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聖書から人生を考えよう

私のプログへようこそ!!
お互いに、たった一度だけの人生です。
聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★母親の愛とキリストの愛

2005-03-04 | 「キリストの愛」



  若い頃、何かの本で読んだ話です。ある所に、百合の花のように美しい少女が母親と一緒に住んでいました。ところが、その少女の母親は、見るも気の毒なほどのひどい火傷(やけど)で、その顔はケロイド状になり、知らない人が見れば、そのあまりにも醜い姿に顔を背けたくなるほどであったのだそうです。そして、その少女は、いつも友達からお母さんの悪口を聞かせられては、泣いて家に帰ったのです。

 「なぜ、私のお母さんは、あんな顔なのだろう・・・。お友達とお母さんと同じであったら、どんなに嬉しいか分からないのに・・・・」と、一人、部屋で泣き悲しんでいました。そして、お母さんの顔があまりにも醜いので、お母さんと二人で外を歩くことさえも避けるようになったのです。心に思うことは自然と顔に表れるものです。母親は、いつしか娘の日々の様子を見て、彼女の気持ちを察したのでした。

 そして、ある日、母は娘を自分のひざ近くに呼んで、かつてのありし日の出来事を話し始めました。それは、少女がまだ幼い頃の冬の夜のことでした。真夜中に、ふと、目を覚ますと、恐ろしい焔(炎)が家を包んでいたのです。僅かの時間さえも、じっとしてはいられない危険が目の前に起こっていることが分かりました。しかし、母親は眠っている幼児に怪我をさせてはならないと考え、寝巻きの袖で幼児を包み、腕でかばって、命がけで燃え盛る火炎の中を必死で逃れ、安全な場所に避難しました。

 幸いに、少女には何の傷もなかったのですが、母親は、全身に炎を浴びて、そのために、見るも無残なほどの恐ろしい火傷の顔になったのでした・・・・・。その少女は、お母さんの話をじっと聞いていましたが、そのうちに自然と涙が溢れ出て来て、とうとう泣き出してしまいました。その幼児というのが、自分であることを悟ったからです。母親の壮絶ないのちがけの愛で彼女は救われたのです。その後、彼女は、母親の火傷で爛れた顔と手とに限りない感謝の気持ちを抱くようになり、友達には、誇りにさえ感じるようになり、決して母親を恥じるようなことはなくなったという感動的な話です。

 私は、この話を思い出すたびに、イエス・キリストの十字架のことを考えずにいることはできません。イエス・キリストは、父なる神様から私たちの救い主として、遣わされた御子であり、私たち罪人の身代わりとなって、十字架で死んでくださったお方です。イエス様の頭にはいばらの冠がかぶせられ、その背中もローマ兵によって鞭打たれ、つばきをかけられて侮辱され、御手と御足は太い釘で十字架に打ち付けられ、イエス様の全身から真っ赤な血潮がしたたり流れました。そして、その血を吐くような苦痛と渇きの中で、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカの福音書23:34)と、とりなしの祈りをなさったのです。私は、キリストの愛が分かったとき、涙なしにこの個所を読むことができませんでした。

 パウロは、最初はキリストを嫌い、クリスチャンを迫害していたのですが、そのパウロが、後に復活のキリストとの劇的とも言える出会いを経験し、今までの自分の間違いと愚かさに気づき、悔い改め、キリストの十字架の福音を恥とはせず、大胆に証ししたのは、キリストの愛を強く感じたからなのです。パウロは、殉教する最後の瞬間まで、忠実に主に従いました。

●「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ロ-マ人への手紙1:16)。

●「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。‥‥ 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使 いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 」(ローマ人への手紙 8:35~39)。

●「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。 」(コリント第二の手紙5:14、15)。 

●「すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こ うして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」(エペソ人への手紙3:18,19)。
 

              

★キリストの十字架の愛

2004-12-04 | 「キリストの愛」

           

    イエス・キリストは、今から約2.000年以上前に、ユダヤのベツレヘムの馬小屋で誕生され、飼い葉桶に寝かせられました。ナザレの田舎大工の子として成長され、30歳の時から三年半の公生涯において、多くの悩み苦しめる者に救いの手を差し伸べられ、盲人、手足の萎えた人、中風の人、らい病人など、数多くの病人を癒され、そればかりではなく、死人をさえ蘇えらされ、荒れ狂う湖を一喝して静められ、5千人の飢えた群衆に奇蹟によってパンを分け与え、その他数々の愛と力に満ちたみわざとを示されました。

また、何よりも驚くべきことは、この御方には、何一つ罪がなかったことであります。イエス・キリストの側近の一人であったペテロは、「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りもありませんでした。」(Ⅰペテロ2:22)と証言しています。そして、キリストは、その生涯の最後に十字架に架けられて処刑され、息を引き取られたのです。十字架刑は、当時のローマの極悪な犯罪人を死刑にする実に恐ろしい処刑の方法であったのです。しかし、キリストはそのような血を吐くような苦しみの中から、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」と祈られたのです。キリストは、ご自身には何も罪がなかった聖よいお方でしたが、私たち全人類の罪のために身代わりに死んでくださったのです。これは、何と崇高で偉大なキリストの愛ではありませんか!!

江戸時代前期の人で、佐倉惣五郎という農民がおりましたが、父のあとを継いで名主の役を務め、村人たちからも厚く信頼されていました。佐倉藩主堀田正信が重い年貢米を課したので、佐倉藩200余村の農民の苦しみを座視できず、江戸に出て将軍徳川家光に法を犯して直訴しました。そのため、妻子と共に十字架にはりつけにされ、処刑されました。農民のために生命を奉げたその一生は「佐倉義民伝」などに語り伝えられました。

ところが、その佐倉惣五郎は、十字架にはりつけにされた時に、あまりの苦しみに耐えられず、「俺は、お前の代の六代も七代までも、呪ってやるぞ~!」と絶叫して死んだと伝えられています。佐倉惣五郎の話は、私たちに感動を与えますが、イエス・キリストの死とは全く違うものです。

イエス・キリストは、私たち罪人のために神が遣わされた神の御子であり、唯一の救い主であります。このお方は十字架の死後、墓に葬られ、三日目(日曜日の早朝)に復活されました。今も生きておられる全人類の救い主であり、あなたの救い主でもあります。あなたもこの尊い救い主イエス・キリストを心から信じて救われますように。どうか、イエス・キリストの偉大な身代わりの死を無駄にしないで下さるように切に祈ります。

●「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私わちに愛が分かったのです。」(ヨハネの第一の手紙3:16)。

●「この方(キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには私たちが救われる名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。」(使徒の働き:4:12)。