源ザの独り言日記

日々あったこと、感じたことを気軽に書き込みます。

脹脛筋肉疲労、在来線特急「サンダーバード」と「しらさぎ」運行終了、米・琉球国王の肖像画「 御後絵おごえ 」沖縄返還

2024-03-15 22:10:31 | Weblog
日にちが変わる0時過ぎ少々強い地震で飛び起きた。朝のストレッチから快晴なれど冷え込む1日となった。今朝は左足の脹脛筋肉疲労で不安定な歩行となったが「まなびいプラザ」に開館の9シ時ジャストに到着して驚いた。帰宅途中ババから携帯に突然、仲間に印西のGHCに誘われたとのことで、昼食は大好きな「牛丼レス」を目指したが、歩行距離が半分のGSC2階の「サイゼリア」に変更した、4年ぶり。ハンバーグランチは税込み600円と値上がりしていたが歩行に不安を抱えた身としてはベターな判断だった。帰宅して認知症対策の株式投資の状況を見て2銘柄の損切を行った。結果は3万5戦ほどの損失。午後は一息ついて15時過ぎ「図書館」に出かけ早めに体感してSCでバナナを買い込み帰宅すると、庭先に肥料2袋とデポコンの苗木置いてあり、デポコンの苗木はプレゼントで植え込む場所に困っているとのこと。夜のストレッチは今宵も釜形の月が輝いる。
(在来線特急「サンダーバード」運行終了)
北陸新幹線金沢―敦賀間の延伸開業に伴い、金沢方面と大阪を結ぶ在来線特急「サンダーバード」が15日、敦賀以北の北陸エリアでの運行を終えた。JR金沢駅では午後8時6分発の「しらさぎ66号」は1番線から発車、その41分後、2番線から最後のサンダーバード50号が「出発」して同駅発としての最後の運転をした。60年間、北陸と関西、名古屋を結んだ列車を多くの鉄道ファンらが見送った。
午後8時47分、金沢発の最終列車「サンダーバード50号」が出発。ホームは鉄道ファンらの拍手に包まれた。1964年に「サンダーバード」の前身の特急「雷鳥」と「しらさぎ」がデビュー。「特急街道」と呼ばれた北陸線の代表格だった。 
サンダーバードは大阪と富山を結ぶ特急「雷鳥」の後継として1995年に運行を開始。2011年に雷鳥から完全に移行した。 

(米・琉球国王の肖像画「 御後絵おごえ 」沖縄返還)
沖縄県は15日、太平洋戦争末期の沖縄戦で行方不明となっていた文化財が米国で見つかり、およそ80年ぶりに県の元へ戻ったと発表した。現存しないと考えられている琉球国王の肖像画「 御後絵おごえ 」とみられる絵画6点が含まれており、専門家は「国宝に匹敵する価値の高い資料だ」としている。御後絵は戦火で失われたとされていたが、県によると、沖縄戦の後、米国に持ち出された可能性が高いという。
 第18代尚育王の御後絵とみられる絵画は縦横150㌢超の掛け軸の中央には、鮮やかな衣装を身にまとった国王がひときわ大きく描かれている。県は2点について「第13代尚敬王」(在位1713~51年)と「第18代尚育王」(同1835~47年)のものと判断した。県は2001年、米連邦捜査局(FBI)の「盗難美術品ファイル」に登録を申請。昨年3月に発見の連絡が入った。流出の経緯や見つかった場所などはわかっていない。 沖縄県立博物館・美術館の平川信幸主任学芸員(琉球絵画史)の話 「御後絵は当時の最高級の技術や顔料を使って王府の絵師が描いたもので、琉球王国とその美術についての解明につながる可能性がある。
太平洋戦争末期の沖縄戦で所在不明になり、米国で発見された琉球国王の肖像画「御後絵(おごえ)」などについて、米連邦捜査局(FBI)が公式PHで発見の経緯を明らかにした。御後絵が描かれた掛け軸は、米マサチューセッツ州の退役軍人の民家屋根裏部屋に隠されており、退役軍人の死後、家族が発見したという。美術品盗難や略奪の専門捜査チームを持つFBIによると、退役軍人は第二次世界大戦に従軍したが、太平洋地域に出征したことはなかった。死後、遺品を整理していた家族から「変わった物品を発見した」との通報があり、FBIは2023年1月に捜査に着手。掛け軸や陶磁器、古地図など22点は一緒に見つかった手紙の記述から、大戦末期に略奪された文化財と裏付けられ、今月14日に沖縄県に返還された。この退役軍人が所有していた経緯は明らかになっていない。沖縄戦の混乱期に米軍などによって持ち去られたとみられる美術品や文化財を巡っては、00年の九州・沖縄サミットをきっかけに米国務省が捜索を支援。県教育委員会は01年に琉球国王の御後絵や王冠など13点についてFBIに捜査を要請し、FBIは盗難美術品ファイルに登録した。今回見つかった琉球国王の第13代尚敬王と第18代尚育王の御後絵もこのファイルに登録されており、退役軍人の家族もファイルを確認して通報したという。ファイルには他の御後絵や国王の王冠、皮弁服(儀礼装束)も登録されており、FBIはさらなる情報提供を呼びかけている。