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伏見城の面影8 正伝寺本堂へ

2024年04月23日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 西賀茂の正伝寺は、いまの京都では珍しい隠れ古寺の一つです。快晴の土日においても訪れる人は少なく、御覧のように紅葉に彩られた広い境内地にも人影はなく、静寂に包まれて悠久の時を刻んでいるかのようでした。

 

 その優雅とも静謐ともいえる佇まいに感動し、上機嫌になったU氏ですが、言葉を発することはなく、胸の中で深く感慨を保っているらしく、ただカメラを周囲に色々と向けては撮り、ファインダーの中の景色と、実際の視界とを同時に味わっているようでした。

 上図は庫裏で、その玄関が開け放たれてありました。あれを入れば拝観受付があるのか、と考えましたが違いました。横にみえる下駄箱の左手に通路があって、その奥に受付がありました。

 

 U氏が「あれだな」と上図の門と塀の奥に見える杮葺の建物を指しました。私も初めて見ましたが、間違いなくあの建物がめざす旧伏見城建築遺構だ、と直感的に悟りました。それほどに、寺院の建物らしくない外観であり、城郭の御殿の建物らしい雰囲気が濃厚にただよっていました。

 

 拝観受付で手続きをして、住職に案内されるままに通路を通って本堂である方丈の縁側にあがり、ふと南を見ると白砂の石庭を囲む白壁の土塀の向こうに、くっきりと比叡山が望まれました。U氏が「北嶺を借景にしてるとはなんと贅沢な・・・」と言いましたが、その後の言葉が絶えて聞こえませんでした。

 

 なぜかというと、噂に聞いた庭園が、御覧の通りのシンプルな白砂の石庭であったからです。向かって右手に唐門と丸い植え込みが並んで、海中の島々とその建物をシンボライズしていましたが、龍安寺や大覚寺や醍醐寺の石庭に比べると随分あっさりした構成でした。

 その簡素で分かりやすい庭園は、U氏にとっては予想外だったらしく、「これがデヴィッド・ボウイの・・・」と小声でやっとのように呟いていたところをみれば、かなり想像と違ったようでした。もっと苔むした、古びた侘び寂びの風情の佇まいをイメージしていたようです。

 私のほうは、南禅寺派の寺だからこんなものだろう、と考えていました。それよりも南禅寺派の寺であることが重要なのだ、と思い当って少し興奮してしまいました。だから伏見城からの移築建築が本堂になっているのか、と腑に落ちた思いでした。

 

 そうなると、この唐門ももしや伏見城からの・・・、と思ったりしましたが、流石にこれは後年の建物であるそうでした。江戸末期か明治頃に建て直したということですが、詳細は不明です。

 

 この「獅子の児渡しの庭」は、江戸初期に小堀遠州によって作庭されたと伝えますが、確証はありません。白砂に石を用いないのが特徴で、丸いサツキの刈り込みも、向かって右から七、五、三と配されています。いわゆる「七五三式」の枯山水の庭です。

 

 本堂である方丈の縁側の端の杉戸を見ました。かつての絵画が白い胡粉の痕跡のみとなっていました。何の絵だったんだろう、とU氏が言うので、揃って杉戸に近寄りました。

 

「近づいたら余計に分からんぞ、木目ばっかり目立って見えてくる」
「うん」

 

 外側も一応のぞいてみましたが、なにか草木っぽい絵の痕跡が白や黒のシミのように見えたのみでした。

 

 方丈内部の向かって左端の間です。御殿建築でいう上の間の空間にあたります。正伝寺に移築した際に中央に仕切りを入れて襖を入れたようで、欄間や天井にもかなりの改造や修理が加えられているのが見て取れました。伏見城にあった頃とは空間構成からして異なっているようです。

 

 ですが、いま東面する上図の縁側は、伏見城のいわゆる「血天井」がはめ込まれている他は改造の痕跡が見当たりませんでしたから、この廊下と軒先の外観はおそらく伏見城の殿舎のそれを保っているものと思われます。

 

 この本堂は、寺伝によれば、もとは伏見城本丸の御殿の御成殿であった建物で、伏見城の廃城後に南禅寺塔頭金地院に移築されて小方丈として使用されました。それがが承応二年(1653)に再び移築されて、南禅寺派の正伝寺の本堂とされ、現在に至っています。
 内部の障壁画は、作風等から狩野山楽一派の筆と推定され、国の重要文化財に指定されています。廊下のいわゆる「血天井」は、伏見城の戦いで伏見城が落城する際に自刃した鳥居元忠らの血痕が残った廊下の板を用いたものと伝わっています。

 なお、正伝寺には御成殿とは別にもう一棟、御前殿であった建物が伏見城より移築されたといいます。その建物は正伝寺にて仏堂として使用されましたが、寛文六年(1666)に新たに建て直されたということです。その建物を、明治二十三年(1890)に東山の長楽寺が購入して移築し、本堂として現在に至っています。  (続く)

 


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