「安倍首相が4日記者会見を開き、全都道府県を対象に5月31日まで、緊急事態宣言を延長すると発表した」
上に示した文章は総理会見を報じる新聞記事の冒頭であるが、あの会見は記者会見である必要があったのだろうかと思う。記者会見と銘打った以上、どの部分を切り取るかは報道各社の裁量(編集権?)に任されているため、テレビ放映されるのは会見の1部と放送局が取捨した要約であり、全ての発言内容を知るためには翌日の新聞を待つ必要がある。今回のように全国民が何らかの犠牲を求められるような事態にあっては、記者会見よりも直接国民に語り掛ける方が効果としては大きいのではないだろうか、各局の映像を見ても首相の顔の向きはまちまちでカメラに視線を向けた映像は少ない。キューバ危機やイラク戦争時にアメリカ大統領が国民の支持と結束を訴える画像では、視線は常にカメラに向けられており視聴者は自分に語り掛けられていると感じることができる。補足質問が可能である記者会見も必要であろうが、キー局の放送時間を15分間程度借り上げて執務室から1台のカメラを正面から見据えて語り掛ける方が効果は遥かに大きいのではないだろうか。その際、淡々と語り掛けるか熱情的に振舞うかは別にして、人柄と真意は確実に国民に届くと思われる。ヒットラーやケネディーの例を引くまでもなく弁舌で国民を動かした例は数多く、日本でも中野正剛の弁舌は夙に有名である。理論明晰・言語不明瞭と云われた故大平正芳総理はともかく、安倍総理の弁舌は爽やかとお見受けするので、是非に考えて欲しいものである。
本日掲載された月刊誌の広告でケント・ギルバート氏が「3密?、集・近・閉と言おう」と寄稿しているのを見た。改めて書くまでもなく習(集)近平(閉)への当て擦りであるが、言い得て妙と感じ入った。時としてスポーツ紙の大見出しにはウイット満載でありながら真実を窺える秀句が多いが、集近閉は中国(武漢)ウィルスとともに本質を突いている。小池百合子都知事もカタカナ語多用には辟易させられるものの時宜それぞれにキャッチフレーズを編み出し、制度や行動様式の変化定着に成果を挙げておられるが、政府発信のっキャッチフレーズは少ないように感じられる。政府も官房長官に会見させるよりもの専門報道官の起用を検討すべきではないだろうか。中国外務省報道官の「聞く耳持たぬ」「中国共産党以外は虫けら」態度には怒りを覚えるも、断固とした政府見解の伝達には相応しいようにも思える。
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