かかし祭りに行く予定だったけど、ぎこまめ恒例の出かける直前のプチ喧嘩で、取り止めっ!
またか!と言われそうだけど、・・・またかです。
夫の言動にムッカムカと腹が立ち!(トムとジェリーの歌を思い出しますが)、出かける気が失せたのです。
それで、プリプリと心の中で怒りながら、マウスでイラスト描いて、行ったつもりに。
くだらん話題で、すんまっしぇん。明るい話題が無いも~ん!
昨日は健康診断に。
どっこもどうも無いし、不調があって病院に掛かってもいつも異常なしと言われるので何年も健康診断にはいかなかった。
しかし、急に心臓がギュっとなって死ぬのでは無いかと思うようなことがあり、それで健康診断を受けてみた。
症状を語ったけれど、聴診器当てても心臓の音に異常なしで心電図の必要もないと。
あの時苦しかったんだけど、ぎこまめが大袈裟だったのか?。自分で病気を作らんようにせねば。
で、夫が終わるの遅いなあと思ったら、心電図撮られていたと。
「えっ!心臓悪いと?」・・「いや、どうも無いけど、血圧が高かったから目の検査と心電図撮りましょうて言われた」って。
??ふ~ん・・自覚症状は関係ないのか・・凡人素人には分らん。
あ、・・・身長・・・もういくら測っても伸びてたことが無い!。
自称150cmで通してるが、この先、そのごまかしが利かんほど縮んだらイヤだな。ストレッチ、ストレッチ!。
ハイヒールを履くと足も長く背も伸びるが、今は悲しいかな外反母趾でハイヒールがはけない。
なので、いつも幅広べた靴でカッコ悪いけど、指が痛くなるのでそれも仕方がない。
大昔の頃のアルバムに貼られている、ハイヒールに超ミニスカートでポーズの写真を今ふっと思い出した。
今、同じ格好をしたら救急車がお迎えにくるだろうな。
人間の検査の後、車の調子が悪かったので車屋に車の検査に行ったら、来年のカレンダーをくれたのでもうそんな時期なのかと驚いた。
そしてしきりに新車を勧めてくる。
ぎこまめはもう運転はしてないが、パンフレットを見ると下手でも運転出来そうな、頭脳も腕も必要ないAIとか何とかに、へぇ~!、はぁ~!、ホォ~!の連続。
車の進化は人間の退化となりそうなので便利さも程ほどにしといてもらいたいと思うけれど、事故を回避するためには必要な開発なんでしょう。
でも、マニュアル車の方が運転は面白かったな!。
結婚してすぐに免許を取得して、初めて乗った車は日産の幌付きダットサントラック。
免許取りたての時は、発進時からエンスト(笑)。
走りながらギヤチェンジを間違ってバックに入れてガガガと言う大きな音がしたときには、あの頃は何をしても優しかった夫が怒った!。
早く曲がり過ぎて、よその家の雨どいをしゃがしたり。
避け過ぎて路肩に落ち込んで対向車に助けてもらったり。
早い話運転は下手だったが、自分の意志で動かせるから面白かった!。
あ、話を終わらせようとして思い出したこと、
急ブレーキ踏んで、配達で積んであった家業の卵10k箱の山がずれて衝撃で割れたり傷が入ったりで配達出来なくなったりとか。
車の運転では、いろいろあったなと。
(ぐでたま)ちゃん。
2009年から始めたブログ。
埋もれてしまっていた過去記事を、どなたかが検索で訪れてくださる。
それは終末期の延命処置の事を書いたもの。↓一部を抜粋。
以下(2013年1月のblog)
麻生副総理・財務相が発言した、終末期医療や延命治療の件。
後で発言を撤回したが、個人的な考えとしても立場上、公の場で言ったことがまずかったのか、財務相だから医療費を削りたかったのか?
麻生さんの本心は分からないが、私も思っていることがある。
義母は、倒れてからは口もきけなくなり、起きることも出来ず、何年も栄養はチューブからだけ。
意識はしっかりしていたので、何か意思表示はないかと、紙とマジックを手に持たせた。
力のない乱れた文字はなかなか判別が出来ない。
主人の兄弟に見せて回ったが誰も読めないと言う。
義母が亡くなった後もその文字が気になって、考えていてやっと分かったのだが、
「死にたい」と書いてあったのだ。
死と言う文字が、夜とも、花とも見えて、ひらがならしき部分は、し・こ・ぎ に見えてしまったのだ。
「た」が「き」に見えて、濁点と思っていたのは「い」だった。
その時は、まさか死を望んでいるとは思わなかったので、後で分かった時は衝撃だった。
どんなに高度医療を尽くしても、食べる楽しみもなくベッドで動くことも出来ずに、長い間苦しく辛かったのだろう。
麻生さんの言う通り、「さっさと死にたかった」のかも知れない。
私の母も、最期の姿は点滴や尿の管、鼻も口も酸素マスクで覆われて、幾つものチューブ、手も足も洗濯バサミのようなものが留められ、母の面影が無く、子供からすると見たくない姿だった。
まるで機械人間のようだった。
医師に、「心臓は動いていても意識は無いですよ、今夜が山でしょう。少しでも延命希望しますか?」と聞かれ、家族は当然、延命を望んだ。
看護婦さんが、点滴液に心臓に刺激を与えると言う延命の液体を追加する。
酸素マスクの奥で弱々しい息をし、時折大きな息もするが、呼んでも何も答えてくれない。
体にあちこち付いているチューブや酸素マスクに邪魔されて、母に頬ずりも出来ない。
一晩中、付き添って朝方息を引き取った。
あのチューブの姿を今想像するに、無理な延命治療はしない方が良かったのではないかとも思っている。
もう何もせず、点滴ではなく、母の大好きだった緑茶を脱脂綿で口に含ませれば良かった。
そして自然にね。点滴の薬より、その方が母は嬉しかったかも知れない。
・・・・・・・・以下省略・・・。
本人の思いと家族の思いは・・・・・
延命処置する、しない・・・やはりどちらを選択しても後悔するんだろうなあ・・・。
blogにupする内容が無い時は・・・・・、
今日はこんな・・・。酔っぱらってるわけではありませんが、酔っ払いのような(笑)。
動画撮った日は雨で、画面が暗く撮れてたので明るく調整したら、明るくし過ぎ。
歌の内容に合わないぬいぐるみがメルヘンチックになってしまい。
風邪をひいていて曲の出だし前に鼻をすする音が入ったので、その部分をカットしたらカットしすぎて音の出だしが途中からに・・・。
要らんことをせんどけばよかったと・・・。
私の人生、いつもこんなもん。♪そんなことの繰~り返し~ぃ・・。
11月になり、夫がカレンダーめくりながら「今年もあと60日になったね!」と。
年々日にちの速さが増してきて、焦り感があって落ち着かない。
鏡を見ればしっかりと年輪を感じ、髪も染めなくなって白髪が多くなり。
久々に会った知人から、「あら~!頭~▽〇▲◇×※!」と、急に老け込んだような言い方。
真ん中パカーンと分け目が白いよりも染めん方が潔いと、言葉には出さずに苦笑いで返した。
ぎこまめは顔に出るタイプだから抑え気味に。
長姉から、「あんたはすぐに顔に出てしまうから顔に出さんようにせなよ」と前もって注意されていたある場所でのこと、やっぱりモロに顔に出てしまっていたと指摘されたことがある。
女優じゃないんだからね、無理っ!。
もう夏野菜も採れなくなり、結構長く頑張ったピーマンも終わりに近づき、まだ小さいがホウレン草や大根が採れるようになった。
借りた畑での野菜の収穫は新鮮でとても助かる。
magoが来た日に台所で夕飯の支度をしていたら、椅子を持ってきて椅子の上からその様子を見ていたmago。
ポリポリと何か食べる音にmagoを見たら、まな板に置いていたまだ種を取っていないピーマンを丸かじり。
ぎこまめは驚きましたよ~!。
ポリポリボリボリと、種ごと2個半も食べました。
ぎこまめが初めてピーマンを食べれるようになったのは中学生の時、しかも小さく切って何かと一緒でないと食べれなかった。
2歳4か月でピーマン丸かじりするって、珍しいのではなかろうか!?。
息子に話したら半信半疑で、本当なのか家でも試してみた動画を送ってきたので、動画の場面を画像に。
動画の音声にも、ポリポリと軽快な音が♪。
実際、ぎこまめも真似したけれど、味のついてない生のピーマンの丸かじりはねえ・・・ちょっと抵抗が。
畑で穫れたサツマイモを蒸して食べたら、繊維ばっかりで甘くもなく美味しくなかった!。
何故なのか?どこかで失敗したようです、夫が。
寒くなりました。
今朝は今季初めてのちょっとだけエアコン暖房を点けてみたが、やはり冬では無いのですぐに暖かくなったので止めた。
何か知らんけど、日によっては冷房付けたり暖房にしたり季節が慌ただしい。
blogをupするネタも無いので、とりとめのないことをダラリンコと書き連ね。
不思議なもので、何も書くこと無いなあと思っていても、新規投稿を開いて何かと書き出すと次々と指が動いてしまう。
だから何?って内容だけども。スマン。
で、ふと今朝見た柚子を思い出して写真撮りに庭に出て、そしてまたblogのupへと。
今年の柚子の木は、小さな柚子が二個だけ。
その柚子の木に、多分、アゲハ蝶かな?サナギになりたてを発見!!、まだ緑色なので分かり難いですね!。
アオムシが柚子の葉っぱを食べてるところは見てたんだけど、サナギになっていくのは初めて見た!。
鳥も見つけきらんやろね!。
どこかな~!
今日は久々にギターを持ち出しました。
人に会うのも会話するのも久しいことで、これが生きてるうえで本来の姿なんだと感慨深かったです。
皆んな、巣穴から出てきたようにギター持って現れました。
(朝倉市秋月)
観光客も少しづつ姿が見えるようになったそうです。
紅葉の季節になって、観光客が増えると良いなと思います。
パラパラと歩いてる姿を見ましたが、観光地にしてはまだ寂しい感じでした。
以前この地で貰ったことのあるホトトギスの花は、今年も我が家で咲きました。
玄関の鉢植え。
病院の整形外科通院。日にちを指定されて行ったけども、担当医が急遽欠勤の為、別の医師が診てくれた。
が、しかーし、今日の医師は高飛車で嫌な感じだった。
診察室入った途端に、一方的に持論のようなしゃべりで、何を言ってるのか内容が頭に入らなかった。
頭に残った言葉は、「転ぶんならウロウロ歩きなさんな」・・・・・はぁっ!?なんという言い草!。
そんな言葉を聞いたから、話の内容が頭に入らんようになったのかも。カッチーンときたもんね。
前回の医師の時は話し方に温かいオーラを感じ、「年だから・・」といわれても言葉がスーッと入ってきて嫌悪感は無かった。
医師を目指した目的は、初心は「病気やけがを治してあげたい」であったはず・・・。
なのに、患者を悲惨な気持ちにさせんで欲しい!。
よしっ!気を取り直そう♪
コロナによる宣言解除で、イベントなどでカレンダーに予定が入りだし、今より忙しくなりそうな予感。
脳ミソのリハビリ、手のリハビリだと思って何にでも、もう少し頑張ろうと思う。
相変わらず、テキトーな図。。
転んだ時の右手の捻挫の痛みは、やっと良くなってきた。
後からあとから、体の別の個所が痛くなったりで憂鬱だった。
まだ指が反らないが、でももう少しで良くなるだろう!。
日常生活では指は反らなくてもそう困らないが、やはり微妙な指の感覚に違和感があって都合悪いこともある。
手が痛む間は、家事をしつつも大人しくして。
この時とばかり、綴じっぱなしで読むことは無かったブログ綴りのファイルを、出して読んでみた。
12冊目が2018年の途中で印刷するのが止まっている。
何だか残しても・・・って、何故がそれまでの情熱が虚しくなって、ああ、もう良いかな!と、印刷するのをやめてしまったのです。
しかし読み直すと、その時の情景が浮かんで懐かしかったりで、そして面白い。
やはり記録は紙で残した方が、ゆっくり読み直すことが出来る。
でも、いづれブログ綴りのファイルは処分してしまうことになると思う、それもちょっと寂しいが。
「ぎこまめの軌跡」とし残しても、後々家族が捨てるに捨てられず処分に困るやろし。
それに、夫の悪口がところどころに・・・ぷっ!夫に知られたらヤバい!。
ま、どっちが先に消えるかわかりませんが。
ミニダリヤが情熱の赤色を放っている。
咲き始めの毒々しい赤から、柔かなオレンジ色に変わっていきます。
結婚44年目の10月~。
趣味も好みも性格も正反対なのに、よく続いたな。話が合わんでよく喧嘩もしたし。
もし他の人と結婚していたら良かっただろうなあ!とか・・・いやいや今より酷いかも?とか。
それよりも、他にぎこまめの貰い手がいただろうか?が重要ですが。
今は悩みなど問題を抱えていても、夫婦ともども健康という宝物があるから良い事なのかもしれない。
心と体が健康であれば、悪いことは跳ね返せる元気が出せる。・・・と思うようにして。
宣言解除でやっと色んな事が出来るようになったが、いえいえまだまだ油断は出来ませんね。
それでも少しは気分が軽くなる。
浮かれ過ぎんようにしたいけど、急な自由!に戸惑います。
もう山茶花が開いていた!季節が来るの早いなあ!。
5日前の事ですが、青紫蘇の可愛い白い花を楽しんで、それから実がいっぱいなって収穫。
すぐに洗って軽く湯通ししてアクを抜き、大半は塩をまぶして冷凍保存。
あとの残りはフライパンで火を通しながら醤油と味醂と塩昆布を入れて佃煮風な、ふりかけのような。
ゴマも紫蘇の香りを邪魔しない程度に少し入れて。
熱々ご飯に合う。納豆にも合う。冷ややっこにも合う。
プチプチ感がとても美味しい!。
やっぱり季節には季節のものが良いですね!。
庭の彼岸花は、もう全部開いてしまった。
結構長く楽しめるが、蕾を発見した時のワクワク感は新鮮で良い!。
毎年々四季が繰り返されて、そして毎日の生活は日々変動もありながら、時がすぎていく。
こうしちゃおれんと思いながら、身体がついて行けなくなってきた焦りがあって。
・・・・・だから転ぶのか?。
一昨日は、道で転んで思いっきり前歯を打って前歯がほんの少しグラついているのです。
痛くてたまらん。
腕や肩もあとから痛み出して湿布を貼りまくり。それでも痛むし、気休めにもならん湿布です。
歯医者に行こうとしたが、風邪をひいていて咳が出る時があるし、今どき咳をするとどうなるか!。
考えると恐ろしい!。だから歯医者には行かなかった。
転んだ時、猿ぐつわのような立体フレームを入れたマスクをしていたので、そのふんわりしたフレームが転んだ時の衝撃を和らげてくれたようです。
マスクしてなかったら歯が折れてたかも!。。