先ず最初に、この作品の総合評価を記したい。実際に観る前は「星4つ以上の作品なのだろうな。」という期待が大きかったので、観終わっての失望感は半端では無かった。総合評価は星2つ。
*****************************
兵役を終えた25歳の韓国人イ・スヒョン(イ・テソン氏)は、祖父から続く日本との不思議な縁を知り、日本に留学する事を決める。
そんな彼が偶然出逢ったストリート・ミュージシャンの星野ユリ(マーキーさん)。彼女は自分の歌を一人でも多くの人達に聞いて貰いたいという夢を持っていたが、両親の離婚や自らが属するバンドを巡る大人達の思惑に傷付き、夢を追い続ける気持ちが失せ掛けていた。故郷でバンドを組んでいたスヒョンはそんな彼女に、「家族を思う事」と「夢を追い続ける事」の大事さを自身の生き方で示す。そんな彼と触れ合う中でユリの心の中に前向きな気持ちが蘇り、そしてスヒョンへの恋心が徐々に芽生えて行くのだった。
「自分が本当は何をしたいのか?」、スヒョン自身もその答えを捜す可く来日したのだが、日本と韓国の間に今だ厳然と横たわる”障害”を肌で知る内に、「大好きなスポーツと音楽を通じて、二国間の架け橋になりたい。」という思いが湧いて来る。幾つもの壁を乗り越えて、御互いに掛け替えの無い存在で在る事を知るスヒョンとユリ。やがてユリの属するバンドが、インディーズ・バンド日本一の決勝大会に進出する事が決まるが、その日に・・・。
*****************************
2001年1月26日に起きた「新大久保駅乗客転落事故」を記憶しておられる方も多いだろう。山手線の新大久保駅で、泥酔した一人の男性がプラットホームから線路に転落。彼を救助しようと2人の男性が線路に飛び降りたが、結局3人共進入して来た電車に轢かれて亡くなってしまったという痛ましい事故だ。
救出の為に線路に飛び降りたのは、カメラマンの関根史郎氏(47歳)と韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)氏(26歳)。自分がもしその現場に居たら・・・、とても線路に飛び込んで救出しようという勇気は湧かなかったと思う。だからこそ彼等の勇気に、心から敬意と哀悼の意を覚えたものだった。
この映画は、李さんの事を取り上げたノンフィクション作品とばかり思っていた。だからこそ作品を観ている間中ずっと、違和感を覚え続けていた。「李さんには故郷に恋人が居たという話は当時から見聞していたが、日本人の恋人が居たという話は全く報じられていなかったが・・・。」、「その日本人の彼女が所属するバンドが決勝大会に進出する夜に、李さんは亡くなったの?それって余りにも偶然が重なり過ぎでは?」といった疑問が頭から離れなかったのだ。この記事を書くに当たって色々検索し、この作品が”あの事故”を題材にしてはいるものの、大半がフィクション仕立てとなっている事を知って、ようやくその疑問が氷解した。(実を言えば当日は映画館に着くのが遅れてしまった為、冒頭から7、8分は観る事が出来なかった。故に、もしかしたら冒頭にこの作品がフィクションで在る旨を表示されていたのかもしれないが。)
フィクションならばフィクションで構わないのだが、如何せんストーリーに”枝葉”が多過ぎて、肝心の”幹”の部分が見え辛くなっている。「白虎隊」の映画を観ているのに、其処に無理無理にラブ・ストーリー、それも失礼ながら安っぽいラブ・ストーリーが押し込まれている様な感じと言えば理解して戴けるだろうか?それと「この作品はユリを演じている歌手・マーキーさんのビデオ・クリップなのか?」と思ってしまう程無意味に歌のシーンが多過ぎ(ストーリーをもっと整理して無意味な枝葉を取り除いたら、3分の2位の上映時間で充分だろう。)、それ等が合わさって李さんの存在がかなりぼやけてしまっていた様に感じた。ユリの父親・平田一真役の竹中直人氏の”相変わらずの演技”も個人的には鼻に付く。
日本で差別的な扱いを受けた事で傷付いたスヒョンに、彼の父親が「感情に流されて、色眼鏡で見てはいけない。」という言葉で諭すシーンは印象に残った。
この作品を「日本や日本人をわざと悪く描いた、反日的な作品だ!」とする声が在ると聞く。確かにそう取れるシーンが幾つか在るものの、大騒ぎする程の内容では無かったと思う。一つ一つのシーンにそういった事実が無かったとしても、我々日本人が嘗て(今でもそういった面がチラホラ見受けられるが。)西欧諸国から差別的な言動を受けていた様に、我々の”先輩達”がアジアの人達に差別的な言動を少なからずしていたと思うし、それを全く無かった事とするのは非常に無理が在る。ネット上を見渡せば、未だに不毛なアジア諸国(及び国民)蔑視の声が飛び交っているのだから、「相手が中傷したからやり返しているだけ。」とかいうのでは無く、そういった中傷合戦が如何に虚しい事かを認識して、相手を慮る”大人の対応”こそが我々日本人が採るべきスタンスだと思うのだ。
*****************************
兵役を終えた25歳の韓国人イ・スヒョン(イ・テソン氏)は、祖父から続く日本との不思議な縁を知り、日本に留学する事を決める。
そんな彼が偶然出逢ったストリート・ミュージシャンの星野ユリ(マーキーさん)。彼女は自分の歌を一人でも多くの人達に聞いて貰いたいという夢を持っていたが、両親の離婚や自らが属するバンドを巡る大人達の思惑に傷付き、夢を追い続ける気持ちが失せ掛けていた。故郷でバンドを組んでいたスヒョンはそんな彼女に、「家族を思う事」と「夢を追い続ける事」の大事さを自身の生き方で示す。そんな彼と触れ合う中でユリの心の中に前向きな気持ちが蘇り、そしてスヒョンへの恋心が徐々に芽生えて行くのだった。
「自分が本当は何をしたいのか?」、スヒョン自身もその答えを捜す可く来日したのだが、日本と韓国の間に今だ厳然と横たわる”障害”を肌で知る内に、「大好きなスポーツと音楽を通じて、二国間の架け橋になりたい。」という思いが湧いて来る。幾つもの壁を乗り越えて、御互いに掛け替えの無い存在で在る事を知るスヒョンとユリ。やがてユリの属するバンドが、インディーズ・バンド日本一の決勝大会に進出する事が決まるが、その日に・・・。
*****************************
2001年1月26日に起きた「新大久保駅乗客転落事故」を記憶しておられる方も多いだろう。山手線の新大久保駅で、泥酔した一人の男性がプラットホームから線路に転落。彼を救助しようと2人の男性が線路に飛び降りたが、結局3人共進入して来た電車に轢かれて亡くなってしまったという痛ましい事故だ。
救出の為に線路に飛び降りたのは、カメラマンの関根史郎氏(47歳)と韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)氏(26歳)。自分がもしその現場に居たら・・・、とても線路に飛び込んで救出しようという勇気は湧かなかったと思う。だからこそ彼等の勇気に、心から敬意と哀悼の意を覚えたものだった。
この映画は、李さんの事を取り上げたノンフィクション作品とばかり思っていた。だからこそ作品を観ている間中ずっと、違和感を覚え続けていた。「李さんには故郷に恋人が居たという話は当時から見聞していたが、日本人の恋人が居たという話は全く報じられていなかったが・・・。」、「その日本人の彼女が所属するバンドが決勝大会に進出する夜に、李さんは亡くなったの?それって余りにも偶然が重なり過ぎでは?」といった疑問が頭から離れなかったのだ。この記事を書くに当たって色々検索し、この作品が”あの事故”を題材にしてはいるものの、大半がフィクション仕立てとなっている事を知って、ようやくその疑問が氷解した。(実を言えば当日は映画館に着くのが遅れてしまった為、冒頭から7、8分は観る事が出来なかった。故に、もしかしたら冒頭にこの作品がフィクションで在る旨を表示されていたのかもしれないが。)
フィクションならばフィクションで構わないのだが、如何せんストーリーに”枝葉”が多過ぎて、肝心の”幹”の部分が見え辛くなっている。「白虎隊」の映画を観ているのに、其処に無理無理にラブ・ストーリー、それも失礼ながら安っぽいラブ・ストーリーが押し込まれている様な感じと言えば理解して戴けるだろうか?それと「この作品はユリを演じている歌手・マーキーさんのビデオ・クリップなのか?」と思ってしまう程無意味に歌のシーンが多過ぎ(ストーリーをもっと整理して無意味な枝葉を取り除いたら、3分の2位の上映時間で充分だろう。)、それ等が合わさって李さんの存在がかなりぼやけてしまっていた様に感じた。ユリの父親・平田一真役の竹中直人氏の”相変わらずの演技”も個人的には鼻に付く。
日本で差別的な扱いを受けた事で傷付いたスヒョンに、彼の父親が「感情に流されて、色眼鏡で見てはいけない。」という言葉で諭すシーンは印象に残った。
この作品を「日本や日本人をわざと悪く描いた、反日的な作品だ!」とする声が在ると聞く。確かにそう取れるシーンが幾つか在るものの、大騒ぎする程の内容では無かったと思う。一つ一つのシーンにそういった事実が無かったとしても、我々日本人が嘗て(今でもそういった面がチラホラ見受けられるが。)西欧諸国から差別的な言動を受けていた様に、我々の”先輩達”がアジアの人達に差別的な言動を少なからずしていたと思うし、それを全く無かった事とするのは非常に無理が在る。ネット上を見渡せば、未だに不毛なアジア諸国(及び国民)蔑視の声が飛び交っているのだから、「相手が中傷したからやり返しているだけ。」とかいうのでは無く、そういった中傷合戦が如何に虚しい事かを認識して、相手を慮る”大人の対応”こそが我々日本人が採るべきスタンスだと思うのだ。
己の命を犠牲にして他人を助けるというのは簡単にできることではない。だからこそ、言葉にできないほどのインパクト、敢えて言えば勇気ある者への畏敬を感じ、そして能天気に日々を生きている自分を恥じてしまうのです。
しかしこの脚色された映画は何なのでしょう。
こういった映画が作られる背景というのは何でしょうか。やはり東アジア共同体を実現しようという勢力が、韓国人に対する偏見を無くすために作ったプロパガンダ映画なのでしょうか。
私は経済は分からないのですが、音楽とか数学・自然科学、あるいは宗教のように国境を超えて人に感動と理解を与えられる分野には、えてして「国際交流」の掛け橋になろうかというような高邁な心をもった人物が出てきます。
無教養な民衆、ネットの2ちゃんねらー等のあいだには、依然として在日朝鮮人、外国人に対する蔑視と差別、警戒心が根強く存在するから、そういう心を「遅れている」「劣っている」として恥じ入る傾向が知識人・マスコミにはあります。そして「遅れている」「劣っている」という意識が、実は民衆の心から遊離した冷たいエリート意識であることに気づいていない。だから民衆を啓蒙しようとするんですが、そういう啓蒙心で民衆を動かそうとしても、たいがい成功しないんですね。エリートの付き合う外国人というのは、たいがい教養もあり、豊かで、学芸に秀でた人たちですが、民衆というのは、教養にも学芸にも秀でていない只の外国人と共生し、その付き合いの難しさを肌で感じているからです。
だから差別、不毛な中傷はしばらく続くと思います。
長期的に見て日本はどうなって行くのか、分かりませんが、まあ多少の人種的混交、異民族・異文化との共生は止むを得ないという気がします。地球温暖化と同じように受け入れるしかないのです。
その中において、己の心を正常に保ち続け、個々の事例に的確な判断を下せることが重要であり、かつ至難なことであります。具体的に言えば、「韓国人」にどう対するかでも、個々の韓国人を個人として、人間として見る視点は大切ですが、その視点が日韓交流みたいな政治的プロパガンダにずれて行くと、いろいろと厄介な問題が出てくるでしょう。
描かれている内容にフィクションの要素が在るからと、その作品自体を全て否定すべきものとして感情的に罵倒している”様な”論調が少なからずネット上に見受けられます。全編を通して悪意と偏見に満ちた内容”だけ”ならば、自分もそういった作品に対しては嫌悪感しか覚えないでしょうが、この作品に関してはそこ迄のものを感じませんでした。
記事でも触れました様に、この作品で描かれた事柄にはフィクションの要素が結構在ります。中には日本人の差別性を強調している様な点も在りますが、そういった”事件”は実際に無かったとしても、そういった根深い偏見や差別の思いが残念ながら我が国に在るのは、ネット上の多くの書き込みを見ても否定出来るものでは無いと思うし、これは我が国だけでは無くどこの国にもそういった思いは在る事でしょう。だからこそ、部分だけを取り上げて感情的に論じるのでは無く、題材となった事故が実際に在り、其処では韓国人留学生と日本人という2人の人物が、命を賭して人を救おうとしたという面に向けるべきではないかと。
自分は別に韓国という国に対して必要以上に好意を持っている訳では無いと同時に、だからと言って必要以上に嫌韓意識を持っている訳でも在りません。「韓国に好意的な思いを持っている。」ので無ければ、「嫌韓意識しか採り得る立場は無い。」といった”様な”極端な考え方が幅を利かしている風潮は寂しい限りです。
個人的な韓国人の知り合いって面白い考え方の人が多いから結構好きですね。去年ソウルに遊びに行ったときも面白かったし。
極端な意見が多い国ではありますが、日本も大差ないからどっこいどっこいのような気がしますね。
ホンノ500年前まで隣の村同士で殺し合いしていた国なのですから、東アジアの隣人として融合するまでもう少し時間がかかるでしょうね。どうなるかさっぱり分かりませんが、現在の国境線が100年も続くわけありませんしね。
日本人が韓国人を差別してると言う話はよく聞きますが、韓国人の日本人差別はそれを遥かに上回る。
韓国人はすぐ合併時代の話を持ち出すけど、そもそも合併時代日本人は朝鮮人を差別しなかったですよ。
差別されたのは不潔な朝鮮人や泥棒する朝鮮人、怠け者の朝鮮人だけで、真面目な働き者の朝鮮人は尊敬されてました。
「こんな映画ばかり作ってるから、日本人が韓国人を好きになれない。」これは一理在ると思います。個人的には、この作品がそこ迄”意図的”な物とは感じませんでしたが、中には「こりゃ酷いな。」と思ってしまうプロパガンダ的な作品も在りますからね。
唯、だからと言って「何でもかんでも韓国及び韓国人は駄目!」といった捉え方もどうかと自分は思っています。「相手が酷い描き方をしているんだから、こっちも同じ事をしてやる!」というのでは、結局同じ土俵に上がってしまう事で在り、相手の行為を卑しく思っているので在れば、一層の事同じ土俵に上がる可きではないと考えるからです。
自分も過去の事を必要以上に論い、中傷する様なスタンスは好きでは在りません。ですから韓国に限らず、他国から”必要以上の”干渉には媚び諂う事は無いと思っております。
人種を問わず、泥棒をしたり、怠惰な人間が他者から白い目で見られるのはまあ致し方無い事でしょうが、不潔だからというだけの理由で差別されるというのは哀しい現実ですよね。終戦直後、焼け野原と化した我が国では多くの戦災孤児が存在していましたが、彼等も進駐軍の兵隊達からそういった目で見られていた面は在るのでしょうね・・・。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
私からのTBが不調のため、コメントにて失礼いたします。
本作品、CMや予告編で「新大久保駅乗客転落事故」をもの凄く強調してたので、
フィクションとはいえ、亡くなったお二人の(特に今回はスヒョンさんを中心に)命の尊さなどを描いているのかと思っていました。
が、、、、フタを開けてみたら、
強引に感動作にして観客を泣かせようという恋愛映画だった気がします。
実際に、私も泣きましたが。。。♭
また遊びにきますね。
今後ともよろしくお願いいたします。
1990年、インドはニューデリーで大規模な反政府デモがありました。9月には三日間にわたり交通が麻痺し、政府当局はこれを武力弾圧しました。デモに参加していた学生の中には抗議の為に焼身自殺をした人もいて三人が死んでます。
彼等が生命を投げ打ってまで訴えたのは何だったかというと、
「差別を守れ」でした。
政府の打ち出した低カースト者優遇政策に命を投げ出し、投獄の危険もかえりみずにプロテストしたわけです。
人権真理教徒はまともに答えてはくれんのです。