真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

『60年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

2016-02-21 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
  

もし映画界を支配する人々が良質な作品への敬意を持っているとしても、並み以下の作品でも興行的に成功できるという事実が、その敬意を弱めている。しかしテレビが状況を一変させた。映画産業は経済的に大きな打撃を受けたが、一方で、真面目かつ大胆な映画づくりが、いままで以上に求められる状況が生まれた。ロールスロイスとヒョウ皮に代表される華やかさが、ハリウッドから失われても、それに代わって若い世代には願ってもない刺激的な環境が生まれつつある。――スタンリー・キューブリック(1957年、CBSラジオ)

 第二次大戦のアメリカでは映画の非日常世界に浸ることが習慣化して、1946年には週間動員数が9000万人以上に達したとされる。しかし、38年から続いた反トラスト法違反の訴訟で敗れ、54年までに5大メジャーは直営劇場を手放して収益が激減。さらにジョゼフ・マッカーシーの赤狩りが業界を萎縮させて、テレビの普及がこれに追い討ちをかけた。
 14インチから17インチの小さなブラウン管が映像を日常化して、人の知覚や習慣にまで影響を及ぼしていく。トロント大学の教授マーシャル・マクルーハンは、映画を「熱いメディア」、テレビを「冷たいメディア」と位置づけ、64年の著書『メディア論/人間拡張の諸相』に記した。

「地球は電気のために縮小して、もはや村以外のなにものでもなくなってしまった。電気のスピードがあらゆる社会的および政治的作用を一瞬にして統合してしまうために、人間の責任の自覚を極度に高めてしまった」「現代は不安の時代である。電気の内爆発のために、いかなる「視点」と無関係に関与と参与を強いられるからだ」「冷たいメディアは、話しことばにしろ、写本にしろ、テレビにしろ、それを聞く人や使う人が自分でやる余地を、熱いメディアよりはるかに多くを残している。メディアが高い精細度のものであれば、参加の度合いは低い。メディアが低い精細度のものであれば、参加の度合いは高い」

    

 53年、デルバート・マンのテレビドラマ『マーティ』がありふれた人々の生活を描いて反響を呼ぶ。若きシドニー・ルメットやジョン・フランケンハイマーらが手がけた生放送ドラマの「低い精細度」の映像は、電波に乗って家庭に届くことで「日常」と「ドラマ」を結びつけたのである。ハリウッドは、ビスタヴィジョン、シネマスコープ、シネラマ、70ミリ、3Dなどの新機軸で対抗。贅を尽くした非日常の映像で、映画の「高い精細度」化に拍車をかけた。しかし大衆の劇場離れは止まらず、結果、“娯楽の王”の座から転がり落ちる。

人間は二つのタイプにわけられるんだ。部屋に入るなりテレビをつける者と、部屋に入るなり消す者だ。――ジョン・フランケンハイマー監督『影なき狙撃者』(62)より

 しかしこうした状況は“映画”を最大公約数的な“娯楽”から解放させた。ハリウッドとは一線を画するインディペンデント映画、アンダーグラウンド映画、ドキュメンタリー映画が勃興してくる。アートシアターではヨーロッパの新しい波が紹介され、大学の映画学科にベビーブーム世代の若者が集まり、私的かつ自由で、現実的かつ超現実的な映画表現の可能性が模索された。アンダーグラウンドの重鎮ジョナス・メカスは「ニュー・アメリカン・シネマ・グループ」を発足。そのマニフェストのなかで宣言した。

「芸術と人生の嘘っぱちにはもう飽き飽きした。他の諸国の若い仲間たちと同じように、新しい映画を創造するばかりでなく、われわれは新しい人間を目指すのだ。芸術作品と同じくらい、われわれは新しい人生の創造に賭ける。ピカピカできれいに磨き上げられているが中身の方は嘘っぱちだらけといったニセモノの映画はもうまっぴらだ。たとえ荒削りでもいい。素顔の生きた映画の方がはるかにマシだ。観客にバラ色の夢を与える映画でなくてもいい。われわれの欲しいのは血の色をした映画なのだ」

     

 「血の色をした映画」――60年代の映像を映画に限らなければ、テレビ、特にニュース映像が伝えた「バラ色の夢」でない「血の色をした」現実がある。それは、人々の意識を変え、現実観、死生観にまで影響を及ぼし、文化や政治を動かす一因ともなった。
 60年。マサチューセッツ州選出のジョン・F・ケネディ上院議員が大統領候補指名を目指したとき、タイム社のロバート・ドリューはリチャード・リーコック、アルバート・メイスルズらとともに、彼を追う画期的なドキュメンタリー『プライマリー(予備選挙)』(60)を撮影。これがテレビで反響を得ると、続いてケネディは、リチャード・ニクソンと史上初のテレビ討論に挑んだ。そして接戦の末に43歳の“スター大統領”となり、61年の就任演説で呼びかけた。

「同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。最後に、アメリカ市民の皆さんも世界市民の皆さんも、どうぞ我々が皆さんに求めるのと同じ水準の熱意と犠牲を我々に求めてください」

     

62年、覚えてる? 62年、君はどこにいた?――ジョージ・ルーカス監督『アメリカン・グラフィティ』(73)予告編より

 62年、キューバ危機が勃発。世界は核戦争の手前まで行くが、回避される。しかし一般的な感覚では、まだ温和であり安全な時代だったかもしれない。そして63年。白昼のダラスでケネディの頭が吹き飛ばされ、民衆はテレビを通じて葬儀に参加した。婦人服製造業者エイブラハム・ザプルーダーが8ミリカメラでとらえた暗殺の瞬間は、「ザプルーダー・フィルム」と呼ばれ、のちに最もよく知られる「60年代の映像」となり、暗殺犯とされるリー・ハーヴェイ・オズワルド殺害の中継映像が、これに続くことになる。
 ケネディを引き継ぎリンドン・B・ジョンソンが大統領に就任。64年の再選の際に衝撃的なモノクロCMを打つ。花びらを数える金髪の少女にカウントダウンの声が重なる。スリー、ツー、ワン、ゼロ……少女が顔を上げるとキノコ雲が空を覆い、ジョンソンの声が語りかけてくる。

「私たちは愛し合わなければ死ぬしかありません。11月3日はジョンソンに投票を。棄権の代償は高くつきます」

     

 遠くベトナムのジャングルでは、平凡なアメリカ人青年が国家的殺戮に加担し、殺し、殺され、狂気にまみれていた。ベトナム戦争はテレビ初の戦争報道となり、63年のベトナム人僧侶ティック・クアン・ドックによる在南ベトナム・アメリカ大使館での抗議の焼身自殺や、65年、CBSのモーリー。セーファーによる南ベトナムの村に派遣された海兵隊員がライターで120棟の家を焼き払う姿、68年、南ベトナム解放戦線ゲリラのアメリカ大使館襲撃とその戦闘を中継。同年、NBCはベトナム共和国警察庁長官グエン・ゴク・ロアンの解放戦線兵士グエン・ヴァン・レムに対する路上処刑などを放送し、世論を騒然とさせた。国民の、世界の、真の敵は誰か? 67年、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンの風雲児モハメッド・アリはベトナム徴兵を拒否し、言い放った。

「ベトコンは俺を「ニガー」と呼ばない。彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない」

     

 アメリカの矛盾が吹きだして国民は分裂。人々は“参加”と“不参加”の間で選択を迫られる。カウンターカルチャーが沸き起こり、フォークソング、ロック、雑誌、デモ、シット・イン、ティーチ・インに参加し、徴兵カードを焼き払うことで“暴力社会”への不参加を表明することは、国家の敵となることを意味した。68年、非暴力主義を唱えた公民権運動家のマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、続いてロバート・ケネディも凶弾に倒れた。
 69年、愛と平和のウッドストック・フェスティバルとアポロ11号の月面着陸で、「60年代」は頂点を迎える。ロックの轟音鳴り響く広野に集う40万人のヒッピーと、音のない世界に着陸した宇宙飛行士のニール・アームストロングとエドウィン・オルドリン。この啓示的とも言えるスペクタクルは、人々にひととき現実を忘れさせたが、ベトナムに従軍した無名兵士はこう記していた。

「アメリカという国は、ベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万のわれわれ全員よりも、月面にいる、たった2人の男のことを、ずっと心配していたのだ」

     

 歯に衣着せぬ毒舌で体制と対立したスタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースは言った。

「真実ってえのはさ、あるがままのもんであってな、あるべき姿なんかじゃないんだよ。あるべき姿なんてえのは、ただの薄汚れた嘘っぱちだね」

 60年代アメリカ映画もまた「あるべき姿」ではない「あるがまま」の姿をとらえはじめる。ハリウッドと非ハリウッド、往年の巨匠と業界のアウトサイダー、モノクロとカラー、スタンダードとシネマスコープ、商業映画と非商業映画が対立し、入り乱れ、交錯するなか、長年業界に君臨してきたタイクーンたちも老いて引退するか、この世を去るときを迎える。メジャー各社は次々にコングロマリット傘下へ。業界に風穴が開くと、テレビ、カウンターカルチャーの洗礼を受けた世代が台頭。彼らの突破する精神が、伝統と革新、映画と現実の境を溶解させて“ルネッサンス”に突入し、67年の『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン)や『卒業』(マイク・ニコルズ)、68年の『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック)、69年の『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー)『真夜中のカーボーイ』(ジョン・シュレシンジャー)『ワイルドバンチ』(サム・ペキンパー)などの異色作が世に問われた――

     

 ――しかし、現在の目で見れば、俳優だったジョン・カサヴェテスが「映画作家」として導入したゲリラ撮影と感情的混沌の世界こそが「新しい映画」の幕開けを告げていたと思える。若きマーティン・スコセッシは、初めて彼の映画を観たときの思いを、次のように語っていた。

「1959年、ジョン・カサヴェテスが『アメリカの影』で16ミリキャメラをすでに用いていた。だからもう言い逃れはできなかった。カサヴェテスにできたのなら、自分たちにだってできるはずだ!」

(渡部幻)
     

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『70年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

2016-02-02 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)


 『70年代アメリカ映画100』の「はじめに」(執筆・渡部幻)より。


 60年代のアメリカ社会は「抗議」と「造反」と「革命」に燃えあがった。
 ベトナム戦争、軍の隊列、機動隊、選挙、公民権運動、学園紛争……。1969年にウッドストックに集まる40万のヒッピー、70年5月のニューヨークにおけるブルーカラーと反戦学生たちの衝突――これらの記録映像に通低している視覚的なイメージは、祭りとも見紛わせる人の群れ、つまり「群集」のド迫力である。平和的、暴力的、もしくは中立的なそれであっても、群集は共通して社会への帰属意識に目覚め、ときに巨大な群れになることで、前例のない「祭り(政)の季節」を生きた。

 
俺たちは負けたんだ――デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』(69)より

 1967年、アーサー・ペンが『俺たちに明日はない』で大恐慌期に実在したギャングカップルと彼らを蜂の巣にした体制による87発の銃弾を描いて「ニューシネマ時代」が到来。そして69年、デニス・ホッパーの『イージー・ライダー』で無害なバイカー2人が射殺された瞬間、その頂点を極めたとするなら――「ニューシネマ時代」を「ハリウッド帝国」を揺るがした映画版「祭りの季節」と呼ぶとして――続く70年代が幕を開けた時点で、その熱波は、すでに「終わっていた」、もしくは「終わりつつあった」ということになるだろうか。
 確かに、同時期に現れた傑作群――マイク・ニコルズの『卒業』(67)、スチュアート・ローゼンバーグの『暴力脱獄』(67)、ジョン・ブアマンの『殺しの分け前/ポイントブランク』(67)、フランク・ペリーの『泳ぐひと』(68)、ジョン・シュレシンジャーの『真夜中のカーボーイ』(69)など――は、改革に燃える熱狂というよりも、むしろどこか醒めた自己批評精神にこそ、その優れた特性を示し得ていた。
『イージー・ライダー』と同年にハスケル・ウェクスラーは『アメリカを斬る』を発表。68年のシカゴ民主党大会で起こった群集のデモに対する体制側の弾圧を、テレビ報道メディアの問題と絡めて炙りだした。その予告編では女性のナレーションが次のように語りかけてくる。
 「“純粋さ”とは感情。“自由”とは感覚。感情を失うってどんな感覚? 誰もが感情をなくしたら、国中が暴力で満ち溢れるはずよ。我々の良識を問う現代ドラマ。純粋な時代は過ぎ去り、認識の時代が到来――」

 

 70年代初頭――祭りのあとの索漠とした雰囲気のなかで、人々は離散し、個々の世界へと舞い戻りはじめていた。そんな「70年代」の世相は「60年代」に比べるとあまり革新的な時代ではなかったかも知れない。
 だが、アメリカ映画はここから「ルネッサンス期」を迎えるのだ。新しい映画作家たちが次々に産声をあげた。彼らは、人と時代と環境の関係を観察し、掘り下げ、洞察した。観る者の心をかき乱す猥雑な表現を生みだし、旧来の型を打ち破って、かつてないエネルギッシュな一時代を築き上げていった。

 しかし、いつの時代の映画や監督にも、それが生まれてきた背景があり、決してそこから逃れることはできない。映画がイメージを扱う芸術表現である以上、それは必然であり、一種の宿命として作品に反映される。
 では、ニューシネマを代表した反骨の監督たちの人格や個性の形成に影響を及ぼした「背景」には一体どんな「時代」があったのだろうか。
 アーサー・ペン、ジョージ・ロイ・ヒルは1923年生まれ。ロバート・アルトマン、サム・ペキンパーは25年。ノーマン・ジュイシン、ロジャー・コーマンは26年。スタンリー・キューブリックは28年。ハル・アシュビーは29年。クリント・イーストウッド、ジョン・フランケンハイマーは30年。マイク・ニコルズが31年、シドニー・歩ラックが34年の生まれ……彼らは20年代から30年代の生まれだったと分かる。



 1920年代は「ローリング・トゥエンティーズ(狂乱の20年代)」と呼ばれ、都市化と大衆消費が加速して繁栄に沸いた時代である。しかし一転、29年の株価大暴落によって30年代は未曾有の大恐慌に突入。40~50年代は、第二次世界大戦を通過(従軍経験を持つ監督は多い)して、戦後景気に沸き、パクス・アメリカーナの完成、米ソ冷戦、核戦争の恐怖、赤狩り、そして朝鮮戦争へと辿る過程にあった。文化的に見るならそこには、20年代のロスト・ジェネレーション、ギャングエイジ、ハーレムルネッサンス、フラッパー、ラジオ文化、そして黄金期ハリウッドの西部劇やギャング映画があり、さらにのちにはビートジェネレーションや続くロックジェネレーションの台頭があり、こうしたサブカルチャーが恐慌と戦争の時代を生きる者たちの鬱積や怒りを受け止めてきた。彼ら監督たちもまたこうした時代に青春を過ごし、その感慨と屈折が、「70年代アメリカ映画」の背景を彩る大きな要素となり、作品に反映して、次なる世代=ベビーブーマーの感性とも結びついていくのだ。

 
「人生は祭りだ」――フェデリコ・フェリーニ監督『81/2』(63)より

 イタリアの巨匠フェリーニは映画と人生を結びつけて「祭りの場」へと昇華させたが、「アメリカのフェリーニ」と形成されたロバート・アルトマンは、75年の『ナッシュビル』で「アメリカ建築200年」の「祝祭」に宛てた革新的な「映画の祭典」を生みだした。
 当時50歳の彼は、政治に汚されたカントリー&ウエスタン音楽祭における、とある女性歌手の暗殺をとらえ、その直後に、風に重く揺らぐスターズ・アンド・ストライプスの上に広がる曇り空を見上げていた。
 共和党のリチャード・ニクソンの大統領再選に対する、アルトマンの憤怒から生まれたというこの異型の作品について、そのニクソンに敗れた民主党のジョージ・マクガバンがうまく要約している。
 「意気があがったとは、とても言えないね。あの映画は悲劇と喜劇の両方だ。79年代のわれわれの生活の良いドラマと辛辣な状況をうまく描いているよ。この国の魂をえぐりだして、しかも何も答えもないままで終わっている」(「ローリング・ストーン」誌1976月5月号)

   

 二年後の77年。やはり「空を見上げる者」として登場したのがベビーブーム世代の若き天才スティーヴン・スピルバーグである。
 彼は『未知との遭遇』で、夜空を覆う雲のなかから現れてくる数機のUFOと巨大なマザーシップの降臨を見上げてみせた。ステンドグラスを思わせる色彩と光の洪水、それを見上げ、息を呑む群集の恍惚とした表情――。最初は「驚異」、次に「信心」、そして天上的な「至福」へと至るそれは、人智を超えた存在に対する、一種、宗教的とも言えるような「祭典」としての映画だった。
 これは70ミリの巨大スクリーンで、しかも満員の劇場で他者と共有することによって、初めて体感することのできる映像体験であり、また、そのようにつくられてもいる。
 満天の星空に『ピノキオ』(40)のテーマ曲「星に願いを」を聴かせる、この作品の持つ「オプティミズム」を理解するためには、例えば、あの『ナッシュビル』の「曇り空」に象徴されたいたような「ペシミズム」と、擦れっ枯らしになる以前の無防備な感受性を前提とし、理解することが、多少なりとも必要かもしれない。対照的な2本の映画は、ともに時代の落とし子であり、もはや当時と同様の驚嘆を、現在にもたらすことはありえないだろう。

 
「we are not alone 我々は一人ではない」――スティーヴン・スピルバーグ監督『未知との遭遇』の広告コピーより

 映画と宗教は似て、それを売るものとっては宣伝であり商品の一つに過ぎないかもしれない。しかし、ビデオが普及するはるか以前の観衆にとっては、映画はいまだ手に取れる「物」としての商品ではありえなかった。あくまでも映画鑑賞は闇のなかで光を仰ぎ観る「祭り」であり、人はそこで得た感慨を、みずからの記憶に焼きつけて残すほかのすべを持たなかったのである。
 その意味では、スピルバーグと同世代に当たる『タクシードライバー』(76)のマーティン・スコセッシが、「教会と映画館」を結びつけて語る言葉も、それほど突飛な物言いではない。つまり大げさに言えば、劇場で映画を観るということは、大衆が一つ屋根の下に集まり、もうひとつの人生と向かい合う「祭りの場」として、単に商品として消費されるだけに終わらない「何か」としての役割をも果たし得ていたのだ。

 そんなスピルバーグ世代が志向し、かつ成功させていくのは映画ならではの祝祭性、つもり「エンターテインメント」の復権である。
 ベトナム戦争が終結、ニクソンは失脚し、さして盛り上がらない建国200年祭も過ぎたあとで、人々は見上げることのできる「祭りの場」としての「エンターテインメント」を欲した。
 先輩格にあたるフランシス・フォード・コッポラが『ゴッドファーザー』(72)で描いたイタリア系マフィアの結婚式や、『地獄の黙示録』(79)でジャングルを焼き払うナパームの華麗なスペクタクル(祝祭)には、「ポリティクス」と「エンターテインメント」の融合があったが、そのコッポラと同じイタリア系アメリカ人俳優から、『ロッキー』(76、ジョン・G・アヴィルドセン監督)のシルヴェスター・スタローンと『サタデー・ナイト・フィーバー』(77、ジョン・バダム監督)のジョン・トラヴォルタが登場。彼らをスターへと祭り上げた。ヘビー級タイトルマッチとディスコ・コンテストもまた、ささやかながら「祭りの場」としての映画興行を盛りあげていた。

 

 もう一つ、70年代後半で思い出されるのは、喫茶店やゲームセンターの窓もない暗く狭い室内に整然と設置されたテーブルゲームと、レモン入りコカ・コーラのグラスとストローである。「スペースインベーダー」のモニター画面に展開する小さな宇宙と電子音の世界に、黙々と興じている風景は、なぜかそのまま80年代に隆盛した初期ビデオレンタル店の狭くて淫靡な雰囲気と重なっており、そこには、自分独りだけのための「侘しき祭り」の贅沢と官能があった。
 80~90年代は、この「極私性」から以前とは別種の活況が生みだされていくこととなるが、さらに時を経た現在、より記号化が進み、細分化され、ときに格安商品として店頭に並べられた中古ビデオやDVDという名の「時の記憶」のなかから、新たな「祭りの熱狂」を引きだせるかどうかは、個々の官能力に関わってくるのかも知れない。
 
   

(渡部幻)
 

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『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

2016-02-01 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
   

 『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)の「はじめに」より。


 『80年代アメリカ映画100』は、タイトルのとおり「80年代のアメリカ映画には、どんな映画があったろう」という本である。
 この前の時代、つまり「70年代」のアメリカ映画は革新の季節として記憶されている。前半を象徴したアメリカン・ニューシネマは、勝利よりも敗北、夢よりも悪夢、体制よりも大衆に、積極的な肩入れをすることによって、いわゆる「ハリウッド」を迎え撃ち、カウンターカルチャーとしての「映画」を燃え上がらせたが、それは自らをも焼き尽くすほどの業火だった。
 一九七九年、当時を代表する若き映画作家フランシス・フォード・コッポラが総決算的な超大作『地獄の黙示録』を発表。この作品に登場するキルゴア大佐は、ベトナムのジャングルにナパーム弾を撃ち込み、敵の殲滅に成功すると、次のような言葉を吐く。
 「ナパームのガソリンの焼ける匂いは、勝利を実感させる」
 この言葉には恍惚があった。それは、本作の制作にすべてを投げ打つコッポラの恍惚であり、狂気でもあったろう。
 やがてカウンターカルチャーは、その濃艶のなかに昇天して、終焉を告げる。
 では、80年代はどうだったろう。フラワー・ムーブメントはもちろん、パンク・ムーブメントすらもすでに終わって、残されたのは、ささやかな「レベル(反抗)カルチャー」だけ、とも囁かれた。



 人は「80年代のアメリカ映画」と言われたときに、どんな作品を思いだすだろうか。
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『E.T.』『トップガン』『ターミネーター』『ビバリーヒルズ・コップ』あたりだろうか? これらは80年代の大ヒット作。テレビでも繰り返し放送された。
 しかしそれだけではない。

 メインカルチャーとサブカルチャーが分裂と融合を繰り返しながら多彩なシーンをつくりだしていたのが80年代である。いまあらためて振り返ると、小粒ながら個性的な作品が、数多くあったことに気づく。ひとつひとつは小さく、短命であったが、結果、バラエティに富んだシーンを形成していた。
 そのため、何をいつどこで、何歳のときに観たかのかによって、80年代の印象はガラリと変わる。万華鏡のごとくカラフルで、赤や青はより原色に近く、白はより白く、黒はより黒かった。

 ロナルド・レーガン大統領とレーガノミクスの時代。
 その背景としての冷戦。そして核戦争、さらにエイズの恐怖。もしくは、パーソナル型パソコンの登場、CD、ビデオデッキとビデオレンタルの普及によるライフスタイルの変化。人の意識は、社会的であるより、より個人的に、より快楽的な方向に傾いてったかもしれない。

 “Good bye 70s...Hello 80s”

 70年代から80年代初頭にかけてのポルノ映画産業を題材とする93年のアメリカ映画『ブギーナイツ』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)に登場する言葉。
 この作品では70年代の終わりに仲間うちの一人が自殺。80年代が不穏さとともに始まる。隆盛を誇った産業はビデオカメラの登場によって内部から崩壊。志が失われ、そのことに傷つきながら、軽薄に染まってゆく。

 

 80年代初頭、映画界は曲がり角にあった。
 アルフレッド・ヒッチコック、スティーヴ・マックィーン、ウィリアム・ホールデン、イングリット・バーグマン、ヘンリー・フォンダ、グレース・ケリーら往年の大スターが次々にこの世を去り、テレビは追悼番組であふれた。スターとは手の届かぬもの、同じ地平に生きていると思えぬ、遥か遠い彼方の存在を差していう。彼らこそ真のスターであり、フィルムだけが捉えることのできる影だった。
 光り輝く「黄金のハリウッド」が、いままさに去ろうとしていたのである。

 ほぼ同じ頃かつてなら想像もできなかった世界観を持つ映画作家たちが現れてくる。
 リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロン、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ――彼らのヴィジョンが「80年代アメリカ映画」の最も革新的な側面を担い、ジム・ジャームッシュ、スパイク・リー、ジョン・セイルズらニューヨーク・インディーズが、ハリウッドとは一線を画する極私的な主題と映像を武器に登場して注目を集めていく。

 70年代までに隆盛を極めたロックの世界も曲がり角に立ち、音楽がただ音楽であれば良った時代が、終焉の時を向かえようとしていた。社会の不良分子であり、ゆえにカウンターカルチャーの先頭に立ち、若者の意識を先導したミュージシャンたちも、産業化し、肥大化した業界のなかで溺れていく。
 80年、元ザ・ビートルズのジョン・レノンがニューヨークの街角でマーク・チャップマンに殺されたまさに同じ年にMTVが開局、「映像付きの音楽」がお茶の間に流れ込む。
 「映像に音楽が付いている」のではなく「音楽に映像が付いている」。この転倒のなかから新たな感受性と価値観をもつ新世代の映像アーティストたちが現れてくる。彼らを起用することでマイケル・ジャクソンやマドンナが一時代を築き、テレビとロックの融合は「バンド・エイド」として結実。ロンドンのウェンブリー・スタジアムとフィラデルフィアのJFKスタジアムで開催された「アフリカ難民救済」の一大チャリティ・コンサートは、計12時間に及び、世界84カ国で同時衛星中継された。

 
 
 しかし、80年代で最も画期的だったのは、ビデオデッキとソフトレンタルの急速な普及かもしれない。ビデオは、一家に一台、一人に一台の友となって、人と機械の境界を溶かし、より身近にしたのだ。

 昔々、映画は劇場で観るほかに選択肢を持たなかった。たったいま、闇の銀幕を飾る映画も、来週になれば、また違う作品に入れ替わり、終幕の明かりが点れば消えてしまう。
 映画は、打ち上げ花火であり、つねに滅びゆく運命にあると思えた。基本そういう認識があるからこそ、人々は劇場に出かけた。
 映画は、後戻りすることのできない一回性の体験だった。変化し続ける川の流れ、車窓から眺める風景のようなもの。その儚さが切実だった。ドラマティックであり、ロマンティックで、ときにエロティックですらあった。

 ビデオの出現はそれを変える。
 二度と再会できないと信じてきた、あの作品をもう一度観ることができる。自宅で、しかも自ら選んで、早送りや巻き戻しまでも可能だ。
 夢のマシン――大袈裟に言えばビデオは歴史や時間、記憶に対する人の意識をも変えたのだ。
 レンタルビデオ店の宇宙空間にはあらゆる時代が並存している。
 ビデオテープはさながら手の平サイズのタイムマシーンになり、80年代から50年代へ遡り、次は20年代に飛ぶことも可能だ。時の流れなど無視して、興味の趣くがままにランダムに飛んでゆけばいい。たったいま感動した作品が「あなたの最新作=現在」になるのだ。
 それはビデオによる意識変革だった。人々の意識に潜む官能を刺激し、拡大しながら、同時に、人をより個人的な存在に変えた。
 やがて「映画」はかつての栄光を失っていく。ましてカウンターカルチャーでなく、せめてサブカルチャーですらなくなってゆく。
 フィルムは反映する。映画は、人の世の似姿なのだ。

 
 
 人と同じように映画にも色気が、官能が必要なはずだろう。華やかな官能、疲労感の官能、淫靡な官能……映画鑑賞はひとつの色事だ。色事には生があり死がある。肉感的かつ触覚的で生々しく、人を幻に惑わせる官能の火照りに、その身上がある。
 あの80年代にもそれはあったか? そして現在にもまだあるだろうか?

 PB あなたにとって80年代の夢は何ですか?
 ジョン・レノン 「自分の夢は自分でつくるのさ。ビートルズがそれだし、ヨーコもそれだよ。ぼくがいま言っていることがそれさ。自分自身の夢を作り出せ、さ。ペルーを救いたければ、ペルーを救うのさ。何をやるのも可能さ。でも、リーダーたち――つまりパーキング・メーターにやらせようとしても不可能だよ。ジミー・カーターやロナルド・レーガンやジョン・レノンやオノ・ヨーコやボブ・ディランがやって来て、君の代わりにやってくれるとは思わないことさ。自分でやらなきゃ駄目なんだ。遠い遠い昔から、偉大な男女が言ってきたことだよ。いま神聖なものと呼ばれ、内容ではなく、その表紙があがめたてまつられているいろいろな本の中で、偉人たちは道を指し示したり、道標やちょっとした指示を残したりできる。でも、そうした指示は誰もが見るようにそこにあるんだし、過去にも常にそこにあったし、未来でもそこにあるはずだよ。太陽の下では、新しいものなんか何もないんだよ。すべての道はローマに通ずさ。でも、君には他人にその道を提供することはできないんだ。ぼくには君の目を醒ますことはできない。君になら、君の目を醒ますことができるんだ。ぼくには君の傷を治せない。君になら君の傷を治せるんだ。」(『ジョン・レノン/PLAYBOYインタビュー』(集英社))


※原文を加筆修正。(渡部幻)

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【リンク更新!】『80年代アメリカ映画100』~番外リンク集編~まだある80年代傑作映画(渡部幻)

2012-03-03 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社より発売中)の「番外編」です
)。

1985




ポール・シュレイダーの『ミシマ』は、三島由紀夫を素材にしたビジュアルアートとして優れている。石岡瑛子がシュレイダーにくどかれて担当した美術は映画史に残る偉業であり、カンヌ国際映画祭で芸術貢献賞を獲得した。フィリップ・グラスの音楽、緒形拳、沢田研二、烏丸せつ子、横尾忠則をはじめとする日本の豪華出演陣。シュレイダーは凝りに凝っており、割腹に到る現在をリアリズム調、三島の過去をモノクロ、小説の映像化部分を極度に様式化したスタイルで描きわけていく。そんな本作はその内容よりも視覚性の優位にこそ見るべきものがあり、その点でこれは映像の実験に意欲的な製作者コッポラの作品でもあると言えるだろう。しかし残念なことに三島夫人からの許諾を得ることができず日本での公開は見送られた。→「本編」(『80年代アメリカ映画100』に収録)

※『ミシマ』について――石岡瑛子。「わたしが『ミシマ』でやった仕事を、日本人の目で見て判断しえもらえないのは、本当に残念です。自分でこっそり映画を上映しようかとも思いましたが、右翼団体から脅迫されてしまって・・・三島夫人の抗議はばかげています。彼女は論理的でもなければ、およそ知的な女性とも言えません。まったくの主婦感覚で、言うことがまるで感情的なんです。自分がホモセクシュアルの男性と結婚していたと思われたくないんでしょうね。まったくばかげたことです。先日、とある文芸評論家と話したんですが、三島が自殺する前は、奥さんは彼の小説をまったく読んだこともなかったそうですよ」(『ラヴェンダー・スクリーン』より引用)




トラブル・イン・マインド』に限らずアラン・ルドルフがつくる映画はなんとも奇妙である。クリス・クリストファーソンが自らのキザな個性をパロディ化し、ジョン・ウォーターズ作品で有名な怪優ディヴァインと対決するという作品だが、そのとらえどころない「変さ」は、多分にキース・キャラダインが受け持ってる。ここでキースは真面目だった男が悪に染まり次第にパンクをさらにマンガにしたような男に変貌していく様を演じる。キースはルドルフ作品の個性の体現者だったが、現在ルドルフは彼に匹敵する体現者を見つけられず、低迷している。80年代の最もオリジナルな作家としてのルドルフの映像は(これも奇妙なかたちで)人工的かつ様式的な世界観を構築している。その世界の住人たる登場人物はみな揃いも揃ってどことなく間が抜けており、その抜け方からえもいわれぬ切なさが滲んだときに初めて「ルドルフ・ワールド」は完成する。かように正体のつかめない曖昧さがルドルフの身上だが、彼自身その個性をもてあましているようなところがあり、ここに師匠アルトマンとは異なる彼の弱点があるのではないか。おそらく内容面では『チューズ・ミー』が、視覚的には『トラブル・イン・マインド』が――栗田豊通の見事な撮影が手伝い――最も完成形に近づいた作品だと言えるだろう。




LA大捜査線/狼たちの街』は、低迷期に入ったウィリアム・フリードキンが久しぶりに放った起死回生のヴァイオレンス映画である。死につかれた狂犬のごとき刑事の異常な捜査手法を描いているが、その遠慮呵責ない描写で、北野武の『その男、凶暴につき』に多大な影響を与えた(ラストシーンもそっくりだ)。『フレンチ・コネクション』などドキュメンタリースタイルを最大の特長としたフリードキンが、ここでは撮影にロビー・ミューラーを迎えて、LAの景観を美しく切るとりながら、まばゆい陽光の下で行使される数々の暴力描写――執拗に繰り返される顔面破損描写――で観る者を圧倒するのである。ウィリアム・デフォーがアーティスティックな偽札犯を演じ、新鮮な悪役俳優の登場を印象付けた。




コットンクラブ』は、やはり低調だったフランシス・フォード・コッポラが「起死回生の一作」を狙った大作である。だが、「第二の『ゴッドファーザー』」を期待する人々からの評判は悪かった。しかしそのことは本作の名誉を傷つけるものではなく、むしろコッポラがいまだ新しい試みに挑戦し続けていたことの証明になっている。「コットンクラブ」は1920年代のハーレムに実在したクラブで、時のギャングやハリウッドスターたちが集まる文化拠点であり、70年代後半における「54」のような存在だった。コッポラはここに交錯する群像模様をミュージカル・スタイルで描きつつ、十八番の華麗な暴力描写を絡めていく。たしかにコッポラの野心は生煮えで、ドラマの要となる人種問題の描写など説得力が弱く、主演のリチャード・ギアも精彩を欠いている。見所は、実在のアイリッシュ・マフィア、ダッチ・シュルツに扮したジェームズ・レマーのあくの強い芝居と、グレゴリー・ハインズが「死のタップ」を披露するクライマックス・シーン。「タップ」と「殺し」が不気味にカットバックするこの場面でコッポラの天才がようやく息を吹き返し、流麗なロマンティシズムが画面に花開いていく。この絢爛たる映像の切れ味と全編を彩るジョン・バリー監修のジャズの数々を堪能できるだけで『コットンクラブ』には一見の価値があるだろう。




マイケル・チミノは超大作『天国の門』で老舗ユナテッド・アーティスツ社を倒産に追い込み、以後のハリウッドを骨抜きにした張本人と目され、再起不能をささやかれた。しかし、イタリアの大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスがチミノの才能を買って『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で復帰をとげるまでに、そう長い時間はかからなかった。チミノはアメリカのマイノリティがいかに苦渋を舐めてきたのかに関心を抱いてきたが、本作では、ポーランド系刑事(ミッキー・ローク)とチャイニーズ刑マフィア(ジョン・ローン)の抗争を描いて、相変わらない「アメリカへの嫌がらせ」を展開。この壮大な暴力絵巻は、よもや「アート」などというヤワを寄せつけぬ巨大な映像の力で観る者を圧倒する。アメリカに中国を再現するチャイナタウンの迷宮を、さらにオールセットで再現するという蛮行に、チミノの荒ぶる活動屋魂が炸裂するのである。以下、チミノのインタビュー記事から引用。
 「スタンリー・ホワイトにしても、ジョーイ・タイにしても、彼らは鉄道建設のために連れて来られた大勢の移民たちとは一味違った、よりアメリカ人らしい役柄を演じている。アメリカという国は、基本的には人種差別ができない国なのだ。というのも、アメリカは外国人が集まってできた国だからだ。いったい誰が純粋なアメリカ人といえるのだろうか?彼(ジョーイ・タイ)はスタンリーと同じ境遇にいる人間である。彼らは現代の戦士なのだ。興味を持った全く違うものに対して、全く違う行動を起こすのだ。そして、彼らは互いに立ち向かっていったのである。中国人はアメリカ人にとても似ているところがある。多様性という点において、彼らは全く同じである。中国人はズバ抜けて天分豊かな民族だ。彼らは働くことにおいて、限りない才能を持っている。そして、アメリカ人の文化のすべてを包み込んでしまうような芸術的な伝統も持っている。私は、アメリカに住む中国人は向こう一〇年くらいでこの国において大きな文化的影響を与えるようになるだろうと思う」キネマ旬報 NO928より.【日本版予告編】http://youtu.be/HZemMn574Hk

 

ケヴィン・レイノルズの『ファンダンゴ』は80年代に多数制作された「60年代回顧もの」の隠れた秀作である。そうしたなかの一本『再会と時』(ローレンス・カスダン)に出演しながらカットされてしまったケヴィン・コスナーがここでは主演をつとめる。タイトルの「ファンダンゴ」とは「バカ騒ぎ」のこと。本作では「60年代」そのもののことで、その終焉と向き合う青年たちを描いたロードムービーである。ベトナム戦争ただなかで大学を卒業しようとしてる仲間たち。そのうちの一人が結婚を目前に不安にかられているのを見とったコスナーが「最後のバカ騒ぎ」を提案、ドロップアウトの旅に出る。ラストの感傷も心地よい。2009年の傑作コメディ『ハングオーバー』は本作を下敷きにしていると思えるが、どうだろう。




90年代のアメリカ映画界を席巻した「インディーズ・ルネッサンス」。その前触れは80年代中盤にあり、コーエン兄弟の『ブラッドシンプル』、そしてガス・ヴァン・サントの『マラノーチェ』はその代表的な1本である。50年代のビート作家やアンディ・ウォーホルらのアヴァンギャルド映画、そしてコッポラの『ランブルフィッシュ』から影響を受けたガス・ヴァン・サントの原点がここにある。ニュークィア・シネマの代表作であり、先駆的な本作なくして、『ポイズン』のトッド・ヘインズ、『恍惚』のトム・ケイリン、『リビング・エンド』のグレッグ・アラキらの台頭はなかったかもしれない。




「ローリングストーン」誌の「80年代映画ベスト1」に選ばれた『レイジング・ブル』で頂点に立ったマーティン・スコセッシの隠れた傑作といえば『アフターアワーズ』を置いてほかにはない。本作でスコセッシは「インディーズ・シーン」に返り咲き、カンヌ国際映画祭で監督賞を獲得した。ヤッピーのコンピュータ・プログラマーが一夜の刺激を求めて、場違いなソーホー地区に迷い込み、味わうことになる神経衰弱ぎりぎり悪夢が、超高速の展開のなかに描かれる。80年代初頭のニューヨークのナイトライフが魅惑的に描写されて、さながら「もう一つの『タクシードライバー』」である。ミヒャエル・バルハウスの超絶テクニックが冴え渡りうなりをあげる撮影、ベートーベンからラテン音楽、ハードコアパンクに至る音楽のすべてがスコセッシ印。ソーホーをうごめく魑魅魍魎のアーティストたちや、ロザンナ・アークウェット、リンダ・フォレンティーノ、テリー・ガー、ヴァーナ・ブルームら個性派女優が演じるエキセントリックな女性像にいちいちリアリティがあり、彼女らに翻弄される主人公の滑稽さは、カフカをオーソン・ウェルズが映画化した『審判』を彷彿とさせる。




不眠に悩む都会人の姿はきわめて「80年代的」な風景でありカルチャーのひとつだったといえる。80年代最高のコメディ監督ジョン・ランディスの『眠れぬ夜のために』は、スコセッシの『アフターアワーズ』とともに「不眠症時代」を代表する作品である。スコセッシのNY型神経症的コメディと異なり、ランディスがLAを舞台に描いたのはボンヤリと頭のゆるい巻き込まれ型サスペンス・コメディである。主演は不眠症顔のジェフ・ゴールドブラム、謎の美女はミシェル・ファイファー。デヴィッド・ボウイ、ドン・シーゲルなどカメオ出演も豪華。こんな映画こそ座右に置いておいて「眠れぬ夜に」何の気なしにデッキにセットしたくなる。




80年代は50年代を超えるSFとホラー映画の全盛時代だったと言える。メジャーからマイナーまで膨大な量の傑作・駄作がつくられ、レンタルビデオの普及がその隆盛を後押ししたのである。『ダークスター』『エイリアン』『トータルリコール』の脚本で知られる奇才ダン・オバノンはこの時代に活躍した映画人のなかでもひと際印象に残る映画人のひとり。彼の監督作『バタリアン』は実に風変わりなゾンビ映画である。軍部が極秘に開発した化学薬品が事故により外に漏れて甦った死体=ゾンビはなんと「走る」のである。次々に喰われゾンビ化していく人々。真っ二つに割られた標本の犬やミイラ化した老婆がぴくぴくと動き出すナンセンスがイキイキと描かれてこれほど愉快な作品にはなかなかお目にかかれない。B級にこだわりA級を否定し続けた蝶ネクタイのホラー紳士オバノンだったが、残念なことに2009年この世を去った。

次回に続く。(渡部幻)

芸術新聞社の「アメリカ映画100シリーズ」

">『ゼロ年代アメリカ映画100』(渡部幻、佐野亨編)発売中

">『80年代アメリカ映画100』(北沢夏音監修、渡部幻主編)

">『90年代アメリカ映画100』(大場正明監修、佐野亨主編、渡部幻編集)3月発売

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【リンク更新!】 『80年代アメリカ映画100』~番外リンク集編~まだある80年代傑作映画(渡部幻)

2012-03-02 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
�1983~84年編
『80年代アメリカ映画』~番外リンク集編~まだある80年代傑作映画

1983



80年代の50~60年代初頭リバイバルは、当時に青春を過ごした世代が、社会人として振り返った感慨から生まれたものが多かったが、それを若年層が享受すると風俗的部分のみが受け継がれる傾向にあるものだ。ザ・シュレルズの62年の名曲と同じタイトルを持つ『ベイビー・イッツ・ユー』は、ノスタルジー・ブームに乗ったメジャー映画だが、時代の急速な変動に翻弄され、価値観がすれ違い別れていくカップルを描いて他とは異なる深みがあった。監督のジョン・セイルズは『セコーカスセブン』で60年代を学生運動に捧げた若者たちの10年後の感慨をほろ苦く描いたが、ここでは「あの時代」を再現。名手ハスケル・ウェクスラーによるパステル画調の撮影が美しい。主演のロザンナ・アークェットがニューヨーク派のミューズ的に活躍しはじめた頃の作品だが、彼女にこのあとマーティン・スコセッシの『アフターアワーズ』やスーザン・シーデルマンの『マドンナのスーザンを探して』などに出演。いわゆるハリウッド女優とは異なる都会的なセンスがキュートだった。




リック・ローゼンタールの『バッドボーイズ』はハードな不良少年映画である。80年代中盤に台頭するブラットパック俳優たちを輩出したコッポラの『アウトサイダー』の「甘さ」は微塵も見られない。ワイルド・ストリートを命を擦り減らしながら生きる少年たちを待ち受ける少年院の生活。クライマックスの凄絶なファイトシーンで、少年のニヒルな瞳から流れた涙が忘れがたい印象を残す。若きショーン・ペンの痩せた肉体ににじむ殺気とやるせなさ。そこに「破格の新人」を見出した者も多いだろう。




卒業白書』でトム・クルーズは本格的な注目を集めた。ごく平凡な高校生が両親の留守中に娼婦(レベッカ・デモーネイ)を呼び、意気投合して「リスキーなビジネス(Risky Business)」を始めるという物語。大人の観賞に耐える風刺コメディだが、その「ビジネス・センス」は「未来のヤッピー」の資格十分というわけだ。「おぼっちゃま」なクルーズがイキイキとし、レベッカ・デモーネイのお色気も評判になった。監督はポール・ブリックマン。タンジェリン・ドリームの音楽も「80年代的」だった。『バッドボーイズ』のショーン・ペンと『卒業白書』のクルーズは81年の『タップス』(ハロルド・ベッカー)で共演していたが、以後の映画界で最も対照的なキャリアを歩んでいく。




ジョン・カーペンターの『クリスティーン』は、『ハロウィン』『ザ・フォッグ』で好調の波に乗った彼が、満を持して挑んだスティーヴン・キングのホラー小説を映像化である。いじめられっ子の高校生が、ある日廃車場で出逢った「運命の彼女」。真っ赤なボディが悩ましい58年型のプリマスフューリー――「彼女」を引き取った少年は「クリスティーン」と名づける。次第に少年は豹変、静かな田舎町は殺戮の場となり、悲劇的な結末を迎えていく。シネマスコープを活かした美しい空間設計が、車と少年の歪んだ悲恋を盛り立て、50Sロックンロールが陽気に鳴り響くなか、カーペンター印のシンセサイザー・サウンドが不気味に重なる……そのクールなオリジナリティには抗いがたい魅惑がある。主演はキース・ゴードン。『殺しのドレス』ではデ・パルマの分身である天才コンピューター少年を演じた。のちに監督となり『チョコレート・ウォー』『マザーナイト』などの秀作を撮った。




スチュアート・ローゼンバーグの『悪の華/パッショネイト』は、いかにもニューヨーク的なストリート・フィルムである。名作『暴力脱獄』や『笑う警官/マジンガン・パニック』で知られるローゼンバーグは、ここでマーティン・スコセッシの『ミーン・ストリート』からの影響を隠さない。イタリア系のチンピラ青年たちを演じるのはミッキー・ロークとエリック・ロバーツ。ことにロバーツは若き日のロバート・デ・ニーロを彷彿とさせる怪演を披露し、ロークを食った。共演者も豪華で、ジェラルディン・ペイジ、バート・ヤング、トニー・ムサンテ、ダリル・ハンナが顔を揃える。『ミーン・ストリート』の鋭さ、深さには遥かに及ばない二番煎じだが、これはこれでなかなか捨てがたい味がある。




ジム・マクブライドの『ブレスレス』は、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』の大胆不敵なリメイクというより、盲目的なオマージュといった方が相応しい。ゴダールがアメリカのB級映画にオマージュを捧げたのをひっくり返してマクブライドはかの革命的傑作にオマージュを捧げたのである。同時代の多くの映画と同じくここにも50年代への目配せがあるが、マクブライドはジェリー・リー・ルイスのロックンロールにアメリカンコミック調の色彩設計とコマ割りのスタイルを映画に持ち込む試みを追求してユニークな成果を出している。これは90年代にクエンティン・タランティーノやハル・ハートリーがやったことの先駆けであり、悪評高い『ブレスレス』を評価を改めさせるひとつのポイントになるだろう。この早すぎた「ポップアート・フィルム」で主演を務めたのは、当時人気絶頂のアメリカ人リチャード・ギアとフランス人ヴァレリー・カプリスキー。もちろん、オリジナルのフランス人ジャン・ポール・ベルモンドとアメリカ人ジーン・セバーグのもじりである。




ジョン・バダムは80年代に安定した作品を連打したエンターテインメント監督だった。77年の『サタデーナイト・フィーバー』でブレイク、『この生命誰のもの』『ブルーサンダー』『ショート・サーキット』『アメリカン・フライヤーズ』『張り込み』『ハード・ウェイ』など多彩な作品を発表、なかでも『ウォーゲーム』は切れのいいSF青春スリラーである。マシュー・ブロデリックが好演するハッカー高校生が、偶然「世界全面核戦争」という「ゲーム」にアクセスして遊びはじめる。それは北アメリカ航空宇宙防衛司令部の「核戦争プログラム」であり、起動したコンピュターは米ソ全面核戦争の準備を着々と開始していく……。核戦争をゲームと重ねてキューブリックの『博士の異常な愛情』を思わせる風刺が効いて、勝者のいない「三目並べ」を効果的に使う終盤の盛り上げがユニークだった。




80年代のアメリカ映画界にはまだサム・ペキンパーがいたことが不思議なくらいだ。遺作となった『バイオレント・サタデー』はロバート・ラドラムのスパイ小説『オスターマンの週末』の映画化。時代の先端をいく「メディア監視」の恐怖を描いたスリラーで、ペキンパーの得意分野とはいえない。しかし奇妙なおもしろさがあるのもまた事実で、ルドガー・ハウアー、ジョン・ハート、バート・ランカスター、クレイグ・T・ネルソン、デニス・ホッパーなどキャストも異色の顔ぶれだった。トレードマークのスローモーションはおざなりな使い方だったが……。




ペキンパーやハル・アシュビーと比べれば晩年のボブ・フォッシーはまだ健在を感じさせた。遺作『スター80』は、『レニー・ブルース』などショービジネスの世界を描かせれば右に出るもののないフォッシーが、雑誌「プレイボーイ」の人気プレイメイト「ドロシー・ストラットン殺害事件」の顛末を描いた作品である。時代の「不穏」を巧みに捉えた力作で、観る者はこの悲劇の底に70年代の夢の終焉を感じとるだろう。ドロシー役に『マンハッタン』(ウディ・アレン)『マイライバル』のマリエル・ヘミングウェイ、彼女を殺害した恋人役に『キング・オブ・ジプシー』(フランク・ピアソン)『悪の華/パッショネイト』のエリック・ロバーツが扮した。


1984




ランブルフィッシュ』はフランシス・フォード・コッポラの実験精神精神が冴えた青春映画として忘れがたい一編である。(『80年代アメリカ映画100』の表紙に選出)。本作の夢幻的な視覚・音響スタイルは超大作『地獄の黙示録』と同一線上にあり、のちの『テトロ』などほとんど続編といっていい。これらを通じてコッポラは自らの内省的な側面を表現してきたが、その姿勢と手法が80~90年代のインディーズ作家たちに与えた影響は大きく、特にガス・ヴァン・サントの『マラノーチェ』『ドラッグストア・カウボーイ』などに顕著だった。マット・ディロン、ミッキー・ローク、デニス・ホッパーが家族を演じるが、ことにバイクボーイ役のロークの登場は衝撃的。トム・ウェイツ、ニコラス・ケイジ、クリス・ペン、ダイアン・レイン、ソフィア・コッポラらが脇をかため、いま見るとかなり豪華。ポリスのドラマー、スチュアート・コープランドの音楽もインパクトがある。前作『アウトサイダー』と同じスーザン・E・ヒントンのYA小説が原作だが、本作の方に「コッポラらしさ」が横溢している。ちなみに娘のソフィアが一番好きな父親の作品が本作だそうだ。




名誉ある撤退~ニクソンの夜』は、『ストリーマーズ』『わが心のジミー・ディーン』と続いたアルトマンの「16ミリ三部作」の最後の作品である。『ポパイ』で干されて以降、80年代のアルトマンは、舞台劇ばかり積極的に取り上げ、映画のミニマリズムに挑戦していた。『ナッシュビル』『ウエディング』などの群像劇で知られたが、『名誉ある撤退』では文字通りの「一人芝居」である。フィリップ・ベーカー・ホールがアルトマンの「天敵」リチャード。ニクソン大統領に扮し、ウォーターゲート事件発覚後の混乱のなかで大統領執務室に閉じこもり独りごとを語り続けるだけなのだが、奇妙な動作を続けるカメラワークで片時も飽きさせない。異色作中の異色作と言えるだろう。邦題は、ニクソンが不透明なベトナム戦争の終わらせ方に対する公約として語った「名誉ある撤退」から取られている。




アレックス・コックスは『レポマン』で、ローン未払いの車を回収する裏家業=レポマンとパンク青年オットーのエキセントリックな交流を描いた異色作をつくった。冒頭、イギー・ポップのテーマ曲とともにカリフォルニアの地図が映ると「ロスアラモス」がクローズアップになる。続いて、荒野をひた走る一台の車を止めた白バイ警官が謎の「白光」を浴びて骸骨になり、「Feelin'7-UP」を口ずさむオットー(エミリオ・エステベス)が登場する。ロスアラモスは45年アメリカ初の核実験地で、つまり「白光」は「原子力の光」なのである。政府機関から逃げ出した科学者は4人の宇宙人の死体を車に乗せて逃走。オットーらレポマンたちは知らぬ間に危険に接近していくが……。オックスフォードで政治を学び、UCLAで映画を学んだコックスの反体制スピリットが炸裂。ロバート・アルドリッチの『キッスで殺せ』をベースとするこの確信犯的な超B級映画は、核戦争時代の80年代を語るときに欠かせないカルト・コメディとなった。自然光を人工的にみせる撮影はオランダ出身のロビー・ミューラー。『パリ、テキサス』(ヴィム・ヴェンダース)『L.A.大捜査線/狼たちの街』(ウィリアム・フリードキン)『ダウン・バイ・ロー』(ジム・ジャームッシュ)『サンタリア/魔界怨霊』(ジョン・シュレシンジャー)『バーフライ』(バーベット・シュローダー)など風景を異化する特有の眼差しで80年代のアメリカ映画を象徴するルックを生みだした。




80年代の「ニューヨーク・インディーズ」を牽引したのはジョン・セイルズである。『セコーカス・セブン』『リアンナ』『ベイビー・イッツ・ユー』に続く『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』は、そんなセイルズの代表作だ。スピルバーグの『E.T.』の脚本を依頼されるも社会派的に書き過ぎ却下された彼がつくった「非主流派のSF映画」。当然スピルバーグ的なSFXファンタジーではなく、ハーレムに「海から」やって来た黒人の宇宙人(ブラザー)は足の指が三本で、物を直す超能力を持つが、逃亡奴隷であり、白人二人組のバウンティハンターに追われている。 物言わぬブラザーがたどり着いたハーレムはかのコットンクラブで知られる黒人文化のメッカである。貧乏黒人ばかりが暮らすこの街にブラザーは溶け込み、白人ハンターは浮いているが、ここはアメリカなのだ……。オフビートなユーモアと鋭い社会批評にセイルズ一流のセンスが横溢。「ブラザー」は『E.T.』『シザーハンズ』(ティム・バートン)と並ぶ「新手のアウトサイダー」だった。これらの背景にあるのは共通して「差別」への問題意識である。なかでも『ブラザー』は黒人たちの連帯意識が痛快である。3本続けて観てみるとどうだろう。




ラヴ・ストリームス』は80年代につくられた「最も過激な作品」のひとつだといえる。『フェイシズ』『ハズバンズ』『こわれゆく女』『ミニーとモスコウィッツ』『オープニング・ナイト』『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』……ジョン・カサヴェテスがつくる映画ではつねに「感情」の表出が過剰である。本作でも、彼と妻のジーナ・ローランズ扮する兄妹が、感情的な行き場を失い、激情をぶつけ合い、形容しがたい「愛の流れ」なかに巻き込まれていく。2人が披露する禍々しい芝居、それを凝視するカメラ――シンプルな映画である。しかしそのシンプルさゆえに観る者は息詰まる荒波のなかへ放り込まれる。いよいよサービス過剰になっていく「ハリウッド映画」と、そのカウンターとしての「もうひとつのアメリカ映画」。カサヴェテスが巻いた種子がいよいよ育ちはじめていた。




ジョナサン・デミの『ストップ・メイキング・センス』は、ニューヨークのニューウェーヴ・バンド、トーキング・ヘッズのライブを捉えたドキュメンタリー映画の代表作。しかしその枠を越えて重要なインディーズ映画である。ロジャー・コーマン門下生のデミは、初期はバイオレンス・アクション、やがて『メルヴィンとハワード』などのコメディ作家として知られるようになった。その一方、ニューオーダーの「パーフェクト・キッス」などのPVで見事な腕を披露、本作では最盛期のトーキング・ヘッズのライブを記録した。『ブレードランナー』のジョーダン・クローネンウェスによる撮影は色彩が幻惑的で、デヴィッド・バーンの奇怪なパフォーマンスをつかんで離さない。観る者を巻き込む映画的な興奮は「痙攣」的。ウォドレーの『ウッドストック』、スコセッシの『ラストワルツ』と並ぶ音楽ドキュメンタリーの金字塔である。




フランケンウィニー』はティム・バートンがディズニー社でつくった短編だが、不気味かつ繊細で楽しいバートン・スタイルはすでに完成済み。愛犬を亡くした少年が、落雷の力により蘇生させようと試みる物語は、かの『フランケンシュタイン』へのオマージュである。少年役に『ネバーエンディング・ストーリー』(ウォルフガング・ペーターゼン)のバレット・オリバー。母親に扮したシェリー・デュバルは、ロバート・アルトマン(『ポパイ』)、ウディ・アレン(『アニー・ホール』)、テリー・ギリアム(『バンデットQ』)、スタンリー・キューブリック(『シャイニング』)と、異端児ばかりに愛された異能の女優。奇才バートンもまた早くも殿堂入りを果たすべく起用したのであろう。




ボディダブル』は、問題児ブライアン・デ・パルマが『殺しのドレス』『ミッドナイトクロス』に続いて手がけた風刺的なエロティックスリラーである。過激な暴力と性描写で映画表現を拡張すると同時に、非難さらされてきた彼は、次回作の主題を「80年代のポルノ映画業界」に定めた。クレイグ・ワッソン扮する売れない役者は幼い頃のトラウマで閉所恐怖症である。恋人の浮気を目撃し、オーディションからも落ちて、あげくに美女電動ドリル殺人事件を目撃してしまう。やがて主人公は魑魅魍魎うごめくポルノ業界に接近し、メラニー・グリフィスが魅力的に演じる気立てのいいポルノ女優に出会うが……。ソフトフォーカスの映像が印象的な前2本と異なり、ここでは『ファントム・オブ・パラダイス』に近いコミカルで下品な風刺スタイルである。またフランキー・ゴーズ・トゥ・リラックスの放送禁止曲「リラックス」が流れるシーンでは『サンセット大通り』などパロディスト・デ・パルマの面目躍如。




肉体の悪魔』『トミー』の鬼才ケン・ラッセルの『アルタード・ステーツ』に続くアメリカ映画『クライム・オブ・パッション』は背徳的かつ変態的な作品である。『2つの頭脳を持つ男』のキャスリーン・ターナーが「二つの顔を持つ女」を演じ、アンソニー・パーキンスが異常そのものの神父を演じる。スキャンダラスな性描写とブラックユーモアは、観る者をいやな気持ちにさせること請け合いである。同時期に公開されたデ・パルマの『ボディダブル』を超える問題作となり、自作が論争になることを期待したデ・パルマを失望させた。




OCとスティッグス/お笑い黙示録』はアルトマンのキャリア中、最も評判の悪い作品であると同時に、ほんの少しの熱狂的なファンを獲得している作品である。80年代は映画の客層が若者中心に偏り、膨大な「青春映画」が作られた。青春映画嫌いのアルトマンはそんな風潮にさからい、その下らなさを皮肉るために「下らない青春映画」を作ったのである。その意味でこれは戦争の下らなさを下らなく描いた『M★A★S★H』に近い。アルトマン一流の悪ふざけが炸裂したコメディであり、『地獄の黙示録』のパロディを演じるデニス・ホッパーの姿や、キング・サニー・アデの楽曲を楽しめる異色作である。川勝正幸は宝島社刊行の「このビデオを見ろ!」のなかで自身の「クリエイティヴの恩人」としてアルトマンの名を挙げているが、そのあまりにもねじれた根性ゆえに、これはかえって難解な作品となった。そんな本作が「早すぎた作品」である証拠は、のちに人気を博した『ビルとテッド』シリーズに多大な影響を与えていることからもうかがえる。




マリアの恋人』はソ連のアンドレイ・コンチャロフスキーによる秀作である。彼はソ連映画『ワーニャ叔父さん』で注目され、アメリカで黒澤明脚本の『暴走機関車』を撮ったことで知られるが、本作の美しさも捨てがたい。第二次大戦後のペンシルヴァニアを舞台に、戦争帰りのサヴェージが結婚したキンスキーがかつて彼が知っていた純情な娘ではなかったことを知るという物語。最も美しい頃のナスターシャ・キンスキー、ジョン・サヴェージ、キース・キャラダイン、ロバート・ミッチャム、ヴィンセント・スパノが名を連、加えて『バード★シット』『少年は虹を渡る/ハロルドとモード』のカルト俳優バッド・コートも顔を見せる。


次回に続く(渡部幻)。


芸術新聞社の「アメリカ映画100シリーズ」

">『ゼロ年代アメリカ映画100』(渡部幻、佐野亨編)発売中

">『80年代アメリカ映画100』(北沢夏音監修、渡部幻主編、大場正明、佐野亨)

">『90年代アメリカ映画100』(大場正明監修、佐野亨主編、渡部幻)3月発売

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【リンク更新!】『80年代アメリカ映画100』~番外リンク集編~まだある80年代傑作映画(渡部幻)

2012-02-24 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
 

『80年代アメリカ映画100(芸術新聞社から発売中)で紹介し切れなかった作品を紹介。いまやレンタル屋にもない作品がありますが、Youtubeなどで探せば見つけられることもあります。カナダやイギリスの作品も含みますが、80年代の映画状況を考えると欠かせないのが「ビデオ」の普及であり「ビデオレンタル」の流行です。映画は映画館やテレビ放送だけのものではなくなりました。しかしいまや21世紀。大量の本編や予告編が「ただ」で観れてしまう。タイトルやスチール、紹介文を読んでピンとこなくても映像そのものをチェックできますので確認してみてください。
※タイトル部分かリンク部分をクリックしてください。改めて少しずつ更新していきます(2016.2)。

1980




1980年といえば、ジム・ジャームッシュが、『パーマネント・バケーション』を引っさげて登場した年。都市を放浪する青年の心象を捉える彼の感性が、当時のニューヨークの殺伐とした風景に似合い、無気力な世代に強くアピールした。79年にジョン・セイルズの『セコーカス・セブン』、80年にエリック・ミッチェルの『アンダーグラウンドUSA』が登場。80年代の「ニューヨーク・インディーズ・シーン」が開花していく。

ジャームッシュは語る。
――第1作目の“Parmanent vacation"も“ストレンジャー・ザン・パラダイス”も、モラトリアムにとらわれた人間がテーマ。それがあなた?
「僕も僕の友達の多くもね。僕はものごとをあるがままに受け入れる人間に興味がある。野心や成功のために闘うなんていうアメリカ的考え方にはみんなもうウンザリしているんじゃないかな。少なくとも僕はゴメンだ。僕はもっとリアルな奴ら、中心から外れてしまい、うまいこと調子をあわせられないアウトサイダーが好きだ。汗水たらして成功を追い求めるなんてバカらしい。お金もうけもどうだっていい。でも自分にとって大切な何かを守ろうとする普通の奴ら、それが僕のテーマなんだ」〈『ストレンジャー・ザン・パラダイス』LDのライナーノーツより)





ロバート・アルトマンは『ポパイ』で、かのフライシャー兄弟の名作アニメを実写化。あの超現実的な「動き」をそのままにグロテスクに映像化したアルトマンの天才は、ハリウッドから干されるきっかけとして十分なものだった。ときに「呪われた映画」とも形容されることもある奇妙な作品だが、ハリー・ニルソン、ヴァン・ダイク・パークスらの音楽、ポパイ役で映画デビューのロビン・ウィリアムズ、オリーブ役のシェリー・デュバルの不思議な可愛さに参ってしまうファンも多い。




ウィリアム・フリードキンの『クルージング』は、ハードゲイ・ワールドに潜入した刑事(アル・パチーノ)の「ハードコアな体験」を描くサイコ・スリラーである。演技・撮影・音楽・編集のすべてが過激。ボイコット運動に発展した問題作だが、当時のニューヨークを捉えた映像の記録としても濃密だ。ロケーションの迫真性、パンクなサウンドトラックの使用法など、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』『恐怖の報酬』の鬼才、面目躍如。ラストの不穏さが尾を引く。

フリードキンは語る。
黒田邦雄――ぶしつけな質問ですが、あなたにとって善とは、悪とは何でしょう。
「その質問は、世界は何ですか、というようなものだよ。答えられない。人間が毎日吸い込んだり吐いたりしているのが、善と悪だ。その二つにはさまれて、人間は生きている。少なくともアメリカの法律は善悪と関係なく、〈正義〉というものの象徴だ。道徳的なものではない。法律というのは、例えば物を盗んだ、女をレイプしたといった場合、何故そういうことをしたかということは関係ない。ただ、やったかやらなかったか、それだけが問題にされる。文学は何故の部分に興味を持つ」「僕の映画には、アメリカ的な〈正義〉は出てこない。しかし、だからアメリカの観客に嫌われているとは思わないね。現実に『フレンチ・コネクション』や『エクソシスト』は、大ヒットだ。もっとも、僕の映画が大衆に愛される類の映画とは、もちろん思っていない」(「ムービーマガジン」'80Marchより)





ウォルター・ヒル監督作『ロング・ライダース』には,映画史にも稀なクールな銃撃が展開する。当時アクション映画ファンの多くは、サム・ペキンパーの真似をしたスローモーションの大流行に飽き飽きしていた。そこにヒルが披露したのは「映像と音響のアート」だった。南北戦争後に実在した強盗団に扮する、キャラダイン兄弟、キーチ兄弟、クエイド兄弟、ゲスト兄弟など実際の兄弟俳優たちが、役の上でも兄弟を演じるキャスティングもユニークだった。ライ・クーダーの音楽も渋い。




ウディ・アレンの『スターダスト・メモリー』は、彼が敬愛するフェデリコ・フェリーニの半自伝的な『81/2』へのオマージュである。同時に、このモノクロ・アートはアレン自身の半自伝でもあり、ニューヨークが生んだ天才映像詩人の苦悩が、ユーモラスかつシュルレアリスティックに綴られる。よくぞ集めた「妙な顔」をした人々。そのなかに咲く女優たちの魅惑。冒頭の幻想場面に登場するのは、若くて可愛いらしいシャロン・ストーン。シャーロット・ランプリング(『愛の嵐』)、ジェシカ・ハーパー(『サスペリア』)らを色っぽく捉えたのは『ゴッドファーザー』の名カメラマン、ゴードン・ウィリス。




ニューヨークのアウトロー映画作家アベル・フェラーラの『天使の復讐』は、80年代初頭を代表するB級カルトだろう。「一日に二度」レイプされた聾唖女性(ゾー・タマリス)が、以来、夜のニューヨークを徘徊し、男たちを殺害してまわる。「尼僧姿での銃撃」はきわめてフェラーラ的な伝説の名場面。70年代から社会問題になった自警主義は『ダーティハリー』『狼よさらば』『リップスティック』などを生んだが、しかしこれはフェラーラ作品ゆえ、安易な「正義」が振りかざされることはない。むしろ「殺しの中毒者」となってしまった女の悲哀がにじむ。




リチャード・エルフマンの『フォービデン・ゾーン』は、80年代初頭のアメリカならではのB級パワーが横溢するカルト中のカルトである。『ロッキー・ホラー・ショー』の80年代版と言われることもある奇人変人たちの狂騒的なアンダーワールドは、リチャードとダニーのエルフマン兄弟が率いる「オインゴボインゴ」の舞台から生まれたもの。バカバカしくもマニアックで隙のない世界観の構築に心から惚れ込むファンは少なくない。リンクで歌うのがかのダニー・エルフマン。




ジェラシー』は鬼才ニコラス・ローグのイギリス映画。しかしアメリカとの縁が深い作品なので紹介。サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルが主演。ハーヴェイ・カイテルが脇を固め、トム・ウェイツが音楽で参加。とくにカイテル扮する蛇のように付きまとう刑事が出色。イギリス俳優では出ないだろう骨太な怖さを感じさせる。日本では80年代ミニシアター・ブームの草分け「シネマスクエアとうきゅう」の第一回上映作品として正月公開。冒頭におけるテレサ・ラッセルの冷たい瞳とデンホルム・エリオットの切ない表情が、フラッシュバック、フラッシュフォワードを駆使するローグの映像錬金術によって記憶にまとわりつく。




アラン・モイルの『タイムズ・スクエア』は、まじめ少女とパンク少女の出会いと成長を描いたニューウェーヴ時代の青春映画。ティム・カリー扮するDJ、ロキシー・ミュージックで幕を開けるサウンドトラックにモイルの主流的でない「趣味」がうかがえる。そして何より雑然とした活気で溢れるニューヨークの息吹きに魅了される。モイルは思うように編集できずじくじたる思いだったが、90年にクリスチャン・スレーターが海賊放送のDIに扮した傑作『今夜はトークハード』(90)を発表する。→[本編]


1981



カナダ映画。デヴィッド・クローネンバーグの『スキャナーズ』は衝撃的な作品だった。テレビでは繰り返し「頭部爆発」のCMが流れ、興味を煽ったが、それはブライアン・デ・パルマの『フューリー』(78)を想起させつつ、より深く強力なものだった。クローネンバーグ作品としては『ザ・フライ』と並ぶ「娯楽的」な作品であり、悪役マイケル・アイアンサイドのファンも多い。




狼男アメリカン』は、『ブルース・ブラザース』の天才ジョン・ランディスのよるジャンルの枠を越えた作品で、新鮮な驚きがあった。ユーモラスなホラー映画なのだがおふざけではなく、悲劇的な恋愛物語であり、その意味で古典的な風格をも有しているのだ。イギリスの片田舎を旅するアメリカ人二人組が狼に襲われ、助けにきた村人たちが射殺する。一人生き残り、病院に運ばれるが、意識を取り戻した彼は、看護婦に恋をしてしまうが……。ニコラス・ローグの『美しき冒険旅行』の少女ジェニー・アガターが大人になって看護婦役で出演。音楽通のランディスらしい選曲が見事で、リック・ベイカーが手がけた「変身場面」の特殊メイクは、これに先駆けたジョー・ダンテの狼男映画『ハウリング』を超える出来栄えで、語り草となり、新設されたアカデミー賞の特殊メイクアップ賞を獲得した。




衝撃作『俺たちに明日はない』でニューシネマ時代の幕明けを告げた才人アーサー・ペン。その彼の隠れた秀作が『フォー・フレンズ/4つの青春』である。男二人と女一人の15年間を見つめた大人の青春映画だが、それはいまや遠いあの60年代へのオマージュでもあった。主演のジョディ・シーレンがじつに魅力的で、クレイグ・ワッソンはのちにブライアン・デ・パルマの『ボディダブル』に主演した。瑞々しい脚本はスティーヴ・テシック。『ヤング・ゼネレーション』『ガープの世界』(82)を書いた才人だった。




シドニー・ルメットの『プリンス・オブ・シティ』はアメリカの「実録系犯罪映画」の最高峰だろう。ルメットは『セルピコ』『狼たちの午後』など実録系の代表監督。70年代初頭から80年代初頭のニューヨークは、世界最大の犯罪都市と呼ばれていたが、犯罪者たちから「街のプリンス」と呼ばれ恐れられていた汚職刑事たちの息詰まる日常が焙り出される。非凡なロケーションセンスで観る者を現場のなかに叩き込み、芸達者な役者たちから名演を引き出す。その主題性、迫真性の点から見てもルメットの最も妥協のない作品となった。




マイケル・マンは劇映画デビュー作『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』で犯罪者の悲哀をリアルかつスタイリッシュな映像美で彩りファンの注目を集めた。ジェームズ・カーンはプロの金庫破りだが、ついに「本物の愛」を見つける。足を洗いたいが、しかし組織は許さない。日本の任侠映画やポール・シュレイダー脚本の『ローリング・サンダー』などを思わせる男のじくじたる哀感が、終盤の「殴りこみ場面」に集約される。タンジェリンドリームの音楽、ジム・ベルーシ、チューズデイ・ウェルド、ウィリー・ネルソンら共演者、ウォルター・ヒルに通じる都市の夜景も新鮮だった。マンの美意識は近年のクリストファー・ノーランやジョニー・トーの作品、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ドライブ』などに影響を与えている。




ウルフェン』は、ドキュメンタリー映画を革新した『ウッドストック』のマイケル・ウォドレー監督の初劇映画であり、いまのところ最後の作品だ。ホラー映画のごとく宣伝されたが、これはウォドレーならではのエコロジカルな文明批評である。ニューヨークの廃墟に潜む「獣たち」と彼らの棲み処を破壊する文明の対立。シネマスコープを活かしたロケーション、ソラリゼーションとスティカムカメラの活用が不気味かつ美しく、異色の作品となった。アルバート・フィニー主演。『もののけ姫』と比較してみるのもおもしろい。




ゴースト・ストーリー』は往年を思わせるユニバーサル社のホラー映画の拾い物。フレッド・アステア、メルヴィン・ダグラス、ジョン・ハウスマン、パトリシア・ニールらベテラン出演陣が厚みあるクラシカルな雰囲気を盛り上げ、脚本にラリー・コーエン(監督作『悪魔の赤ちゃん』『ブラック・シーザー』、脚本作『刑事コロンボ』『探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!』の脚本)、撮影にジャック・カーディフ(『赤い靴』『アフリカの女王』)、特殊メイクにディック・スミス(『エクソシスト』『タクシードライバー』)、音楽はフィリップ・サルド(『テナント』『テス』)、と豪華な布陣。監督はドキュメンタリー出身のジョン・アーヴィン。彼はこのあとベトナム戦争映画『ハンバーガー・ヒル』で気を吐いた。




シャーキーズ・マシーン』は80年代アメリカ刑事映画の傑作である。監視対象の高級娼婦に惚れた風紀課のしがないデカとその仲間たちの物語だが、主演のバート・レイノルズが監督を兼任してその手腕を披露。際立つのはごく平凡な刑事たちの日常描写。その意味で『破壊!』(ピーター・ハイアムズ監督)や『ハッスル』『クワイアボーイズ』のロバート・アルドリッチ演出を彷彿とさせるが、しかしレイノルズのセンスはよりシャレている。冒頭、空撮に重なるランディ・クラフォードの「Street Life」、その粋な気だるさからアクションへ転じる呼吸も快調。ヘンリー・シルバが「なかなか死なない」殺し屋役を怪演し、高級娼婦役のレイチェル・ウォードも美しい。




ウォルター・ヒルの異色作『サザン・コンフォート』は日本では劇場未公開に終わり、のちにテレビやDVDで紹介された。湿地帯で演習中の小隊が地元住民にいたずらしたことから何者かに一人また一人と狩られてゆく恐怖を描く。ジョン・ブアマンの『脱出』を思わせるスリラーだが、同時に『ウォリアーズ』『ロングライダース』とヒルらしい男の群像劇である。キース・キャラダイン、パワーズ・ブース、フレッド・ウォード、ブライアン・ジェームズら出演陣も脂が乗り切っている。→[本編]




ハーバート・ロスの『ペニーズ・フロム・ヘヴン』は異色のミュージカル映画である。「サタデーナイト・ライブ」で人気のコメディアン、スティーヴ・マーティンが大恐慌時代の営業マンを哀れに演じ、彼が辛い現実に直面すると心の理想像が「ミュージカルになる」のだ。のちの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(ラース・フォン・トリアー)などで一般化した手法の先駆けが本作にあるが、本作の場合、実際にMGMミュージカルの全盛が大恐慌時代で、当時の大衆が厳しい現実をひと時忘れるために銀幕の世界に浸ったことの反映である。こうした「時代の気分」はウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』にも描かれているが、『ペニーズ・フロム・ゲヴン』の場合、現実と幻想のギャップをブラックに描き過ぎたため日本では劇場未公開、しかしカルト的な人気をもつ傑作である。ミュージカルの常識からかけ離れた「暗い照明」の撮影はゴードン・ウィリス、音楽は『コーラスライン』『スティング』で知られるマーヴィン・ハムリッシュ。クリストファー・ウォーケンのミュージカル場面は必見


1982



ラブレス』は、キャスリン・ビグローとモンティ・モンゴメリー共同監督によるフィフティーズ・オマージュである。レザーとバイクへのフェティッシズムが横溢するその世界観は、アンダーグラウンドの巨匠ケネス・アンガーの『スコーピオ・ライジング』を彷彿とさせるが、若きウィレム・デフォーがリーゼントをニヒルにきめて、84年の『ストリート・オブ・ファイヤー』(ウォルター・ヒル監督)の悪役レイベンを先駆けた芝居を披露する。ビグローはこのあとも独特のハードボイルドスタイルを磨き『ニア・ダーク』『ブルースチール』『ハートブルー』などの異色作を連打。イラク戦争映画『ハートロッカー』で初の女性監督アカデミー受賞者となった。




わが心のジミー・ディーン』は女性心理を描いて比類のないロバート・アルトマンが16㎜で撮影した「自主映画」である。ジョン・カサヴェテスと並ぶインディペンデントの父はここで、サンディ・デニス、カレン・ブラック、シェール、キャシー・ベイツなど曲者女優を揃えて、死臭漂う密室劇を生み出した。『雨に濡れた舗道』『イメージス』『三人の女』と続いてきたアルトマン一流の女性分析。ジェームズ・ディーン・ファンクラブの同窓会を軸に、壁面の鏡を駆使して30年間の時を操り、失われた「アメリカの無垢」をテキサスの荒野のなかに置き去りにする。50年代の追想は80年代アメリカ映画の大きな潮流だが、アルトマン作品ゆえここには凡百の郷愁が微塵もない。




ソフィーの選択』をアラン・J・パクラの最高作に推す人もいるだろう。彼は、60年代に製作者としてロバート・マリガン監督と共に『アラバマ物語』を世に問い、70年代は『コールガール』『パララックス・ビュー』『大統領の陰謀』などの社会派スリラーの旗手として名を馳せた。これらではゴードン・ウィリス撮影による「闇」の深さが時代のパラノイアを浮き彫りにしたが、しかし本作は傾向の異なる作品である。これはウィリアム・スタイロンの自伝的小説が原作であり、そこにパクら自身の青春を重ねた作品なのである。その意味で『ソフィーの選択』は、同時代人たるアーサー・ペンの『フォー・フレンズ』やジョージ・ロイ・ヒルの『ガープの世界』と通ずる「回顧ドラマ」とも言えるが、パクラが選んだのは戦勝国アメリカの青年が向き合ったアウシュヴィッツの記憶だった。作家志望のアメリカ青年が愛したポーランド人女性の追想。それは第二次大戦中にヨーロッパが体験した悪夢であり、そこには身を裂く人生の「選択」があった。メリル・ストリープの演技が儚く、鬼気迫り、そして美しい。ここで「青年」が象徴する「アメリカ」の純真である。彼らが「ヨーロッパ」を受け入れ、愛そうとしても、決して埋めることのできぬ「運命の無残」は比類がない。




80年代最初のフランシス・フォード・コッポラ作品『ワン・フロム・ザ・ハート』は、大方の想像を裏切り、莫大な予算をかけたささやかなラブ・ミュージカルをつくった。コッポラは当時「男性映画の旗手」として期待されていたため「最悪の評判」だったが、これはコッポラらしい「実験映画」なのである。ヴィットリオ・ストラーロの撮影が驚異的で、色彩と編集の魔術が生みだす「ラスベガス幻想」に魅惑される。フレデリック・フォレストとテリー・ガー扮する「平凡過ぎる」カップルが、痴話喧嘩をし、互いに浮気をする一夜の物語である。二人がそれぞれ街で出会うのはまるで「平凡でない」非日常的な男(ラウル・ジュリア)と女(ナスターシャ・キンスキー)。彼らの情熱的な歌と踊りが楽しめる作品であり、トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルのテーマ曲も酔わせる。




キャットピープル』は、性と妄執の作家ポール・シュレイダーが『アメリカン・ジゴロ』に続いて発表した作品である。猫族の呪われた血縁を描いたジャック・ターナーの名作ホラーのリメイク。猫族の者は人間に恋してはならない。人とセックスすると豹に変身してしまうからだ。主演は「猫顔」のナスターシャ・キンスキーとマルコム・マクダウェル。マクダウェルは種を絶滅の危機から救うべく妹のキンスキーに近親相姦を迫る。テーマ歌はデヴィッド・ボウイ。ターナーが徹底して「見せない」ことに徹したのに対し、80年代映画たる本作では「大々的に見せる」。そのため「古典派」からはその品性を疑われたが、これはこれで見世物小屋の淫靡な楽しさがあり、異端の性愛に執着する「ネクラ派」のシュレイダーらしい作品となった、様式的な美術と色彩の設計に独特の官能があり、このスタイルは次回作『MISHIMA』で開花していく。




ダグラス・トランブルの『ブレインストーム』はヴァーチャルリアリティを描いた先駆的な異色SFである。トランブルは『未知との遭遇』『ブレードランナー』の特撮監督として知られるが、一方で監督として『サイレントランニング』を手がけている(『月に囚われた男』『WALL-E』に多大な影響を与えた)。『ブレインストーム』は夢の中(つまり脳内)の知覚――興奮や快楽――を記録し、それを他者が共有できるマシーンをつくった科学者たちの物語である。科学者の一人ルイーズ・フレッチャーが「自らの死」を記録し、クリストファー・ウォーケン扮する科学者がこれを「体験」しようとする……。「ヴァーチャル・リアリティ」という言葉が存在しなった時代に作られた作品だが、トランブルはこれを観る者に体感させるべく、70mmシネマスコープの巨大画面を駆使した。また、悲劇的な死を遂げたナタリー・ウッドの遺作としても知られる。




マイライバル』は、あの『チャイナタウン』や『さらば冬のかもめ』などの名脚本家ロバート・タウンの初監督作品。傑作である。ボイコット運動に発展した「モスクワ五輪」を目指したアメリカ人女性選手二人の物語だが、しかし「スポーツ映画」で終わらず、彼女たちの同性愛とセックスを繊細に描写した先駆的な作品となった。撮影はマイケル・チャップマン。『レイジング・ブル』でボクサーの身体運動を美しく捉えていた彼は、本作でも『民族の祭典』『東京オリンピック』『炎のランナー』ともまた一味違うスローモーション撮影を駆使して選手たちの肌、筋肉の震え、汗の温くもりまでも伝えて美しい。主演はマリエル・ヘミングウェイとスコット・グレン、そして本作の「魂」パトリス・ドネリーである。やせ身の肉体からほとばしる官能と力感は、まさしく「選手」ならではのものだ。



★84年以降は次回に続く。(渡部幻)


芸術新聞社の「アメリカ映画100シリーズ」

">『ゼロ年代アメリカ映画100』(渡部幻、佐野亨編)発売中

">『80年代アメリカ映画100』(北沢夏音監修、渡部幻主編、大場正明、佐野亨)

">『90年代アメリカ映画100』(大場正明監修、佐野亨主編、渡部幻)3月発売

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『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を発売しました。

2011-12-16 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)


今回は新刊本の告知させてください。

『ゼロ年代アメリカ映画100』の続編の
『80年代アメリカ映画100』がやっと完成しました。

とにかくバラエティの富んでいた映画環境だった時代の一部分を紹介する本です。

前回から引き続いての、町山智浩さん、滝本誠さん、大森さわこさん、大場正明さん。
そして、川本三郎さん、ピーター・バラカンさん、北沢夏音さん、
さらに監督の塚本晋也さん、松江哲明さん、山下敦弘さん。
豪華な執筆陣によるコラムの数々は最高に楽しい“感性の勉強”のようです。
勉強の楽しさというものを、とにかく知らない僕ですが、
制作期間中いち早く読ませていただき、心からそう感じていました。

70年代と比べると80年代アメリカ映画に関する本はとても少なく、
また語られる作品も大ヒットしたブロックバスター映画に偏りかがちです。
ですが、この本はあえて、それらハリウッド大作よりも、
サブカルチャー的な、もしくはカウンター的な意味合いを持った作品、
なにか新しいことを試み、しかしマニアックだけでない、野心的な作品を中心としました。

主流から多少なりともはみ出している部分、
忘れられている部分にこそ時代の切実が見えてくるのかも知れません。

なにもこの本に選ばれている映画こそが、
動かしがたいベスト100なのだと言うつもりはありません。
間違いなく、ここには私も含む編者たちの偏見の目が介入していることでしょう。
人が偏見から逃れることができるなどという夢物語を信じてはおりません。
そして、同じ映画を同じように読む人も、一人としていないと考えています。
それが偏った目の面白さ、楽しさであるだろうと信じています。

ほかにも面白かった映画は山のようにあります。
なので、とてもとてもたくさんの傑作が選から漏れてしまいました。
でも、それらはまた別の機会に誰かがきっと本にしてくれることだろうと考えています。

もしも、街を歩いている時に、ふと思い出して、ほんの少しでも気が向かれましたら、
ぜひ本屋さんに入って手に取ってください。お気に召していただけましたら幸いです。
(引き続いて『90年代アメリカ映画100』も進行中です)

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『ゼロ年代アメリカ映画100』という「映画の本」を

2011-01-14 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
 

思いのほか制作に時間がかかってしまった『ゼロ年代アメリカ映画100』。しかし、やっとのことで本屋の店頭に並ぶことに。
現代においてもっとも優れた刺激的な映画文の書き手の多くの方々が、ゼロ年代アメリカ映画についての、面白く楽しく、かつ為になるコラムを寄稿してくださっています。「帯」に記載してある順に、町山智浩さん、柳下毅一郎さん、大森さわこさん、今野雄二さん、黒沢清さん、大場正明さん、馬場広信さん、滝本誠さん、添野知生さん、そして対談で、芝山幹郎さんと中原昌也さん・・・錚々たるオールスターキャスト!

草森紳一の大作『中国文化大革命の大宣伝』上下でもお世話になった芸術新聞社(!)の根本さんと僕の企画に、賛同してくれて協力してくださったのは佐野亨さん。僕と佐野さんとともに100本の映画の紹介部分の一部を手分けして書いてくださった方々は、夏目深雪さん、鎌田絢さん、石澤治信さん。そして、見栄えのする装丁を辛抱強く担当してくださったのは最近刊行された『バンドデシネ・コレクション』でも腕をふるっている小沼宏之さんです。

名本『70年代アメリカンシネマ103』の筈見有弘さん、かつてあった多くの雑誌の「映画特集」たちに。


ゼロ年代アメリカ映画100

新品価格¥2,730から



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