青森市内の葬儀のほとんどは、仏式で行われています。
青森市内限定で言えば、曹洞宗(開祖・道元)・浄土真宗(開祖・親鸞)・浄土宗(開祖・法然)の寺院が多いです。
その他、日蓮宗(開祖・日蓮)・真言宗(開祖・空海)等の寺院もありますが、数は少ないのが実情です。
今回のブログでは、青森市内でも寺院の数の多い「曹洞宗」についてご紹介します。
(次回のブログからは、浄土宗・浄土真宗などの他の宗派の仏事も紹介していきます)
青森市在住の方は「禅宗」と言う呼び方をする方が多いですが、禅宗には「曹洞宗」と「臨済宗」があります。
禅宗と言えばやはり「坐禅」が有名ですが、まずは曹洞宗の公式サイトから、曹洞宗の仏事全般について、そして曹洞宗の開祖・道元禅師の考え方や、坐禅・写経・精進料理等についても、見ていきましょう。
以下、曹洞宗の本山系の公式サイトから引用します。
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曹洞宗公式サイト 曹洞禅ネット
http://www.sotozen-net.or.jp/
曹洞宗 東北管区教化センター
http://soto-tohoku.net/
曹洞宗の葬儀とは?
http://www.soto-kinki.net/butsuji/chishiki_sougi.php
葬儀は故人との別れを惜しみ、死後の幸せを祈る厳粛な儀式です。
同時に、故人を送るものたちが死と直面することによって、生きていることの本質をみきわめるための大切な機会でもあります。
曹洞宗の葬儀では、菩提寺の住職が仏さまと故人との橋渡し役(「導師」と呼ぶ)をつとめ、故人を彼岸へ導く(「引導を渡す」という)。
そして故人は、いつまでも仏さまの世界から私たちを見守る存在となるのです。
したがって、葬儀は故人に対する儀礼であると同時に、参列者への導きの意味も成しています。
【遺族としての心得】
家族との最後の別れは言葉では言い表せないほどの深い悲しみがあります。
その中にありながらも、末期の水、湯灌(ゆかん)、死化粧(しにげしょう)、死装束(しにしょうぞく)、遺体の安置、枕飾りなど、故人の旅立ちの準備を進めなければなりません。
それが、故人を送るものたちの責任でもあるのです。
遺族の代表として葬儀を執り行い、故人にかわって弔問のあいさつを受ける喪主は、ふつう、故人が既婚者の場合はその配偶者がつとめ、配偶者がすでに亡くなっていたり、高齢・病気などの理由でつとめられない場合は、長男や同居している子供など、故人と縁の深い人がつとめます。故人が未婚者の場合は、親や兄弟がつとめることが主です。
喪主以外の遺族も、故人の心安らかな旅立ちのために喪主をしっかりと支えてあげたいものです。
【弔問・会葬者の心得】
近い親戚や親しい友人などの訃報には、とりあえず弔問に駆けつけます。この場合は、特別派手でなければそのままの服装でも結構です。
悲しみにくれる遺族の気持ちを思いやり、玄関先でお悔やみを述べて失礼します。故人との対面をすすめられたときは、遺族に一礼を述べて案内に従います。
一般の弔問の時期は、通夜は親戚や親しい間柄の人だけ、その他の人は葬儀・告別式に参列するのが本来の姿です。
曹洞宗の法要とは?
http://www.soto-kinki.net/butsuji/chishiki_houyou.php
一般的には法事と呼ばれ、この世に残ったものが、故人が仏国土で安楽になるように行う追善供養です。
また、故人の供養を通して先祖たちの恩を倣び、自分たちがいまあることに感謝するよい機会でもあります。
死亡の日から四十九日までを中陰(ちゅぅいん)または中有(ちゅぅう)といい、七日ごとに中陰忌法要が営まれます。
満中陰(忌明け)の四十九日(七七日)は、家族だけでなく親戚も招いて法要を行います。
また関西などでは「お逮夜(たいや)」といって、その前夜に法要が営まれるところもあります。
百ヵ日法要「卒哭忌(そっこくき)」は、悲しみのなかで過ごした遺族もこのころになると落ち着き、気持ちにゆとりもでてくるということから、悲しみの終わる日として供養します。
年忌法要は、一周忌(翌年)、三回忌(二年目、以下同様)、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、(二十五回忌)、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌、あとは50年ごととなります。
【法要参列者の心得】
法要に招かれたらできるだけ出席するのが礼儀です。服装は、一周忌までなら黒の略礼装ですが、それが過ぎたら施主にどうしたらよいか聞いておきましょう。
供物料(くもつりょう)や塔婆料(とうばりょう)の金額についても、自分と同じ立場の人に一応確かめておくのが無難です。とくに施主に近い立場にあるときは、なるべく施主の助けとなるように心がけたいものです。
会場に到着したら施主にあいさつし、まず仏前に手を合わせます。数珠は忘れずに持参しましょう。
曹洞宗の法事のマナー
http://www.soto-kinki.net/butsuji/chishiki_houjimanner.php
法事とは、本来お釈迦さまの教え、仏さまの心を知るということでしたが、しだいに仏事儀礼、行事、そして故人への供養(追善供養)を勤めることが、一般的に法事と呼ばれるようになりました。
したがって供養とは、施主が、仏さまに飲食や花をお供えし、また読経をすることによって、善根(良い行い)の功徳を積むことです。
その功徳を回向(えこう:たむけること)することによって、ご先祖さまや故人に対し、さらに、すべての人びとの冥福を祈り、あわせて、自分を含むすべてのものが仏道を成就することを願うものです。
心のこもった法事がとり行われるように、施主(せしゅ)としての準備とその実際を心得ておきましょう。
【日取りの決定まで】
年回法要は、故人の祥月命日またはお逮夜に営むのが正式です。しかし、諸事情により都合がつかない場合は、祥月命日に当たる日より前に行なうのがよいでしょう。
日取りが内定したら、まずは菩提寺に連絡し日程を調整します。
施主家の都合のよい日であっても、寺院のほうで諸行事が予定されている場合があるからです。
法事の日取りは菩提寺とよく相談したうえで、遅くても1カ月くらい前までには決めるようにしましょう。
【案内状の送付】
近親者だけの法事ならば、電話連絡だけでもすみますが、故人に縁の深い人びとを招く場合には、案内状を差し出すのが丁寧です。
法事の案内状に定型はありません。
法事の行われる場所(菩提寺等)までの案内図や塔婆建立の有無も書き添えておくとよいでしょう。
【服装と数珠について】
法事の際の服装は、施主の側は略礼服等を着用するのが一般的です。
また、参列者も華美にならないように心がけ、きちんとした服装で参列しましょう。
そして、施主も参列者も数珠(念珠)を忘れずに持参します。
【法要に際して】
自宅で法要を営む場合は、まずお仏壇を荘厳します。
準備が整いましたら、施主が「ただいまから○○○○(故人名または戒名)の○回忌を営ませていただきます」といった趣旨のあいさつを述ベ、導師(住職)の入場を待ち、入場の際には合掌にて迎えます。
正面の座についた導師の合掌礼拝にならい、参列者も礼拝します。
読経は、仏さまの教えを説く声であり、香のかおりが、わが身を清め、そして、立ち上る香は、私たちの思いや願いを亡き人のもとに届けてくれるといわれています。
身心を正し、心を静め、故人の冥福を祈るとともに、仏さまの心、故人の教えを改めてくみとっていただきたいと思います。
導師の「ご焼香を・・・」との言葉により、香炉を順に回すか、ご本尊の前に進んで焼香をします。
読経の後、導師の法話等がすみますと、これで法事としての式は終了ということになります。
施主は、無事終了した旨のあいさつを述べます。
「本日は、故人のために焼香をたまわり、誠にありがとうございました。親しい皆さま方のお元気なお顔を拝し、故人も心から悦んでいることと存じます。」といったような簡単なあいさつでよいでしょう。
各地方により慣習がありますので、事前に菩提寺によくお伺いしておくことがよいでしょう。
【葬儀・法事の表書き】
葬儀や法事に際して、いろいろな表書きがあります。
御供(おそなえ)葬儀の際、霊前に供える花や菓子、果物に使う。
御霊前(ごれいぜん)葬儀に際して故人の霊前に供える金品に使う。御香典(おこうでん)霊前に香を供えてくださいという意味で使う。
御香奠(おこうでん)「御香典」と同様に使う。
御香華料(おこうげりょう)「御香典」と同様に使う。
御供物料(おくもつりょう)「御供」の代わりに添える金包みに使う。
菊一輪(きくいちりん)軽小の金包みに使う。菊の花に代えての意。志(こころざし)通夜、葬儀の世話役などへのお礼に使う。
御布施(おふせ)葬儀、法事などでお寺や僧侶へのお礼の金包みに使う。
御法礼(ごほうれい)「御布施」と同様に使う。
施食会(お施餓鬼)って何のこと?
http://www.soto-kinki.net/butsuji/chishiki_sejikie.php
施食会(せじきえ)(お施餓鬼(せがき))のいわれ
仏教の世界には六道といわれる「地獄(じごく)」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」「修羅(しゅら)」「人間(にんげん)」「天上(てんじょう)」の六つの世界があります。
この六道の一つである餓鬼道(がきどう)に堕ちて苦しんでいる無縁仏様を供養する法要が施食会です。
多くのお寺では、百カ日法要や、ご先祖さまの霊を供養するお盆に行なわれますが、お彼岸や年回法要などにも行なわれます。
曹洞宗をはじめとする禅宗では、「生飯(さば)」という施食作法があり、これは食事のときに七粒ほどの米粒を供養するもので、これにより供養されない亡者(もうじゃ)や、生前に犯した罪によって飢え苦しむ餓鬼道に堕ちた仏様に施す作法なのです。
施食会にて読まれるお経は「甘露門」です。
全体は「奉請(ぶしょう)」「発願(ほつがん)」「施食(せじき)」「見仏(けんぶつ)」「発心(ほっしん)」「回向(えこう)」の組み立てになっています。
そのなかに、真言(陀羅尼「発菩提心真言」「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」などが加えられ、施食会をより厳(おごそ)かなものにしていったと考えられます。
■幤 道紀(へい どうき)老師のおはなし (近畿管区教化センター統監)
お釈迦さま自ら弟子に直接説かれた教え(仏説)の一つ「仏説救抜口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)」は、十大弟子のお一人である阿難尊者(アーナンダ)にまつわるお話です。
阿難尊者は、お釈迦さまのいとこで、常にお釈迦さまの傍らで、お釈迦さまの教えを一番よく聞かれた方です。「多聞第一」と称されます。当時のことゆえ、聡明な阿難尊者はお釈迦さまの教えを記憶によって覚えておられたそうです。
このお経には悪業の報いとして餓鬼道に落ちた亡者、口から炎を吐く口餓鬼が「汝は三日後に死ぬであろう…」というようなことを、阿難尊者に告げたという物語がお経にかかれています。
曹洞宗の坐禅
http://www.soto-kinki.net/zazen/
曹洞宗の教えの根幹は坐禅にあります。それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことに由来するものです。
禅とは物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることを指します。
そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。
曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。
何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。
坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。
私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。
坐禅の基本(準備・基本作法など)
坐禅する場所
僧堂(そうどう)・坐禅堂
修行道場においては坐禅をする専用の建物があります。それを坐禅堂・禅堂(僧堂)といいます。
そもそも僧堂は修行僧が生活するための場所で、「起きて半畳、寝て一畳」という言葉がありますが、一人ひとり決まったスペースが与えられ、坐禅・食事・就寝のすべてをおこないます。僧堂のない寺院では本堂で坐禅を行なうことが多いです。
坐禅堂
一般のご家庭では、坐れるだけのスペースがあればどこでも坐禅できますが、できれば仏間など静かな部屋を使用できればベストです。きれいに清掃し、できれば線香や香を焚いて清浄にすると良いでしょう。
坐禅のときの服装
坐禅の際は、身体を締め付けないゆったりとした服装が好ましいです。
特にジーンズやミニスカートなどは坐禅に適しません。一般のジャージや作務衣などが脚を組むときに無理がありません。靴下は履かず、裸足で行ってください。足がしめつけられて血行が悪くなります。
ネックレスなどの貴金属、アクセサリー、腕時計は身につけないようにします。警策をうけるときに邪魔になりますし、修行の際にそのように身を飾る必要はありません。
坐禅するときの手のかたち
合掌(がっしょう)
世界の仏教徒に共通の礼拝の作法です。手のひらを隙間の開かないようにピッタリとくっつけて、指先を伸ばします。
指先の高さを鼻の位置ぐらいまで上げ、かるく脇を開きます。鼻先から合掌まで握りこぶしひとつ分ぐらい離してください。
叉手(しゃしゅ)
立っているときや歩くときの手の作法です。左手の親指を握りこみ、そのこぶしを右の手のひらでおおいます。肘をかるく開き、みぞおちのあたりに手をあてます。
法界定印(ほっかいじょういん)
坐っているときの手の作法で「ほっかいじょういん」といいます。
右のてのひらの上に左の手のひらを乗せて、両手の親指を自然にくっつけます。そのときにできる円がきれいな卵型になるようにしてください。
手はすわっている脚のつけねに自然に置き、お腹にくっつけます。浮かさないようにしましょう。
曹洞宗のお経について
http://www.soto-kinki.net/okyo/
お経は、お釈迦より脈々と続く、教えや考えをまとめたものです。
日本へは、中国や朝鮮を経由し漢訳されたお経がたくさんもたらされました。
また、各宗派独自のお経もあり、例えば、曹洞宗では修証義が広く読まれています。
仏教には「八万四千の教えがある」といわれるように、膨大な数のお経がありますが、ご家庭においては般若心経など、馴染みのあるお経を読むことからはじめてはいかがでしょう。
読むお経の種類や順番に厳密な決まりがあるわけではありませんので、あまりかたく考えずに読経してみてください。
特に、修証義などの長いお経は、「今日は1章、明日は2章…」というように1章ずつ読んでもかまいません。
読経の際に木魚や鐘(りん)を鳴らしますが、これも和尚さんと同じようにできなくて当然ですので、最初に鐘を3回鳴らし、読経をされると良いでしょう。
日々の生活の中で、お仏壇に向かい、線香を真っすぐに立て、お経を読む時間をぜひつくってみてください。
写経のすすめ
http://www.soto-kinki.net/shakyo/
近年、テレビや書籍でも写経がとりあげられることが多くなり、ふたたび写経が見直されています。
写経とは読んで字の如く「お経を写す」、すなわち書写することです。
写経は私達の祖先から受け継がれてきた浄行として、現在も多くの人々によって根強く信奉されています。
昨今、あらためて仏教を学び、その教えにふれる方が増えており、その中ではじめて写経にとりくまれる方も多いようです。
わが国での写経は、天武天皇が白鳳2年(673年)一切経を川原寺で写さしめたのが始めといわれ、その後、聖武天皇のころ、 多くの写経所を設け、写経司を任命し、これら専門のものが書写して収蔵し、また、諸国の国分寺等に配布されました。
それが、おそらく平安時代ごろから、修行のためや、また、病気平癒、罪業消滅、先祖供養など祈りやねがいを目的にした個人的写経が始められたようです。
写経には長い歴史があり、多くの人の信仰生活に、心のやすらぎを与える糧となってきました。
それは身と心を整えて行うこの写経の心が、そのまま仏の心に通うからにほかならないのです。
現代に生きる私たちは写経によって、静かに落ち着いた時間を大切にすると共に、祈りやねがいを生活の中に活かしてゆく一つの証としたいものであります。
写し得たことにより、満ち足りる心、精神的なうるおいが、今日を生き抜く大きな力となるはずです。
『般若心経』は、初心の方にはもっとも適当ですので書写をおすすめいたします。
お墓参りのマナーは?
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お墓参りは、まず墓石と墓地のお掃除から。特に汚れやすい水鉢や花立てなどは、念入リに清めます。
お墓がきれいになったら、清らかな水、線香、故人の好物などを供え、お寺に墓経をお願いして、まごころをこめ、合掌礼拝(がっしょうらいはい)します。
食べもののお供えは、お参りのあとで下げるようにしましょう。お供え物が悪くなリ不衛生になることは、誰も喜びません。また、無縁のお墓もきれいにし、お線香やお花を供える心を持ちたいものです。
【これだけは守りたい「お墓参りのマナー」】
●線香やろうそく、お花やお供えを用意しましょう。
●墓石以外も掃除しましょう。特に、草が生えたままにしないように。
●お供えは、持ち帰りましょう。そのままにして帰るとカラスなどに荒らされます。
●ゴミは持ち帰ることが基本。ゴミ箱がある場合は分別などルールを守りましょう。
●墓参できる時間帯など霊園や墓地の規則に従いましょう。
●寺院境内の墓地であれば、お寺のご本尊さまにもお参りしましょう。
※事情でお参りできない場合やお墓のことでお悩みの場合は、菩提寺(寺院)に相談しアドバイスをもらいましょう。家族や親族と協力して今あるお墓を守り伝えていくことがベストです。
お墓参りは、ご先祖さまや亡き人との出会いの場です。
「あなたのおかげで、今わたしがここにいます」ただひたすらに、感謝の心で手をあわす。
それは、いのちのルーツに手をあわすことです。
その不思議なめぐり合わせに思いをはせる時、あたりまえでない「私」のいのちを感じることでしょう。
なぜ、仏壇をまつるの?
http://www.soto-kinki.net/butsuji/chishiki_butsudan01.php
お仏壇をまつる意義
お仏壇をまつる最も大切な意義は、私たちが仏教徒として生きる信仰実践のよりどころである、ということです。
曹洞宗の信仰実践の基本は、端坐(たんざ)・合掌(がっしょう)・礼拝(らいはい)です。
静かな心で端坐し、お釈迦さまに合掌礼拝することにより、私たちの日々の生活を反省し、教えを生活の中で実践する活力を生むのです。
そして、その実践が心の安らぎへと連なっていくのです。
お仏壇にご先祖さまをおまつりし、おまいりするということは、生命が、生命から生命へと受け継がれ、今の私があるということへの報恩感謝の実践といえるでしょう。
それは、私が私ひとりで生きているのではなく、多くの生命によって生かされているのだ、と深く実践することでもあるのです。
このように、お仏壇は、ただ単にご先祖さまをおまつりするだけの場所ではありません。
お仏壇の中は仏さまのおいでになる世界、須弥山(しゅみせん)をあらわしており、中心に本尊(ほんぞん)さまがまつられています。
大きさは違いますがお寺の本堂と同じです。
つまり、お仏壇は「家庭の中のお寺」なのです。
精進料理(食べる・作る)
http://www.soto-kinki.net/dish/
調理のこころ
日本人の食事の文化には、禅の精神が数多く受け継がれています。
中でも、食事を作る時には、季節に応じた折々の食材を大切に扱い、調理に工夫を加え、真心こめて作ること。
これは人々が気持ち良く美味しく食べられ、身も心もが安楽になるための仏さまの教えからきているのです。
調理をする心がまえとして、道元禅師は、「喜心・老心・大心」の「三心」で行ないなさいと教えられています。
「喜心」とは、他人のために喜びの心で調理すること。「老心」とは、父母の心。つまり親がわが子を思う気持ちで調理すること。
「大心」とは、心を山のごとくどっしりと、また大海のように広々とさせ、一方に片寄ったりしない心で調理すること。
このように精進料理を作る際は、食材をムダにしない。飽きのこないよう調理を工夫する。
そして、食事をいただく人のために、心を尽くすことを何より大切にしています。
道元禅師の教え
一、生かされて、生かして、仕事を喜ぶ心=喜心
一、やさしさは、人にも物にも潤いを生む=老心
一、とらわれぬ、広い心でゆったり生きる=大心