教育及び経済の格差拡大が懸念されている。
格差は若年者から勤労意欲を奪うとともに、閉塞感を生む最大の要因と言われている。しかしながら格差の全くない社会を想像すると、そこには競争意欲もない怠惰な閉塞感に満ちた活力のない社会があるのではないだろうか。人類生存の原点は競争であり、競争の相手が自然であった原始時代から、文明の進展に伴って人間相互の競争へと変化したものと考えている。あらゆる生物は個体ごとに格差を持って生まれる。人間は、教育によってその格差を埋めようと努力するのであるが、天与の能力を均一化することなど到底かなわない。能力差は生涯賃金の差を生み、子供世代の教育格差に投影されるという負の連鎖を興してしまう。しかしながら、負の連鎖から出ようとする意欲と活力が、いわゆるアメリカンドリームを生みだして新しい勢力となって台頭するとなれば、適宜な格差は活力の源と云えるのではないだろうか。最も忌避しなければならないのは格差の定着で、貴族社会を実質的に否定することによって英国病を克服したイギリス、カースト制度の無視によって発展するインド等、格差定着の弊害を是正した国は多い。格差の無い社会を目指した共産主義も共産党そのものが特権の温床となっており、中国においては太子党と呼ばれる共産党高位者の子弟が新しい特権階級となって中国を牛耳っている現実もある。
統計によれば、日本は格差の少ない社会とされているが、格差の拡大と定着を防ぐことが重要であるとした結果、教育助成・職業訓練・相続税制の改正等の施策が講じられている。我々は、これ以上の施策を国に求めることなく、施策では埋められない能力差と格差が厳然として存在することを共通認識とすることから始めなければならないのではないだろうか。
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