    彼女が欲しがったから、、、と言って、、、結婚祝いにあげてしまった!!!

                    母は実母に7歳の時に死別している、、、他人の笑顔に弱いのかもしれない?

                      母娘の、、、本当の親身な愛が学べなかった環境だったのかもしれない。

                     無表情で、無関係を装ってはいても、、、

                        あの車は、母を載せて走った、私と母の接点の車なのに、、、

                           単なる物として、姪っ子夫婦のお祝いにあげちゃうなんて、、、

                       信じられない、、、。

                        ま、、、いいか!?、、

                         私はやがて家を出てゆく。

                            何も言う権利は無い。

                              姪っ子3姉妹が、母を大事にしてくれれば、、、それでいいかも!

                         母は、弟の子である三姉妹を、とても可愛がった。

                       きっと、、、7歳で実母を「感染症」デ亡くした母は、

                        たった一人の弟を、母がわりのつもりで、、、守ったのだろうね、、、きっと!?

                    感染症で家族を失う人は大正時代も多かったようである。

                      心のすき間は、埋められない孤独にさいなまれると、、、母は話していた。

                       母が、感染症で実母を無くし、戦争で3人の子供を無くし、

                        戦後、帰還できた弟家族を、、、失った子供たちのように

                        可愛がった気持が、、、ぼんやりと、、、わかる様な気がしていた。

                          

                       母の孤独な顔、、、この孤独が、父と言う医師に出逢い、

                         母の故郷の医師として、13年間も、母の故郷の患者さんに寄り添いながら

                       母の孤独の顔を、、、健康に戻していった、、

                  、医師の「人間丸ごと受け止めた仁術には、わつぃの人生そのものが、大きな影響を受けました。」

                         

           

                          

                  

                       

                                     

                       coronaの収束の為にも

                         北海道知事さんや、市長さんの先導に従って

                            確り協力しようと思いながら、、、も、、、

                         主婦は、3度の食事と、弁当の材料を買いに行く。

                 私は家族の御下がりに、、、自分で絵を描いて、、、来ていました。

                戦後の昭和30年代は、、、就職も無く、戦後の復興に、、、しゃがんでいました。

                  やがて、、、飛び上がるために、、、何もかも、、、こらえた時代に育ちました。

 

                コロナと言う感染症に閉じ込められて、、、かれこれ一年経ちました。

                 籠城は昔取った杵柄のように、お手の物のはずが

               正体の七変化のcoronaの怖さは

                  やはりストレスが有ります。

                     心を、やまないように、、、工夫しないと、、、

                      心の疲れと言う、、、側面から攻められては、、、と

                    正しく怖がることに心がけています。

                     、、、、それしか、、、方法は、、、見つかりません。  

                   

                割引の日は込むので、土曜、日曜、売り出し日は避けて

           買い物は、人の居ない2時ごろに行く。

               食費はめっきり、、、かかるようになった。

              coronaが世界問題になる前は、

                 「そろそろ、、、半額シール時間だわ!、、、」とか。。。

                  今日は売り出し!10パーセント引きだわ!

               ポイント10倍だわ!

             お米買うと、、、50ポイント付くわ!

                   塵も積もれば山となって、、、結構たまったポイント券で

                    ど派手な、、、部屋着を1000円で買ってしまったり、、、、

                 ポイント券が出るたびごとに、ケーキを買ったりしていたが、、、

                この一年間、買い物は、、、毎日行かなくなったから、、、

 

                

                脚の筋肉がおちてきた。

                贅肉も、、、おなかの周りについてきた。

              NHKの体操の時間には、一緒に部屋の中で参加するも、、、

                効果は見えず、、、。

                    

                  ストレス太りもあるのかもしれないが、、、

                    コロナ対策は「マスク」のほかにも

                  「ストレス対策」をしないと、、、勝負は長期戦になりそうだ!!

                          今日から、、、実行!!

                         やけ食いは止めよう!

                      我が身の身だしなみに、、、時間を掛けよう!

                  食事作りには、、、予算でピリピリするのはやめておこう!

   

 

小学校から大学まで、東京で過ごした私にとって

北海道に住んでしまったという事は、、

級友や、親戚とも疎遠になり

かといって、北海道と言う、店舗の違う人たちの間には入りにくいし、、、

参加してゆく気も進まないまま、、、

       お招きしたり   呼ばれたり、、

      とうとう50年間の間には、、、思い出せない???

         弟夫婦が遊びに来てくれたり

          お友達を連れてきてくれたり、、、

             それくらいしか、、、思い出せません。

                

「つるびんさん」は、、すごいひとだな~~~と~

何処でも、誰とでもすぐに打ち解ける人間性に

敬服しながら、、、

たまたま、、、放送していた番組を

終わりまで、、、観ていた。

とうちゃこ、、、の自転車叔父さんは

視聴者がいつの間にか主役のように引き込まれていました、、が

つるびんさんは、、、主役はつるびんさんですね。

似ていて、、、全く違う方向のTVですが

役者さんと言うのは

芸の見せどころと言うのを心得た

スペシャルな才能にあふれていますね!

   民芸の舞台の人か、、、お笑い出身の、タレント性豊かな人かで

         笑いの質も,,,地酒と、タイヤキや、タコ焼きのように、別の味になるからね!?

                

                    coronaで閉じこもっていると

         それまでは視たことのない、、、民間放送も

           楽しんで観るようになりますね。

             NHKは、とても、勉強になり、痴呆になるのを防いでくれています。

      民放は、、、その時は、、、ゲラゲラ、、、笑うのですが、、、

                    後に残りません、、、

        番組の構成の仕方が、、、それぞれに、工夫されているのでしょうね?

           coronaコロナで、、、夜明けにけり。。。は

                 ストレスがたまるから、、、

                  明日の「笑点」が楽しみですね。

笑って、、笑って、、、何も残らないのですが、、、可笑しい!

NHKと、笑点と、タモリさんと、、、つるびんさん、、、

coronaに閉じ込められてからは、、、

心のストレスの治療になっています。

冬支度の范氏でしたね、、、話はそれてしまって、、、

どこへ?,、、行くねん???

            本日の日記はこれまでにします。Z~Z~Z~眠い、、、、

 

 

 


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