もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

東京裁判とオランダ人判事の先見性

2018年08月17日 | 歴史

 極東国際軍事裁判(東京裁判)で、戦犯の一部無罪を主張したオランダ人判事が存在していたことを初めて知った。

 同裁判では、インド人のパール判事がA級戦犯全員の無罪を主張したことは知っていたが、オランダ人のレーリンク判事も広田弘毅元首相や東郷重徳元外相ら5人の無罪を主張していたことを初めて知った。パール判事の主張は「平和(侵略)に対する罪」という国際的にも存在しなかった概念を以って遡及的に過去の行動を罪に問うことの不条理から、裁判自体が無効であるとの法的論拠によるものと理解している。パール判事の出自から推し量るならば、宣戦布告の無い植民地支配(侵略)を行った欧米戦勝国が侵略に対する罪名で日本を裁く茶番を非としたものとも考えられる。レーリンク判事は、平和に対する概念は認め、軍人の非人道行為は非とするものの、文官に対して死刑判決は適用すべきではなく、広田氏や東郷氏については無罪と主張したと記事は伝えている。来日前は”日本は峻烈に裁くべき”とする一般的なオランダ人と同様な考えを持っていたようであるが、日本と日本人の実情を知り、特に広島の惨状を目にした以降は大きな心境の変化があったようで、以後の主張に辿り着いたものと考えられている。このことには原爆投下を指示して数十万人の非戦闘員を殺害したアメリカ大統領が何ら糾弾されることのない不条理を考えたためかもしれない。レーリンク判事は戦犯の一部無罪を主張したことにより、帰国後にはオランダ人から人知れぬ迫害と冷遇を受けたようであるが、主張に対する信念と日本人に対する尊厳の念を終生持ち続けたそうである。

 判決後、レーリンク判事は「今は人々が感情的になっているが、やがて冷静に返ったら、より正しく判断するだろう」、パール判事は「時が熱狂と偏見とを和らげた暁には、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するだろう」と各々述べている。自虐史観の原点とされる東京裁判から70年、我々は冷静になるどころか敗戦後の精神的な狂乱状態から抜け出せずにいるのか、はたまた日本人として立ち返るべき原点を見失ったのか、いずれにしても東京裁判を見直せずにいることは、日本の不幸と思うのだが。


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