聖書から人生を考えよう

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お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★神の絶大な愛をご存じですか。

2004-11-27 | 「神の愛について」

 
 
  愛なる神様のみことばである旧新約聖書66巻は、神様の全人類に対するラブ・レターのようなものです。ですから、旧約聖書の中にも新約聖書の中にも、神の私たちに対する愛について書かれた聖句が満ち溢れていますが、その中の一部だけをご紹介しましょう。

●「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)。 

●「神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに、世(あなたや私)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)。

●「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ人への手紙5:6~8) 。


 新約聖書には、神の愛(アガペーの愛)のご性質については、下記のようなすばらしい聖句があります。このような崇高な「愛」は人間はだれも持ち合わせておりませんが、この愛の代わりに「キリスト」と入れかえて読んでみますと、不思議にピッタリと合うのです。なぜなら、キリストは、真実な神の愛の御性質をお持ちの御方であるからす。キリストは、神の御子であり、神から私たちのために遣わされたすばらしい救い主なのです。

●「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 」(Ⅰコリント人への手紙13:4~8)

 しかし、上記の聖句の中の「愛」の代わりに、ご自分のお名前を入れてお読みになってみてください。私の場合は、あまりにも不釣合いで、その場から逃げ出したいくらい恥ずかしい思いになります。どなたも、同じ思いをするのではないでしょうか。「あ~、私の名前を入れるとピッタリだ~!」と思われる方は一人もいないはずです。なぜなら、人間はみな罪人であり、自己中心で真の愛を持ち合わせていないからです。

 どうか、神の絶大な愛について、真剣にお考えになってみてください。そして、あなたの罪のために身代わりに十字架で死なれた神の御子イエス様を信じて、永遠のいのちを受け、神の愛に満たされた幸福な生涯を送ってください。イエス・キリストを信じる者には、死後も永遠に天国で生きることが約束されているのです。これは、偽りののない真実な神の約束です。