大きな苦しみを受けた人は
恨むようになるか
やさしくなるかのどちらかである
(ウィル・デューラント)
人生にはどうしようもない困難がつきもので、私たちに選択の余地はありません。
けれども、起きてしまった苦しみにどう対応するかは、ある程度自分で選択することができます。アメリカのピュリッツァー賞作家、ウィル・デューラントの言葉が示すように、大きな苦しみを受け、希望や喜びを失い、残りの人生を恨みのうちに過ごす人もいれば、苦しみをばねに、人間的成熟の道へと歩む人もいます。苦しみから何を引き出すかは、究極的には、各自の主体性にかかっているのです。
アルフォンス・デーケン「心を癒す言葉の花束」より
どきっとさせられた言葉です。
これまで様々な苦しみがありましたが、「苦しみをばねに、人間的成熟の道」を歩んでいるか?と問いかけられて、う~~んと冷や汗たらたらです。
しかしながら人間的成熟の道というのは他人から評価されるものでもなく、自分で納得して「これでいいのだ」と思うところしか始まらないような気もします。
肩の力を抜いて取り組むことを心がけよう
避けると、たびたびあらわれて悪さをします。
きちっと認めると「意外にかわゆいかも」と思えて来るから不思議。
「人間的成熟の道というのは他人から評価されるものでもなく、自分で納得して「これでいいのだ」と思うところしか始まらないような気もします。」 なるほどー!ハッとしました
私は何も進歩できず、むしろ対処できていないことでどんどん退行しているんじゃないのか??とか、どんどん人としてバカになっているような考え(笑)が最近頭から離れないんです。で、突然自分の中の電池が切れたり^^; (あはは)
他人が見て「成熟している」というものさしじゃなくて、「私なりにがんばってるじゃん」って自分が自分を認めてあげることからなのかもしれないですね・・・
そうでないと、人生のキラキラしているところを逃し続けるのかも。