聖書から人生を考えよう

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お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★人生は「3-4=0」??

2006-06-05 | 「聖書と人生」
           
       

  私がまだ大分若い頃のことですが、「3-4=0」という題名のトラクトをもらったことがあります。それを見たとき、「これは一体何を意味しているのだろうか・・・?」と疑問に感じたのを覚えています。みなさんは、「3-4=0」なんて、そんな引き算があるはずがない。「なんとばかばかしい!」と言って、それを捨ててしまわれるでしょうか。答えは「(-1)に決まっているじゃないか!」とおっしゃる方が多いと思います。しうかし、賢い人は、「いや、これには何か隠された謎か、深い意味があるに違いない・・・・。」と、それを受け取って、立ち止まって考えられるかもしれませんね。

 「3-4=0」。この引き算は、実はばかばかしいどころか、人生の大切な問題を教えているのです。これは、あなたにとっても無関係ではない重大な問題なのです。これを解き明かしますと、「3」は「産」、すなわち出産のことです。また、「4」はすなわち「死」を意味しているのです。私たちは出産(3)でこの世に生まれて来て、死(4)でこの世を去るのです。あとに残るものは何もない。肉体は灰になりやがて消えてしまうのです。しかし、もちろん、これは地上の肉体のことであって、死後も霊魂は永遠に存在するものであることを忘れてはなりません。ですから、「0」は「霊」にも通じると言い得ることができるかもしれませんね。

 私たちは「オギャア~!」と生まれて来て、70年か80年の人生を送って、やがて死んで行くのですね。その儚い短い人生の間に、やれ勉強だ!やれ受験だ!やれ就職だ!やれ結婚だ!やれマイホームだ!と慌しく、あくせく生きているのが人生です。人間は一体、何のために生まれて来て、毎日のように泣いたり、笑ったり、悲しんだり、怒ったり、悩んだりして生きているのでしょうか。人生とは何なのでしょうか。あなたは、この問題について真剣にお考えになったことがありますでしょうか? もし、お考えになられたことがなければ、これからでも遅くはありませんから、是非、真剣にお考えになってみてください。

 この人生の重要な問題に対して解明する本があると言ったら、あなたは驚かれることでしょう。でもそれは確かにあるのです。それは、世界のベストセラーである「聖書」なのです。この聖書こそ、神が人類に与えた最大のプレゼントなのです。あなたの人生に永遠の希望を与え、喜びと平安と真の心の満足を与えるのが、この聖書なのです。このように書きますと、なんとひとりよがりな人だろうと思われるかもしれません。しかし、私は確信をもって、みなさんに聖書こそ、人生の道しるべであり、人生の大海原を航海する者にとって、安全な羅針盤であると断言することが出来るのです。

 時計は何のために作られるのでしょうか。もちろん、時刻を知らせるためです。家は何のために建てられるのでしょうか。もちろん私たちが住むためです。車は何のために作られるでしょうか。もちろん、人や荷物を乗せて運ぶためです。では、目に見えない微生物はどうでしょうか。彼らも、不要なものを腐敗させ土に返らせるという大切な働きをしているのです。あんな小さな生物ですら、そんな大きな役目があるなら、人間にはどれほど大きな役目あるのでしょうか。私たちは、何のために生かされているのでしょうか。人間が進化論者が言うようにアメーバーから偶然に進化して来て、今も偶然に生きているなら、人生には何の意味もないことになります。なぜなら、偶然というものには、意味も目的もないからです。

 神(創造者:God)は、この世界とその中にあるすべてのものをそれぞれの役目に応じてお造りになりました。そして、祝福を与える対象としてまた、共に歩むパートナーとして、神は私たち人間をお造りになられたのです。この神の愛の中を、神と共に歩むことこそが、私たちの最高の生き方であると聖書は語っています。更に聖書は、本来の生き方から離れてしまって罪の中を歩んでいる私たちを今も愛してくださっている神様について語っているのです。私はこの神の愛を聖書に基づいて少しでも分かり易く伝えることが出来たらと願って、このブログを綴っているのです。どうか、忍耐をもって、他のカテゴリーの記事もお読みになっていただきたいのです。

●「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)。

●「家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。」(ヘブル人への手紙3:4)。

●「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに創造された。」(創世記1:27)。

●「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のためにわたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ書43:7)。

●「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人(となられた)としてのキリスト・イエスです。」(Ⅰテモテへの手紙2:5)。

●「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々(クリスチャン)が、もはや自分のためではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(Ⅱコリント5:15)。

●「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1:21)。


 神の栄光を表すために創造された人間が罪を犯して、死後永遠のさばき(第二の死)を受けるべき者となってしまったのですが、神はご自身の御子をこの世に遣わされ、十字架にまでつけて、私たちの身代わりに罰しなさったのです。この御方を信じる者には永遠のいのちが与えられ、人生の明確な目的と希望をもって生きることができます。クリスチャンが生きる目的とその意味はキリストご自身そのものなのです。

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