源ザの独り言日記

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夜雷鳴続く、東証荒い値動き、名門アパレル大手の「レナウン」消滅

2024-08-07 20:18:21 | Weblog
朝のストレッチから雨雲に覆われていた。朝食後、急に雨が短時間落ちてきて大慌てで上掛けを取り込んだが1分もたたないうちに日差しが出てくる目まぐるしい天気にとなった。午前中自転車で出かけ、徒歩で「まなびいプラザ」に出かけ、帰り際GSCにより職pannを買い帰宅した。午後はTVでパリ五輪を見て、一休み。ところが17時まで目が冷めず大慌てで図書館に徒歩で出かけ、夕刊1紙を読むのが精一杯となった。帰宅時小雨になっていて仮ガサでSCで牛乳を掻い帰宅した。夕食後、近くの公園で夜のストレッチ。帰宅すると雷鳴が続き、千葉県内は銚子地方気象台によると、県内全域で落雷の恐れがあるほか、北西部では、低い土地の浸水や河川の増水が発生する恐れがある。▽千葉県北西部=雷注意報、大雨注意報、洪水注意報、千葉県北東部=雷注意報 ▽千葉県南部=雷注意報また、8日までの間に大雨警報を発表する可能性があるとしている。夜のTVニュースで東松山周辺が集中豪雨で道理が冠水しているという。
(東証荒い値動き)
7日の東京株式市場は、荒い値動きとなっている。日経平均株価(225種)は取引開始直後に下げ幅が900円を超えたが、その後は値下がりした株を買い戻す動きが強まり、急速に持ち直し一時は1174円(3.4%)高の3万5849円まで上昇し。日経平均株価の終値、前日比414円(1.2%)高の3万5089円で取引を終えた。値動きは異例の激しさとなった。朝方は冷え込んでいた相場の雰囲気が一転するきっかけとなったのが、午前10時半すぎに伝わった日銀の内田真一副総裁による「当面、現在の水準で金融緩和をしっかり続ける必要がある」と発言し「ハト派」発言が買いの材料となった。市場では、「好決算銘柄を物色する動きが下支えしているものの、変動の大きい相場は続きそうだ」(大手証券)との見方がある。前日の米株式市場で主要株価指数がそろって上昇したものの、一部のハイテク株が大幅下落した影響もあり、東京市場でも半導体関連銘柄の一部が売られた。円高が進んだ影響で、自動車や機械など輸出関連銘柄も値下がりした。一方で、今週5日までの下落局面で値下がりした銘柄を買い戻す動きも広がり、商社や銀行株などが値上がりした。
(大気不安定で局地的な大雨被害)
湿った空気の影響で日本列島は7日も広い範囲で大気の状態が非常に不安定になり、局地的な大雨が相次いだ。福島県や埼玉県では各地で猛烈な雨になったとみられ、記録的短時間大雨情報が出た。気象庁は8日も北日本と東日本を中心に、土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水・氾濫に警戒を呼びかけた。気象庁によると、7日午後、レーダーによる解析で、福島県の喜多方市や猪苗代町などで1時間に約100㍉、埼玉県のときがわ町で1時間に約120㍉、鶴ケ島市、東松山市などで約100㍉の雨が降った。1時間50㍉の非常に激しい雨となる場所も続出。埼玉県に記録的短時間大雨情報を出した。7日未明に東京都青梅市と浜松市中央区、午後には北海道和寒町や盛岡市、山形県大江町、群馬県館林市などで記録した。地表付近では南から暖かく湿った空気が流れ込み、上空には寒気が入っているため、大気は非常に不安定な状態が続いている。北日本や東日本を中心に積乱雲が発達しやすく、8日も警報級の大雨となる可能性がある。埼玉県新座市の東武東上線志木駅南口で局地的な大雨が降っているという。
(名門アパレル大手の「レナウン」消滅)
東京商工リサーチは11日、令和4年11月に東京地裁から破産開始決定を受けたアパレル大手の「レナウン」が年内にも消滅するとの見解を示した。同社の財産をお金に換えて債権者に分配する配当は、今年8月中旬に3回目を実施して終了することを破産管財人から確認。その後、破産手続きが終結し、年内にも法人としての「レナウン」は消滅する見通し。1902年に創業した名門企業が、歴史に幕を下ろす。確定している普通破産債権(別除権付債権を除く)は73億6564万円。このうち、今年8月中旬に予定される第3回の配当を含めた累計46億6902万円が債権者に分配される。破産債権の配当率は63.3%となる。一方で、親会社である中国の繊維大手、山東如意科技集団は「レナウン」の売掛金約53億2400万円を回収できるめどが立っていないという。「レナウン」は、高度成長期やバブル期に紳士服の「ダーバン」や英国発祥の高級ブランド「アクアスキュータム」などで売り上げを伸ばし、昭和44年に東証1部に上場。その後は景気の悪化や安価なファストファッションの台頭などで売り上げが激減し、平成22年に山東如意科技集団の傘下となり再建を進めた。その後も新型コロナウイルス禍の影響で主力の百貨店向けの売り上げが伸びず、令和4年に破産手続きに入った。