ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「昭和芸人 七人の最期」

2022年07月19日 | 御笑い関連

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お笑い芸人は、他の芸能に比べて、晩年穏やかに生きることが難しい。歌手は、ヒット曲が出なくなっても、歌が下手になったとは言われない。また、俳優は、主役を演じることがなくなっても、脇役として渋い演技を見せる道がある。彼らは、昔より人気を失っているかもしれないが、歌唱力や演技力への評価は保たれたままだ。だから、プライドを保ちながら、晩年の仕事をこなしていくことが可能となる。だが、芸人は人気を失ったとき、即座に「面白くなくなった。」という評価が下る。しかも、お笑いには、観客の笑い声という明らかな指標がある。どれだけ自分を騙そうとしても、笑い声のない客席を前にしては誤魔化し利かない。笑わせることができなくなった芸人には、逃げ道がないのである。
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笹山敬輔氏の本「昭和芸人 七人の最期」は、一世風靡した7人の“昭和芸人”が取り上げられている。榎本健一氏、古川ロッパ氏、横山エンタツ氏、石田一松氏、清水金一氏、柳家金語楼氏、そしてトニー谷氏という面々だ。

トニー谷氏だけは戦後に活躍した人物だが、残りの6人は戦前から活躍していた様だ。御笑い大好き人間なので、全員を知ってはいるが、リアル・タイムで見た事が在るのは、柳家金語楼氏とトニー谷氏の2人だけ。見た事は在っても、共に全盛期の頃では無く、柳家金語楼氏に関して言えば「特撮TV時代劇変身忍者 嵐』【動画】の第16話に、“発明の作兵衛”役で出演していた(“作兵衛の息子”役を演じていたのは、私生活でも実の息子だった山下敬二郎氏。)のを見た。」のが多分最初で最後だったし、又、トニー谷氏に関して言えば、最晩年の“彼の人は今的な番組”に出ていたのを見た。【動画】」のだ。

先々月にダチョウ俱楽部の上島竜兵氏が自死した際、芸人仲間から数多くのコメントが出されたが、個人的に最も印象に残ったのは、“最後の喜劇人”と呼ばれる伊東四朗氏の何なんだろうなあ・・・矢張りいの人っていうのは俺、何となく判るんだよ。笑いの人の悩みっていうのはね。でも、本人じゃ無いから、全く違うかも知れないけどね。何となく薄すら判る様な気がするけど。という物だった。笑いという物を突き詰めて来た伊東氏だからこそ、“竜ちゃん”が抱えていたで在ろう懊悩を理解出来るのだろう。


2代目・桂枝雀氏、4代目・桂三木助氏、ポール牧氏、牧伸二氏、そして竜ちゃんと、自ら死を選んだ芸人の訃報に触れると、堪らなく悲しい思いになる。自ら死を選んだ訳では無いが、殺害された佐々木つとむ氏や、新型コロナウイルス感染症で急死した志村けん氏の場合も同様だ。「自らの身を削ってでも、人に笑いを届ける。」という事を生業にしているだけに、彼等の私生活での不幸が際立ってしまうから。

冒頭で紹介したのは、「昭和芸人 七人の最期」のプロローグに記されていた文章。「彼等が、絶頂期から最期へ向かって、どの様な晩年を生きたか書いたものである。」と笹山氏は記しているが、同時に本書で取り上げる昭和の芸人たちは、華やかな絶頂期に登りつめた後、次第に人気が凋落していった。その後の生き方は様々だが、ハッピーリタイアができた芸人は一人もいないとも。

俳優等、別の方向に“転身”出来た場合を除くと、(御笑い)芸人一本だけで最期人気をキープしていた人というのは、非常に稀有だと思う。大概は人気が凋落し、“彼の人は今的な存在”となる。そして、彼等の訃報に触れた時、「晩年は、酷い状況だったんだなあ。」と感じ、遣り切れなさを感じる事が多い。

今回取り上げられていた7人の内、人生を終える迄“其れなりの仕事”を続けられたのは、柳家金語楼氏だけだった様に思う。彼が他の6人と異なるのは、時代の変化に対し、柔軟に対応出来た。事で、具体的に言えば舞台映画等の全盛期が過ぎ去っても、其れ等にしがみ付いた芸人が少なく無かった中、柳家金語楼氏は“電気紙芝居”と揶揄されたTV番組逸早く出演した。のだ。露出度”を高めたからこそ、“現役感”を保ち続けられた。でも、愛人を数多く抱え、彼女達に支払い続ける金銭が多かった事から、彼の生活は楽では無かったし、又、家庭的にも恵まれていたとは言い難い

トニー谷氏が代表格だが、エキセントリック自己中心的な性格、周りから好かれずに、孤独な最期を迎えた者も。又、何度も自殺未遂を起こした者も居る

7人全てに言える事だが、全盛期の“光”が余りにも強かったので、晩年の“闇”とのコントラストが、より際立ってしまう。


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4 コメント

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功成り名をとげ (雫石鉄也)
2022-07-19 09:02:57
たしかにお笑い芸人といわれる人は不遇な死を遂げた人もおります。
でも上方落語のジェダイマスターともいうべき桂米朝師匠は、親友小松左京を見送り
https://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/467cd3c48ca947e6afe7be59710c1c50
人間国宝となり文化勲章も受賞し、多くの弟子と著作を残し、長男は5代目桂米團治と自分の師匠の名を襲名し天寿を全うしたといえるでしょう。
ただ、枝雀師匠、吉朝師匠、先代歌之助師匠とかわいい弟子に先立たれたのは痛恨のきわみだったのではないですか。
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>雫石鉄也様 (giants-55)
2022-07-19 12:31:32
書き込み有難う御座いました。

桂米朝氏は、ハッピーリタイア出来た芸人さんの1人でしょうね。彼の余韻の残る話し口調は、其れ自体が“芸”でした。

芸人では無いのですが、萬屋錦之介氏の元妻だった淡路恵子さんの言葉が忘れられません。芸能界では成功した彼女ですが、私生活では子供に関して不幸続きだった。そんな彼女が晩年、「子供や孫に囲まれ、ひっそりと幸せに暮らしたかった。他には、何も要らない。」といった趣旨の言葉を口にされていましたが、正に本心だったのでしょうね。気の毒でなりませんでした。
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エノケンと金語楼 (Kei)
2022-07-19 15:01:07
「昭和芸人 七人の最期」は面白そうな本ですね。近所の図書館に所蔵しているので、さっそく予約しました。
7人の昭和芸人のうち、石田一松はあまり知らないのですが、残りの6人はよく知ってます。出演している映画も見た事があります。
エノケンこと榎本健一の映画は「エノケンの孫悟空」「エノケンの法界坊」「エノケンのちゃっきり金太」などを名画座で見た事がありますし、DVDも持ってます。どれも何度見ても面白い。おすすめです。「日本の喜劇王」の異名がある通り、喜劇役者としては私もナンバーワンだと断言出来ます。とにかくよく動く。「ちゃっきり金太」ではほとんど全編走りまくってますし、「エノケンの青春酔虎伝」('34)の終盤での乱闘シーンでは、二階からシャンデリアに飛び移り、落下してそのまま立ち上がり乱闘を続けるシーンがあります。ジャッキー・チェンばりです(笑)。そのシーンはYouTubeで見る事が出来ます。 ↓
https://www.youtube.com/watch?v=K6zYXkGUaBA
戦後、人気が落ちたのは、年齢を経てあまり体が動けなくなったからでしょうね。それでも亡くなる直前まで多くの映画に出演して存在感を示していました。足を切断したり自殺未遂を繰り返したさまざまな不幸については、多分本に書かれてるでしょうから省略します。

人生を終える迄“其れなりの仕事”を続けられたのは柳家金語楼だけ、というのは私もその通りだと思います。NHKの人気番組「ジェスチャー」のレギュラーとして毎週出ていたのは私もリアルタイムで見ていましたし、TBS系で主演していた「おトラさん」も見ていました。毎週冒頭に台所用具や食材や座布団を曲芸のようにクルクル回すシーンがあってこれも楽しみでした。これは映画にもなって6本も続くシリーズとなりました。その他50~60年代にも主演、助演の映画が多数作られ、亡くなる3年前まで年数本の映画に出ていました。
他の5人と比べて、榎本健一、柳家金語楼のお二人は、共に1930年代から晩年の1960年代末までのほぼ30年以上にわたって、生涯数多くの映画に出演し活躍された点において、個人的には“昭和の2大喜劇王”だと思っております。
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>Kei様 (giants-55)
2022-07-19 15:50:21
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

榎本健一氏が出ておられる映画は見た事が無いのですが、此の本の中でもKei様が書かれていたのと同じく「ジャッキー・チェン氏を彷彿させるアクション。」と書かれていました。御本人も自身の身軽さを認識されていた様で、だからこそ病にて足を切断されて以降、其の“売り”が披露出来なくなった事に、相当の懊悩が在った様ですね。

石田一松氏は芸人というよりも、政治家としての顔の方が知られているかも知れません。

今回の本を書かれた笹山敬輔氏の事は、1ヶ月程前に知りました。書店に新刊として並んでいた本「ドリフターズとその時代」に興味が惹かれ、パラパラと立ち読みすると面白そうな内容。で、此の方の事が気になって調べてみると、「『ケロリン桶』の採用を決めた笹山忠松(当時、内外薬品副社長)は祖父。父の笹山和紀は内外薬品前社長。」という方。1979年生まれと自分より大分年下なのに、相当な下調べをされている様で、昭和の芸能史に実に詳しい。「ドリフターズとその時代」も、近い内に読みたいと思っております。
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