真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

「81/2」~「NINE」 哀愁の怪女“サラギーナ” その思い出の思い出

2010-03-28 | 映画


ロブ・マーシャルの「NINE」は、フェデリコ・フェリーニの「81/2」のミュージカル・オマージュである。あの超自伝的な名作にかなわないながら「歌と踊りで楽しみましょうというブロードウェイの映画化。しかし同じ歌い踊りながらの同作へのオマージュといえばボブ・フォッシーの「オール・ザット・ジャズ」も思い出してしまう。マーシャルに足りないのは「狂気」。こればかりは仕方がない。だからこその「お楽しみ」なのである。
マルチェロ・マストロヤンニ扮したフェリーニの分身グイドは、ここでダニエル・デイ・ルイス扮する。ボブ・フォッシーの分身を演じたロイ・シャイダーも想起させるが、つまりロブ・マーシャルの分身というわけではない。
並み居る美人女優の共演だが、その中では、半ば強引に登場する新キャラクター、ケイト・ハドソンが「アメリカのお色気」を披露して新鮮。彼女のナンバーは映画全体の中で異質だからこそおもしろい。マリオン・コティアールは旬の魅力、ペネロペ・クルスはいつも通りだが、ニコール・キッドマンはちょっと情けなかった。
オリジナルへのオマージュを強く感じさせるのは『81/2』でグイドの心に住み続けた怪女サラギーナの場面とナンバー。サラギーナはフェリーニ作品のなかで海辺に暮らしていた。
あのサラギーナは、2009年に少々スリムな姿となって再現された。僕の記憶の“サラギーナ”は、汚くて、太って、気味が悪くい、襲い掛かってきたら怖そうだった。しかし本当は優しくて、ちょっと哀しげだったのだが。


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「A Private World」 ティム・ウォーカーによる怪奇と幻想

2010-03-22 | ファッション写真




骸骨と美女の亡霊が踊るワルツ、ぼんやりと鏡に浮かび上がる赤い美女の姿。
階段に腰掛けた小さな羽根をもつ人魚、造花とチェック柄が半円を描く謎めいたサイレントダンス……
その奇想でファンタジーを展開し、独創的な写真絵画を生みだすティム・ウォーカー。
ファッション写真の枠を超えた怪奇幻想の世界にはまるとくせになる。





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「リダクテッド」 あまりにも衝撃的なラストショットで語る、戦争の一断面

2010-03-20 | ロードショー



星条旗の星から滴る血。顔が黒く塗りつぶされた兵士。

「ハート・ロッカー」を観て「リダクテッド」を思い起こした。
ブライアン・デ・パルマのイラク戦争への「怒り」が暴発した問題作である。
今まさに進行中のイラク戦争におけるレイプ殺害事件の狂気と不快感を容赦なく横溢させてベルリン映画祭銀熊賞を得た。そのあまりにも衝撃的な描写ゆえか本国、日本ともにひっそりと公開されるにとどまった。

「ハート・ロッカー」の主人公たる爆弾処理班はエリートだったが、「リダクテッド」に登場するのは無名の兵士たちである。彼らが引き起こす無惨かつ不快このうえない罪も、戦争というシステムのなかでは、ほんの瑣末な出来事のひとつとなりえる。60年代世代のデ・パルマには反体制魂がある。これは、彼の名を知らしめた残虐なスリラー映画のすべてを足しても足りないほどの恐ろしさを持った反戦映画である。あのラストショットをもう一度味わうのにはちょっとばかり勇気が必要だが、観直してみたい作品である。



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「グロリア」・・・カサヴェテス&ローランズ流母性映画の“女だてら”と”女らしさ”

2010-03-08 | 映画作家
 

ジョン・カサヴェテスの「グロリア」(80)はハードボイルドな母性映画である。
ジーナ・ローランズ扮するグロリアは、グロリア・スワンソン好きでウンガロの服が下品に似合う中年女。
独り暮らしで、煙草を吸い、料理は作れず、猫を愛し、子供を嫌っている。
昔馴染みはギャングたちばかり。
銃の腕前は一流である。

そんな彼女が、ひょんなことから少年を匿うことになる。
家族を皆殺しにされて英語もまともに話せないプエルトリコ系の少年。
友に頼まれての嫌々であり、うんざり顔の彼女が、次第に、強靭な母性を目覚めさせていく。

カサヴェテスゆえ、わざとらしい劇的な演出はない。
グロリアの心はごく自然な成り行き(演出)のなかで変化していく。
観客はそれを確かな手応えとともに共有することができる。

「フローズンリバー」の母親たちを観て、ふとあの「グロリア」に再会したくなった。
「男だてらの母性」が人種の壁を越えて「新たな家族のかたち」を見出していく過程。
カサヴェテス夫妻ならではの家族映画。
大傑作である。

 
 
   
  

 

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左右対称の構図に並ぶ白衣の男たちと出来る女の記念写真

2010-03-04 | 写真
       


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