真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

常盤新平『ニューヨーク紳士録』と無関係に広げた連想

2014-05-27 | 作家
常盤新平~『ニューヨーク紳士録』より~

「ジャーナリストにとって最高の名誉であるコロンビア・ジャーナリズム賞を得た『ザ・ライト・スタッフ』は宇宙飛行士たちの仕事と私生活の記録であるが、この「ライト・スタッフ」はいまやアメリカ語として定着している。ウルフは言葉の創始者でもある。
 たとえば「ラディカル・シック」――これは一九七〇年代、レナード・バーンスタインがブラック・パンサーのためにパーティを開いたとき、その模様を描いたウルフの作品のタイトルである。一九七六年には、「ミー・ディケード」をウルフは流行させた。
 アメリカとつきあうには若さが必要ではないかと思う。もともと私は時代遅れの人間だが、年齢をとって、いっそう時代遅れになった。しかし、アメリカの古いものばかり追いかける書き手が一人くらいいてもいいだろう。 」
(一九九一年七月。常盤新平『ニューヨーク紳士録』の「文庫版あとがき」より)

 常盤さんがこれを書いた頃の僕はまだ21歳である。
 そこから考えてみて、僕もそうだがアメリカもまた、ずいぶん年を食った感じがする。しかしそれでも、いまだアメリカについていくには、「若さ」が必要であるような気がする。
 アメリカと比較したときヨーロッパは成熟していると言われる。歴史を思えば、確かにそうだろうが、だが例えばいまのヨーロッパ映画の、個々ではなく漠然と俯瞰的に作品群を眺め、往年と比較したとき、そこにはもはや「成熟」の時期などとうに通り越した、別の「何か」を感じてしまうこともある。
 うまく言えないのだが、僕の生活実感には突き刺さらない、どことなくこじんまりとしてローカルな印象を抱いてしまう。むかしからヨーロッパ映画の名作はローカルな作品が多く、そのこと自体とても面白く、ゆえに映像表現が個性的かつ芸術的なのだが、そのさまがあまりにも「純粋」にすぎ、作者が自らの「作品」に触りすぎている様子を感じてしまうとちょっと白けてしまうことがあるのだ。

 生活は社会性と個人性のしがらみでありその格闘である。だから映画の成立ちからも、そうした「しがらみ」や「格闘」の感覚を受けとりたいのである。
 アメリカ映画は商業主義が強いゆえに、作品の表皮をひっぺがすと、会社と作者のしがらみや格闘が浮かびあがる。その多くは個人または作者の負け戦であるかもしれない。そこに僕はリアルな共感を覚えているなのようなのである。
 だが、それは「若さ」である。若さのしがらみであり格闘なのだ。
 若さと老いの違いはエネルギーの違いでもある。少なくともかつてのアメリカ映画の魅力は、イキイキと火花散らすエネルギー量にあったのかもしれない。
 ゆえに、もはや44歳を過ぎた僕も次第についていけなくなる可能性はあるが、今のところアメリカそのものが年を食ってきて、映画もある種のシンドさをにじませる作品が多くなってきているから、調度いい塩梅ではある。

 日本は、というか日本映画はどうだろうか。がっかりする確立が高いので、恐れをなしてあまり見なくなってしまった(ヨーロッパ映画やその他の国の作品を観る頻度も減ってしまったけど)。
 これはよくない。よくないのだが、僕の人生時間のうち、映画に与えることのできる残りの機会(時間、お金、そして縁も含む)は限られているから、漫然と対するようり、ギュッと絞り込まざるを得ないのであった。

 現在、映画、文学、音楽、美術、漫画、雑誌など、もろもろの歴史に触れる機会は減っているのか増えているのかわからない。情報の氾濫は行き着くところまでいって、自分が何を見るべきなのか、何が好きなのかも分からなくなると、つまり「自己」の基盤が緩くなってくる。
 一回の鑑賞または読書が人に与える経験密度はどうだろう。例えば一本の映画が、一回の鑑賞で、一人の観客に残すインパクトは、1950年代と2010年代では比較にならないほどに軽いものになっていると思える。80もしくは90年代と今を比較しても与えられる喜びも痛みははるかに弱まっているように思えるのだがどうだろう。両親世代の映画への思い入れはいまと比較にならないと感じたことがある。80年代に2000席近いキャパの有楽座と日比谷映画で40~50年代の名作を再上映したとき、老人を含む白髪の観客で超満員で立ち見まで出ていた。そして終了後に耳が割れんばかりの拍手が沸き起こった。当時で40年ほど前の映画を想い続けて駆けつけた年老いた人々の熱気で場内は暑かった。映画がそんな熱狂を引き起こすことはもう起こりえないだろう。映画をめぐる状況の形が変わったからだが、ではそれでも熱狂したい人の想いはどう処理すればいいのか。
 日毎、年毎に、いわゆる「必見作品」が蓄積していき、録画したDVDやブルーレイが見れないまま放置されてゆく。個人アーカイブが充実すればするほど、見なければならぬ、知らなければならぬという強迫観念ばかりがいや増していく。人によってはパンクしてしまうだろうが、それをこなしえる少数者はよりマニアックにより閉じざるを得ない。娯楽たる映画から大衆性が失われれば、個々はまるで違う作品を見ている孤独の人にならざるを得ないわけだ。たとえば、YouTubeで映像を見ているときにたまに思うことは、この映像をたったいま見ているのは世界で僕だけだろう、という孤立の感覚である。
 80年代にビデオが普及したりウォークマンが普及したときは、その感覚に特権的な快感を覚えたものである。ビデオやウォークマン、もしくはパーソナル・コンピューターは、ウルフの言う「ミー・ディケード」もしくは「ミーイズム」の機械的な結晶であり、だから爆発的に求められた。つまり、その孤独の振る舞いのなか
に、自由と、かけがえのない「ミー(自己)の確立」を錯覚していたような気配がある。そのときの気配を、若さゆえの誤診と考えることもできるが、最近たまに思うのは、あのころに始まり、いま徹底的に先鋭化しようとしている、この錯覚の装置が、まるで不治の病ごとく拡がりつつ僕も蝕んでいるということだ。
 とはいえ、こうしたシステム状況は大衆が求めたものであり、ぼく自身その例に漏れないのであった。これがもたらす「自由」の獲得は、人の本来が、どうしようもなく孤独な個々の生き物として、魂の入れ物たる肉体を浮遊させているだけの存在に過ぎない、という事実をあらためて暴いていくれた。僕はいま、この厳しい認識に戸惑っているのかもしれないが、その戸惑いは「進化」「成長」の過程で感じる過渡期的な兆候に過ぎずないような気もする。それは生命体としてのひとつの適応かたちであるが、それには見合うだけのエネルギーが必要であるだろう。適応のエネルギーが不足してれば、ただ滅んでいくだけなのだ。滅びもまた、ひとつの運命であり適応のかたちではあるのだろうが。
  
(5月26日のツイートより)