ミイラといえばエジプトが有名ですが、日本にもミイラは数体現存しています。
弘前の長勝寺にある津軽藩の殿様のミイラも青森県人にはなじみ深いと思いますが、私個人としては、子供の頃に本で読んだ「鉄門海上人」のミイラの話が記憶に残っています。
その昔、山形に「鉄」という名前の若者がいましたが、些細なけんかで人を殺してしまい、とあるお寺に逃げ込みました。
(江戸時代「町奉行」と「寺社奉行」は管轄が違ったので、町奉行は寺の中にいる犯罪人を捕まえることができなかったのですね。俗にいう治外法権です。)
お寺の住職に諭された鉄は「鉄門海」と名前を変えて仏門に入ります。
あるとき、眼の疫病で人々が苦しんでいたとき、鉄門海は自分の左目をくりぬき、仏に供えて、疫病が収束することを祈願しました。
その後、鉄門海は修行を重ね、即身仏(ミイラ)となって人々の信仰の対象になりました。
たしか、そのような内容だったと思います。
調べたところ、お上人のミイラは注蓮寺というお寺に祀られているそうです。
出羽三山の周辺には他にも即身仏になった上人様達のミイラが数体あるようで、機会があれば一度、お参りに回ってみたいものです。
鉄門海上人のミイラの左目には眼球がないそうです。言い伝えは本当の話みたいですね。(山坊主)
弘前の長勝寺にある津軽藩の殿様のミイラも青森県人にはなじみ深いと思いますが、私個人としては、子供の頃に本で読んだ「鉄門海上人」のミイラの話が記憶に残っています。
その昔、山形に「鉄」という名前の若者がいましたが、些細なけんかで人を殺してしまい、とあるお寺に逃げ込みました。
(江戸時代「町奉行」と「寺社奉行」は管轄が違ったので、町奉行は寺の中にいる犯罪人を捕まえることができなかったのですね。俗にいう治外法権です。)
お寺の住職に諭された鉄は「鉄門海」と名前を変えて仏門に入ります。
あるとき、眼の疫病で人々が苦しんでいたとき、鉄門海は自分の左目をくりぬき、仏に供えて、疫病が収束することを祈願しました。
その後、鉄門海は修行を重ね、即身仏(ミイラ)となって人々の信仰の対象になりました。
たしか、そのような内容だったと思います。
調べたところ、お上人のミイラは注蓮寺というお寺に祀られているそうです。
出羽三山の周辺には他にも即身仏になった上人様達のミイラが数体あるようで、機会があれば一度、お参りに回ってみたいものです。
鉄門海上人のミイラの左目には眼球がないそうです。言い伝えは本当の話みたいですね。(山坊主)