聖書から人生を考えよう

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★キリストの復活とパウロの回心

2006-05-06 | 「キリストの復活」
 
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 今から約2,000年前のAD30年頃の日曜日未明に起こった出来事、すなわち、キリストが復活して墓から出て来られたという出来事は、人類の歴史をひっくり返してしまうくらいの大事件であったのです。それは、今まで失意のどん底にあった者に喜びと力を与え、確信と希望を与えるほどの歴史的にも大きな出来事でありました。キリストの復活によって、泣いていた女たちには慰めが与えられ、疑いと恐れの中にあった弟子たちには喜びと希望が与えられました。このキリストのよみがえりの良き訪れを伝える足は全世界に向かって進んで行ったのであります。

 このキリストの復活の福音は、多くの困難に直面しながらも世界の歴史の中で実を結んで行きました。今日まで信者たちは数知れず多くの迫害を受けましたが、キリストの復活を宣べ伝えるメッセージは西に東にぐんぐん伸びて行きました。今日、クリスチャンが宣べ伝えているメッセージの中心は、キリストの復活であります。復活こそ福音そのものであります。キリストの「十字架と復活」は車の両輪のようなものであり、切り離すことのできない一つの神のメッセージであって、復活のないメッセージは福音ではありません。「使徒の働き」の中でも、使徒たちが宣べ伝えたメッセージの中心は復活であります。キリストは今も生きておられる方であることを私は確信を持って語ることが出来ます。なぜなら、聖書がそのように語っているからであります。

 キリストの復活の事実を証明する方法は多くありますが、今回はパウロの生涯に焦点を合わせて考えてみましょう。まず、パウロは、以前はキリストをペテン師と信じて、クリスチャンたちに対して憎悪の心を抱き、彼らを絶滅してしまおうと次々に捕らえて投獄し、教会(集会)を荒らし回っていた青年でありました。このように、クリスチャンを激しく迫害していた青年がなぜ、突然、キリストを信じるようになったのか!それは、ルカが「使徒の働き」9章に記しているように、復活のキリストがパウロに現れ、彼は文字通り劇的な回心をしたからであります。

●「・・・・ ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。 彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞いた。 彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。 サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。 」(使徒の働き9:3~9)。

●「するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、 食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。 」(使徒の働き9:18~20)。


 パウロは、キリストの教えに納得してクリスチャンになったのでもなく、またキリストの立派な人格に感動してクリスチャンになったのでもありません(これは、彼がキリストの教えに納得しなかったとか、キリストの立派な人格に感動しなかったという意味ではありませんので誤解なさらないでください)。既に記しましたように、実に、パウロは栄光のうちに現れた復活のキリストに出会い、その復活の事実をを確かめることによってクリスチャンになった人であります。キリストの復活を証明する決定的な一つの事実は、キリスト者を迫害していたパウロがキリストの伝道者へと変えられたことであり、180度の方向転換をしたことであります。

 キリストを信じる者たちを迫害していたパウロが何故、突然、キリストを大胆に宣べ伝える人に変えられたのか。これは、絶対にキリストの復活を否定しては説明のできない事実であります。そして、新約聖書の中には、信者に宛てた21の書簡(手紙)がありますが、その中の13通(ローマ人への手紙~ピレモンへの手紙)は、実はパウロが書いた手紙なのであります。もちろん、その手紙の中では復活のキリストのことが度々語られているのであります。これは、キリストの復活を否定するならばどのように説明できるでしょうか。このことは、キリストの復活が明々白々であることを物語るものであります。

●「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」(ローマ人への手紙4:25)。

 キリストは私たちの罪のために死なれました。そして、その死は私たちの罪に対する完全で十分なさばきを受けてくださったが故に、神はキリストをよみがえらせてくださったのです。もし、キリストの復活がなかったならば、私たちの罪は赦されず、まだ罪の中にいることになります。そうであれば、罪が赦されているという保証もないことになります。キリストの復活こそ、間違いなく、信者が神の前に義とされ救われたことを保証するものであります。

●「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。」(Ⅰコリント15:19、20)。

●「神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。 」(Ⅰコリント6:14)。

●「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。 」(コリント15:51,52)。

  
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