「ジオラマJAPAN」にてNゲージジオラマを見物した後、隣の上図の「19世紀ホール」に行きました。
館内には蒸気機関車が並んでいました。わあー、黒光りしてるのがカッコいいー、とスマホを向けて撮影し始める嫁さんでした。
向かって右には、C58形48号機。1938年に川崎重工兵庫工場で製造され、広島、大分、山口などで活躍したのち北海道に移り釧路で1974年に廃車となりました。それを大阪の共永興業が引き取って保管していたのを、2001年に嵯峨野駅前に移して展示、2003年の「19世紀ホール」開館にともない、現在の状態に落ち着いています。
「するとこの機関車は、山陰線では走ってないんですねえ・・・」
「C58形はローカル線用の客貨兼用の機関車やからね。あと都市部の入換用とかに使われてたらしい。山陰線を走ってたんはC51形やC57形やからね」
「そうなんですかー」
「この三角形の刃みたいなの、何ですか?」
「スノープロウやね。除雪用のスカートや。この機関車は北海道で働いていたから雪対策の装備は必須やったんやな」
「蒸気機関車って、雪が高く積もっても力強く押しのけて進みそうですね」
「そういうイメージは確かにあるな、でも豪雪地帯では流石に動けなくなって運休も多かったらしい」
「動輪、C57やC62のと比べると小さいですねえ」
「ああ、C58形の動輪はC11形と同じ1520ミリ径やからね、高速運転に適していたし、動きが軽快やったらしい」
「C11って、大井川鐡道で走ってる機関車ですよね?」
「ああ」
「C58は大井川鐡道では走っていなかったんですか?」
「聞いた事ないなあ、天竜浜名湖鉄道の前身の国鉄二俣線では主力機関車だったけどな」
「あ、天浜線のほうで走ってたんですか・・・」
「うん、確か、掛川駅と天竜二俣駅の近くにC58が静態展示されとるよ」
後ろに回って炭水車の背面を見ました。
「これ、この前ヤフオクでカトーのNゲージ落札しましたよね、模型も良かったけど、こっちの迫力にはやっぱりかなわないですよね」
「そりゃそうや。こっちは本物なんやからな・・・」
向かって真ん中に位置している、D51形603号機。1941年に日立製作所笠戸工場で製造され、東京、宇都宮、高崎で働いた後、山口、岡山、姫路、敦賀、金沢、福井などで働き、1975年に夕張で最後の運転をなして廃車となりました。
その後は国立博物館に展示される予定となって追分機関区に保管されていましたが、機関区の火災で炎上し、その後共永興業に引き取られて保管され、2001年に嵯峨野駅前に移されて展示、2003の「19世紀ホール」開館にともない、現在の状態に落ち着いています。
このD51形603号機は、追分機関区での火災で車体の大半が失われたそうで、その後このようにカットモデルとして整備されて保管されていたそうです。蒸気機関車のボイラーの内部構造がよく分かるようになっています。
「D51は山陰線でも走っていたんですね、Nゲージもちゃんと買いましたもん」
「園部や福知山の車両区に配属されてた、いうからね。亀岡駅とかで旅客列車や貨物列車引いてる写真見たよな」
「はい、見ましたね、いずれジオラマ作って再現したいですよね」
「ジオラマって、亀岡駅のか?」
「ええ、でも園部の車両区とかも作ってみたいかなあ、と」
向かって左には、C56形98号機。1937年に日本車輛名古屋工場で製造され、北海道に配属されて活躍したのち、新潟を経て浜田にて1974年に廃車となりました。それを大阪の共永興業が引き取って保管していたのを、2001年に嵯峨野駅前に移して展示、2003年の「19世紀ホール」開館にともない、現在の状態に落ち着いています。
「これは山陰線の西の方で走ってたんですよね」
「出雲とか浜田とかね。浜田駅では入換用に活躍してる写真見たな」
「大井川鐡道にもありますよね。最近に兵庫の加東から譲り受けてレストアしてるんですよね」
「うん、クラウドファンディングにも参加したもんな」
「大井川鐡道には、C56は2輌あるんですよね」
「うん、44号機がいまは千頭駅でジェームスに扮してる。レストアしてるんは135号機やな」
「小型の機関車なので、ちょっとC11みたいな雰囲気がありますよね」
「C11の準同型車にC12があってな、そのC12をタンク式からテンダー式に設計し直したんがC56や。C11みたいな雰囲気があるのも、部品とかは殆ど共通になってるからやな」
「そうなんですかー」
「そういえば、私たちのNゲージにC56ってありましたっけ?」
「まだ買ってないやろ、大井川鐡道の135号機がレストアを完了して営業運転に復帰したらな、記念にカトーかマイクロエースあたりがその姿のNゲージを出すんじゃないかな、て思うので、買うならそっちを買いたいな」
「じゃ、そうして下さい」
そしてD51のカットモデルの後ろには上図のコッペル機関車の「見習機関車」若鷹号があります。1921年にプロイセン王国のオーレンシュタイン・ウント・コッペルで製造され、日本に輸入されて阿波鉄道で活躍、1936年に廃車となって後は国鉄鷹取工場に保管され、改造を受けて現在の姿になりました。
その後は鷹取工場の教習用に使用され、2000年にトロッコ嵯峨駅前に移設され、2003年の「19世紀ホール」開館にともない、現在の状態に落ち着いています。
「動輪が2つだけですよー、小っちゃくて可愛い機関車ですね」
「日本が明治期以降に輸入した機関車は、みんなこんな感じの小型が多かったんで、動輪2つか3つだけのタイプが殆どみたいやね。各地で静態展示されてるのも多いし、大井川鐡道にも保存されてるな」
「あー、新金谷のプラザロコに入ってる機関車ですねー、確か1275号機でしたね」
「よく憶えてるなあ」
「記憶力だけはええんですよ、フフ・・」
若鷹号の運転室内も外から見ることが出来ました。意外にシンプルな造りです。
館内の反対側には、上図の人車のレプリカが展示されていました。マネキン人形が妙にリアルなので、嫁さんが「ちょっとあれ怖いな・・・」と呟いていました。
かつては全国各地にトロッコの一種としての人力車軌道があったそうですが、京都府にはあまり無かったようです。もちろん嵯峨野観光鉄道とも無関係ですが、なぜか、上図の車体の中央には嵯の字をデザインした社紋が付いています。
人車の説明板です。 (続く)