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妙心寺伽藍より玉鳳院へ

2023年08月29日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 妙心寺境内にて明智風呂の建物をしばらく見た後、再び西側の中心伽藍の建築群を見ました。上図は仏殿で、江戸期の文政十年(1827年)に再建されたものです。入母屋造、一重裳階付きの姿は、創建時の仏殿のそれを踏襲しているといいます。国の重要文化財に指定されています。

 内陣に安置される本尊の釈迦如来像は天正年間(1573~1593)の作とされ、その左右に摩訶迦葉像と阿難尊者像が脇侍として安置されています。本尊の後方には達磨大師、百丈禅師や臨済禅師を祀る祖師堂、道教の神を祀る土師堂、明智光秀などの功労者の位牌を祀る祠堂があります。

 

 仏殿の東側にある上図のお堂は、江戸期の延宝二年(1674)に再建された経蔵です。正面の扉口の上に懸けられる「毘盧蔵」の扁額は伏見天皇の宸筆であるそうです。内陣には輪蔵と呼ばれる円筒型の回転式の書架があり、その下部には四天王と梵天、帝釈天、金剛力士、傅大士像が祀られています。国の重要文化財に指定されています。

 

 仏殿の後方に続く法堂です。 江戸期の明暦三年(1657)の再建で、入母屋造、一重裳階付きの建物です。内陣の天井には狩野探幽筆の雲龍図が描かれ、内陣の列柱は富士山麓より運ばれてきたケヤキを用いています。国の重要文化財に指定されています。

 なお、堂内には白鳳時代の銘文をもつ梵鐘「黄鐘調の鐘」があります。銘文には「戊戌(つちのえいぬ)」の年紀があり、文武天皇二年(698)にあたるとされます。九州筑紫で制作されたものであり、大宰府の観世音寺の鐘と兄弟鐘であることが知られています。日本最古の銘文をもつ梵鐘として、国宝に指定されています。

 

 法堂の東側に上図の特別公開寺院の案内図がありました。右へ行くと玉鳳院、北西へ行くと寿聖院ですが、距離のうえでは玉鳳院が近いので、U氏が「近いほうから先に行こう」と言い、そのまま右に折れました。

 

 中心伽藍から東への道を進みました。両側の土塀は塔頭寺院のそれです。

 

 まもなく左側に塔頭のひとつ東海庵の表門が見えました。妙心寺四派のうちの東海派の本庵で、室町期の文明十六年(1484)の創建になりますが、現在の建物は慶長四年(1599)の再建です。庭園が国の史跡・名勝に指定されているほか、国の重要文化財に指定される「瀟湘八景図」や「孝明天皇宸翰徽号勅書」などを伝えています。また本堂、庫裏、鐘楼、書院及び表門が京都府の有形文化財に指定されています。

 案内板とガイドブックを読んでいたU氏が「ここ文化財が多いんだねえ、特別公開はやってくれんのかな」と残念そうに言いました。東海庵の特別公開は稀にしか行われないそうで、前回は2018年、前々回は2013年だったそうです。

「5年おきに公開するんやったら、次は今年2023年になるのかね?」
「分からんね。情報も無いし・・・。来年かもしれん・・・」
「もし来年に公開となったら、絶対行こうぜ」
「ああ」

 

 東海庵の東側を北へと続く寺内道です。このような道が妙心寺境内の塔頭寺院群の中を迷路のように回っていますが、江戸期の景観をそのまま伝えているため、よく時代劇のロケなどに使用されているそうです。
 U氏が「初めて来たのに、見たことあるような景色だな」と何度も言っていたのは、彼が時代劇ドラマのファンだからでしょう。
 この道の右側の土塀が、今回の目的地のひとつ玉鳳院のそれでした。

 

 玉鳳院の門前に着きました。特別公開の案内板もありました。

 

 拝観受付は上図の通用口の奥にある庫裏でしたが、その隣の方丈は大きな覆屋におおわれていました。

「おい、修理中みたいだな、修理中の建物の中を特別公開するんかねえ」
「らしいね。特別公開の対象の襖絵とかは、あの本堂の方丈にあるわけやからな」 

 

 それで通用口をくぐろうとしたら、U氏が「待ってくれ、先にこっちの唐門を見たい」と上図の門を指しながらそちらへ近づいていきました。つられて後に続きました。

「おお、なかなか立派な唐門だな、本堂方丈の正門にあたるみたいだな・・・、古いものなのかな?」
「古い建物じゃないな・・・、江戸期やろうな・・・」
「ふーん、なんで分かるんだ」
「木鼻の切り込みとか、柱の根元の金具とか、な」

 

 唐門の土塀続きにもう1棟の平唐門が見えたのでそちらへも近づきました。U氏は「いい門だな」と感心して見上げていましたが、私は建物の細部にまず目が行って、南北朝から室町期にかけての様相であるのに驚きました。

「これは古い建物やな・・・」
「右京大夫殿は一瞥だけで分かるのか・・・凄いな」
「凄いのはこの平唐門のほうやで、破風板とか懸魚とかに宮廷建築の要素があるんで、御所とかの建物を移築してる可能性があるで・・・」
「ほう、建築年代も分かるのかね?」
「おそらく、室町前期・・・いや、南北朝期にいくかもしれん・・・」
「唐門ってさ、そんな古いの現存してたっけか・・・?」
「確か、日本最古級の唐門建築が妙心寺にあるって聞いたことあるんよ・・・。これのことかもしれん・・・」

 

 ずっと昔、日本最古級の唐門建築が妙心寺にある、と聞いたことがありましたが、後日資料をひも解いて調べてみたところ、正解でした。応永十六年(1409)に御小松天皇より御所の南門を拝領したものと伝え、かつては勅使門とされていましたが、江戸期に現在地に移されたそうです。

 したがって、建てられたのは応永十六年(1409)より前ということになります。南北朝期まで遡り得るのであれば、現存する平唐門としては最古級の遺構であることになります。京都の内外を焼き尽くしたとされる応仁の乱にも焼けなかったのですから、大変に貴重な建物です。国の重要文化財に指定されているのも当然でしょう。  (続く)

 


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