ガーデニングの本、ボロボロになって捨てたのもあるので、今はこれだけ。
庭の実例など、見るだけで楽しいのだが、我が狭い庭では本に載ってるような技は難しい。
でも、ヒントを貰ったり美しい庭を想像したりで、随分とカラー写真を眺めたもんである。
もう穴が掘げるごと読んだのでこれは処分するけど、本屋で新しいのを見たらまた買いそう。
相変わらず、減ったり増えたりの断捨離行・・・。
今朝、まだ茎も伸びてないのに、地際から顔を出した、せっかちなチューリップ発見!
ミニ水仙も咲いた。黄色はお天気悪くても庭を明るくしてくれるね。
本を読み漁った割には、こんなもんです、毎年いっちょん変わらん。
なんか劇的に、で~んと変えたい。
昨日は、「ペコロスの母に会いに行く」の著者の、岡野雄一さんの講演を聴きに行ってきた。
以前に二度ほどブログで紹介したことがあるが、本物に出逢えるとは思っていなかったのでワクワク。
まさに漫画本で読む岡野さんの姿と、同じ雰囲気な姿でした。
認知症の母みつえさんの介護を、長崎弁を交えてユーモラスに。
そして、話の中での「しっかり者の母がほどけていく」という表現が、印象に残った。
「老い」とはそうなんよね~、しっかり、シャキシャキしていた親がだんだんと変わっていく寂しさ切なさ。
「施設に入れたことで罪悪感があったけど、自分の好きなことをしながら仕事もしながら、プチ親不孝の介護でやってきたのが良かった」とも、おっしゃられていた。
施設が近くだったことも幸いだったようです。
介護に振り回されていては疲れるし、辛いですもんね。
講演案内チラシに載っていたカット。
岡野さんはシンガーソングライターの顔も持っていて、最後は演奏しながら長崎弁で歌ってくれました。
ぎこまめの母は認知症にはならんやったが老衰で、父は今思えば認知症になって早くに亡くなっている。
やはり、父親から顔も名前も忘れられるのは、辛かったな。寂しくて切なくて・・・。
認知症だった知人がたまに正気に戻った時に、「意識が途切れるんよ、なしてやろか?ボケてまわりに迷惑かけるのがこわい」て言ってたのを思い出す。
つまり、意に反する行動を恐れてた。・・考えさせられる。
昨日は夫の姉から、庭の木が大きくなり過ぎて困ってるから伐って、と頼まれていたので夫について行ったのだが、・・・
昼食挟んであと少しで伐採が終わるころ、夫の「指が切れたっ!」と言う声が聞こえた。
その時ぎこまめは夫と離れた場所にいたのだが、夫からぎこまめは見えているのに、夫は自分の姉を呼ぶ。
聞きつけた義姉が夫の傍にすっ飛んで行く。
ボトボト落ちた血の跡を見たぎこまめは、夫のいる方向から遠ざかってしまった。
夫は、普段からのぎこまめの精神状態を知っているので、こういう場面でのことは察知して頼ってこない。
義姉がタオルを取りに行ったり甲斐甲斐しく手当をしてるのをチラチラッと遠巻きに見る。
太い枝がチェンソーでスパッスパッと切れるのに非常に驚き、ドキドキして見ていたので、指も・・と想像したら動けんようになった。
土曜日は休みの病院が多く、やっと5軒目に電話の繋がった田川市市民病院に義姉が車で連れていってくれた。
ぎこまめは、・・・ついて行かない、行けない・・・。
4針縫う怪我だったけど、指は繋がってたのでホッとした。
夫はぎこまめの精神状態を心配して、途中、「大丈夫ぞ!」と、明るい声で電話してきた。
・・・でも、考えたんだけど・・・、
もしこの場面が娘や息子だったら、いくらパニックになりそうになっても、どんな傷の状態であろうが恐くても目を背けずに、ぎこまめはサッサッサと動いたに違いない。
この差は何だ? はぁ?
とうちゃん、目を背けてゴメン!今は甲斐甲斐しくお世話しとりますが、包帯で傷が見えんので恐くない。
で、怪我をする前の昼食時には、ぎこまめ一人だけビールを飲んでたこともあり、帰路は左手に包帯グルグル巻きの夫が運転をば。。。