ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「戦前の少年犯罪」&「モノができる仕組み事典」

2007年12月25日 | 書籍関連
① 「戦前の少年犯罪」(著者:管賀江留郎氏)

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第1章  戦前は小学生が人を殺す時代
第2章  戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
第3章  戦前は親殺しの時代
第4章  戦前は老人殺しの時代
第5章  戦前は主殺しの時代
第6章  戦前はいじめの時代
第7章  戦前は桃色交遊の時代
第8章  戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
第9章  戦前は体罰禁止の時代
第10章 戦前は教師を殴る時代
第11章 戦前はニートの時代
第12章 戦前は女学生最強の時代
第13章 戦前はキレやすい少年の時代
第14章 戦前は心中ブームの時代
第15章 戦前は教師が犯罪を重ねる時代
第16章 戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代
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「昔は皆が礼節を尊び、実に平和で良い時代だった。それに比べて昨今は凶悪な少年犯罪が増加しているし、親殺しも頻発している。虐めも陰湿だし、本当に酷い世の中になったものだ・・・。」こういった一般的な意見に対し、国立国会図書館所蔵されている莫大な古新聞や雑誌類から得られたデータを元にして、「否、戦前の方が世の中は酷かった。」と主張しているのがこの本。

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・ 昭和4年(1929年)2月19日 「9歳(満7~8歳)が6歳を猟銃で射殺」
岡山県御津郡の自宅で、男子(9歳)が隣家の男の子(6歳)を射殺。母親が3時のおやつに餅を出してくれたが、焼き方が悪いと我が儘を云って食べなかった。其処へ遊びに来た6歳が「御前が食べねば、わしが食べてやろう。」と食べ出したので怒って、「毒が入っているのだから死ぬぞ。」、「撃ち殺すぞ。」等と脅したが、「撃っても良い。」と6歳が云い返したので、父親の猟銃で頭を狙い撃ちしたもの。

・ 昭和8年(1933年)9月15日 「小6(満11~12歳)が喧嘩で友人を殺害」
山口県山口市の寺で、小学6年生(13歳)が小学校高等学科1年生(14歳)の頭を雪駄で滅多打ちにして殺害した。大勢で将棋を指している内に、些細な事で喧嘩になったもの。成績は中の上で、向かいに住んでいる被害者とは仲が良かった。

・ 昭和8年(1933年)8月20日 「小2(満9~10歳)が三人殺害」
大阪府北河内郡四条畷町で、小学2年生(11歳)が、女の子(9歳)の家でこの娘の小遣い2銭を盗って逃走した。女の子と妹(6歳)、姉妹の親戚の小学2年生の男の子(9歳)等3人が追い掛け、返してくれと迫ったが、小2生は返すと騙して池に誘い込んで女の子を突き落とし、男の子の頭を棒で殴って倒してから池に放り込み、逃げる妹を追い掛けて後ろから絞殺して池に投げ入れ、3人共殺害した。深夜に死体が発見されて警察の取り調べを受けたが、姉(15歳)が1人でやったと嘘を付き、父と自分の共犯、姉と自分の共犯等と自供を変えたが、8月23日になって自分1人がやったと自白した。日雇い人夫の長男。

注: 昭和25年1月に法律によって「満年齢」に統一される迄、新聞の年齢表記は全て「数え年」だったとの事。数え年は満年齢に直すと1~2歳低くなるので、上記の記事では元通り(数え年)と満年齢に直した場合を併記している。
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昭和20年代~30年代は毎年5人程度の小学生や小学校入学前の幼児が殺人を犯していて、特に昭和35年には小学生12人が殺人罪で補導されている等、現在の年に1~2人よりも随分多かったと記されている。「少年人口(10~19歳) 10万人当たりの少年刑法犯罪比率」というデータが紹介されているのだが、昭和25年と昭和35年、そして平成17年を例に取ると殺人及び強姦の比率は次の様になっている。

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         殺人    強姦
       
昭和25年  2.14   8.91
昭和35年  2.15  21.68
平成17年  0.58   1.95
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偏見に思える部分や過度に断定調の文体等が”個人的には”鼻につくものの、数多の記事やデータを元に、「一般的に信じられている『昔は良かった。』という説が、全く無根拠の物だった。」としているのは一考に価する。時代背景*1と事件の関係性を記している点や、現代より遙かに凶悪で不可解な心の闇を抱えた子供達が多かったからこそ、”あの時代”に教育勅語修身教育が必要だった。という指摘等、なかなか興味深い内容では在る。*2


② 「モノができる仕組み事典

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鉛筆: 鉛筆の芯の部分の材料は「黒鉛」と「粘土」。主に黒鉛は中国から、粘土はドイツから輸入している。鉛筆の木の部分の材料は、30mにも育つインセンスシダーというの一種が用いられ、アメリカスラットと呼ばれる板の形で輸入される。
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デスクトップパソコン(液晶一体型)や自動車、野球グラブ、マヨネーズ、鉛筆、セメント等、50種類の”モノ”が出来上がる迄の工程を説明しているのがこの本。写真が多用されているので、さくさくと読めて(見れて)しまう。”モノ作り大国”と呼ばれた日本。今でも地道にモノ作りに当たっている会社は勿論在るのだが、上記した鉛筆の様に「使われている材料の多くが海外からの輸入。」という現実を再認識させてくれる本でも在る。

*1 「今迄はともすれば常軌を逸しがちな甘い考えの娘達を社会や親が厳しく監督する事で辛うじて支えていたのだが、近頃は忙しいのか自信を失ったのか、社会も親も若い人達を監督する事が確かに疎かになっている。親は子供の生活を保護するという立場からビシビシ厳しく監督すべきだ。そういう事を言うと今の娘は古い考えだと言うだろうが、そんな女の考え方こそ時代錯誤だ。」これは最近の教育評論家が吐いた言葉では無い。青少年専門の心理学者にして、戦後直ぐの学習指導要領の責任者ともなった青木誠四郎氏が、昭和16年の読売新聞に寄せたコメントなのだ。今でも主張される様な事を、66年前にも主張されていたとは。この本を読んで思うのは、「何時の時代で在っても人間(老若男女を問わず。)は同じ様な事をしているのだなあ。」という事。授業妨害や学級崩壊と言える事態が、戦前でもそれなりに発生していたというのも意外な話だった。

又、著者は「戦前の日本は、子供達の犯罪に対して寛容だった様に思う。」としているが、「母校の中学で教師を恐喝して逮捕された大学生が、戦争が始まると特務機関『許斐機関」を率いて中国大陸で活躍。(この人物は後に”トルコ風呂”を創設した事でも知られる。)」や「中学生(17歳)の時に銃で人を撃ち殺した男爵の子息が、後に日本軍と関係の深い”馬賊”として活躍。」、「原敬首相を東京駅で暗殺した10代の少年が裁判で無期懲役の判決を受けるも、恩赦で13年後に釈放。釈放から半年も経たない内に満州軍に佐官待遇(31歳で少佐以上の待遇というのは戦時で無い限り士官学校を出た上に、更に難関の陸軍大学校を卒業していないと無理なのだとか。)で勤務し、対ソ連諜報活動。」といった事例を目にすると、彼の主張も強ち否定は出来ない。補足説明すると「満州国軍は一応日本とは無関係の独立国家軍も、実態は日本陸軍が支配する下請け機関。」で在り、「老首相を殺害しても、何故か軍が面倒を見てくれる。」という著者の皮肉も頷ける所が在る。

*2 著者の管賀江留郎氏は「少年犯罪データベース」なるサイトも主宰されている。

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10 コメント

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Unknown ((まめ)たぬき)
2007-12-25 12:30:18
昭和20-30年代がひどかったのは見聞きしておりますけど…、戦前については地域による違い、かなりあったのではないでしょうか。
高度経済成長でなくなったのは、地方と都会の生活風習の違いかもしれません。
老母(大正15年生まれ)の同級生60人、中等教育に進んだのは6人ほどだったそうであります。
ほとんどの若者がいわゆる“有職少年”だった時代、そりゃ犯罪率が高くても不思議はないかも、とは思います。ただ、老母から少年犯罪の話は聞いた覚えないですよ。
昭和40年代、ある女子生徒が中学卒業後、妾に売られそうになるのを保護者を説得して思いとどまらせた、と中学時代の恩師は語っておりましたけど。
ところで、血縁を重視しすぎる昨今の風潮、「イエ」幻想のあったころよりもキツイ一面があるような気もします。
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自分も (Spa supernova)
2007-12-25 14:47:22
戦前、昭和20~30年代の凄さはよく聞かされました^^;。
ので、70代以上で「昔はよかった節」の方を見ますと「都合の悪いこと忘れる病」かと思ってしまいます。

http://www.geocities.jp/showahistory/

このサイトもどうぞ。
歌謡曲好きのgiantsさんならご存知かもしれませんが。ココ見ると一日潰せます^^;。
三面記事の紹介はすごいですよー。

http://www.geocities.jp/showahistory/history01/04c.html

http://www.geocities.jp/showahistory/history01/05a.html

コレとか。当時の「流行歌」にはかなり「少女売春」的な内容のものも多いそうです。

個人的には少年犯罪ではないが

http://www.adachi.ne.jp/users/yossie/kyouki.htm

この人物や「阿部定」のスター扱いは凄い時代だなあと思います。

同時期のアメリカでデブ君というコメディ俳優やクララ・ボウというセクシー女優へのメディアスクラムが起こったのですが、

http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/mondo/m_01/m01_1.html

それよりは日本のほうがある意味「寛容」だったようです。今の日本は結構アメリカの清教徒的なものに毒された面はあるかもしれませんね。

カゼで寝ているので退屈だったゆえちょっと長文失礼しました^^;。

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犯罪に関しましては、そうなのでしょうね (マヌケ)
2007-12-25 15:11:22
現状を嘆いて、今より昔の方が良かったと思う気持ちの中には現実逃避や昔の良かった思い出だけ、楽しかった記憶だけが元になっていることが多いのではないでしょうか。 実際には今より昔の方がはるかにひどかったことなどたくさんあるのにもかかわらず、思い込みやそう思い込みたい心情の総和なのではないのでしょうか。 昔は良かったという言葉が常套句のように用いられる背景には例えば経済中心の構造改革によって生活に余裕がなくなって周囲に気を使うことができなくなったり、報われない層を目の当たりにしたりと格差や社会の厳しさを認識するに至ったからではないでしょうか。 改革の痛みは強調されず、改革の素晴らしさだけに沸いた結果、いざ痛みが感じられ始めると、思ったより負担や我慢や忍耐が試されたため、後悔の念がフィードバックを求めているように思えます。 冷静に考えれば昔より改善されたり、手厚くなったり、優しくなった社会にいるからこそ、平均寿命が伸びたり、言論の自由が保障されていたり、週休二日制であったり、男女平等(に近い)社会であったり、義務教育が確立されていたり、救急医療があったり、人身売買がなくなったり、伝染病の予防が確立されていたり・・・
古代仏教の経典にありますように、「げにも多くの人々は、自らの見るところに執着す。 ただ一部のみを見て、たがいにあげつらいて争うなり・・・」人間の限られた寿命と能力からすると、短い一生の間に人々が見渡せる範囲は知れたもの。 自分では全てを知ったつもりでいても、あくまでも自分が目にしたものを通じてのことであって、それは非常に限られた範囲だと。 昔のことも今のことも、知っているのは、実は狭い範囲のことだけで、良かったと言いましてもそれは全てではないということなのですね。 ただし、個人的には父も母も当然、昔は若くて意気揚々としており、自分も子供で、些細なことでも楽しかったので、良かったと思えるところかなと。

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パトラッシュ (tak)
2007-12-25 15:41:36
少年犯罪。。。
いわゆる少年による凶悪犯罪、決してここ最近増えたわけではなくむしろ減少傾向ということは伝え聞いておりました。

ものづくり。。。
「加工貿易」なんて言葉を思い出しました。日本は原材料を諸外国から輸入して、優れた技術で製品化して先進国へ輸出すると。中学生か小学生で習ったような。。。太平洋ベルト地帯とか。懐かしい。

ところでこの記事。なんかgiants-55様的にピンときませんか?^^
「フランダースの犬」日本人だけ共感
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071225-00000302-yom-ent


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>(まめ)たぬき様 (giants-55)
2007-12-25 21:20:36
書き込み有難う御座いました。

自分も祖父母から「戦前の少年犯罪の酷さ」というのは聞いた事が無かったので、この本はかなり目から鱗でした。唯、父が学生時代に他校の生徒から喧嘩を売られた際、相手が持っていた肥後守(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A5%E5%BE%8C%E5%AE%88)で危うく腹部を刺されそうになったという話を聞いた事が在ってビックリしたのですが、父は「あの当時は結構な数の子供が、肥後守を普通に持ち歩いていたからなあ。」と平然と話していたものです(笑)。

この本の中で紹介されている記事ですが、当然乍らその一つ一つを確認した訳では在りません。ですから全ての記事が事実という前提で書くならば、少年による凶悪犯罪は地域によって多発しているというのでは無く、変な言い方ですが万遍無く何処の地域でも発生していたという感じでした。

「これは酷い。昔はこんな酷い事は無かった。」と思うも、その後改めて記憶を手繰り寄せると「そう言えば、昔も似た様な事が在ったっけ。」と思ったりする事が、自分の場合まま在ります。今は亡き沖田浩之氏のヒット曲「E気持」(http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND6203/index.html)の歌詞に「大人は昔の自分を忘れてしまう生き物さ」というのが在りますが、「思い出は何時迄も美しく」というのが誰しも在るのかもしれず、自分の祖父母も敢えて昔の”マイナス部分”を口にしていなかっただけなのかも。

この本で興味深かった点の一つに「戦前&戦中は働き盛りの男性が軍隊に取られていた為、若い連中を対象にした求人が非常に多い”売り手市場”で、高額な報酬を得ている若者が結構居た。」というのが在ります。金と暇を持て余し、夜の街を徘徊する若者が多かったというのは、今の時代とオーバーラップする部分を感じたりも。
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>Spa supernova様 (giants-55)
2007-12-25 22:38:23
書き込み有難う御座いました。

御身体の具合は如何でしょうか?自分も先週から風邪っぴき状態ですので他人事とは思えません。くれぐれも御体には御自愛下さいませ。

上で(まめ)たぬき様宛に書かせて貰ったのですが、祖父母からは聞いた事が無いものの、父からは「現在では考えられない様な当時の世相」をちょこちょこ聞いておりましたので、この本の内容に驚かされると共に「やっぱり。」という思いも心の何処かに在りました。

「そもそも我が国は、子供の躾に五月蝿くなかった。戦後になって西洋の躾(discipline)の概念が入って来た事で、日本でも子供の躾を五月蝿く言う様になった。」といった趣旨の事が、この本に書かれているのも興味深い所です。

P.S. 御紹介戴いたサイトを拝見させて貰いました。「誰か昭和を想わざる」は何度か覗いた事が在るのですが、実に癒されますね(笑)。
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>マヌケ様 (giants-55)
2007-12-25 22:45:29
書き込み有難う御座いました。

自分もそうですが、人間誰しも自らが歩んで来た時代を美化してしまうという面は大なり小なり持っている様に想います。マヌケ様が書かれている様に、「過去を美化し、そしてその美化された過去に逃避する事で心の救済を図る。」という潜在的な思いも在りましょうし、歩んで来た時代にマイナス要素が在ると認めてしまう事によって自分自身をも否定してしまう様な怖さを抱えている様にも。

自分の様な中年のおっさんが「今時の若い子は・・・。」と嘆くのは未だしも、20代の子でも「今時の若い子は・・・。」と口にするという話を聞いて、世の中って変わっている様で余り変わっていないんだなあと感じた事が在ります。
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>tak様 (giants-55)
2007-12-25 22:57:41
書き込み有難う御座いました。

「少年による凶悪犯罪は減少傾向に在る。」というのを自分も耳にした事は在ったのですが、具体的な数字や記事を目にするのは初めてでしたので、結構目から鱗でした。昔は事件を報じるメディアが今程無かった事、そして今は凶悪事件が起こるとセンセーショナル且つ執拗に報道される事が、余計に「少年による凶悪犯罪は激増している。」というイメージを強くさせるのでしょうね。

「フランダースの犬」の結末が、アメリカではハッピー・エンドになっているというのを雑学本で昔知ったのですが、国や人種によって捉え方が様々というのは面白いです。「欧州では『負け犬の死』としか捉えられないあのエンディング。でも、日本では受ける。其処に『滅びの美学』が在るから。」というのは説得力を感じます。斯く言う自分も、あのエンディングで何度も泣かされましたから(笑)。
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思い返してみれば ((まめ)たぬき)
2007-12-26 10:37:36
肥後の守は単なる鉛筆削り用ナイフでしたねえ。だから誰でも持ち歩いていたわけで。
いちいち刃物を突き立てて脅すってのは、他の脅しの手段を持たない、ある意味社会的に弱い存在だからかもしれません。

ちょっとしたことで騒ぎ立てる、といえばたかが殴り合いの喧嘩くらいで高校生が自宅謹慎です。
(暴力行為に対して過敏な世の中なのでしょう)
別件の万引きした商品を下級生に売りつけるという犯罪行為と処分の内容が同程度であることに口あんぐりでした。
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>(まめ)たぬき様 (giants-55)
2007-12-26 12:04:19
書き込み有難う御座いました。

現代の考え方では”非常識”に思える事でも、過去に於いては非常識どころか”常識”という事も多々在る訳で、仰る様に肥後守なぞも鉛筆を削る道具として普通に持ち歩いていた物だった様ですからね。危うく腹部を刺されそうになったという話を父から聞いた際、「そんな事が在ったら、周りはさぞかし大騒ぎしたのでは?」と聞いた所、「実際に刺されたらそりゃあ大騒ぎになったろうけど、ナイフ持っての喧嘩”位”じゃあ大騒ぎになんかならないよ。」と父は笑って答えていましたね。

喧嘩と言えば、田舎から都会に引っ越した小学生時代に、引っ越した当初は訛りで同級生から結構からかわれました。その事で複数人(自分1人v.s.複数人)と大喧嘩になった事が在り、傷跡が残るのではないかと思える様な派手な傷を顔や身体に負った事が。普段は何も言わない母親が「流石にこれは酷過ぎるので、担任教師に一言言う。」と言ったのですが、父は「男の子が大喧嘩するなんて当たり前の事。この程度の傷で親が口を出すもんじゃない。」と押し止めていたのを記憶しています。個人的には、それが正解だったという気が。親がしゃしゃり出ていたら、自分自身も「負け犬」という思いを強くしたでしょうし、先生にも怪我の理由を言わなかった(言うのが悔しかったというのが大きな理由ですが。)という事で、「御前、凄い奴だなあ。」とその大喧嘩した連中が一目置いてくれて、それから仲が良くなれましたし。今の時代にこの事例が必ずしも当て嵌まらないのかもしれませんが、「たかが喧嘩位で・・・。」という思いは在りますね。
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