真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

アメリカ映画のジャーナリズム魂――『大いなる陰謀』と『フロスト×ニクソン』

2015-11-10 | 映画
 

 近年のロバート・レッドフォード監督作はいい。リンカーン暗殺事件を描いた『声をかくす人』(10)、ベトナム反戦を訴えた実在の過激派ウエザーマンの現在を描いた『ランナウェイ/逃亡者』(12)は、いずれも地味ながら興味深い主題を持つ作品で、70年代の政治の季節に『候補者ビル・マッケイ』(72、マイケル・リッチー)や『コンドル』(75、シドニー・ポラック)、そして『大統領の陰謀』(76、アラン・J・パクラ)に出演して時代と併走したレッドフォードらしい問題提起とその生真面目さが、いまあらためて貴重に感じられる。

   

 2007年の『大いなる陰謀』は、イラク戦争真っ只中のブッシュ政権時に公開された、過小評価されている作品である。原題は Lions for Lambs 。第一次大戦の時にあるドイツ兵がイギリス歩兵を讃えて、彼らを何万も死なせたイギリス司令部をバカにして記した――「ライオンが羊に率いられている」が由来で、イラク戦争時のアメリカに例えている。この国の政策とメディア、教育、そして戦争の関係にメスを入れるディスカッション・ドラマとして8年後のいまも普遍性があり、現在の日本に照らし合わせて考えさせる力には、シドニー・ポラックやアラン・J・パクラが70年代につくったリベラルな社会派エンターテインメントの良き血筋を感じさせる。

  

 ディスカッション・ドラマということで言えば、ロン・ハワードの『フロスト×ニクソン』(08)もそうだ。『大いなる陰謀』が三つの主題についての複数の対話を同時進行で絡めたフィクションなのに対し、こちらはウォーターゲート事件発覚後の1977年に実放送されたイギリス人司会者リチャード・フロストによるリチャード・ニクソン大統領のテレビ・インタビューの実話をもとに、その背景を描いている。ニクソンによる民主党本部盗聴事件など、世界中を傍受している現在では、大した問題に見えないかもしれないが、そこに本作の眼目があるのだろう。思わずニクソンとブッシュを比較してしまうが、いまの日本の問題でもある。そんな本作が優れているのは、ニクソンという「人間」を決して裁いてはいない点だ。『大いなる陰謀』もそうだが、単純な勧善懲悪の物語ではなく、その抑制がいいし、考えさせる部分だ。

    

 ニクソンを演じた俳優が正確に何人いるのかは知らないが、『名誉ある撤退/ニクソンの夜』(84、ロバート・アルトマン)のフィリップ・ベイカー・ホール、『ニクソン』(オリヴァー・ストーン)のアンソニー・ホプキンスが印象に残っているが、『フロスト×ニクソン』のフランク・ランジェラもまた、先の二人とは違った形で、米史に残る「悪役ニクソン」に人間としての尊厳を与えて見事であり、同じことは反ニクソン派だったアルトマンやストーンの演出姿勢に対しても言える。
 因みに、ランジェラはベテランだが、老いていよいよ貫禄の名優。まったく異なる役柄だが、『素敵な相棒/フランクじいさんとロボットヘルパー』(12、ジェイク・シュライヤー)でも絶品の味を見せていた。

 たまたまこの2本を再見したのだが、両作には決定的なつながりがある。レッドフォードは、ニクソンを辞任に追い込んだワシントンポスト紙の記者ウッドワードとバーンスタインを描いた『大統領の陰謀』の出演者というだけでなく仕掛け人でもあるのだった。
 しかし、こういうジャーナリスティックな映画を、何十億かけたエンターテイメントとしてつくりあげることができるアメリカ映画界の凄みを感じないわけにいかない。勿論、実現は一筋縄でいかないだろうが、それでも、対等な対話=対決や白熱した議論の機会と表現の可能性を信じる土壌が存在しなければ、辛うじてでも、成立しえないだろう。過去の人間の振る舞い、美術、衣装など様々な要素からなる時代の空気管を再現する映像力もそうだが、いまの日本映画はその点でいかにも寂しいのである。これはどうにも仕方のないことなのであろうか。(渡部幻)

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30周年の『未来世紀ブラジル』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』~80年代後半アメリカ映画の傾向

2015-10-26 | 映画
 

 世間では、1985年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』30周年の話題が語られている。正確には、89年の『2』に描かれた「2015年」と現在を比較する話題なのだが、この影に隠れてると思うのが、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』(85/日本公開は86年)だ。
 近未来の超管理社会を舞台に、個人性の剥奪と自由の希求、テロリズムと飛翔願望をドス黒い風刺と共に描破する悪夢の造形美術。そんな『ブラジル』が予見した悪夢の未来こそ実は「いまっぽい」のではないか。21世紀は『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』が描いた2015年は、まるでつくば万博(1985年だ)かユニバーサル・スタジオやディズニーランドにでもありそうなテーマパーク。つまり「楽しい未来」で、視角的には『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』に登場する「未来像」がテーマパーク的な清潔さにおいて「いま」に近いかもしれないが、いまの内実はテロ対策と称した管理体制ばかりが進んでちっとも「楽しく」はない。
 だから『ブラジル』の30周年にも注目してあげたいわけで、今年はギリアムの新作『ゼロの未来』が観れたけども、どういうわけかあまり印象に残らなかったし、『ブラジル』は多分、もう2度と再現出来ないだろうギリアムのアナーキーな空想力が最も美しく羽ばたいた異能の大作だったのだから。



 『ブラジル』は、ロバート・アルトマンの『バード★シット』(70)との繋がりも見られる。が、いかにも70年代初頭的な『バード★シット』の飛翔願望とその失墜と比較したとき、『ブラジル』に描かれた極度の閉塞状況はやはり80年代に似つかわしかったと思える。なぜなら、81年に『ニューヨーク1997』があり、82年に『ブレードランナー』、84年にジョージ・オーウェルの小説をマイケル・ラドフォードが映画化した『1984』が公開されたあと真打ち的に登場してきたからだ。アルトマンのカラフルなポップアートは閉塞は閉塞でも笑いのめして打ち破らんとする不遜で軽やかなエネルギーが横溢していたが、スコットやギリアムのそれはより重たく、うんざりするほど辛気臭く、よって絶望的だった。
 絶望を絶望として認識し、誇張された想像力を駆使し表現することこそ、レーガンの能天気で非現実的な政治観、社会観、世界観を前にした表現者たちに出来る唯一の抵抗術だったのかも知れない。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『未来世紀ブラジル』は対照的な未来映画で、前者がすこぶる陽性であるのに対して後者は陰性。『ブラジル』が提示する未来は悪夢そのもの、なにか悪い冗談でも見ているかのようなブラックユーモアが横溢する作品であった(その点でキューブリックの先駆的な『時計じかけのオレンジ』を連想する)。


 

 80年代は光と影のコントラストで、その落差があまりにもハッキリしているのでその性格が分かりやすい(その分かりやすさゆえに分かりにくくもあるところが面妖な時代だ)。

 日本では85~86年のあいだに公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『未来世紀ブラジル』が示した個性の落差はあまりにも大きく、ゆえに鮮烈な印象だった。82年の『E.T.』と『ブレードランナー』の好対照を思わせる。翌86年の『トップガン』(トニー・スコット)と『プラトーン』(オリヴァー・ストーン)もそうだが、いかにもロナルド・レーガン政権時代の80年代を代表する2本の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマイケル・J・フォックスと『トップガン』のトム・クルーズが、大スターの座につくとそれぞれ、むしろアンチ・レーガンのシリアスなベトナム戦争映画『カジュアリティーズ』(89、ブライアン・デ・パルマ)と『7月4日に生まれて』(89、オリヴァー・ストーン)にも出演したことも興味深い出来事だった(80年代における60年代的なるものとはベトナムだった)。単なる賞狙いや批評家への目配せと捉える向きもあったが、『プラトーン』に出たチャーリー・シーンなど逆に『メジャーリーグ』(89)みたいなコメディでヒットを飛ばすわけで、この時代はスターは映画的・政治的な左右(=光と影)のバランスに目配せして出演作を選んでおく必要があったのかもしれない。

 80年代半ばはベトナム戦争終結から10年ほどで、あらためてあの戦争を検証する機運が出てきていた。そんななか「ベトナム戦争映画」は流行のひとつとなり――米兵によるベトナム人少女強姦殺人事件を題材にした『カジュアリティーズ』を除けば――興行的な成功を収めていたし、別の言い方をすれば、いずれも明暗のハッキリした分かりやすい作品であり、その限りにおいて受け入れられることも多かった。(ちなみに86年の年間ボックスオフィス・チャートの1位は『トップガン』、2位は『クロコダイル・ダンディ』、3位は『プラトーン』である。当時『プラトーン』は「プラトーン現象」と呼ばれる大ロングラン作となった)。

 

 そんな80年代という時代には、例えばロバート・アルトマン的な「灰色の世界」が馴染まなかったのも致し方ないことであった。マイケル・チミノの『天国の門』(80)がユナイテッド・アーティスツ社を倒産に追い込んで以来、ほとんどの70年代ニューシネマ勢の監督が失速、ハリウッドは保守化して、アルトマンは『ポパイ』(80)以降パリに移住、マイク・ニコルズはうまくハリウッド風を取り込み、アーサー・ペン、ボブ・ラフェルソンらはうまく転向出来ないまま低調な作品づくりに終始、サム・ペキンパー、ハル・アシュビー、ボブ・フォッシー、ジョン・カサヴェテスは80年代の後半にみな死去した。

 そして冷戦が終結し、左右、白黒が曖昧で捉えどころない90年代が始まると、途端にアルトマンが復活してきたのも、また分かるような気がする。『ショートカッツ』(93)を代表とするアルトマンの白茶けて曖昧な奥行きを欠いた画面空間というか世界観が、改めてリアリティを増してきたと感じられたものである。
 逆に90年代はテリー・ギリアム的な造形美学に凝りまくる大がかりな悪ノリの方向がちょっと馴染まなくなってきて、もっとゲリラ的な安いやり方で、白茶けて刹那的な日常を日常のまま細切れにして異化することのできる悪ノリの才能が求められてくる。例えば、クエンティン・タランティーノやポール・トーマス・アンダーソン、日本なら北野武や黒沢清の観念的な暴力映画に日常感覚のリアリティを感じる、そういう時代が始まったのである。


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『ヘヴィ・メタル』のSF遊戯――アメリカン・モダン・アニメーションのデザイン感覚 

2011-06-08 | 映画























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少女と動物の不思議の国 ルイ・マルの『ブラック・ムーン』のフレンチ・シュールリアリズム

2011-06-08 | 映画




















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akila berjaoui の秘密の屋敷で待つ女たち

2011-06-08 | 映画















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ブリジット・バルドー 海と濡れた女とシネマスコープ

2011-03-26 | 映画

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光・・闇・・都市・・孤独・・狂気・・男・・女・・フィルムノワール・・アメリカの映像 【1】

2011-02-27 | 映画































































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光・・闇・・都市・・孤独・・狂気・・男・・女・・フィルムノワール・・アメリカの映像 【2】

2011-02-27 | 映画












































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光・・闇・・都市・・孤独・・狂気・・男・・女・・フィルムノワール・・アメリカの映像 【3】

2011-02-27 | 映画







































































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2010年12月31日(28日)・・女優・・・高峰秀子

2010-12-31 | 映画



成瀬巳喜男監督 「浮雲」



成瀬巳喜男監督 「女が階段を上る時」

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バズビー・バークレーの魔術的なデザイン感覚

2010-08-24 | 映画







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ナタリー・ポートマンが演じたストリッパー。「クローサー」は彼女の最高作。

2010-06-01 | 映画


 マイク・ニコルズの「クローサー」は“ニコルズ的”な作品だった。彼は、「卒業」「愛の狩人」「ウルフ」などで性の混乱をシニカルなブラックユーモアで描いてきたが、『イルカの日』『ワーキング・ガール』『ブルースが聞こえる』など大衆的な作品もあり、『バージニア・ウルフなんか怖くない』『キャッチ22』などアクの強い作品をつくることもある。こちらが本領なのだろうし、『クローサー』もまたこちらに属する作品である。好みは分かれるだろうが、僕は気に入ってる。理由はナタリー・ポートマンにある。ジュリア・ロバーツ、ジュード・ロウ、クライブ・オーウェンら実力派揃いの共演者のなかで、ニコルズは彼女から演技力以上の魅力を引き出した。個人的にこれまでポートマンになにか感じたことがなかったのだが、この作品の役柄は新境地であり、例外であった。どこか固い印象の強い彼女が、ここでは、美少女の憂いと陽性さの共存を実感を込めて体現し、非現実的かつ幻想的で清潔感のあるエロティシズムを披露している。

上はストリッパー役を演じる彼女の幻のヌード・シーン。
下は劇中でクライブ・オーウェンを挑発する謎めいたシーンから。





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写真家Peter Lindebarghによる「俺たちに明日はない」(HARPERS`BAZZER)

2010-05-05 | 映画




「俺たちに明日はない」はアーサー・ペン監督が「エスクワイア」の記者ロバート・ベントンとデヴィッド・ニューマンの二人が書いた脚本を映画化した伝説的傑作。フェイ・ダナウェイとウォーレン・ビーティを主演、ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ、マイケル・J・ポラードが脇を固める。大恐慌時代に実在したギャング“ボニーとクライド”を描いたアメリカン・ニュー・シネマの代表作で超スローモーションで描かれる87発の射殺シーンは見たものの脳裏から離れない。
そんな名作を写真家Peter LindebarghがAnna SeleznevaとWes Bentleyで写真にして発表した。
映画でフェイ・ダナウェイが演じたボニー役のファッションは67年当時話題になり“ボニー・ルック”としてもてはやされたことを思えば、43年の時を越えてまた取り上げられたのも、なるほどである。




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映画を変えた傑作中の傑作。アーサー・ペンの「俺たちに明日はない」の衝撃!

2010-05-05 | 映画








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「マンハッタン」 ウッディ・アレンの最も美しいニューヨークへのモノクローム・オマージュ

2010-04-10 | 映画

 




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