米軍のアフガニスタン撤退に伴う、米軍協力者の国外退避作戦が始まった。
アメリカ政府によれば、第1陣の約200人が30日に米バージニア州の陸軍基地に到着し、1週間ほどで特別移民ビザを得て入国できるとしている。
同作戦の対象者は、既に米国への特別移民ビザを申請している2万人程度とされているが、通常は申請者が3~5人の家族の同行を希望するために10万人にも達する可能性が有るとみられる。
アメリカは、特別移民ビザの発給に数か月~数年が必要であることから、先ずビザ手続きが既に最終段階まで進んだ申請者700人と家族2500人をアメリカ国内に、次いでセキュリティー審査を終えていない申請者4000人と家族をクウェートやカタールの米軍基地などに一時収容するとしている。また、中央アジア3国にも一時受け入れを打診しているが、こちらは実現性が低いのではと思っている。
米軍協力者とは、通訳などで直接米軍に協力した人とされているが、もし、実定法よりもイスラム神法で統治するタリバンが政権を握れば、制裁を受けるであろう「裏切り者」の対象は際限なく広がり、例えば飲食・風俗業種はもとより、就学した女児やチャードルをヒジャーブに変えただけの女性も制裁の対象とされる恐れがあることを考えれば、10万人の救出では到底済まないように思う。
権力を握った者、若しくは握ろうとする者や価値観を変えようとする者が、旧体制の遺産を破壊するために民衆暴力を扇動することは効果的であるために、しばしば利用される。文化大革命では紅衛兵に実定法を越える毛沢東語録を与え、10月革命やイラン革命では奨励した密告に基づく秘密警察による粛清を許し、現在でも法治国家では禁じ手とされる事後法に依って親日レッテル貼りに勤しんでいる韓国、コロンブス、リー将軍の像を倒して地名や通りの名前を変えるのに忙しいアンティファやBLM、と事例に事欠かない。
連合軍占領下の日本でも、将兵の接待を生業とする職業が存在し、自分が海自に入隊した昭和30年代後半でも夜の町にはオンリーさんと呼ばれる女性が数多くいた。また、街には「翻訳」の看板を掲げた代読・代筆業も多く、戦後は終わっていないと思ったものである。オンリーさんは、身体的な迫害までは受けなかったであろうが、世間の後ろ指や白眼視に耐えるという生活を、ましてや、混血児や混血児の母親は計り知れない被差別生活を余儀なくされたのであろう。神学の存在しない日本でも迫害に近い差別があったことを思えば、イスラム原理主義下のアフガンで米軍協力者の烙印を押されることは、死に直結するものであろう。
ともあれ、米軍撤退後のアフガンに、我々が不当と思われる差別・報復・制裁を受ける人々が取り残されないことを祈るものである。