聖書から人生を考えよう

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お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★涙の谷を過ぎる時も‥‥

2005-06-24 | 「ご再臨と信者の真の希望」

            
     
「雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなた(神)にあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。 」(詩篇84:3~7)。

  この詩篇84篇には、三回も「何と幸いなことでしょう。」(4,5,12)という感嘆詞が出て来ます。神を慕う者、神に信頼する者には神から来る幸いを約束されているのです。この詩篇の作者は、神殿の軒下に雀が住みつき、つばめが巣を作っている姿に、新鮮に驚き、感激しているのですね。雀は小さな生き物です。それなのに、人も近づくことのできない神の宮の奥の軒下に巣を作り、だれにも邪魔されずに雛まで育てているのです。それで、詩人は小さな弱い人間、しかも、罪深い卑しい人間ですから、悔い改めて信頼しさえすれば、神の懐の中に巣を作り、また、そこに中に憩うことができる幸いを見つけることが出来ると声高らかに歌うのです。

 また、(5~7)節には、神の力を拠り所として生きる信仰者の幸いな姿が書かれています。ここで「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」とありますが「涙の谷」というのは、特定の地名ではなく、荒廃と嘆きのある場所を示しています。人生には、多くの涙の谷があります。人生は涙の谷を行く旅のようです。困難と災い、悲しみと嘆きが待ち伏せしているのです。そして、私たちは、だれもがそこを通らなければなりません。しかし、力を神に見出し、神とのいのちの交わりを心に持つ人は、そこを泉の湧くところとすることができるのです。

 「初めの雨」というのは、荒野の情景を一変させる秋の雨のことです。荒野のような苦難に満ちた人生であっても、そこに潤いを与えてくれるのです。梅雨の時期のジメジメした雨は人を憂鬱な気分にさせるのでが、真夏の暑い時にザ~ッと降る雨は、心まで潤される気分になりますね。そして、彼らは「力から力へと進み」次第に強くなるというのです。通常、私たちは行進したりするとき、力から弱きに進むのではないでしょうか。私たちが旅をするとき、元気よく出発しますが、やがて、道が険しくなり、疲れて来ます。そして、道の傍らに腰を降ろして休み、また立ち上がっては苦しそうにもの憂い旅を続けるのです。そして、最後に、疲労困憊した状態になり、倒れこんでしまうこともあります。しかし、神の恵みと力に頼るクリスチャンの人生の旅は、出発した時と同じように活気にあふれているというのです。

 神から逃げる人の人生は、どんどん下る人生です。あの預言者ヨナは、ヨッパの港に下り、船に下り、船底に下って眠り、海に投げ込まれ、大魚に飲み込まれて、海底にまで沈んだのです(旧約:ヨナ書)。また、「親切なサマリヤ人」の譬え話でも、旅人のユダヤ人は、エルサレムから「下る道で」強盗に襲われて災難に会いました。この旅人は、私たち人間の姿を暗示しているように思います。神を離れては、上って行く人生は決してないのです。そして、どこまで下ってしまうのでしょうか。イエス様が厳粛に語られた「金持ちとラザロの話」の金持ちのように、彼はハデスまで下って行って火炎の中で苦しんでいるのです。ですから、神を信頼するかどうかということは、この地上だけの問題ではありません。永遠の問題なのです。

 この地上の様子を見ると、環境汚染はますます進み、不道徳が蔓延し、青少年による凶悪な犯罪が日常茶飯事のように多発し、何もかも暗いニュースばかりで、どこにも解決の糸口が見つかりません。この世界はすべてに行き詰まっています。しかし、キリストを信じる私たちには希望があるのです。「力から力へと進み」「上に上る」人生であり、「涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所」として行く幸いな人生が約束されているのです。私たちは、ますます聖書を深く味わい、みことばの中に生きる人生を経験したいものです。そして、そこには、間違いなく「力から力へ進む」勝利満ちた生涯があるのです。

●「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ書40:28)。

●「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 」(Ⅱコリント4:16)。

●「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」(箴言4:18)。

●「私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ人への手紙3:20)。

●「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 」(Ⅰテサロニケ4:16,17)。


 このように、クリスチャンには真の希望があります。私たちは、下って行く人生ではなく、最終的には天にまで上るのです。今はこの地上にあって生きていますが、国籍は天にあります。そして、そこから主イエスが再び、私たちを迎えに来てくださるのを待ち望んでいる者たちなのです。私たちの日常は、天気が晴れの日ばかりではなく、雨の日も、曇りの日も雪の日もあります。しかし、その雲の上には太陽が輝いているのです。同様に、私たちの日々も時々憂鬱に感じたり、意気消沈したり、落胆したりする日もあります。しかし、「神の愛」という太陽は常に輝いているのです。



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