真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

1972年「プレイボーイ」誌のお洒落なクリント・イーストウッド

2015-10-30 | 雑感
 

1972年の「PLAYBOY」誌に掲載されたクリント・イーストウッド。この写真は日本で発売された40周年アニバーサリー版で知ったのだが、お洒落なイーストウッドというコンセプトが新鮮で、いつもこの号が欲しいと思っていた。

ところで、米「PLAYBOY」がヌードの掲載をやめると聞き、調べると、すぐに朝日の記事が出てきた。「デビッド・ハルバースタム氏は著作で「セックスが隠れて求める暗いものではなく、楽しむものだという考えを広めた」」とあるが、そうだろうと思う。しかし、さらに時代は変わるのである。

2011年の「ニューズウィーク日本版」に「プレイボーイ・クラブの虚像と実像」という記事が掲載されている。筆者は、気鋭のコラムニストであり、『シルクウッド』『恋人たちの予感』などの脚本家であり、映画監督としても有名なノーラ・エフロン。彼女は次のように書いている。
「ヒュー・ヘフナーという人物がまだ消えていないことを、私はずっと不思議に思っている。(略)彼がつくったものはとっくに20世紀の中古品ショップに放り込まれた」
もっとも、エフロンが「中古品ショップに放り込まれた」と書いているのは、ヒューヘフナーが築きあげたプレイボーイ・クラブ、バニーガール、バンパーステッカー、Tシャツなどであり、ヘフナー帝国とその黄金時代である。朝日の記事がここで考えているのは「雑誌」がヌードを呼び水にし、いい意味でも悪い意味でも人の価値観を変えた「黄金時代」の終焉のほうである。

イーストウッドの「プレイボーイ」フォトはもちろんヌードではなく、むしろファッション写真なのだが、ヘフナーの考える「いい男といい女」の理想像が提唱されており、その先には「ヌード」があり、当然「セックス」が待っているというわけだ。確かにこの「理想イメージ」は過去=20世紀のもので、それなりの距離を感じさせるかも知れないが、だからこそ今あらためて眺めていると「おもしろい」のである。(渡部幻)

  

30周年の『未来世紀ブラジル』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』~80年代後半アメリカ映画の傾向

2015-10-26 | 映画
 

 世間では、1985年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』30周年の話題が語られている。正確には、89年の『2』に描かれた「2015年」と現在を比較する話題なのだが、この影に隠れてると思うのが、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』(85/日本公開は86年)だ。
 近未来の超管理社会を舞台に、個人性の剥奪と自由の希求、テロリズムと飛翔願望をドス黒い風刺と共に描破する悪夢の造形美術。そんな『ブラジル』が予見した悪夢の未来こそ実は「いまっぽい」のではないか。21世紀は『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』が描いた2015年は、まるでつくば万博(1985年だ)かユニバーサル・スタジオやディズニーランドにでもありそうなテーマパーク。つまり「楽しい未来」で、視角的には『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』に登場する「未来像」がテーマパーク的な清潔さにおいて「いま」に近いかもしれないが、いまの内実はテロ対策と称した管理体制ばかりが進んでちっとも「楽しく」はない。
 だから『ブラジル』の30周年にも注目してあげたいわけで、今年はギリアムの新作『ゼロの未来』が観れたけども、どういうわけかあまり印象に残らなかったし、『ブラジル』は多分、もう2度と再現出来ないだろうギリアムのアナーキーな空想力が最も美しく羽ばたいた異能の大作だったのだから。



 『ブラジル』は、ロバート・アルトマンの『バード★シット』(70)との繋がりも見られる。が、いかにも70年代初頭的な『バード★シット』の飛翔願望とその失墜と比較したとき、『ブラジル』に描かれた極度の閉塞状況はやはり80年代に似つかわしかったと思える。なぜなら、81年に『ニューヨーク1997』があり、82年に『ブレードランナー』、84年にジョージ・オーウェルの小説をマイケル・ラドフォードが映画化した『1984』が公開されたあと真打ち的に登場してきたからだ。アルトマンのカラフルなポップアートは閉塞は閉塞でも笑いのめして打ち破らんとする不遜で軽やかなエネルギーが横溢していたが、スコットやギリアムのそれはより重たく、うんざりするほど辛気臭く、よって絶望的だった。
 絶望を絶望として認識し、誇張された想像力を駆使し表現することこそ、レーガンの能天気で非現実的な政治観、社会観、世界観を前にした表現者たちに出来る唯一の抵抗術だったのかも知れない。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『未来世紀ブラジル』は対照的な未来映画で、前者がすこぶる陽性であるのに対して後者は陰性。『ブラジル』が提示する未来は悪夢そのもの、なにか悪い冗談でも見ているかのようなブラックユーモアが横溢する作品であった(その点でキューブリックの先駆的な『時計じかけのオレンジ』を連想する)。


 

 80年代は光と影のコントラストで、その落差があまりにもハッキリしているのでその性格が分かりやすい(その分かりやすさゆえに分かりにくくもあるところが面妖な時代だ)。

 日本では85~86年のあいだに公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『未来世紀ブラジル』が示した個性の落差はあまりにも大きく、ゆえに鮮烈な印象だった。82年の『E.T.』と『ブレードランナー』の好対照を思わせる。翌86年の『トップガン』(トニー・スコット)と『プラトーン』(オリヴァー・ストーン)もそうだが、いかにもロナルド・レーガン政権時代の80年代を代表する2本の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマイケル・J・フォックスと『トップガン』のトム・クルーズが、大スターの座につくとそれぞれ、むしろアンチ・レーガンのシリアスなベトナム戦争映画『カジュアリティーズ』(89、ブライアン・デ・パルマ)と『7月4日に生まれて』(89、オリヴァー・ストーン)にも出演したことも興味深い出来事だった(80年代における60年代的なるものとはベトナムだった)。単なる賞狙いや批評家への目配せと捉える向きもあったが、『プラトーン』に出たチャーリー・シーンなど逆に『メジャーリーグ』(89)みたいなコメディでヒットを飛ばすわけで、この時代はスターは映画的・政治的な左右(=光と影)のバランスに目配せして出演作を選んでおく必要があったのかもしれない。

 80年代半ばはベトナム戦争終結から10年ほどで、あらためてあの戦争を検証する機運が出てきていた。そんななか「ベトナム戦争映画」は流行のひとつとなり――米兵によるベトナム人少女強姦殺人事件を題材にした『カジュアリティーズ』を除けば――興行的な成功を収めていたし、別の言い方をすれば、いずれも明暗のハッキリした分かりやすい作品であり、その限りにおいて受け入れられることも多かった。(ちなみに86年の年間ボックスオフィス・チャートの1位は『トップガン』、2位は『クロコダイル・ダンディ』、3位は『プラトーン』である。当時『プラトーン』は「プラトーン現象」と呼ばれる大ロングラン作となった)。

 

 そんな80年代という時代には、例えばロバート・アルトマン的な「灰色の世界」が馴染まなかったのも致し方ないことであった。マイケル・チミノの『天国の門』(80)がユナイテッド・アーティスツ社を倒産に追い込んで以来、ほとんどの70年代ニューシネマ勢の監督が失速、ハリウッドは保守化して、アルトマンは『ポパイ』(80)以降パリに移住、マイク・ニコルズはうまくハリウッド風を取り込み、アーサー・ペン、ボブ・ラフェルソンらはうまく転向出来ないまま低調な作品づくりに終始、サム・ペキンパー、ハル・アシュビー、ボブ・フォッシー、ジョン・カサヴェテスは80年代の後半にみな死去した。

 そして冷戦が終結し、左右、白黒が曖昧で捉えどころない90年代が始まると、途端にアルトマンが復活してきたのも、また分かるような気がする。『ショートカッツ』(93)を代表とするアルトマンの白茶けて曖昧な奥行きを欠いた画面空間というか世界観が、改めてリアリティを増してきたと感じられたものである。
 逆に90年代はテリー・ギリアム的な造形美学に凝りまくる大がかりな悪ノリの方向がちょっと馴染まなくなってきて、もっとゲリラ的な安いやり方で、白茶けて刹那的な日常を日常のまま細切れにして異化することのできる悪ノリの才能が求められてくる。例えば、クエンティン・タランティーノやポール・トーマス・アンダーソン、日本なら北野武や黒沢清の観念的な暴力映画に日常感覚のリアリティを感じる、そういう時代が始まったのである。


ネッド・ベンソンの恋愛ドラマ『ラブストーリーズ/2部作』をDVDで観る。

2015-10-17 | DVD
   

 ネッド・ベンソンの『ラブストーリーズ』2部作は拾いものの恋愛映画だ。現代のニューヨークを舞台に、若い夫婦の別れからはじまる物語を、夫と妻それぞれの視点からなる「2本の映画」に仕立てている。いわばイーストウッドの『硫黄島』2部作みたいな感じなのだ。
 立場の異なる者の争いを視点を変えて描くというのは、公平さや平等への意識が高まる「いま」らしい着想であり、これから流行るかも知れない。しかし今後もそれが面白い展開を見せるかは微妙なところだが、とりあえず現状では新鮮である(表現から独断と偏見を奪うのは危険だ)。人と人のすれ違いや諍い、ことに男女のそれは「解決のないミステリー」のようなものだから、つねに闘争を描く映画という表現にはピッタリだ。
 1部「コナーの涙」がジェームズ・マカヴォイ、2部「エリナーの愛情」がジェシカ・チャステインという構成で、個人的には2部目のほうがよいと思うが、当初は1部目のみだったところを監督の友人のチャステインが「女性編」をつくるよう進言したらしい。1部目だけなら大したことはないからチャステインの功績は大きい。

 

 ちなみこの映画、どちらから観てもいいとは思わない。1部目で分からなかった妻の心理が、2部目で見えてくるという構成であり、逆にしてしまうとそういう構成にならず、効果は半減する。DVDの特典に「1本の映画」にまとめたものが入っており、これも観たが、やはり「2部作版」のほうがはるかにいいのだ。
 ジェームズ・マカヴォイはいつもながらの好演だが、くせがなさすぎてサラサラしてしまっている。ジェシカ・チャステインの心理表現のほうに見応えがあり、近作の『アメリカン・ドリーマー』でもそうだったが、彼女は目元と口元、そしてアゴの動かし方ひとつで役の心理状況を伝えてしまう。若き日のメリル・ストリープやジェシカ・ラングを思わせる実力派女優として将来が期待されるひとりだろう。二人の両親役で出ているウィリアム・ハート、イザベラ・ユペール、キーラン・ハインズの芝居もしっとりと落ち着いていて悪くない。

 

 『ラブストーリーズ』は『(500)日のサマー』みたいなコメディではないし、『ブルーバレンタイン』のように鈍痛に襲われるヘヴィな作品でもない。包み込む優しさが身上で、その意味で古典的とも言えるが、そこは「2部作」の利点を発揮して観る人の経験で解釈を変えるであろうおもしろさがある。もしこれをカップルで観て「意見が一致」したとすればそれは赤信号である。本作が描くようにそんなわけはないのだから。しかし「恋愛映画」とはそもそもがそういうものなのであり、だとすると、このつくり方は少々「お澄ましに過ぎる」かもしれない。
 ニューヨークをとらえた撮影がなかなか綺麗そうだったが、劇場でなくDVD鑑賞だったので、ぼんやり画面を頭のなかで修正しつつ観なければならなかった。とはいえ、「★★★」という感じのこうした作品を、たまに観るのもいいものだと思った。
(渡部幻)

アラン・ルドルフこそロバート・アルトマンの一番弟子。PTAじゃない。

2015-10-15 | ロバート・アルトマン
 

「僕は主観的現実(サブジェクティブ・リアリティ)というものがあると思っている」――アラン・ルドルフ (大久保賢一『Switch』ニューロスト・ジェネレーション あらかじめ失われた世代)

 ロバート・アルトマンの一番弟子と言えば、ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)でなくて、アラン・ルドルフである。アルトマンの『ロング・グッドバイ』『ジャックポット』で第二助監督、『ナッシュビル』で助監督、『ビッグ・アメリカン』では脚本を書いた正真正銘の弟子筋。ルドルフの『ロサンゼルス/それぞれの愛』『Remember My Name』『ミセス・パーカー/ジャズエイジの華』『アフターグロウ』『Trixie』は、アルトマンがプロデュースした作品だった。
 2015年日本公開のドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン/ハリウッドでもっとも愛され、嫌われた男』にルドルフが登場しないのが解せなかったものだが、特にトラブルがあったわけでもなさそうである。このドキュメンタリーはアルトマンの妻キャサリンの協力のもとでつくられたが、同時期に出版された、やはりキャサリン監修による豪華書籍『Altman』には、しっかりルドルフも言葉を寄せているのだった。

「確かに僕らふたりともそれぞれの映画で、もうひとつの真実をみつめてきたといえるかもしれない。ただアプローチの仕方はものすごく対照的だと思う。ボブのはどこまでも客観的でみすえるような距離を保つ。一方、僕はもっと主観的、感情的な方法に魅了されてしまうんだ」――アラン・ルドルフ (川口敦子『落ちた恋人たち』パンフレット)

 ルドルフの名が日本の映画ファンの間で知られたのは80年代である。ミニシアターを中心とする代表作といえば、『チューズ・ミー』『トラブル・イン・マインド』、そして『モダーンズ』だろう。アーティスティックかつどこか奇妙なこれら異色作群に出演したキース・キャラダインは、70年代にアルトマンの『ギャンブラー』『ボウイ&キーチ』『ナッシュビル』に出演して脚光を浴び、その後、リドリー・スコットの『デュエリスト/決闘者』やルイ・マルの『プリティ・ベビー』、ウォルター・ヒルの『ロング・ライダース』など曲者監督たちに愛されるようになったが、特有の二枚目だがオフビートな個性の「発見者」がアルトマンで、「発展」させたのがルドルフだったということができるだろう。80年代には、再びヒルの『サザーン・コンフォート』やアンドレイ・コンチャロフスキーの『マリアの恋人』、サミュエル・フラーの『ストリート・オブ・ノーリターン』などの異色作に連続出演。久しく見かけなかったが、近年「テキサス派」の有望株デヴィッド・ロウリーの『セインツ/約束の果て』や、ノア・ハサウェイがコーエン兄弟作品をテレビドラマ化した『FARGO/ファーゴ』で重要な脇を固め、渋い味を披露していた。

   

「アランは、ピカソが自らの作品を説明したようなやり方で世界を作り出そうとしているのだと思う。“芸術とは我々に真実をみせる嘘”とピカソは言った。アランは、そんな風に虚構の世界を組みあげる。ファンタジーといってもいい。が、嘘やファンタジーが真実をより明らかにするように、アランの映画は人間についての真実をみつけ出す。非現実性の中で現実がより明らかになっていく」――キース・キャラダイン (川口敦子『Switch』1990.07)

 ルドルフ作品中もっとも日本で評判を呼んだのは『モダーンズ』だろうか。1920年代のパリのアーティストたちの群像劇がシニカルに繰り広げられる。視線を彷徨わせるような奇妙なカメラワークは「アルトマンゆずり」で、アルトマン作品と同様「ドラマ」よりも「ムード」を重視している。ここでキースは作家アーネスト・ヘミングウェイ風のハードボイルドな贋作画家を演じ、ジョン・ローン、ジェラルディン・チャップリン、ジョヌヴィエーヴ・ヴィジョルドらが出演し、みながみな一風変わった人物を演じる。終盤で、現代ニューヨークのMOMA美術館に「贋作」のマチスが「本物」として飾られている場面に師匠譲りの皮肉が利いた作品だった。

「僕の映画に(それは誰の映画でも同じことだが)現実の似姿としてのリアリティを探そうとしても、それは見つからない。記憶の中にあるもののリアリティと同じように、映画の中のそれは現実に寄り添うものではないのだから」――アラン・ルドルフ (大久保賢一『Switch』ニューロスト・ジェネレーション あらかじめ失われた世代)

 80年代はアルトマンが無視されルドルフが注目されたが、「ルドルフ作品」には「アルトマン作品」にないロマンティシズムがあった。繊細かつ内省的で、人工的かつ都会的なセンスが、一種独特な手触りのセンチメンタリズムとないまぜとなった世界観。その心地よい哀感が人気を博したが、ひとつには彼の音楽センスが貢献していたかもしれない。『チューズ・ミー』のテディ・ベンダーグラス、『トラブル・イン・マインド』のマリアンヌ・フェイスフルが印象に残るが、もっともコンビを組んだ作曲家は『モダーンズ』『メイド・イン・ヘブン』『落ちた恋人たち』などのマーク・アイシャム。彼はのちにアルトマンの『ショートカッツ』も担当している。

   

 ルドルフ作品では「どこかに似てるようでどこにも似ていない」人工的で書割のような架空都市の片隅を、「居そうで居ない」登場人物たちが、得も言われぬ哀感と滑稽さを滲ませながら彷徨い、交錯していく。『トラブル・イン・マインド』に顕著な虚構性は、たとえばウォルター・ヒルの『ストリート・オブ・ファイヤー』と同時代性を感じさせ、そのロマンティシズムは、リドリー・スコットの『ブレードランナー』というより『誰かに見られている』に近い。マイケル・カーティスの古典「カサブランカ」とニューウェーブ的な感性の融合とも言えるが、しかし、彼の世界はヒルやスコットと異なり、いわゆる「ハリウッド調」の明快さが欠片も感じられない。重視されるのは、より微妙かつ繊細な「手触り」のようなものだ。描かれるすべてが、何かの「贋作」であり「パロディ」であるかのような特異な世界観を、文字で説明するのは難しいが、だからこそ異端児アルトマンが評価する「弟子筋」の面目躍如がある。それゆえと言うべきか、ルドルフがその類稀なる個性を、十全に発揮できる機会に恵まれてきたとは言いがたいのだ。

「映画会社のために働いた結果はいつも同じだ。ハリウッドは僕の「眼(アイ)」を好んでいるようだが(だから監督として起用するんだろうが)僕の「眼」が見たもの、つまり出来上がった結果は好みではないようだ。彼らはきまって完成した作品を変えようとする。僕がやろうとしたことを帳消しにしてね。僕が僕であろうとすることを、彼らは好まないのさ」――アラン・ルドルフ (大久保賢一『Switch』ニューロスト・ジェネレーション あらかじめ失われた世代)

 ルドルフ曰く彼の作品は、自らの感性でつくった「フィルム」と、映画会社のためにつくった「ムービー」に分けられる。前者が『チューズ・ミー』『トラブル・イン・マインド』『モダーンズ』『ミセス・パーカー』とすれば、後者は『ローディ』『真夜中の極秘実験』『藍を殺さないで』『メイド・イン・ヘブン』などだが、ルドルフは「未完成の映画作家」であり、そのあやうさがなんとも魅惑的だったが、いまや「忘れられた80年代アメリカ映画作家」の代表選手みたいになっている。理由はわかるようでわかららないが、彼の理解者は、昨今の主流たる「映画オタク」でも「シネフィル」でもなく、むしろ文学や絵画もしくは音楽のファンかもしれない。

 そんな彼のフィルモグラフィーは――師匠アルトマン以上に――傑作、秀作、佳作、そして珍作と凡作が混在している。僕個人の主観で振り分ければ「傑作」は、視覚的に優れた『ロサンゼルス/それぞれの愛』(76)『チューズ・ミー』(84)『トラブル・イン・マインド』(85)『モダーンズ』(88)『ミセス・パーカー』(94)。「秀作」は『アフターグロウ』(97)、「佳作」は『探偵より愛をこめて』(89)『堕ちた恋人たちへ』(92)、「珍作」は『悪魔の調教師』(74)『真夜中の極秘実験』(82)、そして「凡作」は『ローディ』(80)『メイド・イン・ヘブン』(87)『愛を殺さないで』(91)あたりの「ムービー」。そして「がっかり作」だったのが『ブレックファースト・オブ・チャンピオンズ』(99)と『セックス調査団』(01)だった(いまだ『ソングライター』〈84〉を観れてない)。しかしこの振り分けも「気分」で変わってしまいそうで、そうした「曖昧さ」がまた「ルドルフ的」なのだ。ほかの人がほかの気分で選ぶとまた違ってくるだろうが、ただひとつ言えるのは、ルドルフは誰もが傑作と声を揃えられるような作品は「作らない」ということで、ここに「アルトマンの弟子」たる所以があり、決して巨匠になったポール・トーマス・アンダーソンには真似の出来ないところだ。
 
「僕の映画に対してアメリカでも多くの観客がこれはコメディなのか、ここで笑っていいのかみたいな反応を示すんだ。(中略)僕にとってあらゆるものごとはユーモラスで同時にシリアスなんだ。どちらかひとつというのは信用できない。すべての事々はオーヴァーラップしているもので二極分解なんてとてもできないというのが世界に対する僕の見方なんだと思う。(中略)いうまでもなくこの二重性の一例が知ってることと知らないことって部分にあって、西洋では前者をコントロールすることに邁進してきたわけだよね。で、わからないものにでくわすと途端に混乱してしまう。ところが僕の場合はまったく逆で、東洋的だといえるかどうかはともかく不可知の部分にこそ生は根ざしていると思えるんだ」――アラン・ルドルフ (『FLIX』アメリカン・インディーズの肖像)

   

 ちなみに70年代のアルトマン作品を考えるときにもルドルフを意識しておくと、また違った側面が見えてくる。たとえば、アルトマンの『ロング・グッドバイ』には彼の普段の作風と少しばかり趣きの異なるロマンティシズムがあり、ことにロスの夜景描写に顕著なのだが、それが、のちのルドルフ作品『トラブル・イン・マインド』『探偵より愛をこめて』の質感を予見していると感じられる。また、『ビッグ・アメリカン』の人間群像に横溢する間の抜け方や温もりにも「ルドルフ的」なるものがあるのではないか。さらに、アルトマンが一線に復帰するきっかけとなった『ザ・プレイヤー』にはルドルフが彼自身の役で出演し、彼がマーティン・スコセッシと間違われる場面があるのだが、自らをからかうこんなところにルドルフ的なパロディ精神を垣間見てしまう。ルドルフの「傑作」「秀作」を書いたので、ついでにアルトマンのそれも同様に書いてみようかと思ったが、しかし彼の場合あまりにも作品が多すぎて乱脈になるのでやめておこう。

「大半の人はアランが作家として僕の影響をうけたと考えているようだが、事実は逆だね。この私がアランに作家として影響を受けたのさ」――ロバート・アルトマン (『トラブル・イン・マインド』パンフレット)

(渡部幻)
  

ロバート・アルトマン――「わぁ、すごく良かった!」と言いながらも、ひと言も語れない映画のために

2015-10-04 | ロバート・アルトマン


ロバート・アルトマンのドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』の公開が近づき、映画ファンのあいだでひそかに盛り上がっている。これはひとつに宣伝の努力と情熱の成果だと思える。宣伝は煽りであり、こと日本ではマイナーなアルトマンのしかもドキュメンタリーをメディアがこれほど取り上げたことはなかったし、ちょっと画期的な気がする。扇動はときに対象の「伝説化」「神話化」への荷担ともなり、そうなると「アルトマン的」ではないが、とりあえずは嬉しく思うわけである。

アルトマン作品は劇映画だけで39本、しかも題材が一通りではないから、全体像を把握することが難しく、日本ではとかく忘れられがちな存在だった。映画ファンというものは「作家」よりも「題材」(俳優もそうだ)で見ることが多く、ゆえに常に前作と異なる題材を取り上げたアルトマンとその作品群の印象はどこか漠然としてしまいがちだった。一風変わったエンターテインメントからアートフィルムまで手がける彼の多彩が、興行的な仇となり、ターゲットの絞り込みを至上命題とする宣伝にとっては扱いづらい存在であり続けた(70年代の宣伝戦略は大方的を外れた)。

それはなにより,アルトマン自らが仕掛けた[扱い難さ」でもあったろう。彼の創作はジャンルからジャンルへの横断であり、加えて、映画会社から別の映画会社へと転々とする流れ者的な性格をも併せ持つものだった。人を煙に巻くことを楽しみ、余裕しゃくしゃくで、シニカルでかつ流動的な語り口は、カテゴライズ化を拒んでいる。だから例えば、ビデオレンタル店においてもてんでバラバラなカテゴライズのコーナーに置かれている。発見するのに一苦労というより、レンタルブームの80年代にはほとんど誰も探してなかったかもしれない。少なくとも日本のレンタル店における存在感はまるでなかったのであり、大抵、置いてすらいなかった。とはいえ、僕にとっては、だからこその魅力で、そんな彼の作品を追いかけることが楽しくて仕方がなかった。あまりにも乱脈なフィルモグラフィとその奇妙な語り口ゆえ、簡単に分かった気になれないが、そんなところがまたたまらなかった。もっとも、これは倒錯した楽しみ方で、あくまでも一般的じゃない。日本の映画ファンにとってのアルトマンは「聞いたこともない」か「聞いたことはあるがよく分からない」監督で、メジャーでもカルトでもない、マイナー以下の存在だったのである。批評家とて同様で、個々の作品評は出ても、全体像を捉えるような論考は(一部の試みはあっても)ほぼ出てこなかった(そもそも未公開作が多く全体を観ることが困難だった)。
映画評論家の山田宏一など『ウエディング』のあまりの客入りの悪さ(初日一回目の動員人数三人!)に苦言を呈し、「それだったら僕がガイドやろう、サンドイッチマンやった方がいいと思ったのね」と語っていたが、ともかく少なくとも日本の興行界は「ロバート・アルトマン」の異能に手を焼き、その認知を広めることに難儀してきたのだ。



そんなアルトマンのつくる映画がそれほどに難しかといえば、必ずしもそういうわけでもないのだが、にも関わらずこういうことになってきたのは、彼の作法が「売り」を明確に打ち出す「通常のハリウッド映画」は異なり、どこかポイントを外した見慣れない語り口を持っていたからである。アルトマンは映画をより抽象化することに熱心で、そのための新話法や新技術の開発もするから、仮にそれを「おもしろく」感じたとしても、未体験の人にうまく伝えることが困難で、結果うまく広まらなかった。この「困難」は今度の「ドキュメンタリー映画」にも見て取れる。劇中でかつての仲間や友人たちが「アルトマンらしさ」を尋ねられて答える。彼らに課せられた任務はアルトマンを「ひと言」に要約して語ることだが、皆、精一杯の笑顔をつくりつつもどこか表情が強張っている。少なくとも僕にはそう見えたが、そもそもアルトマンを要約するのは不可能なのだから、多少なり「強張って」もらわないことには困るというものである。「発言」は見事バラバラだが、監督のロン・マンが、彼らの「強張り」の中から「アルトマン」の核心を引き出そうとしたのだとすれば、かなりの曲者と言える。

アルトマンが生涯に発表した作品の一つ一つは、個々の世界を様々に描いて一貫性がないが、ほぼ「アメリカ」を描くことで一貫しており、その究極的な主題は「生の人間の姿」を描くことにあった。では、彼はどんな人間の姿を描いてきたのか? 「自らのイメージに翻弄されて生きる人々の姿」である。アルトマンの「映画」は「捏造されたイメージ」と「真実を映す鏡=イメージ」を一まとめにぶち込んだサラダボウルであり、それこそが「アメリカ」そのものの姿でもあるわけだ。70年代に彼は「捏造されたイメージ」の元凶を「ハリウッド映画」に定め、過去そこに描かれてきた「アメリカの文化」「アメリカの社会」「アメリカの歴史」を丸裸にすることで、他ならぬ「彼のアメリカ」を浮き彫りにしてみせた。「アメリカ・コーポレーション」が国民に売り込むありとあらゆる嘘のイメージ=プロパガンダに洗脳され、妄信する人々の悲喜劇。アメリカ文化を映し出す「鏡」としての「アルトマン映画」は、いわば硬直化した意識のマッサージだった。ことに『ナッシュビル』『ショートカッツ』などの代表作で彼は、自らの眼に映る特定の社会における固有の現象を取り上げ、それを斜めから切り裂きながら、最終的なには巨視的な視点から抱き上げることによって、いつどこの人間にも普遍の善性と悪性をまるごと浮かび上がらせることに成功。それは観る者を砂糖菓子の夢で前後不覚にする「ハリウッド映画」とは似て非なる構造を持っていた。アルトマンは生涯にわたって自らの歌を歌い続けたが、同時に映画はいまよりもずっと素晴らしい表現になり得ると考え、よく次のような言い方をした。

「偉大な映画というものは、いまだ作られていない」「ぼくは、映画のフォーマットはまだ見つかっていないと思ってる。依然として文学とか演劇なんかの模倣をしているだけでね。映画というものは、人間がしゃべってるのを写すだけのものだとは思わないんだ。映画は、うんと抽象的にも印象的にも錯綜的にもなる。映画で�ムード�を作りだしさえすれば、なによりインパクトを持つことになるだろう。問題はムードだよ」
(山田順子訳より)

「私にとって完璧な映画とは、人々が映画館から出てきて、「わぁ、すごく良かった!」と言いながらも、それについてひと言も語れないような映画のことである」

「私には人に伝えたいことは何もない。哲学も持っていない。私がしたことは絵を描いてそれを見せてあげることだ。それは砂の城に似ている。いつかは消えていくものだ」

(今野雄二訳より)



アルトマンは映画を現行を決まりきった形式の中から外へ出すためには手段を選ばず、衝突を厭わなかった。人間観察のプロフェッショナルであり、一流のアーティストだった彼は、それゆえ小市民的な守りの姿勢とは無縁で、世間並みの成功・不成功など無視して、平気な顔をして――人にはそう見える――駄作・凡作をつくることもあったが、いずれも新たな試みが見られないことはなかった。ときにそれが成功すると、映画の見方や、人間の見方、社会の見方を揺さぶり、変化をさせて、そのうちのいくつかは映画史にその名を刻むこととなった。

1975年の『ナッシュビル』は、長い下積みを経て『M★A★S★H』の成功で「寵児」となり、『バード★シット』『ギャンブラー』『イメージス』『ロング・グッドバイ』『ボウイ&キーチ』『ジャックポット』と異色作を休むことなく連打。しかし興行的な成功にいたらず、市場での価値が下がり、評価があいまいになってきたところに登場した革新的な作品であり、彼のエネルギーが頂点に達した最高作である。

「ローリングストーン」誌で記者クリス・ホーデンフォートは、当時、それ以前の「アルトマン的状況」をうまく要約しているので、ちょっと長くなるが引用する。

 アルトマンは大手の映画会社数社で仕事をしたが、会社の幹部連中は、アルトマンの作品をどのように売り出せばよいのかわからなくなると、気むずかしくなってしまった。幹部たちには、アルトマンは異才であるということしかわからなかったからだ。最近の映画は、エピソードが多くて、順を追って展開していかない。したがって、クラシックな性分ではなくて、激情的なストーリーテラーの性格が要求されている。しかもプロットは重視されない。こういう映画の作り方には、まだ名称すら与えられていない。だが、わたしとしては、たとえば新シュールリアリズムなどというような批評の仕方はしたくない。
 新聞などにおけるアルトマンの評判は二通りに分かれる。ポーリン・ケールの典型的に『ニューヨーカー』(雑誌名)調の解説では、アルトマンは、「無意識のきわで仕事をしている……なぜそうするかなどと自問するのではなく、直観を信じている……芸術家」としてのフォークナーにたとえられることになる。これに対して、レックス・リードやジョイス・ハーパーのようなコラムニストの手にかかると、アルトマンの最高に洗練された四文字言葉(一般に卑猥な言葉を指す)がほとばしる映画も、型にはまった扱いのせいで破壊されてしまうのだ


こう前置きしたあとアルトマンへのインタビューが続いて、最後をこう締めくくる。

 わたしが最近アルトマンに会ったのは、ワシントンDCでのプレミアショーでだった。ネイビーブルーのスーツ姿のアルトマンは、ジョージ・マクガバンやサージェント・シュリバー、ロン・ネルソン等と握手を交わしていた。わたしの前には、有名な一族の青年が座っていた。R・F・ケネディの息子、ミカエル・ケネディだ。髪の毛で顔が半分ぐらい隠れている。しかし、死、吐き気のする事件、ぞっとするような個人的決断の場面になると、ケネディの顔色は変わり、青ざめた。彼はすぐに姿を消した。ジョージ・マクガバンとエリノア・マクガバンは夜の闇の中を歩いて行った。彼にはつらい日であり、映画のせいで孤独な気分になったようだ。
 「意気があがったとは、とても言えないね。あの映画は悲劇と喜劇の両方だ。70年代のわれわれの生活の良いドラマと辛辣な状況とをうまく描いているよ。この国の魂をえぐりだして、しかも何の答えもないままで終わっている」

※「ジョージ・マクガバン」は、当時の大統領ニクソンの対抗馬として知られた。アルトマンは「ニクソン嫌い」で、マクガバンが選挙で敗れたことを知り、その「怒り」から『ナッシュビル』を制作した。

『ナッシュビル』はアルトマン映画の中でもことに政治色の濃厚な作品である。記者がまとめた作品を取り巻いていた時代状況を要約すれば「混乱」と「疲弊」だ。当時アメリカ社会は、ベトナム戦争や石油危機など泥沼に足を突っ込み大きな曲がり角に立っていた。新しい価値と古い価値、台頭する者と退場する者、正気と狂気、その境目が曖昧になっていった。2015年日本の社会的・個人的な状況もまったく混乱の極みにあるが、にもかかわらず時間は、怠惰に、いつもどおり進行していく。大きな時間の流れのなかで人々はあまりにも小さく、なんとかやり過ごしながら日常の問題の中に埋れて、感覚を麻痺させていく。しかし、アルトマンの「正気」は、そんな混沌とした営みの中にこそ創作のエネルギー源を見い出し、かつてない映画を生みだして頂点に到達したのである。

とはいえアルトマン映画は「時代性」にとどまるものではなく、そこに描かれる「人の営み」には普遍性があり、だからこそいまも観る者に突き刺さるのである。アルトマンは様々な時代のアメリカを描いてきたが、そこに登場する人々はいつでも愚かだったし、滑稽で、なにか大きな勘違いしているように見える。彼にとって人はいつの時代でも「同じ」なのであり、成長することのない生き物なのかもしれない。

   

ドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』は、そんな彼の仕事、誇り、見識、尽きぬアイデアと大いなる家族主義を垣間見せてくれる作品である。彼のあの眼に映った世界を、彼自身のインタビューとスターたちの証言を通じて知ることの出来るような快活な仕上がりである。監督はロン・マン。50~70年代のサブカルチャーを「今」に残し伝えるドキュメンタリー作家であり、ここでは、アルトマンの妻、キャサリン夫人の協力を得て、業界きってのひねくれ者として知られた彼の軌跡とともにその大らかな素顔を紹介している。彼の父性に目を惹きつけられるが、同時期に公開される『サム・ペキンパー』のドキュメンタリー映画が、アルトマン同様、業界の異端児として暴れたペキンパーの美点と共に欠点を、痛ましいほどに伝えて、立体的な人物論になっているのに比べ、『アルトマン』は「いい人物」の「いいお話」に終始しているように見えてしまうかもしれない。しかしロン・マンは、「異端児」「変人」「問題児」のレッテルを貼られてきたアルトマンの一方の魅力だった「大らかな独立精神」をこそ、むしろ伝えるべきだと考えたのだろう。

そう理解した上であえて書いておくと、アルトマンのアーティストとしての面白さが、その「はねっ返り」と「人の悪さ」にこそあったことも事実なのだ。劇中、「アメリカの神話を破壊していると見えるようだが、私は自分に見えることを映画にしているだけ。この国を愛している」というようなことを語る場面があり、油断すると感動してしまいそうになるだが、これは、90年代の「ローリング・ストーン」誌に語った、「わたしはむしろ……破壊的だと思う。革命的ではないが、破壊的だ」「(自分が破壊しているのは)決まった考え方だ。固定したテーゼ。陳腐さ。これはこれだ、と言うもの。戒律。意見。そういう類のものだ。私が言ってるのは、そんなのは真実じゃない。それは真実だけど、そうじゃないんだ」、という発言と合わせて受け取るべき言葉であると思う。

アルトマンが――こと70年代に――「神話破壊」に勤しんでいたことは紛れもない事実であり、その「意地の悪い」な異端性が、多くの観客や批評家を戸惑わせたのだ。『M★A★S★H』では当時ベトナム戦略を進めていた軍隊機構を、『BIRD★SHT』ではアメリカの飛翔願望を、『ギャンブラー』では西部の神話を、『ロング・グッドバイ』ではハードボイルドを、『ボウイ&キーチ』では大恐慌時代のギャングを、『ナッシュビル』では南部のカントリー&ウエスタンと政治の癒着を、『ビッグ・アメリカン』ではアメリカン・ショウビジネスの源流を暴き、長らく一線から遠のいた時期があるが、『ザ・プレイヤー』ではハリウッドを通じた資本主義社会の行き着く先の精神的退廃を暴いて復帰を果たした。ゆえに「反アメリカ的作家」として説明されることが多いわけだ。しかしそう短絡してしまうと乱暴に過ぎる。アルトマンはそう単純に括れる人物ではない。お国柄の象徴を取り上げ、検証し、からかい、大いに笑いのめす、その「不遜さ」や「破壊性」は、実は彼の「愛」から生まれたもので、しかもそれが「傷つき、屈折した愛」であるという点を見逃したくないものだ。

だから「見えることを映画にしているだけ」という言葉を、アルトマンの「素直さ」のあらわれと捉えてしまうと「ズレ」てしまうし、あの多面体の屈折が一向に見えてこない(「素直なだけのアルトマン」など面白いだろうか?)。その言葉の裏には「別に見たままを描いただけだが?」というアルトマン的な居直りの態度と現実凝視な眼が光っているであり、だからこそ「はねっかえり」なのだ。

とにかく、「「わぁ、すごく良かった!」と言いながらも、ひと言も語れない映画」を目指し、一般的な意味での「素直な映画」からは程遠い「ひねくれて真っ直ぐな映画」ばかり作り続けて、80年代にはそのはねっかえりが祟って、ついにアメリカ映画業界を干され、フランスへ渡り、暗黒時代を過ごすこととなったが、何故ペキンパーと違って復帰することができたのか? 
反骨のアーティスト・アルトマンの最大の美徳たる「人の悪さ」を支えた最大の武器は自らをも笑いとばせる「ユーモア精神」。そしていまひとつの美徳が、キャサリン夫人や仲間たちがよく知るところの「家族主義」と「大いなる包容力」だったのである。

 

後者を強調して幸福感を横溢させるロン・マン監督作『ロバート・アルトマン ハリウッドにもっとも愛され、憎まれた男』は、いささか「幸福過ぎる」作品であり、楽しく、それゆえ簡単に「分かった気にさせてしまう」作品であるが、アルトマンはそう「分かりやすい人物」であるはずもないわけで、当たり前のことだがドキュメンタリーもまた真実のすべてではなく、多面体の一面、事実の一断片に過ぎないのである。

ロン・マン監督はここで、「反骨のアウトロー・アルトマン」という、これまで語られてきたステレオタイプの「伝説」に別の光を当てて解体し、誰もが理解し、愛することのできる「実像」を描き出して、あらためて「伝説化」する。では、脱神話・脱伝説の権化たるはねっ帰りアルトマンは、自らが「偶像視」され、その人生が「伝説化」していくことをどのように思うのだろうか。

60年代の偶像破壊者だったジャン=リュック・ゴダールは「ローリングストーン」誌から「あなたも、一種の、伝説になったのじゃないでしょうか」と問われ、「ほとんどの人が、ぼくのことを、ただ名前だけ知っていたり、本なんかを通じて知っているだけではないかのかな。だから、伝説、なんて見方も出て来るのだ。ぼくやトリュフォーみたいな監督は、伝説と戦うところから始めなきゃならない」と答えたことがある。そして取材者の「たいての人が、伝説になりたがるんですが」との問いに、「それはこっけいだよ。ぼくはいまだに、そいつと戦いたい。これがたぶん、他の映画作家とぼくとの違いだろう。伝説であるよりは、それと戦う方が楽しいよ。ぼくの伝説は、伝説と戦う人物、という伝説だ!」と返答した。

アルトマンならどう答えるだろう。先にも書いた記者デヴィッド・プレスキンが、アルトマンへのインタビューのなかで「では気味悪いことをやりましょう――あなたの墓碑名を書いてください。ボブ・アルトマンにふさわしい倒錯でしょう。あなたの功績は?」と尋ねるくだりがある。アルトマンの返答はこうだ。
「わからないな。なんと書かれても満足できないだろう。必ずまちがってるよ。何を言われるにしても間違っている。だけど、まあかまわんよ。たいして気にもならないし、なんにしても、たいした違いはないだろう。みんな過ぎ去ること、何ひとつとどめてはおけない」。また、「あなたはもっとも拍手を受けるものこそが真実だと思いますか?」との問いには、「いや、思わない。真実だとは思うが――だけど真実の一面に過ぎない」と返答している。

本作の後半に登場する感動的なアルトマンのアカデミー名誉賞受賞スピーチ。満場の拍手に包まれ、ついにアルトマンが「殿堂入り」を果たした瞬間――というより、これはかの反逆者が「ハリウッド伝説」の一部となることを受け入れた瞬間だった。ある種の和解が成立したわけで、素直に感動して構わないのだが、それと同時に、僕はアルトマンがかつて語ったとある発言を思い出してしまう。アルトマンは自作『ビッグ・アメリカン』で西部の英雄バッファロー・ビルの「伝説」をコテンパンに破壊したことがある。が、そんな自らをバッファロー・ビルになぞらえて次のように語っていた。
「わたしはバッファロー・ビルに似ているからだ。そしてバントラインはバッファロー・ビルを発明したんだ。だが彼はバッファロー・ビルを批判する。(筆者註:バッファーロー・ビルはバントラインのもとを離れ)出かけてったくせに、自分が何を追っているのかわからなかったからだ」「彼はたいていの悲しいキャラクターに似ている。バッファロー・ビルはとても特別だ。とても特別なんだ。わがバッファロー・ビル」
謎めいた言葉を受けてプレスキンはさらに問う。
「なぜバッファロー・ビルは悲しく、なぜあなたは悲しいのですか? これが最後の質問です」
アルトマンは続ける。
「彼は哀れな、彼は悲しい人間だ、なぜなら彼は……彼はある種……彼は作りあげられた人間で、自分の伝説を信じはじめる。真実じゃないってわかってるのに。だからそのあとは、その真実を逃してしなったから、彼はますます悪くなっていく。彼はある種悲しいキャラクターだ。だけど、それは自分で伝説に荷担するからなんだ――インタビューに答えて。そのあいだずっと、真実は知っているのに」


アルトマンは屈折している。深いところで屈折してしまった人間だけが持つ愛想の良さがある。これに比して、ロン・マンのドキュメンタリー映画は屈託がなく、率先して新たな「伝説化」の作業に荷担していると言っていい。アルトマンの「温かなプライベート」を提示することで「一匹狼」のペルソナを引き剥がし、新たなペルソナを貼り付け、「伝説化」に勤しんでいる。アルトマン的には「それは真実だとは思うが――だけど真実の一面に過ぎない」のだが、もっとも、本作はあくまで「アルトマンの死後、ロン・マン監督とアルトマンの妻キャサリンによって」作られたオマージュで、つまり彼らの手になる「アルトマンの墓碑銘」のようなものだ。
同時に、アルトマン自身がその人生のなかで歩んできた道筋、残した作品、発言、妻や友人や世間との付き合いのなかで見せたちょっとした態度にいたるすべてが「痕跡」となって――彼の肉体が消滅したいまも――「伝説に荷担」しているのだ、と見ることもできるわけで、「伝説にたる人生」「伝説にたる仕事」とはそういうものなのかもしれない。

とにかく忘れてはならないのは、本作は「アルトマンの活動と人生」を追うドキュメンタリー映画で、「アルトマンの芸術」(エンターテインメントでも構わない)やその世界観を検証すべく作られてはいないということだ。人は何故芸術をつくりたがるのだろうか。アルトマンは映画づくりにこだわり、その人生の大半をアーティストとして貫いた。自らの五感がとらえるあらゆる感情を表現したいと欲し、その為の闘いにあけくれ、躊躇することのなかった戦士は、しかし――戦士ゆえに――そう簡単に自らの正体をつかませることがなかった。ドキュメンタリーが示すあの大らかで魅力的な人物が、奥底に抱えていただろう屈折の核心=真実に迫る作業は、まだこれからなのだろう。

とにかく、あきらめかけていた本作の日本公開が実現し、時ならぬ注目を集めてることが、多少のこそばゆさとともに嬉しい。少なくとも僕にとっては、本作は「思いがけないプレゼント」だったのである。(渡部幻)