ありのままにGiko☆blog

ぎこまめの、なんでんかんでん、あげんこげん日記♪

年老いた母からのメッセージ

2009年08月23日 20時01分43秒 | 2009年~2013年 ぷららのブログ

盆休みに盲人ホームにいる私の母に会いに行ったのだが、開口一番母が、

あんたね、もっと気を長くなんなさい。」
「はぁ

あんたはね、この人ちょっとバカじゃなかろうか~と思われるぐらいでちょうど良いとよ。」

気性の激しい私に対する遺言だろうか


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老いる(Ⅰ)

2009年08月14日 22時14分48秒 | 2009年~2013年 ぷららのブログ

私が嫁いだ先は大家族だった。
私の子供を含め、12人家族で小姑も度々来るし、食事の支度が大変だった。
姑とは折り合い悪く、しょっちゅう衝突していた。福岡の繁華街で働いていた私が山奥に嫁いだものだから何かと戸惑うことも多く、それが姑との折り合いの悪さだったかも知れない。随分と意地悪もされたし、罵声も浴びた。主人はかばってくれるでもなく、とうとう我慢できなくなり九年間一緒に過ごしたが、子供を連れて飛び出した。(なぜかあとから主人もついて来たが。...来なくていいのに。)

それでも盆・正月には主人の実家に行かなくてはならないのは苦痛だった。
数年前に姑が倒れたと聞き、見舞いに行ったとき私への対応は相変わらず意地悪ババアだった。(クソッ)
あったまに来て随分しばらく私は義母に会いに行くことはなかったのだが、娘が東京から帰省したのを機に娘を連れて会いに行った。(一人で行く自信がなかったし)
ベットに寝てる義母を見てがく然とした。痩せて力なく口もきけずうつろな目で私たちをじーと見ているだけで、あの元気の良い意地悪ババアの姿はなかった。何か言いたいようで娘にアウーアウーとしきりに必死で言おうとしているのだが、何と言ってるのか分からなかった。実は口がきけなくなっていると聞いた時、私は(私の悪口ばかり言って回るから罰が当って口がきけんごとなったったい。)と思ったりしていた。
でも不自由な姿を見た時とても複雑な気持ちになり、何か寂しくなってきた。
耳は聞こえているようなので、「娘が帰ってきたときにまた連れて来るよ、じゃあ帰るよ又ね。」と言ったら、手をあげて目で私を追ってバイバイと手を振った。途端に涙が出てきて今までの義母との嫌な思い事はこれっきり忘れようと思った。

老いる・・・誰しも避けては通れぬ道である。若い時はそう聞いてもピンと来ない現実味のないことだったが、私も58歳にもなると、しみじみ思うものがある。
やっぱり意地悪ババアで良いから元気な姿でいて欲しいいろいろあったけど、あんな姿はやっぱさみしいなー。


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