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伏見歴史散歩4 源空寺の旧伏見城城門

2023年11月03日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 御香宮神社を辞して、旧伏見城大手門の表門から外の大手筋に出ました。もと来た道を引き返し、上図の奥に見える朱色の大鳥居を再びくぐりました。

 

 そのまま西へまっすぐ進み、近鉄の高架下をくぐり、京阪の踏切を渡って、上図の伏見大手筋商店街のアーケード下に入りました。京阪の踏切をわたってから三つ目の、右側にサンマルクカフェがある交差点を右(北)に曲がりました。

 

 交差点から約30メートルほど北進して右側に、上図の看板を見つけました。この日の二ヶ所目の見学地、源空寺の門前に出ています。

 

 門前脇の案内説明板です。この寺の山門が、伏見城から移築された遺構、と述べられています。「いわれており」とあるので確証があるわけではないようで、つまりは伝承の類であるのかもしれません。

 

 その山門は、寺の入り口から上図のように見えました。入り口から山門までのスペースは参拝者駐車場になっています。

 

 パッとみると、浄土宗寺院の山門としては相当変わった建物だと分かります。二層の山門の建築としても、こういった外観の建物は寺院ではあまり見ません。というより、全然といってよいほど浄土宗寺院には似つかわしくない形の建物です。

 

 逆に、城郭の建物として見ると違和感があまりありません。櫓のような外観ですから、伏見城からの移築云々はただの伝承では無いのかもしれません。

 いまは二層目にこの寺の山号である「宝海山」の額が掛けられていますが、花頭窓の上という不自然な位置に無理して懸けられている感が強いです。

 

 門の通路空間の左右に部屋があり、向かって右側は寺の事務所のようになっていますが、左側は上図のように仏壇が設けられていて、中央には大黒天像がまつられています。

 

 この大黒天像は、源空寺では朝日大黒天と呼ばれています。かつて豊臣秀吉の持念仏であったもので、伏見城の巽櫓(たつみやぐら)にあったものと伝わります。

 その巽櫓が、いまの源空寺山門の前身ではないのかな、と思いましたが、寺でも確かな史料類は無いようです。もとは木幡の里(現在の宇治市炭山)にあって天台宗に属していた源空寺が、慶長十七年(1612)に現在地へ移転して浄土宗に改宗した際に、徳川家康より桃山城内の一宇を寄進された、という経緯が寺伝として伝わっている程度です。

 この徳川家康から寄進された桃山城内の一宇、というのが史実であった場合、その建物は徳川期伏見城の一部であった可能性が高いです。それ以前の豊臣期の伏見城は慶長五年(1600)6月の伏見合戦にて焼亡全滅しているからです。

 

 したがって、伏見城からの移築という伝承が本物であれば、この建物は慶長七年(1602)6月に徳川家康が藤堂高虎を普請奉行に任じて再建させた伏見城のそれ、ということになります。最初からこのような山門つまり櫓門の型式であったかは疑問ですが、白壁に包まれた外観はいかにも徳川期の城郭建築らしい雰囲気に包まれています。

 

 細部を見ると、やっぱり造り替えが随所に見られます。移築の際に寺院の山門に仕立て直すための改変があちこちで行われているとみたほうがよいかと思います。また材も新しくなっていますので、近年に修理か材の取り替えが行われている可能性もありますが、お寺が留守のようでしたので、お話を聞いて確認することは出来ませんでした。

 

 山門内部の戸口にかかる門扉です。これは完全に寺院の門扉の型式になっていました。というか、もとは櫓であった建物を山門形式に改築したのであれば、門口部分は全て新造になるわけですから、門の通路空間全体の造作が新しい感じに見えるのも当然か、と思いました。

 

 全体的にみても、この門の通路空間全体の雰囲気、そして材が新しい感じでした。もとの門柱の内側に材をコの字に張り増していることが分かりますが、この張り増し部分に門扉が付けられているので、もとは門扉の無い開放式の通路空間であったように思われます。
 問題は、移築前からこのような通路空間が設けられていたか、ということですが、それを確かめるには解体修理を行なって木材の使用状況を調べないと分からないでしょう。

 

 個人的には、伏見城からの移築云々は可能性が高いかな、と考えました。が、現在見られる山門形式の建物が城郭の櫓門からの系譜上にあるのか、それとも改造の結果であるのかは、ちょっと分からないな、と思いました。確証が無ければ、色々考えても机上の空論に終始してしまうからです。

 ですが、なかなかに興味深い、ロマンを感じさせてくれる建築遺構ではありました。  (続く)

 


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