真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

【リンク更新!】『80年代アメリカ映画100』~番外リンク集編~まだある80年代傑作映画(渡部幻)

2012-02-24 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
 

『80年代アメリカ映画100(芸術新聞社から発売中)で紹介し切れなかった作品を紹介。いまやレンタル屋にもない作品がありますが、Youtubeなどで探せば見つけられることもあります。カナダやイギリスの作品も含みますが、80年代の映画状況を考えると欠かせないのが「ビデオ」の普及であり「ビデオレンタル」の流行です。映画は映画館やテレビ放送だけのものではなくなりました。しかしいまや21世紀。大量の本編や予告編が「ただ」で観れてしまう。タイトルやスチール、紹介文を読んでピンとこなくても映像そのものをチェックできますので確認してみてください。
※タイトル部分かリンク部分をクリックしてください。改めて少しずつ更新していきます(2016.2)。

1980




1980年といえば、ジム・ジャームッシュが、『パーマネント・バケーション』を引っさげて登場した年。都市を放浪する青年の心象を捉える彼の感性が、当時のニューヨークの殺伐とした風景に似合い、無気力な世代に強くアピールした。79年にジョン・セイルズの『セコーカス・セブン』、80年にエリック・ミッチェルの『アンダーグラウンドUSA』が登場。80年代の「ニューヨーク・インディーズ・シーン」が開花していく。

ジャームッシュは語る。
――第1作目の“Parmanent vacation"も“ストレンジャー・ザン・パラダイス”も、モラトリアムにとらわれた人間がテーマ。それがあなた?
「僕も僕の友達の多くもね。僕はものごとをあるがままに受け入れる人間に興味がある。野心や成功のために闘うなんていうアメリカ的考え方にはみんなもうウンザリしているんじゃないかな。少なくとも僕はゴメンだ。僕はもっとリアルな奴ら、中心から外れてしまい、うまいこと調子をあわせられないアウトサイダーが好きだ。汗水たらして成功を追い求めるなんてバカらしい。お金もうけもどうだっていい。でも自分にとって大切な何かを守ろうとする普通の奴ら、それが僕のテーマなんだ」〈『ストレンジャー・ザン・パラダイス』LDのライナーノーツより)





ロバート・アルトマンは『ポパイ』で、かのフライシャー兄弟の名作アニメを実写化。あの超現実的な「動き」をそのままにグロテスクに映像化したアルトマンの天才は、ハリウッドから干されるきっかけとして十分なものだった。ときに「呪われた映画」とも形容されることもある奇妙な作品だが、ハリー・ニルソン、ヴァン・ダイク・パークスらの音楽、ポパイ役で映画デビューのロビン・ウィリアムズ、オリーブ役のシェリー・デュバルの不思議な可愛さに参ってしまうファンも多い。




ウィリアム・フリードキンの『クルージング』は、ハードゲイ・ワールドに潜入した刑事(アル・パチーノ)の「ハードコアな体験」を描くサイコ・スリラーである。演技・撮影・音楽・編集のすべてが過激。ボイコット運動に発展した問題作だが、当時のニューヨークを捉えた映像の記録としても濃密だ。ロケーションの迫真性、パンクなサウンドトラックの使用法など、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』『恐怖の報酬』の鬼才、面目躍如。ラストの不穏さが尾を引く。

フリードキンは語る。
黒田邦雄――ぶしつけな質問ですが、あなたにとって善とは、悪とは何でしょう。
「その質問は、世界は何ですか、というようなものだよ。答えられない。人間が毎日吸い込んだり吐いたりしているのが、善と悪だ。その二つにはさまれて、人間は生きている。少なくともアメリカの法律は善悪と関係なく、〈正義〉というものの象徴だ。道徳的なものではない。法律というのは、例えば物を盗んだ、女をレイプしたといった場合、何故そういうことをしたかということは関係ない。ただ、やったかやらなかったか、それだけが問題にされる。文学は何故の部分に興味を持つ」「僕の映画には、アメリカ的な〈正義〉は出てこない。しかし、だからアメリカの観客に嫌われているとは思わないね。現実に『フレンチ・コネクション』や『エクソシスト』は、大ヒットだ。もっとも、僕の映画が大衆に愛される類の映画とは、もちろん思っていない」(「ムービーマガジン」'80Marchより)





ウォルター・ヒル監督作『ロング・ライダース』には,映画史にも稀なクールな銃撃が展開する。当時アクション映画ファンの多くは、サム・ペキンパーの真似をしたスローモーションの大流行に飽き飽きしていた。そこにヒルが披露したのは「映像と音響のアート」だった。南北戦争後に実在した強盗団に扮する、キャラダイン兄弟、キーチ兄弟、クエイド兄弟、ゲスト兄弟など実際の兄弟俳優たちが、役の上でも兄弟を演じるキャスティングもユニークだった。ライ・クーダーの音楽も渋い。




ウディ・アレンの『スターダスト・メモリー』は、彼が敬愛するフェデリコ・フェリーニの半自伝的な『81/2』へのオマージュである。同時に、このモノクロ・アートはアレン自身の半自伝でもあり、ニューヨークが生んだ天才映像詩人の苦悩が、ユーモラスかつシュルレアリスティックに綴られる。よくぞ集めた「妙な顔」をした人々。そのなかに咲く女優たちの魅惑。冒頭の幻想場面に登場するのは、若くて可愛いらしいシャロン・ストーン。シャーロット・ランプリング(『愛の嵐』)、ジェシカ・ハーパー(『サスペリア』)らを色っぽく捉えたのは『ゴッドファーザー』の名カメラマン、ゴードン・ウィリス。




ニューヨークのアウトロー映画作家アベル・フェラーラの『天使の復讐』は、80年代初頭を代表するB級カルトだろう。「一日に二度」レイプされた聾唖女性(ゾー・タマリス)が、以来、夜のニューヨークを徘徊し、男たちを殺害してまわる。「尼僧姿での銃撃」はきわめてフェラーラ的な伝説の名場面。70年代から社会問題になった自警主義は『ダーティハリー』『狼よさらば』『リップスティック』などを生んだが、しかしこれはフェラーラ作品ゆえ、安易な「正義」が振りかざされることはない。むしろ「殺しの中毒者」となってしまった女の悲哀がにじむ。




リチャード・エルフマンの『フォービデン・ゾーン』は、80年代初頭のアメリカならではのB級パワーが横溢するカルト中のカルトである。『ロッキー・ホラー・ショー』の80年代版と言われることもある奇人変人たちの狂騒的なアンダーワールドは、リチャードとダニーのエルフマン兄弟が率いる「オインゴボインゴ」の舞台から生まれたもの。バカバカしくもマニアックで隙のない世界観の構築に心から惚れ込むファンは少なくない。リンクで歌うのがかのダニー・エルフマン。




ジェラシー』は鬼才ニコラス・ローグのイギリス映画。しかしアメリカとの縁が深い作品なので紹介。サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルが主演。ハーヴェイ・カイテルが脇を固め、トム・ウェイツが音楽で参加。とくにカイテル扮する蛇のように付きまとう刑事が出色。イギリス俳優では出ないだろう骨太な怖さを感じさせる。日本では80年代ミニシアター・ブームの草分け「シネマスクエアとうきゅう」の第一回上映作品として正月公開。冒頭におけるテレサ・ラッセルの冷たい瞳とデンホルム・エリオットの切ない表情が、フラッシュバック、フラッシュフォワードを駆使するローグの映像錬金術によって記憶にまとわりつく。




アラン・モイルの『タイムズ・スクエア』は、まじめ少女とパンク少女の出会いと成長を描いたニューウェーヴ時代の青春映画。ティム・カリー扮するDJ、ロキシー・ミュージックで幕を開けるサウンドトラックにモイルの主流的でない「趣味」がうかがえる。そして何より雑然とした活気で溢れるニューヨークの息吹きに魅了される。モイルは思うように編集できずじくじたる思いだったが、90年にクリスチャン・スレーターが海賊放送のDIに扮した傑作『今夜はトークハード』(90)を発表する。→[本編]


1981



カナダ映画。デヴィッド・クローネンバーグの『スキャナーズ』は衝撃的な作品だった。テレビでは繰り返し「頭部爆発」のCMが流れ、興味を煽ったが、それはブライアン・デ・パルマの『フューリー』(78)を想起させつつ、より深く強力なものだった。クローネンバーグ作品としては『ザ・フライ』と並ぶ「娯楽的」な作品であり、悪役マイケル・アイアンサイドのファンも多い。




狼男アメリカン』は、『ブルース・ブラザース』の天才ジョン・ランディスのよるジャンルの枠を越えた作品で、新鮮な驚きがあった。ユーモラスなホラー映画なのだがおふざけではなく、悲劇的な恋愛物語であり、その意味で古典的な風格をも有しているのだ。イギリスの片田舎を旅するアメリカ人二人組が狼に襲われ、助けにきた村人たちが射殺する。一人生き残り、病院に運ばれるが、意識を取り戻した彼は、看護婦に恋をしてしまうが……。ニコラス・ローグの『美しき冒険旅行』の少女ジェニー・アガターが大人になって看護婦役で出演。音楽通のランディスらしい選曲が見事で、リック・ベイカーが手がけた「変身場面」の特殊メイクは、これに先駆けたジョー・ダンテの狼男映画『ハウリング』を超える出来栄えで、語り草となり、新設されたアカデミー賞の特殊メイクアップ賞を獲得した。




衝撃作『俺たちに明日はない』でニューシネマ時代の幕明けを告げた才人アーサー・ペン。その彼の隠れた秀作が『フォー・フレンズ/4つの青春』である。男二人と女一人の15年間を見つめた大人の青春映画だが、それはいまや遠いあの60年代へのオマージュでもあった。主演のジョディ・シーレンがじつに魅力的で、クレイグ・ワッソンはのちにブライアン・デ・パルマの『ボディダブル』に主演した。瑞々しい脚本はスティーヴ・テシック。『ヤング・ゼネレーション』『ガープの世界』(82)を書いた才人だった。




シドニー・ルメットの『プリンス・オブ・シティ』はアメリカの「実録系犯罪映画」の最高峰だろう。ルメットは『セルピコ』『狼たちの午後』など実録系の代表監督。70年代初頭から80年代初頭のニューヨークは、世界最大の犯罪都市と呼ばれていたが、犯罪者たちから「街のプリンス」と呼ばれ恐れられていた汚職刑事たちの息詰まる日常が焙り出される。非凡なロケーションセンスで観る者を現場のなかに叩き込み、芸達者な役者たちから名演を引き出す。その主題性、迫真性の点から見てもルメットの最も妥協のない作品となった。




マイケル・マンは劇映画デビュー作『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』で犯罪者の悲哀をリアルかつスタイリッシュな映像美で彩りファンの注目を集めた。ジェームズ・カーンはプロの金庫破りだが、ついに「本物の愛」を見つける。足を洗いたいが、しかし組織は許さない。日本の任侠映画やポール・シュレイダー脚本の『ローリング・サンダー』などを思わせる男のじくじたる哀感が、終盤の「殴りこみ場面」に集約される。タンジェリンドリームの音楽、ジム・ベルーシ、チューズデイ・ウェルド、ウィリー・ネルソンら共演者、ウォルター・ヒルに通じる都市の夜景も新鮮だった。マンの美意識は近年のクリストファー・ノーランやジョニー・トーの作品、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ドライブ』などに影響を与えている。




ウルフェン』は、ドキュメンタリー映画を革新した『ウッドストック』のマイケル・ウォドレー監督の初劇映画であり、いまのところ最後の作品だ。ホラー映画のごとく宣伝されたが、これはウォドレーならではのエコロジカルな文明批評である。ニューヨークの廃墟に潜む「獣たち」と彼らの棲み処を破壊する文明の対立。シネマスコープを活かしたロケーション、ソラリゼーションとスティカムカメラの活用が不気味かつ美しく、異色の作品となった。アルバート・フィニー主演。『もののけ姫』と比較してみるのもおもしろい。




ゴースト・ストーリー』は往年を思わせるユニバーサル社のホラー映画の拾い物。フレッド・アステア、メルヴィン・ダグラス、ジョン・ハウスマン、パトリシア・ニールらベテラン出演陣が厚みあるクラシカルな雰囲気を盛り上げ、脚本にラリー・コーエン(監督作『悪魔の赤ちゃん』『ブラック・シーザー』、脚本作『刑事コロンボ』『探偵マイク・ハマー/俺が掟だ!』の脚本)、撮影にジャック・カーディフ(『赤い靴』『アフリカの女王』)、特殊メイクにディック・スミス(『エクソシスト』『タクシードライバー』)、音楽はフィリップ・サルド(『テナント』『テス』)、と豪華な布陣。監督はドキュメンタリー出身のジョン・アーヴィン。彼はこのあとベトナム戦争映画『ハンバーガー・ヒル』で気を吐いた。




シャーキーズ・マシーン』は80年代アメリカ刑事映画の傑作である。監視対象の高級娼婦に惚れた風紀課のしがないデカとその仲間たちの物語だが、主演のバート・レイノルズが監督を兼任してその手腕を披露。際立つのはごく平凡な刑事たちの日常描写。その意味で『破壊!』(ピーター・ハイアムズ監督)や『ハッスル』『クワイアボーイズ』のロバート・アルドリッチ演出を彷彿とさせるが、しかしレイノルズのセンスはよりシャレている。冒頭、空撮に重なるランディ・クラフォードの「Street Life」、その粋な気だるさからアクションへ転じる呼吸も快調。ヘンリー・シルバが「なかなか死なない」殺し屋役を怪演し、高級娼婦役のレイチェル・ウォードも美しい。




ウォルター・ヒルの異色作『サザン・コンフォート』は日本では劇場未公開に終わり、のちにテレビやDVDで紹介された。湿地帯で演習中の小隊が地元住民にいたずらしたことから何者かに一人また一人と狩られてゆく恐怖を描く。ジョン・ブアマンの『脱出』を思わせるスリラーだが、同時に『ウォリアーズ』『ロングライダース』とヒルらしい男の群像劇である。キース・キャラダイン、パワーズ・ブース、フレッド・ウォード、ブライアン・ジェームズら出演陣も脂が乗り切っている。→[本編]




ハーバート・ロスの『ペニーズ・フロム・ヘヴン』は異色のミュージカル映画である。「サタデーナイト・ライブ」で人気のコメディアン、スティーヴ・マーティンが大恐慌時代の営業マンを哀れに演じ、彼が辛い現実に直面すると心の理想像が「ミュージカルになる」のだ。のちの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(ラース・フォン・トリアー)などで一般化した手法の先駆けが本作にあるが、本作の場合、実際にMGMミュージカルの全盛が大恐慌時代で、当時の大衆が厳しい現実をひと時忘れるために銀幕の世界に浸ったことの反映である。こうした「時代の気分」はウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』にも描かれているが、『ペニーズ・フロム・ゲヴン』の場合、現実と幻想のギャップをブラックに描き過ぎたため日本では劇場未公開、しかしカルト的な人気をもつ傑作である。ミュージカルの常識からかけ離れた「暗い照明」の撮影はゴードン・ウィリス、音楽は『コーラスライン』『スティング』で知られるマーヴィン・ハムリッシュ。クリストファー・ウォーケンのミュージカル場面は必見


1982



ラブレス』は、キャスリン・ビグローとモンティ・モンゴメリー共同監督によるフィフティーズ・オマージュである。レザーとバイクへのフェティッシズムが横溢するその世界観は、アンダーグラウンドの巨匠ケネス・アンガーの『スコーピオ・ライジング』を彷彿とさせるが、若きウィレム・デフォーがリーゼントをニヒルにきめて、84年の『ストリート・オブ・ファイヤー』(ウォルター・ヒル監督)の悪役レイベンを先駆けた芝居を披露する。ビグローはこのあとも独特のハードボイルドスタイルを磨き『ニア・ダーク』『ブルースチール』『ハートブルー』などの異色作を連打。イラク戦争映画『ハートロッカー』で初の女性監督アカデミー受賞者となった。




わが心のジミー・ディーン』は女性心理を描いて比類のないロバート・アルトマンが16㎜で撮影した「自主映画」である。ジョン・カサヴェテスと並ぶインディペンデントの父はここで、サンディ・デニス、カレン・ブラック、シェール、キャシー・ベイツなど曲者女優を揃えて、死臭漂う密室劇を生み出した。『雨に濡れた舗道』『イメージス』『三人の女』と続いてきたアルトマン一流の女性分析。ジェームズ・ディーン・ファンクラブの同窓会を軸に、壁面の鏡を駆使して30年間の時を操り、失われた「アメリカの無垢」をテキサスの荒野のなかに置き去りにする。50年代の追想は80年代アメリカ映画の大きな潮流だが、アルトマン作品ゆえここには凡百の郷愁が微塵もない。




ソフィーの選択』をアラン・J・パクラの最高作に推す人もいるだろう。彼は、60年代に製作者としてロバート・マリガン監督と共に『アラバマ物語』を世に問い、70年代は『コールガール』『パララックス・ビュー』『大統領の陰謀』などの社会派スリラーの旗手として名を馳せた。これらではゴードン・ウィリス撮影による「闇」の深さが時代のパラノイアを浮き彫りにしたが、しかし本作は傾向の異なる作品である。これはウィリアム・スタイロンの自伝的小説が原作であり、そこにパクら自身の青春を重ねた作品なのである。その意味で『ソフィーの選択』は、同時代人たるアーサー・ペンの『フォー・フレンズ』やジョージ・ロイ・ヒルの『ガープの世界』と通ずる「回顧ドラマ」とも言えるが、パクラが選んだのは戦勝国アメリカの青年が向き合ったアウシュヴィッツの記憶だった。作家志望のアメリカ青年が愛したポーランド人女性の追想。それは第二次大戦中にヨーロッパが体験した悪夢であり、そこには身を裂く人生の「選択」があった。メリル・ストリープの演技が儚く、鬼気迫り、そして美しい。ここで「青年」が象徴する「アメリカ」の純真である。彼らが「ヨーロッパ」を受け入れ、愛そうとしても、決して埋めることのできぬ「運命の無残」は比類がない。




80年代最初のフランシス・フォード・コッポラ作品『ワン・フロム・ザ・ハート』は、大方の想像を裏切り、莫大な予算をかけたささやかなラブ・ミュージカルをつくった。コッポラは当時「男性映画の旗手」として期待されていたため「最悪の評判」だったが、これはコッポラらしい「実験映画」なのである。ヴィットリオ・ストラーロの撮影が驚異的で、色彩と編集の魔術が生みだす「ラスベガス幻想」に魅惑される。フレデリック・フォレストとテリー・ガー扮する「平凡過ぎる」カップルが、痴話喧嘩をし、互いに浮気をする一夜の物語である。二人がそれぞれ街で出会うのはまるで「平凡でない」非日常的な男(ラウル・ジュリア)と女(ナスターシャ・キンスキー)。彼らの情熱的な歌と踊りが楽しめる作品であり、トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルのテーマ曲も酔わせる。




キャットピープル』は、性と妄執の作家ポール・シュレイダーが『アメリカン・ジゴロ』に続いて発表した作品である。猫族の呪われた血縁を描いたジャック・ターナーの名作ホラーのリメイク。猫族の者は人間に恋してはならない。人とセックスすると豹に変身してしまうからだ。主演は「猫顔」のナスターシャ・キンスキーとマルコム・マクダウェル。マクダウェルは種を絶滅の危機から救うべく妹のキンスキーに近親相姦を迫る。テーマ歌はデヴィッド・ボウイ。ターナーが徹底して「見せない」ことに徹したのに対し、80年代映画たる本作では「大々的に見せる」。そのため「古典派」からはその品性を疑われたが、これはこれで見世物小屋の淫靡な楽しさがあり、異端の性愛に執着する「ネクラ派」のシュレイダーらしい作品となった、様式的な美術と色彩の設計に独特の官能があり、このスタイルは次回作『MISHIMA』で開花していく。




ダグラス・トランブルの『ブレインストーム』はヴァーチャルリアリティを描いた先駆的な異色SFである。トランブルは『未知との遭遇』『ブレードランナー』の特撮監督として知られるが、一方で監督として『サイレントランニング』を手がけている(『月に囚われた男』『WALL-E』に多大な影響を与えた)。『ブレインストーム』は夢の中(つまり脳内)の知覚――興奮や快楽――を記録し、それを他者が共有できるマシーンをつくった科学者たちの物語である。科学者の一人ルイーズ・フレッチャーが「自らの死」を記録し、クリストファー・ウォーケン扮する科学者がこれを「体験」しようとする……。「ヴァーチャル・リアリティ」という言葉が存在しなった時代に作られた作品だが、トランブルはこれを観る者に体感させるべく、70mmシネマスコープの巨大画面を駆使した。また、悲劇的な死を遂げたナタリー・ウッドの遺作としても知られる。




マイライバル』は、あの『チャイナタウン』や『さらば冬のかもめ』などの名脚本家ロバート・タウンの初監督作品。傑作である。ボイコット運動に発展した「モスクワ五輪」を目指したアメリカ人女性選手二人の物語だが、しかし「スポーツ映画」で終わらず、彼女たちの同性愛とセックスを繊細に描写した先駆的な作品となった。撮影はマイケル・チャップマン。『レイジング・ブル』でボクサーの身体運動を美しく捉えていた彼は、本作でも『民族の祭典』『東京オリンピック』『炎のランナー』ともまた一味違うスローモーション撮影を駆使して選手たちの肌、筋肉の震え、汗の温くもりまでも伝えて美しい。主演はマリエル・ヘミングウェイとスコット・グレン、そして本作の「魂」パトリス・ドネリーである。やせ身の肉体からほとばしる官能と力感は、まさしく「選手」ならではのものだ。



★84年以降は次回に続く。(渡部幻)


芸術新聞社の「アメリカ映画100シリーズ」

">『ゼロ年代アメリカ映画100』(渡部幻、佐野亨編)発売中

">『80年代アメリカ映画100』(北沢夏音監修、渡部幻主編、大場正明、佐野亨)

">『90年代アメリカ映画100』(大場正明監修、佐野亨主編、渡部幻)3月発売

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「Purple」 テリー・リチャードソンの白痴エロス Model:camille rowe

2012-02-11 | ファッション写真









テリー・リチャードソンという人は好き嫌いを超えて評価せざるを得ない。真似している人は多いが、明らかに彼に追いついてはいない。テリー・リチャードソンの写真世界は、そこがあたかも精神病院でモデルたちが患者であるような雰囲気がある。これは精神病院で夜な夜な巻き起こった狂態の記録なのだと、そう妄想させるのである。
ある夜、誰も来ない病院の密室のそのまた一室のなかで一切の社会性を奪い去られた精神科医=写真家とは患者=モデルたちが白色の蛍光灯の下でエロスを解放する。いっけん知性のかけらも見られない写真だが、しかしよく見るとその構図はまるで冷静沈着なのである。白痴のフリをした写真家は山ほどいる。だが、テリー・リチャードソンは本物の白痴になれる。白痴となりエロスの解放者としての自身を演じながら、同時にそのエロスを解剖医の眼差しで冷静に記録しているのである。


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