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昼にテレ東で『カサンドラ・クロス』を放送していた。録画したが、この映画は子どもの頃に『ジョーズ』の次に感激した作品なので、逆にあまり真面目に語りたくないという想いが強い。無邪気な気分のままにしておきたい作品があるのである。でも、実際のところ、かなりシリアスな内容なのだ。
監督のジョージ・P・コスマトスは1976年の公開時の記事で、ニコラス・ローグの美学重視志向を批判、自作『カサンドラ・クロス』を「娯楽映画の要素を満載」の作品としつつ、「これは、はっきり言って政治的な映画です」とし、『Z』『告白』などで知られたフランスの社会派エンターテインメント監督コスタ・ガブラスを引き合いに出している。
「何をかくそう、私の体験から生まれてきたものなのです」と語るコスマトスは、幼年時代をエジプトで過ごし、「その時、エジプトの街にコレラが発生し、やがて、この疫病の魔手は全市内を覆ってしまったのです。私はこの時、疫病というものは爆弾と同じように、全世界を抹殺することが可能な恐ろしいものなんだな、という事実、それが現代にも存在するという事実に気づいたわけです」「この映画の影の主役は、疫病をもたらすバクテリアですが、アメリカ以外にも、現実に細菌実験を行なっている国があるのです」と語る。
幼年の恐怖体験とそこで得た感慨をベースに本作を構想し、同時に、映画は大衆に向けられるべきと考える彼は、「プライベートな思考のために作られた映画というのは、私には敵です。」と豪語。当時の近作としてスピルバーグの『激突!』がベストだと語り、なるほど『カサンドラ・クロス』はスピルバーグの成功に続こうと気持ちの分かる趣向の作品だが、人生はままならぬもので、実際のところ、その後コスマトスは失速。スピルバーグどころか当然ローグの足元にも及ばず、『ランボー/怒りの脱出』『コブラ』など大ざっぱなアクション映画ばかりをつくることになった。
だが、僕にとって『カサンドラ・クロス』は冒頭シークエンスを含む数シーンの印象だけでもあまりにも鮮烈でどうにも忘れがたい作品である。公開時は幼く、政治性などひとつも分からなかったが、怖かったし非常に興奮もした。白い防護服に身を包んだ男たちが夜闇に浮かび上がる映像の無気味さに目が釘付けになったが、そうした感覚を観る者に与え得たことこそ、幼いコスマトスが経験した恐怖感の賜物ではないか。また、『カサンドラ・クロス』は疾走する列車のなかで展開する物語であり、そのスピード感が幼い僕を夢中にさせた要素のひとつである(5年後に『マッドマックス2』で再度、疾走の興奮を味わうことになるが、かつての世代が『駅馬車』に興奮したように、これは映画の原初的形式のひとつなのだ)。
とにかく、たった1本の映画を人の記憶に焼きつけることも至難なのであり、コスマトスは本作を1本残し得ただけで十分偉い監督なわけだ。そして、同じカルロ・ポンティ製作、R・バートン、M・マストロヤンニ主演の『裂けた鉤十字/ローマの虐殺』(1973年)という「新作」を、いつか観る機会が訪れる日を楽しみしているのである。(渡部幻)