東京新聞の夕刊コラム「紙つぶて」。7月17日付けの同コラムは、愛知教育大学長の後藤ひとみさんが担当。
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「御早う御座います。」
学生が「御早う御座います。」と声を掛けてくれた。腕時計を見ると午前11時を過ぎているので、「今日は。」と返した。学生は「そうか。もう朝じゃ無いんだ。」と応えた。こんな会話を随分続けて来た。
どんな時刻でも「御早う御座います。」という学生達の挨拶が気になり、何故そう言うのか聞いてみた事が在る。「業界(芸能界)の人みたいで格好良い。」、「バイト先(夕方から開始)では、皆が言うので。」との事。「此処は業界では無いし、夜の仕事でも無い。」と言うと、「確かに。」と、一先ず了解してくれる。「今日はだと、御座いますが付けられない。先生に、今日はでは失礼な気がする。」との意見も在り、そういう配慮が在ったのかと考えさせられた。
最近、或るテレヴィ番組で「御機嫌よう。」と挨拶をしているシーンを見る事が在る。此の言葉には会った時や別れる時に、相手の健康を気遣う意味が込められている。「御早う。」、「今日は。」、「左様なら。」の代りにもなる便利な言葉で在る。
御早う、今日は、左様なら、御機嫌よう等、何の言葉を使うにしても、其処には相手への気遣いが必要で在る。言い慣れた言葉だからこそ、心の籠もったコミュニケーション・スキルとしての挨拶を意識して、使い熟して欲しい。
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近年、老若男女を問わず、挨拶をしても挨拶し返して来ない人が増えている様に感じる。此方が挨拶をしたのに気付いていないのなら仕方無いが、明らかに気付いていても、平然と無視する輩も居るのだから、午前11時を過ぎていたとしても、「御早う御座います。」と挨拶するだけ増しだとは思う。
とは言え、相応しくない時間帯に「御早う御座います。」と挨拶されるのは、気になるのも事実。「業界人っぽく見せたいが為に、どんな時間帯でも『御早う御座います。』と挨拶してるんだろうなあ。」とは推測していたけれど、「今日はだと、御座いますが付けられない。先生に、今日はでは失礼な気がする。」という配慮で口にしている人も居るというのは目から鱗が落ちる思いで、「そういう配慮が出来るというのは、凄いなあ。」と感心したりも。
何年か前から、「あざーっす!」という言葉を投げ掛けられる事が増えた。「アンタッチャブルの山崎弘也氏がテレヴィ番組内で、『有難う御座います。』の意味で屡々口にした事で、流行した言葉。」なのは知っているし、「そういう言葉を、一切使ってはいけない。」なんて堅苦しい事を言う積りも無い。自分も若かりし頃は流行語を会話の中で使った事は良く在ったし、気心の知れた仲間内で使う分には問題無いと思っている。
問題は「TPOを弁えて使う。」という事だろう。「仕事の場で上司に対して使う。」のは御法度だし、実際に自分が経験した様に、「客として初めて訪れた飲食店で、帰り掛けに若い店員から『あざーっす!』なんて大声で言われた日には、『何なんだ、此奴は!?』と呆れ返られてしまう。」のが落ちだから。
ここは関西です、私は関西人です、取引先も関西の企業です。こういう場合、あいさつは「まいど」この一言でたいてい間に合います。
関西、特に大阪の商売人相手に、丁寧なあいさつは不要です。
「まいど。で、アレ、単価なんぼになった」と、シンプルに商売の話しに入れます。
それに今の業種は重厚長大系企業です。会社内でのあいさつはいつも「ご安全に!」朝でも夜でも「ご安全に」あいてが社長でも新入社員でも「ご安全に」
私のいまの会社では「まいど」「ご安全に」この二つで全部OKです。
「こんにちは」や「こんばんは」は現在時間を指しているので良しとしても、この「おはようございます」の場合の主体は、自分か相手かどちらにあるのでしょうね。
私は最近午後からの出勤なのですが、出社時の挨拶は「おはようございます」にしています。業界人ではありませんが(笑)。
理由は、自分より早く出社している人たちに対し、お早い出社ご苦労様です、の意味を込めてのことです。
挨拶の言葉は相手に対して掛けるものですから、主体が相手であれば、これで間違いではないと思うのですが、挨拶を発する自分が主体と考えるのであれば、これは間違いなのでしょうね。
挨拶の言葉を対等の立場から言うのか、相手に対する尊敬語として使うのかによって意味が違ってくるように思います。
なんだか理屈っぽくなってしまいました。
では御機嫌よう。
昔は、“関西弁の持つ雰囲気”が苦手でした。プライヴェートに踏み込んで来る様な感じがしていたからなのですが、或る時期から其の“本音感”が心地良くなり、今では関西弁が大好きです。「毎度!」という挨拶も、個人的には好き。
大事なのは、言い方だと思うんです。近所のスーパーでは店員が、惰性的に挨拶していた事が在り、言葉としては「有難う御座いましたっ!」なのですが、「有難う御座いまし」迄は平板且つ無感情で、最後の「たっ!」だけ、如何にもん投げ槍な言い方。「あざーっす!」も惰性で言っている様な感じだと、余計に不快に感じてしまいます。
「挨拶の主体が、何方に在るのか?」、此れは面白い観点ですね。確かに悠々遊様のケースでは、相手に対する気遣いも在りますし、「成る程。」と思いました。視点を変える事で、見えなかった物が見えて来る。勉強になりました。