ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

監督=独裁者!?

2024年03月24日 | 映画関連

1980年に公開された邦画影武者」。もう44年も前の作品になってしまったので、御存知無い若い人も居られるだろうが、巨匠黒澤明監督手掛けた此の作品は、“撮影開始後”に大騒動が起きた。勝新太郎氏の降板騒動だ。

当初、主人公の武田信玄役には勝新太郎氏が決まっていたのだが、撮影開始直後に彼と黒澤監督が衝突し、結果として勝氏は降板。代わって、仲代達矢氏が信玄役を務める事になった。2人が衝突し、降板に到ってしまった理由として独自
の演技を持つ勝氏と、細部完璧作りに拘る黒澤監督という、余りに異なるスタンスの違い。挙げられている。具体的に言うと「クランクイン後、最初のリハーサル台詞を自己流に読む勝氏に対し、黒澤監督は何度も遣り直しを命じる。そして其の翌日、役作りの参考にし様と撮影所にヴィデオ・カメラを持ち込み、『自分の演技を撮影したい。』と申し出た勝氏に、黒澤監督は「余計な事をするんじゃない!」と拒否。怒った勝氏は衣裳を脱ぎ捨て、外のワゴン車閉じ籠もった。黒澤監督が車内に入って話し合うが、最後は『勝君がそうなら、辞めて貰うしか無い。」と冷静に言い切った事で、カッとなった勝氏が降板を決めた。」という事らしい。

物作りに対して、非常に強い拘りを持っていたとされる2人。根っ子”の部分は同じだけれど、“実現する為の手法”が余りにも違い過ぎたが悲劇とも言える。「“ルール”を守らなかった勝氏が、どう考えても悪い。」とも思うが、でも、「拘りの演技を貫徹したかった。」という勝氏の気持ちも判らないでは無い。

巨匠と呼ばれる映画監督程、“自身が作ったルール”を死守し、出演者達に強要するケースは多い様に思う。例えば北野武監督の場合は、「自身の演出に、少しでも口を出す役者を嫌う。」という傾向が在ると聞く。有名な話で言えば、「北野作品『Dolls』の主人公として出演した菅野美穂さんだが、自身の“演技プラン”を北野監督に伝えた事が逆鱗に触れ、『もう二度と使わない!』となり、北野作品には呼ばれなくなった。」というのが在る。

其の話が事実かどうかは当事者のみぞ知るだし、事実だとして菅野さんが何の程度の演技プランを伝えたのかにもよるが、「役者は監督の演出に対し、盲目的に従っていれば良いのだ。監督に対して役者が演技プランを伝えるなんて、烏滸がましいにも程が在る。」という思いを北野監督が持っていた“としたら”、其れはとんでもない思い上がりだと思う。監督だけでも、又、役者だけでも“作品”を作り上げる事は出来ず、“共同作業”で成り立っている。監督が演出を強要し過ぎるのも、逆に役者が演技プランを強要し過ぎるのも良い事では無く、腹蔵無く話し合った上で“妥協点”を見出だす事が肝要

「監督は偉いのだから、役者風情は黙って従え!」というのでは、何処ぞの独裁者と一緒。そういう思い違いをした監督の中から、“歯止め”が利かなくなった者が現れ、役者に性的関係を迫ったり、暴行したりするのではないか?


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