小説家、弁護士、そして元プロ雀士と、多才な人・新川帆立さん。デビュー作「元彼の遺言状」(総合評価:星2.5個)以降、次々とミステリーを生み出して来ており、ミステリー作家というイメージが強いけれど、本人は「ミステリー作家と分類される事を、好んでいない。」そうだ。今回読んだ「ひまわり」は、彼女の作品を読み続けて来た自分には"異色作"と感じてしまうものの、「ミステリー作家と分類される事を、好んでいない。」という彼女のスタンスからすれば、納得出来る作品だ。
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御喋りと食べる事が大好きな33歳の朝宮ひまり(あさみや ひまり)は、或る夏の日、出張帰りに交通事故に遭い、頸髄を損傷してしまう。意識は明瞭、言葉もハッキリ喋られる。だけど、身体だけが動かない。過酷なリハビリを続けるも、突き付けられたのは厳しい現実だった。
勤務先の総合商社からは、「復職は約束出来ない。出来れば此の儘、退職して欲しい。」と。途方に暮れ、役所で就労支援の相談をすると、勧められたのは生活保護の申請。
私は人の役に立てるのに、どうして其の力を発揮させて貰えないの?ひまりは自立を目指し、司法試験受験を決意する。思い通りに成らない身体でロー・スクールに通い始めるが、次々と壁が立ちはだかり・・・。
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交通事故に遭って頸椎を損傷し、四肢麻痺の身と成ってしまった朝宮ひまりが主人公。総合商社でバリバリ働いていた彼女が、24時間介護が必要な状況と成り、会社からは退職を求められてしまう。自暴自棄に陥ってもおかしくない状況だが、幼馴染みで検事として働く額田レオ(ぬかだ れお)から"弁護士に成る道"を進められ、司法試験に挑む・・・というストーリー。
本の最後の"謝辞"で新川帆立さん自身が「私の個人的信条として、当事者の話は当事者自身の口から語るべきで在ると思っています。其の為、本書は、実在の人物をモデルとした『モデル小説』では在りません。」と記しているが、「頸椎を損傷し、四肢麻痺の障害を負い乍ら、日本で初めて音声認識ソフトを使用して司法試験を突破し、弁護士として活躍している菅原崇氏。」への取材が無ければ、此れ程迄にリアルな描写は不可能だったろう。
大学時代に法律を齧った身なので、(少なくとも当時の)司法試験の状況は理解している積りだし、「四肢麻痺で24時間介護が必要な人が、司法試験を突破する事の過酷さ。」というのは良く判る。健常者にとっては"当たり前"の事で在っても、障害者にとっては"不可能"な事は数多在る事に、改めて気付かされた。又、司法試験の場に在っては、「『前例が無いので無理。』という”前例主義"に、こんなにも色々と阻まれて来たのか・・・。」と驚く事も。
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・この日は導尿だけでなく、週に三度の排便もあった。前日の夜に腸の働きを活発にする薬を飲んでいる。 看護師さんが脇の下に頭を入れて、反対側の脇にも手を添え、自分の身体に引き寄せるように、私の身体を起こす。私は自分では立てないが、両脚に多少の踏ん張りがきく。私の脚を軸に回転させる要領で、トイレの便座の上に身体をもっていく。 座薬を挿入し、腹部のマッサージをしているうちに排便がすむ。これで終わればいいのだが、残便がある場合は、ゴム手袋をはめた指にグリセリンを塗って、肛門に入れ、便をかき出す。これを摘便というらしい。 肛門に感覚はないが、状況がとにかく恥ずかしい。 今日は軽い頭痛がして、緊張した。 というのも、座薬挿入や摘便が引き金となって自律神経過反射が起きることがあり、場合によっては、命の危険もあるからだ。 身体に何か良くないことが起きると、脊髄を介してその情報が脳に送られる。だが私は脊髄を損傷しているので脳には届かない。 むしろそのメッセージは自律神経に伝わり、足やお腹の血管をきつく収縮させ、血圧が急にあがる。 血圧をさげなくちゃ、というメッセージが脳に対して送られるが、そのメッセージも脊髄を通るので、脊髄を損傷していると届かず、血圧は高いままになってしまう。 頭がガンガンして顔面が紅潮し、鼻づまりや吐き気が起き、最悪の場合、脳出血に至り、命にも関わる。
・「僕たち脊損の患者は、おおざっぱに言うと、神経が損傷されて脳からの信号が届かないってことで困ってるわけだよね。その神経細胞のもとになる細胞をⅰPS細胞から作って移植すれば、脳からの信号が届くようになったりして、運動機能とか感覚とか、回復するかもしれない。」。
・四肢麻痺というと、身体の感覚が全て失われていて、何も感じないと思われがちだ。だが実際には、正座をしている脚がしびれるような痛みが常にあるうえに、寒気にさらされたり、痙性が強くなったりすると、刺すような痛みが走る。心地よく感じるのは週に三度入る風呂で、首筋に温かい湯をあててもらうときくらいだ。 身体という檻に閉じ込められているみたいだった。毎日が単調で、三度のご飯とテレビくらいしか楽しみがない。
・通称「頸損腹(けいそんばら)」と呼ばれるポッコリお腹だ。身体全体の筋肉量が少ないために、基礎代謝量が低下し、普通の食事をしていても脂肪が増えやすくなる。しかも、身体の自由がきかない生活で、食事はほぼ唯一の楽しみだ。
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「蓄尿袋」や「褥瘡」、「起立性低血圧」等々、四肢麻痺の方に関する様々な事柄に、「本当に大変だなあ。」と痛感させられた。「そんな過酷な状況に在り乍らも、菅原弁護士を始めとして、必死で頑張り、前向きに生きている障害者の方々が居られる。」というのは頭が下がる思い。
多くの方、特に健常者の方に読んで貰いたい本だ。自分もそうだが、「恵まれていない。」等と不平&不満を抱える事が多いけれど、障害者の方々と比べたら、少なくとも肉体的には「余りにも恵まれている。」という事を思い知らされるし、「必死で頑張っておられる障害者の方々を思えば、"恥ずかしく無い生き方"をしないといけない。」と強く肝に銘ずる事だろうから。
総合評価は、星4.5個とする。