真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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ホドロフスキーの『DUNE』は「幻」だからいいのだ

2014-06-23 | ロードショー
 『ホドロフスキーのDUNE』は実に面白いドキュメンタリーだった。
 これは結局作られることのなかった「幻の映画」について作者ホドロフスキーが語るドキュメントなのだが、その「壮大な妄想」に聞かされているうちに、観客の心の中にも「とてつもない傑作」が浮かび上がってくるという、実に刺激的な作品になのだ。

 ホドロフスキーのあの熱病的な語り口を聞いていると、どんなことだって可能なような気がしてくる。映画作家とはプロジェクトに携わる人々にとって予言者もしくは挑発者でなければならず、必要とあらば手品師にでも詐欺師にでもなるだろうが、このドキュメンタリーを見る限り『DUNE』構想時の彼はとにかく「最高の状態」にあったと見受けられる。オバノン、フォス、ギーガー、ピンク・フロイド、ダリ、ウェルズ……とてつもない才人たちをもたらしこみ巻き込むことを可能とする予言者であり挑発者たりえていたのであり、だから本作に登場する数々のエピソードが異様なテンションを呈すのも当然、ゆえに結局、構想が「妄想」で終わったときの落胆といったらない。もちろん「結果」は周知の事実。だからあらためて落胆することもないのだが。
 本作はこの「100%あり得ない夢想」の中にグイグイ観る者を巻き込んでいく。どれほどの類まれなる「壮大な企画」だとしても実現できなければ「単なる幻」に過ぎないし、なおもこだわり続ければ「誇大妄想狂の戯れ言」とも捉えられかねない。しばしそんな夢の実現にこだわり続けることそのものが生業たる映画芸術家なのだから仕方がない。ことホドロフスキーに限れば「幻想イコールで人生」、その逆も真なのである。
 本作を観た多くのファンが「実現して欲しかった」と語っているが、僕の個人的な感慨であり結論としては「完成できずに幻のままで良かった!」。幻は幻のままでこそ美しいのだ。

 テリー・ギリアムの『ロスト・イン・ラマンチャ』やオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』も頓挫した企画についてのドキュメンタリー映画である。また、70年代にはキューブリックの『ナポレオン』、80年代にはベルトルッチの『血の収穫』が頓挫している。いずれも残念なことだ。
 『DUNE』の伝説は長いこと噂に聞いてきた。僕はホドロフスキーの熱狂的なファンではないだろう。もちろん『エル・トポ』は折に触れて見返してきたし、異貌の傑作であり、真のカルト映画だと思っている。だが、多分、『DUNE』は空前の怪作もしくは珍作にこそなりえたとしても、彼自身の話から想像するほどの大傑作にはならなかったのではないか、と、そう思えてならないのである。

 あのプロジェクトの成立させるにはやはり時代の限界があるように思える。
 70年代のダグラス・トランブルはずば抜けた才能を持つ特撮マンであった。ホドロフスキーも最初彼にめを止めたが、結果うまく行かなかった。これはいかにも残念である。ドキュメンタリーを見る限り、トランブルの態度に問題があったのだろう。だがそれにしても技術的にははるかに劣るダン・オバノンへの変更は判断としてどうなのであろう。気にかかるところである。
 オバノンと組んで超絶的な「低予算映画」を作るのならば面白そうだ。しかし大作としてはどうか。この企画が「大作」であるということを忘れて、素直にイメージを広げれば、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』と同じくらいのサイズだが、しかし無限の想像力を持つ異貌の怪作が生まれたかもしれない。

 だが、劇中、散々引用される、リドリー・スコットの『エイリアン』や『ブレードランナー』、ロバート・ゼメキスの『コンタクト』のような、もしくはそれ以上に立派な映像をつくれただろうか。このドキュメンタリーで示されるものを見る限り、技術的な土台が足りていないように思えてならないのである。
 あからさまに『DUNE』のコンテを真似しているらしい『フラッシュゴードン』ほどではないにしても、チープな特撮に堕した可能性もあるのではないか。
 当時のSF映画の大体はあんなレベルだった。いま思い起こしても、『スタートレック』『メテオ』『スペースサタン』『スーパーマン』。みんな実に安っぽい特撮映像ばかりだったように思う。
 トランブルはずば抜けた存在だった。彼の『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』、もしくはダイクストラの『スターウォーズ』、または『エイリアン』が格別に優れていたのであり、当時それらと同等のレベルまで到達するのは至難だったのだ。

 もちろん低予算のチープだが面白い作品もあった。トランブル自身、低予算映画『サイレント・ランニング』では安い映像ながらも魅力的な世界観を生み出していたし、オバノン×カーペンターの『ダークスター』(ホドロフスキーはこの傑作を観て彼を起用した)もまたその代表作だろう。
 
 だが、『DUNE』に期待されるのは、のちの『スターウォーズ』や『エイリアン』『ブレードランナー』に匹敵する大名作であろう。
 理想的に作られれば、フェデリコ・フェリーニとスタンリー・キューブリックが一緒にSF映画を作ったかのような壮大な芸術作品が生まれただろうか。

 リドリー・スコットのビジュアルは基本リアリズムで、80年代以降のあらゆる造形を先駆して現実に影響を及ぼしていった。ホドロフスキーの想像力はより神秘主義的な造形美学であり、ゆえに60年代から70年代に至る時代の記念碑にはなっても、当時の不十分な特撮技術でつくられれば目も当てられない惨たんたる結果になったかもしれないではないか……。
 
 僕はホドロフスキーを甘く見ているのかも知れない。彼なら前人未踏の映像で映画史を揺るがす大ヒット作をつくっていたのかもしれない。
 だが、カルト作家を越えてメジャー監督になるホドロフスキーをどうしても想像できない。リンチはなったではないかといわれれば、なんとも返答のしようがない。だがリンチのビジュアルの肝のひとつは50Sテイストにあり、それがいかに奇妙で無気味だとしても、アメリカ人(にかぎらない)人々の郷愁を刺激するところがあり、少なくとも50Sリバイバルに沸いた80年代の感性とも結びついていたのだ。

 『DUNE』が企画された70年代中盤から後半にかけては、アメリカにおけるいわゆる「映画作家の時代」の後半に差し掛かっている。映画産業の一職業であるところ「映画監督」は、60年代のヨーロッパ映画の新しい波やニューヨークを中心とするアンダーグラウンド映画の洗礼を受けて「映画作家」に生まれ変わった。
 彼らのつくる自己探求的で深遠な映像世界は、アメリカの資本と結びつくことで膨張し、大金をかけた問題作・超大作が多くつくられるようになった。
 暴走を始めた「作家の映画」は、ときに惨たんたる興行結果を残して。産業としての映画界を危機に陥れはじめたのである。
 コッポラの『地獄の黙示録』『ワン・フロム・ザ・ハート』、スピルバーグの『1941』、チミノの『天国の門』、アルトマンの『ポパイ』、スコセッシの『ニューヨーク、ニューヨーク』、ブアマンの『エクソシスト2』、フリードキンの『恐怖の報酬』、フォアマンの『ヘアー』……。黒澤の『影武者』、フェリーニの『カサノバ』『女の都』を並べてもいい。これら「作家の映画」は「1980年」に限界に達した。質的にはスコセッシの『レイジングブル』、興行的失敗ではチミノの『天国の門』で頂点に達し、後者は老舗ユナイテッドアーティスツ社を破産に追い込んだ。

 SFとホラーの特撮系映画は、商業的なそれなりの保障があったから、辛うじて82年まで延命する。そしてそこから、ラッセルの『アルタード・ステーツ』、カーペンターの『ニューヨーク1997』『遊星からの物体X』、ハイアムズの『アウトランド』、ウォドレーの『ウルフェン』、もしくはクローネンバーグの『ビデオドローム』、さらにはスコットの『ブレードランナー』などの異色作が生まれた。
 だが82年にはスピルバーグの『E.T.』が登場。潮流はいわゆるSFであるよりファンタジーに流れた。例のトランブルにしても83年の野心作『ブレインストーム』を成功させることはできなかった。

 実際上記の作品はどれも面白い。もう二度とは作られないだろうスケールの映画の夢が詰まっている。どれもどこか無気味な異色作ばかりだが、きっとホドロフスキーの『DUNE』も完成していたら、そんな作品になっていたに違いない。
 84年のデヴィッド・リンチ版『DUNE』たる『砂の惑星』など大予算にも関わらず、内容的にも映像的にも目も当てられない出来栄えだった(当時、新宿ピカデリーの巨大スクリーンで予告を見たときスケールの大きさに楽しみにしたが、合成の荒さに失望し、特撮の出来栄えは予算の問題ばかりではないと感じたものだ……)。
 
 結局どのように想像を膨らませてみたところで「現実」は、ホドロフスキーの『DUNE』が存在することを許さなかった(ホドロフスキー自身言うように「アニメ化」もできそうだが、どうせやるならやはり「実写化」の無謀にこそ「夢」を感じる)。
 巷では『DUNE』がもし完成していれば――大傑作となる前提で――『スターウォーズ』も『エイリアン』も『スターウォーズ』もなかったかも知れないと言われている。80年代以降の映画地図が書き換えられてしまうのだと。
 そういわれてしまうといかにもつまらない。僕は『エイリアン』『ブレードランナー』が存在する「現実」のほうを取る。『砂の惑星』の失敗があったから製作者ディノ・デ・ラウレンティスはデヴィッド・リンチに『ブルーベルベット』を作る自由を与えたのだ。ホドロフスキーは本当に気の毒だし、全部存在できるならば観たかったが、残念だけどそれはありえなかった。

 作品づくりとは可能性の探求であり、想像力のギャンブルである。ことに映画は多くの人が携わり、そこにクリエイティブの掛け算が生じ、正体の知れぬなにかが暴走を開始する……その営みにはえもいわれぬ感動がある。
 無謀から奇跡の作品が生まれた前例はいくらもある(『スターウォーズ』『ブレードランナー』『地獄の黙示録』もみなある種の間違いから生まれた傑作なのだ)。
 だからこそ、ファンは、ホドロフスキーと彼が集めた「戦士たち」(彼はそう呼ぶ)に無限の可能性を感じて我がことのように一喜一憂してしまうのだ。
 
 映画ドキュメンタリーの傑作である。

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増殖を続けるのに処理の追いつかない悪夢状況

2014-06-16 | 雑感


 現在、映画、文学、音楽、美術、漫画、雑誌もろもろの歴史に触れる機会は、減ったのか増えたのか。
 時が進み、歴史になるたび、必見作品が山積みになって、収集のつかない時代である。もろもろのアーカイブ状況が整い、充実すればするほどに、もっともっと知らねばならぬ、という強迫観念だけいや増していくのである、
 人によってはパンクしてしまうだけだろう。
 ハードルは上がる一方であり、作品がそうしたニーズに答えれば答えるほど、専門性が上がり、大衆性は失われていく。
 もはや不治の病ごとくだ。
 
 一回の映画鑑賞または読書が人に与える経験密度はどうだろう。
 例えば一本の映画が、一回の鑑賞で、一人の観客に残すインパクトは、1950年代と2010年代では比較にならないほどに軽いものになっていると思える。80もしくは90年代と今を比較しても与えられる喜びも痛みははるかに弱まっているように思えるのだがどうだろう。
 両親世代の映画への思い入れはいまと比較にならないと感じたことがある。
 80年代に2000席近いキャパの有楽座と日比谷映画で40~50年代の名作を再上映したとき、老人を含む白髪の観客で超満員で立ち見まで出ていた。そして終了後に耳が割れんばかりの拍手が沸き起こった。当時で40年ほど前の映画を想い続けて駆けつけた年老いた人々の熱気で場内は暑かった。映画がそんな熱狂を引き起こすことはもう起こりえないだろう。映画をめぐる状況の形が変わったからだが、ではそれでも熱狂したい人の想いはどう処理すればいいというのか。


 
 処理も何もないのだが、一回性の熱狂が失われた代わりに、物好きは繰り返し観ることで補っているかもしれない。デヴィッド・プレスキンのクローネンバーグ・インタビュー(柳下毅一郎訳)が面白かった。
 90年代初頭の取材(『裸のランチ』のとき)。
 プレスキン「この1ヶ月というもの、わたしはあなたの作品をすべて、2回ずつ、家でビデオで見直していましたが、そして何度もスタート、ストップを繰りかえせるし、『スキャナーズ』の頭爆発シーンを繰りかえし再生できるのはとてもいいものでしたが、あれは本当に美しい」
 クローネンバーグ「ああ、そうだとも」
 プレスキン「まるでキューブリックの、『博士の異常な愛情』の最後での原爆シーンのようでした。ですがそれでもわたしは映画館に行って、暗闇に座って、イメージが大きく投射され満たされ、宅急便からの電話なんかに邪魔されないほうがいい。わたしは浅くではなく、深く集中したいからです。(略)映画の力のひとつは、観客が、文学とは違い、時間をコントロールできないことにあるんです。文学では、われわれは立ち止まり、飛ばし、ページを戻ることができますが、それに対し映画は〝なされる〟ものです。そのせいで受け身のイメージ消費者という疑いを抱く人もいますが……」
 クローネンバーグはこれに対し、
 「だがビデオでは、繰りかえすが、興味を持てない場所は飛ばして、おもしろい場所だけに集中できる。これは本の好きな文章やシーンだけ読みかえし、退屈な章は飛ばしてしまうのと似ている。集中を増すことになるのか減ずるのかは、実際、大いに議論できるだろう。(略)」「今では映画を持つこともできる。そして思うが、究極的いんは、あるいは一度の体験と替えられないかもしれないが、だが10年、20年のうちには、20年間映画に触れつづけることができたら、自分の引き出しにあって、いつでも取りだして観ることができるならあるいは究極的には、深く関与することができるかもしれない。そして映画監督のコントロールがいくらか、責任がいくらか剥ぎとられることは、映画を観る者が長い時間のあいだに得る関与によって埋めあわされるだろう」


 
 まさに実現しているし、インターネットが加速させたと言えるが、しかしそもそも、本と違ってソフトは、20年後も持つのか。
 ビデオ、LD、DVD、ブルーレイと変わるたびにマニアは買い換え、そのたび自分のその作品への愛情を確認したりするという、ほとんどマゾヒスティックで変態的な喜びの世界へと突入している。
 それで楽しい人はいい(自分も知らぬ間にその一員だった)として、そうでない人には単に鬱陶しいだけだろう。メディアが変わるたびに過去のソフトは質の悪いものとして淘汰される運命にある。デッキが無くなれば観ることもできない。
 また市場原理により前メディアで売れなかった商品は次世代に移行もしてもらえない。
 映画はむかし所有できない光と影の幻だった。そこに愛しさもあった。
 やがて映画は「持つ」こともできる時代に入った。
 だが、その時代も終わりつつあるかもしれない。20年間も持ち続けてもらう夢は、クローネンバーグが『ビデオドローム』をつくった1982年から2002年あたりまでの20年について実現したと言える。だが、その後の20年はどうなるかわかない。
 所有する時代が終わり、その特権的快楽がなくなり、いつでもだれでもどこでも取り出せるようになれば、逆にいちいち一生懸命になって観る人も減ってしまうに違いない。
 そしてそれはビデオが普及したころからずっと言われてきたことの末期症状に過ぎないようにも思える。
 映画はいよいよ考古学的な世界に突入し、新作も常に過去の歴史の参照をうながすようにつくられる。この20年すでにそうなってきた。
 かつて映画一本の一回性の重みは、一回性の人生の重みであり、生と死の比喩でもあったが、いま映画ファンは墓堀り人の役割を担いつつ、映画のゾンビ化の片棒を担ぐしかないのである。
 「映画」がこれからもなくなることはないだろうが、それはかつて見知った「映画」とは違う、別物であるに違いない。
 なんともはやである。




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