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“絆”

株式会社リンクモア 平安閣 スタッフの日々徒然

100人100通りの葬儀

2016-01-13 10:36:44 | (仏教教団)各宗派別の仏事
本願寺法主 親鸞聖人直系の25世 大谷 順「人は死んでもまた生き続ける」を読んで

お釈迦様の時代にこんな話が残っていたそうです

インドの裕福な家にキサーゴータミーしいう若い嫁がいました。彼女は突然、幼い息子を病気で亡くしてしまい、深い悲しみから正気を失います。

まわりの人達が葬儀をすすめるのを拒み、すでに冷たくなった息子を胸に抱いて、子供の病を治す者はいないかと家から家へとたずね歩きました。

町の人々も、気の狂った母をどうすることも出来ません。哀れに思ったお釈迦様の信者が見かねて、彼女に町のはずれの祇園精舎に住むお釈迦様のもとに行くようにすすめました。

お釈迦様は、息子の亡きがらを抱きかかえて悲嘆にくれている母親の様子を静かにご覧になって、こういわれました。

「この子の病を治すには、芥子の実がいる。町に出て四、五粒もらってくるがよい。ただし、その芥子の実は、まだ一度も死者わ出したことのない家のものでなければならぬ」

さっそくキサーゴータミーは、町に出て再び家々を訪ね、芥子の実を求めました。芥子の実そのものを得ることはたやすかったけれど、死人の出ていない家はありません。

どこの家でたずねても、「昨年、父親が死にました」「夫を今年亡くしました」「つい先日、子供の葬儀を終えたばかりです」という答えが返ってくるのです。

町じゅうを歩き回ったものの、ついに求める芥子の実を手に入れることがてせきなかったキサーゴータミーは、お釈迦様の言葉の意味にようやく気づきます。死人を出したことのない家など一軒もない。死なない人などいないのだ・・・と。

あらためて気づかされました 自分中心に考えてないかなど・・・・・

たくさんの事を学びました。      サチヱ