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雑感の100回目に『考えるヒント』を読んでみた

2009年09月23日 | 雑感

このブログのカテゴリーのひとつである、「雑感」がついに三桁の100に達します。と大仰に言うことでもないのですが、少なからずブログを書くときは”考えている”ので、現代の古典とも言うべき、小林秀雄『考えるヒント』を読んでいます。

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現代の合理主義的風潮の乗じて、物を考えている人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考えることだと思い違いしているように思えるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。(中略)。物を考えるとは、物を掴んだら話さぬということだ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じことだ。

文藝春秋昭和34年10月号「良心」
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”当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。”
これはまさに、土砂新法基礎調査のYRゾーンの設定法と同じようなことです。ひとつの定式いよって範囲を決めてしまえば、調査者による見解の相違もなくワンクリックで設定できるため、人が現場を歩き回るよりは”能率的”な調査ができるであろうという発想からでてきたものです。その発想自体は”考えた”結果ですが、その後(地形発達史的背景とか土地利用の履歴など)なにも考える必要がないのです。”つもり”という言葉を”積もり”と漢字で表現されていましたが、このごろ”見積もり”意外にあま使われません。”考える”ということが、その程度になってしまったのでしょうか。

”物を考えるとは、物を掴んだら話さぬということだ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じことだ。”
私の周りにはひとつの露頭をみて何時間も議論を戦わせる人がいます。私だって空中写真をみてその議論に参加することがあります。そのときは、その場所の地形・地質の成り立ちについて、場合によっては何億年分のモデルと対峙しているわけです。もちろん得心の行くまでです。実際これほどたのしいことはないのですが、最近ではこのような行動は”オタク”と評されることが多いように思います。生産とは”即物的”なことだけではなく、その裏の知的生産を”見える化”しなければ、アピールできない時代でもあるでしょう。


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