もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

人の振り見て我が振り直せ

2021年07月24日 | 社会・政治問題

 オリンピック開会式の日、東京近郊の行楽地では人出が急増していることが報じられた。

 画面では、東京を脱出したという若いカップルの女性が、「オリンピックをやっているのだから自分も(行楽地に)来ました」とにこやかに語っていた。
 オリンピック開催については、コロナ禍という背景を考えれば中止という選択が最も判り易く、表面的には各国も容認したであろうと思う。しかしながら国際公約に近い東京五輪を中止した場合の日本の評価は果たしてどうなったであろうか。開会式に寄せられた各国の指導者やオリンピック委員会からのメッセージが、冬季大会を控える中国、次期夏季大会のフランスは別にしても、開催を「日本の英断」として評価若しくは賞賛するものであることを思えば、東京大会中止の場合には、良くても「理解」であろうし、場合によっては「コロナに負けた国」との評価もあったであろうと思われる。
 そんな中での開催であり、国威を見据えた政治家、コロナとの折り合いに腐心した大会関係者、何よりもコロナ禍でも研鑽して代表権を得た選手、それぞれの努力を考えれば、安易に「行楽地に繰り出す幼稚な行動」を正当化する理由にはなり得ないと思う。
 国会議員が会食したから、厚労省で送別会をしたから、不法営業している居酒屋が有るから、・・・、「だから自分もやって当然」という図式・思考が余りにもはびこってはいないだろうか。
 古人は「人の振り見て我が振り直せ」と格言している。云うまでも無く「他人の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは改めよ」ということであるが、悪いとは判ってるが人がやってるからという自己正当化が標準となりつつある昨今では、「人の振り見て、我が不利隠せ」と格言を変更しなければならないように思える。

 産経抄で知ったことであるが、23日の新聞各紙の報道は概ね五輪成功祈念色が濃厚であったが、朝日新聞のみは五輪開催を巡る混乱と迷走特集に大きく紙面を割き、社説でも「分断と不信、漂流する祭典」と大上段であるらしい。東京大会の開催は、一部国民の不信感には繋がったではあろうが、国民を分断する程のインパクトを持つ一大事とまでは思えない。
 この期に及んでも「東京大会中止」の節を曲げない朝日新聞に敬意を表するところであるが、それならば「渇するとも盗泉の水を飲まず」とばかりに、大会期間中は東京五輪のマイナス報道以外は行わない位の気概を示して欲しいものである。例え発行部数が激減しようとも。