聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★無神論に希望はあるか

2004-12-23 | 「神の存在について」

      死の床から娘は弱々しい声で尋ねました。「お父さん。私はお父さんの言っていたことを信じていいの?それとも、お母さんが聖書から教えてくれたことを信じたらいいの?」。娘のこの質問は、父にとって、大きな試みとなり、そして長い時間、彼は悩んだのです。

 無紳論者である父にとって、もし死に直面している娘に慰めのことばをかけるとすればが、今がチャンスです。そして、ついに彼は口を開いて言いました。父はなんと答えたでしょうか。なんと、「お母さんの言ったとおりに信じなさい。」と答えたのでした。
 
 死の床にある者に対して聖書の神を信じる者は、確信をもって、慰めと希望を与えることができます。しかし、無神論者には、死に直面している者に対して何の慰めも与えることができないばかりか、自らも死に対して何の備えもなく、死に対して不安と恐怖をもちながら生きているのです。

「神の存在」について、パウロは聖書の中で次のように明確に述べています。

●「なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」
                 (ローマ人への手紙1:19,20)。


 「レ・ミゼラブル」の著者ユーゴーが、ある夜、友人と散歩をしていました。友人がため息をつきながら言いました。「ユーゴー君、この大空を見たまえ。きらめく星々を!幾万光年ともしれぬ大空に、無数の星を敷きつめておられるのだ。神は何と偉大ではないか!」ユーゴーはすかさず、答えました。「その星を見る目を人間に与えてくださった神は、さらに偉大なるかな!」。実に味のある会話だと思われませんか。肉体の一部分、しかも、小さい目が、何万光年ともしれない遠距離の星々を見ることができるとは!!

  イエス・キリストは、人類の罪のために身代わりとなられて死んでくださり、三日目によみがえられた方です。ですから、キリストを信じる者には復活の希望があるのです。死を目前にしても、なお、平安を持っていることができます。

●「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』 ‥‥」(ヨハネの福音書11:25、26)。

●「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」(Ⅰペテロ1:21)。 

 
 あなたも、人生のあらゆる問題の根源に関わるこの神の存在について、どうか真剣にお考えになってください。神が実在することは、証明する必要がない事実であり、あなたが神に生かされている存在であることは自明の理であります。

       

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