3年前の記事「対タイガース3連戦(2013年8月2日~4日)を終えて」で記した様に、太田裕美さんの野外ライヴに参加した事が在る。懐かしい曲は幾つか在ったけれど、何と言っても一番懐かしかったのは「木綿のハンカチーフ」【動画】だ。
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恋人よ 僕は旅立つ
東へと 向う列車で
はなやいだ街で 君への贈りもの
探す 探すつもりだ
いいえ あなた 私は
欲しいものはないのよ
ただ 都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って
恋人よ 半年が過ぎ
逢えないが 泣かないでくれ
都会で流行の 指輪を送るよ
君に 君に似合うはずだ
いいえ 星の ダイヤも
海に眠る真珠も
きっと あなたのキスほど
きらめくはずないもの
きらめくはずないもの
恋人よ いまも素顔で
口紅も つけないままか
見間違うような スーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ
いいえ 草に ねころぶ
あなたが好きだったの
でも 木枯しのビル街
からだに気をつけてね
からだに気をつけてね
恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日 愉快に 過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない
あなた 最後の わがまま
贈りものを ねだるわ
ねえ 涙拭く木綿の
ハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい
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子供の頃、此の詩を耳にして、「自分勝手な男だなあ。」と思った物。恋人と離れて暮らす事になった“彼女”が、こんなにも“彼氏”の事を思い続けているというのに、一方的に別れを告げる様な“彼氏”に怒りを覚えたからだ。
「図書館戦争シリーズ」等で御馴染みの有川浩さんも、自分と同じ思いを持って“いた”そうだ。彼女の初エッセー集「倒れるときは前のめり」の中に「木綿のハンカチーフ」というエッセーが在り、其の中にそう記されていた。然し、大人になってから、捉え方が変わったのだと言う。
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だが、大人になってからこの歌を思うと、青年のほうにも同情が浮かんできた。
きっと志を持って上京し、就職したはずである。仕事を頑張り、給料を貯めて、さっそく恋人に指輪も買った。ところが恋人は喜んでくれず、ひたすら寂しがるばかり。
自分が青年の立場だったら、これはやるせない。志が高ければ高いほど、仕事に打ち込む自分を恋人に認めてほしいはずだ。ところが恋人は仕事に理解がなく、辞めて帰ってきてと切なく訴えるばかり―。
僕は都会に染まってしまったと別れを切り出す青年の手紙は、変化を拒む恋人への最後の思いやりではなかったか。
どうして都会で頑張っている僕を認めてくれないんだ。君がそんなだから気持ちが冷めるんだ。そんなふうに詰る言葉を飲み込んで、ペンを走らせたのかもしれない。あの人は都会に染まってしまったから仕方ないと、彼女が静かに別れを受け入れられるように。
昔、一途な女性の悲恋の歌だった「木綿のハンカチーフ」は、いつしか優しい恋の始末の歌に聴こえるようになった。
[「倒れるときは前のめり」内、「木綿のハンカチーフ」より抜粋。]
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有川さんの此の文章を読んで、「そういう捉え方も在るのか。」と目から鱗が落ちる思いだった。此の捉え方で在れば、“自分勝手な彼氏”から、“彼女への気遣いを最後迄忘れなかった彼氏”という感じに変わる。
「馬齢を重ねる事で、物事への捉え方が変わる。」という事は、経験上少なからず在ったりする。子供の頃は何も考えずに良く歌っていた「他人の関係」【動画】なんぞも、馬齢を重ねてから“ドロドロとした男女関係の歌”だと知り、唖然とした物だし。
京都の大学に行った後、数年大阪と東京、横浜、また大阪で勤務して地元に戻ったのだが、母親は高校生以前の私のイメージのままで止まっており、結局死ぬまで溝は埋まらなかった。
年増の女性とか、オバサンが持つハンカチには、母性の象徴であり、子供を庇うイメージがあると思います。若い女性は、恋愛かと。贈り物としてのハンカチが、成熟によって、自分で用意するものになるという事。年を取ればリアリストになるにしても、好きとか抽象的な感情にも、ハンカチによって「形」が与えれれば、と思います。
AK様の書き込みを拝読して、思い浮かべた事が在ります。従兄弟の一人(男性)はAK様と同じく、大学入学と同時に実家を離れました。卒業後も一人暮らしを続け、実家に帰るのは長期休暇の時だけ。従兄弟の中でも一番確りし、且つ人間性も素晴らしい男なのですが、伯母に言わせれば「彼の子は何事にものんびりしていて、頼り無い。」と一刀両断。どうも“高校生時代のイメージ”で、時間が止まっている様なのです。もうアラフィフだというのに・・・親ってそんなもんなんでしょうね。
「ハンカチ」では無く、「ハンカチーフ」という用語遣いに時代を感じるし、同時に又、何とも言えない上品さを感じたりもします。
仰る様に「ハンカチ」という物でも、持つ人によってイメージが異なりますね。例えば刑事が持つハンカチとなると、聞き込みを重ねる中、汗だくになった顔を拭っているイメージが在るし。
別れの涙をこれで拭いて、という意味だそうで・・・。
若い頃それを知った初心な私はへえ~って思ったもんです。
状況に応じた禁忌の品というのは幾つか知っておりましたが、男女間ではハンカチがそうだったというのは、初めて知りました。「別れの涙を、此れで拭いて。」という理由からというのは「成る程。」ですが、大昔、「ホワイト・デーにハンカチの御返しを。」みたいな事を、デパートだかが仕掛けていた記憶が・・・彼はそういうタブーを知らない(乃至は払拭したい)スタッフが行った事なのでしょうね。