本日のソフトボール予選リーグを皮切りに東京五輪が開催される。
東京大会は、人類史上初めてのパンデミック下開催であれば、成功・不成功に関わらず試金石として評価され、以後の国際大会の動向に大きく影響するという運命的な五輪になると考える。
やや意外に思われたのは、直近の世論調査で五輪に期待していると答えた人の割合が、反対意見とは拮抗するものの僅かながら上回ったとされていることである。ネット上やメディアで開陳される意見の多くが開催に懐疑的若しくは反対であることを思えば、それらは決して「世論」では無かったことを示しているように思われる。
そのことを考えてみると、反対者は何らかの意思を発信できるツールを持っていることが多いために情報量(質ではない)としては世情に溢れ、恰も世論であるかの印象を与えてきたが、意見発信のツールを持たない真の「声なき声」「サイレントマジョリティー」は別に存在し、無作為・不特定を対象にした世論調査によって”チラリ”と姿を見せたように思われる。閑話休題。
昨日の民法番組で、記憶に残る金メダリストや金メダル獲得の瞬間を特集した番組を見た。自分はそれらの多くが新聞やニュース映像で見たもので、リアルタイム映像に接したのは公務災害(負傷)で入院していた東京大会を除けば2012年のロンドン大会以降であると懐かしく思った。リアルタイムで見ることができなかったのは、ある時は衛星中継技術・放映権の所為であり、ある時は航海中であり、ある時は艦に1台のテレビが上級者の連続ドラマ視聴に占拠されていたためである。
自分の現役時代の艦艇におけるTV視聴について紹介すると、TVは士官室・先任海曹(CPO)室、科員食堂に各1台設置されていたが、当然のことながらチャンネル権は各室の先任者が握っていた。特に科員食堂では概ね50歳前後の1等海曹から20歳前後の2等海士までの共用であり、若年者の好む番組にチャンネルが合わされることは殆どなかった。また、受信アンテナが指向性アンテナであることから、航海中は進路変更で、投錨停泊中は艦の振れ周りによって、視聴中の画面が砂嵐画面に一転することは避けられなかった。さらに陸岸から50マイルほど離れればテレビ電波が届くことは無かったため、若年者は良い意味でのテレビ離れ環境に置かれていたように思っている。
現在では、TV受像機は各居住区のレストエリアにまで設置され、受信アンテナは無指向型と衛星アンテナが装備されているので、ほぼ陸上生活と同等に改善されているようであるので、若い隊員も好みの番組に浸ることができるようである。
自分はこれまで五輪開催の是非に口を噤んできたが、オリンピック東京大会が「東北大震災を克服」し「中国コロナ制御に成功しつつある」現状を世界に示すものであって欲しいと願うものである。
出場選手と大会関係者に限りないエールを送って・・・・。