真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

「金坂健二」のアングラ・フィルムと映画文化批評と写真の臨場感

2009-03-28 | 作家
 北沢夏音さんに誘われて、60年代に金坂健二が撮ったアングラ・フィルムを特別に見せてもらった。内容に触れることはできないが、久々フィルムの色香を味わうことができた。なんというか「フィルムの流れ」を観ているだけで飽きることがないのである。
 
 しかし「金坂健二」と言ってみたところで分からない人が多いに違いないのは、彼が忘れられた人物だからである。60年代に映画評論家・映画作家として前衛活動を展開。アメリカでカウンターカルチャーを至近距離で目撃し、それを迫力ある写真に収めつつ「キネマ旬報」などで現地からの実況報告を書き続け、70年代にはジャーナリスティックで尖がった映画評論家として人気を博した。

    

 僕が金坂健二を知ったのは小学校の5年生頃だった。80年代初頭に恵比寿の駅前に「シネプラザ」という店があって通っていた。店内に「スペース50」という自主映画上映スペースを併設していて、大学の映研だろうか、よく賑わっていたが、僕の眼目は映画の前売り券や様々なグッズにあり、ここで始めて購入した映画雑誌が「キネマ旬報」と「スターログ」だったのである。
 当時の「キネ旬」には「シナリオ採録」が掲載されていて、ビデオのない時代に映画のシーンやセリフを確認するのに重宝していた。主な映画のバックナンバーを揃えたくなり、同じ恵比寿の「パテ書房」というサブカルチャーに強い古本屋にも通いだして小遣いのほとんどはそれとゲームセンターにつぎ込んだ。

 雑誌というものは熟読するうちに何となく気になる執筆者が現れてくるものである。81年ごろの話だから古本で買ったバックナンバーのほとんどは70年代のものだ。当時の「キネ旬」は実に豪華で、ざっと挙げると――
和田誠、山田宏一、佐藤重臣、小野耕世、筈見有弘、品田雄吉、石上三登志、今野雄二、田山力哉、荻昌弘、河野基比古、白井佳夫、淀川長治、双葉十三郎、佐藤忠男、南部圭之助、飯島正、川本三郎、渡辺祥子、宇田川幸洋、河原晶子、日野康一、赤瀬川源平、南俊子、小林信彦、永六輔、水野晴夫、斉藤正治、渡辺武信、紀田順一郎、小林信彦、片岡義男、永六輔、矢崎泰久らが、常連もしくは連載を持っていた。

 いまからすればそうそうたる布陣で、ひとつに矢崎泰久と和田誠の『話の特集』的なサブカルチャーの横断性が参考にされていると思われるが、当時は当たり前のこととしてあった。
映画専門家の見識と、必ずしも映画専門でない書き手の見識が、映画の見方を豊かにしていたが、このなかでひと際硬派かつ長文で、読みづらいが、興味深々の文章で目を引いたのが「金坂健二」だったのである。これも「いまからすれば」不思議だが、僕のような遅れた子供の目にも刺激的で目立つ存在だった。映画とアメリカの歴史を独断と偏見で紐解き、アートフィルムやアンダーグラウンドのみならず、メジャー映画への造詣も深かいところが好きだった(多くはいずれかに偏るものだ)。
 金坂が書いていたのは、「映画の表面」の「裏側」にある禍々しく得体のしれない世界の蠢きである。それはアングラの教祖的なケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロン』などにも影響されたかも知れないが、彼自身は60~70年代の「燃えるアメリカ」を「異邦人の眼」から眺め、その中へ身を投じながら、同時に「日本人」としてのわが身を引き裂きもがいているようなところがあるのだ。
 当時「アングラ映画」など見たこともなかったが、金坂のつんのめるような文章を通じて、映画という騙し絵の奥に隠れた「もう一つの世界」を垣間見る思いがした。子供心にその「危ない世界」にスリルを感じていたのだと思う。金坂はインタビューも得意で、ヤコペッティ、ミロス・フォアマン、ジャック・ニコルソン、ウイリアム・ピーター・ブラッディ、リー・ストラスバーグ、マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロ、ローレンス・カスダン、ジョン・ウォーターズなどに取材していた。「プレイボーイ」誌でのフランシス・フォード・コッポラ・インタビューが読み応えで一番だが、『コンボイ』当時サム・ペキンパーの恋人で秘書だったケイティ・ペイパーなど多種多様だったが、アメリカ現地ではニューヨークを中心とするアンダーグラウンド・シーンに出入りしていたようだから、貴重な「言葉」を多く聞いていたのに違いない。

 だが、金坂健二という人は60~70年代の申し子のようなところがあって、80年代に時代の空気が変わるとあまり目にしなくなった。たまに目にしても生気がなくなっていた。金坂が気に入り筆が走るような映画が少なくなっただけでなく、時代そのものが変質していくなかで、独特の難解な批評も読まれなくなっていったのである。

   

 70年代に映画はただの娯楽をこえるものになろうとしていた。観客を挑発する表現となり、作者たちと批評家は創造的な火花を散らした。こうした現象は50年代には基本見られなかったことで、映画表現は芸術であり発言の場としての可能性を斬り開いていったのである。「新しい観客」もまた「新しい映画」の挑発と勢いに乗り、だからこそ、ヌーヴェル・ヴァーグやアメリカン・ニューシネマの先鋭的で難解な映像を受け入れ、「イージー・ライダー」「真夜中のカーボーイ」「M★A★S★H」「チャイナタウン」「タクシードライバー」「ディアハンター」「地獄の黙示録」などの一筋縄ではいかぬ異色作群がヒットして「時代の顔」に成り得たのだ。

   

 70年代のそれは、これに先駆ける50~60年代の実験映画、アンダーグラウンド映画、インディペンデント映画、もしくはB級C級のジャンル映画の持つ荒々しさや禍々しさをメジャー展開させたもので、初めは良かったが、やがて「大商業化」する運命から逃れなかった。しかし彼ら当時の新しい作者たちが切り拓き、評論家たちが紹介した、意識の在り方や世界観を新たにさせる映像は、当時の子供たちの目にも触れて大いに触発したのだった。ポルノ映画やそのポスター、暴力と精液にまみれたエロ劇画誌などもそうだが、80年代くらいまではそのへんにいくらでも転がっているものであった。映画なら大きなスクリーンで展開するそうした暴力的でエロティックな世界は、やがて大人になるだろう子供たちの無意識を覚醒させる劇薬の役割を果たした。難解で実験的かつ政治的な映画が雪崩をうって子供のもとにまで押し寄せてくるさまは、いま思い出すと圧巻の光景だろう。
 金坂健二もまた映画評論家としてアメリカ体験の実感とともにそうした世界を世に広めようとしていたのである。

 アメリカ映画におけるこうした動きを止めるきっかけとなったのは、80年にマイケル・チミノが発表した超大作「天国の門」の公開である。「作家の映画」は無惨にも興行的失敗を喫して、監督主体の映画の老舗ユナイテッド・アーティスツ社を倒産に追い込むこととなった。この「怪物」は作者たるチミノのみならず、ロバート・アルトマンなど多くの「ハリウッドの映画作家」たちを業界から弾き飛ばしてしまった。そしてはじまる80年代のハリウッドは保守化の波にさらされていくが、新しい才能たち――80年デビューのジム・ジャームッシュなど――は初めから「ハリウッド・メジャー」をしりぞけ「インディペンデント」の立場から自らを発信する「映画作家」としての頭角を現すこととなる。

   

(『天国の門』が公開された80年(日本では81年)あたりにはまだ「作家の映画」が存在していたが、彼らのつくるいわゆる「野心作」や「問題作」に観客たちの多くはついていけなくなっていた。ウィリアム・フリードキンの「クルージング」、アルトマンの「ポパイ」、スピルバーグの「1941」、コッポラの「ワン・フロム・ザ・ハート」などの興行的な失敗はそのことを実感させたが、個人的には非常に面白く、特に81年は当時思われていたより重要な作品が多いのだ)

   

 80年代の保守的なハリウッドでは、一度は手にしたクリエイティブの実権が「映画作家」から「製作者」に引き戻される。つまり、実権を監督たちが握るためには製作者としても名を連る必要があった(この先駆けがユナイテッド・アーティスツのビリー・ワイルダーやノーマン・ジュイソン作品に見られる)。しかし製作者でもあれば余計に興行的な責任が生じ、作品をヒットさせる必要性がより重くなるのは必然である。クリエイティヴとプロデュースの両立は簡単なことではない。時代の流行を先取りし、もしくは仕掛ける才能を持っていたのはスティーヴン・スピルバーグだった。彼の一連の大ヒット作のなかで「E.T.」は時代全体の方向性をかえるだけの力を発揮していた。彼は以後ファンタジー映画の大御所として「グレムリン」「グーニーズ」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などを「プロデュース」したが、実は同時期に自身でつくったファンタジー映画はほとんどない。スピルバーグには「映画作家」としての野心があり、その野心と情熱をむしろ「カラーパープル」や「太陽の帝国」などの歴史映画に向けていたが、それらを実現させるために「流行作をプロデュ-ス」して、それで儲けることをいとわなかったし、実際にそういう映画も嫌いではなかったのだ。彼のこうした資質は、実際問題、誰もが持てるものではないから、フリードキンやボブ・ラフェルソンのように半端な「転向」を余儀なくされるか、アルトマンやペキンパー、ハル・アシュビーら反逆児たちは干される運命にあったのである。

   

 金坂健二という評論家が歩んだのは、もちろん後者の道であった。アメリカのアンダーグラウンドやカウンターカルチャーの精神を日本にも広めようとしたこの無頼漢もまた、居場所を見失って苦悩したに違いない。人には筋というものがあり、仮に、転向や転進の必要性を感じているからといって、そう器用に変わり身を遂げられるわけでもない。金坂はそれがうまくできなかったが、先に書いたインディペンデントの動向は多少なりとも接点を見つけられるものであった。ただ新世代作家たちの「個性」を掴むにはすでに「旧世代」に属していた。「新世代」は革命になど見向きもしない「革新児」たちだったのである。
 
 ただ80年代の日本にはビデオレンタルとミニシアター時代が到来していて、インディペンデント映画や、60~70年代の日本では未公開に終わったカルト映画群が相次いで公開されるようになった。アレハンドロ・ホドロフスキーの「エル・トポ」やジョン・ウォーターズの「ピンク・フラミンゴ」、ロバート・アルトマンの「三人の女」、テレンス・マリックの「天国の日々」、ホッパーの「ラストムービー」などは、本国公開時にまっさきに金坂が「キネ旬」誌上で紹介していたものだったから、そうした作品の原稿を頼まれたときには「力量」を発揮していた。
 しかし70年代の当時、その「過激さ」によって注目を集めたゲリラ的なカルト・ムービー群も、日本の大企業の手にかかればファッション化してしまう。金坂健二の居場所はいよいよなくなっていったのである。

  

 しかしこうした歴史自体がもはや遠いもので、いまあらためて「金坂健二」を読むとやはりたいそう刺激的で滅法おもしろいのだった。僕の個人的な少年時代の映画風景には、一方に淀川長治的なるものと金坂健二的なるものの両極があったと思える(もっとも中間に、上に列挙した評論家たちがいたわけだが)。

 金坂健二の興味は当時のアメリカ社会とその文化的坩堝を捉える表現としての映画に向かっており、翻って日本人と日本の映画表現はどうだろうと、しつこいくらい問いかけ、ときに挑発しようとしているところがあった。単行本で読むとかなり難解だが、「キネ旬」では難解になるぎりぎりで抑えながら読み物としておもしろく読ませるものが多い。

 個人的には「アングラ」が漂わせるムードが苦手だが、不思議なことに金坂健二は嫌いではない。文章が意外に「ポップ」だからである。アンディ・ウォーホルは当然、アメリカン・ニューシネマ、僕の好きなロバート・アルトマンにしてもポップなのである。「ポップ」のイメージは移り気で軽薄だが、過去を抱え、すねに傷を隠している。映画はそもそもの性質が「過去を内に抱え込む」ことで成り立つ表現であり、ゆえに「ポップ」なのだ。金坂健二はそういう映画の熱気のなかに死臭を嗅ぎ取り、それを反転させてエネルギーに変えようとする力みがあった。「映画評論家」のみならず「写真家」であり「実験映画作家」としての顔も持っていたことを後で知ったが、「クリエイター」としてどれほど評価されていたのかは分からない。ただひとつ言えるのは、写真も映画も文章と同様、受け手を巻き込まんとする「つんのめった迫力」があるということだ。時代に殉じたゆえの美点と欠点があるからこそ後続世代にとっての発見も多いと思うが、どうだろう。もう少し注目されてもいい書き手だと思うし、彼の撮ったアメリカ写真はかなり荒っぽいが、だからこそ、時代精神を写し取っていまに伝える臨場感がある。ある種の「捨て身の姿勢」には「退屈な00年代」を照射する魅力があると思うし、あれほど活躍していた人が、ここまで記憶の彼方に葬りさられてきた事実がちょっと不思議なくらいだ。

     

 近ごろの日本映画は退屈な流行が目立つが、すっかり客が入らなくなったアメリカ映画は娯楽的・芸術的な洗練を極めつつあるものが出てきている。アン・リーの「ブロークバック・マウンテン」、コーエン兄弟の「ノーカントリー」、リドリー・スコットの「アメリカン・ギャングスター」、クリント・イーストウッドの「チェンジリング」、トッド・ヘインズの「アイム・ノット・ゼア」、ポール・トーマス・アンダーソンの「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、ガス・ヴァン・サントの「ミルク」、ブライアン・デ・パルマの「リダクテッド」、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」、サム・メンデスの「レボリューショナリー・ロード」、ザック・スナイダーの「ウォッチメン」、スティーヴン・ソダーバーグの「チェ二部作」、ロン・ハワードの「フロスト×ニクソン」など、ざっと挙げてみても力作揃いだと思える。極めてアメリカ映画的な正当性――性と暴力の氾濫、社会と政治への批評性、娯楽と芸術の折衷――が「現代的」な状況や人間の諸相を掴みとることに成功しているのである。

いま「町山智浩」が大ブレイク中だが、淀川長治の人懐っこさと金坂健二の過激さをミックスしてかき混ぜたようなジャーナリスティックな視点を持つ「映画の語り部」として実におもしろい。その異様な熱気が特有のユーモアを伴い加速していく様は圧巻で、アメリカ在住の強みを活かした現地リポートなどインターネットにも精通していて、非常に現代的でかついま最も求められている「映画解説」の有り様を体現している人なのだ。



ところで「金坂健二写真展」なる企画が開催されると聞いて驚いている。雑誌「スペクテーター」でも特集が組まれると言うし、ビックリである。「スペクテーター」は個人的な金坂健二の印象から意外なようでいて実は合っているのかもしれない。かつて「鶴本正三」特集も組んでいたし、何より金坂は60年代のヒッピー・カルチャーやカウンターカルチャーを目撃してきた人物なのだから。



   

「クライテリオン・コレクション」の虜になるような魅惑(前回の続き)

2009-03-24 | クライテリオン・コレクション
 
サム・ペキンパー『わらの犬』、ピーター・イエーツ『エディ・コイルの友人たち』、スティーブン・フリアーズ『殺し屋たちの挽歌』、ニコラス・ローグ『ジェラシー』

 前回に引き続き「クライテリオン・コレクション」ことを。クライテリオンは輸入版。当然のごとく字幕は付いてない。しかしにもかかわらず買ってしまうのは、画質の良さもそうだが、ジャケット・デザインの魅力によるところが大きい。大手ソフト会社の最大公約数的な発想から遠く離れた独創的なデザインワークは、作品の本質をズバリ視覚的に伝えて素晴らしい。かつてレーザーディスク(LD)で知られるようになったそのデザインは、LPレコードと同様の大きなジャケット・サイズに映えて、新譜を買うたび部屋に飾りたくなったものだ。
 LDは、80年代初頭に「絵の出るレコード」と宣伝された高画質ソフト。パイオニア発売のデッキもまたレコード・プレイヤーと同じように上ぶたを持ち上げるようにして開き、真ん中の突起に合わせてディスクを装填する方式だったが、のちに現在のスライド・トレー式に「進化」した。

   
アルフレッド・ヒッチコック『汚名』、『イングマル・ベルイマン・トリロジー』、マイケル・パウエル『血を吸うカメラ』、黒澤明『影武者』

 80~90年代に発売された主な映画ソフト最大の難点であり問題は映像のトリミング。洋画それもアメリカ映画の60~80年代初頭の作品で気になった。その時代にはシネマスコープ、70ミリ、そしてシネラマの作品が多かったからで、これを無理にスタンダードに近いテレビのサイズに合わせるため、画面の両端を4分の1くらいづつちょん切り、ほぼ半分ほどのサイズとなった映画は、もはや別物の作品だった。言うまでもなく映画は映像を観ることで始めて成立する芸術であり娯楽なわけだが、意外にも登場の多くの人は気にしなかった。気にしても上映時間であり、ノーカット放送というと騒いだが、画面をノートリミングにして倍に増えても、大した反応がなかった。その頃のテレビは「スタンダード・サイズ」で「ワイド・サイズ」ではなかったため、横長の「シネマスコープ映画」をそのまま収録しようとすると「上下に帯状の黒味」が出来てしまう。これを「損」であり「ブラウン管の無駄遣い」だと勘違いしている人が多かったのだ。「ノートリミング」が当たり前になったいま、そのころに感じた失望を説明するのは困難だが、ストレスを溜めつつ、それでも好きな作品を手元に置いておきたいという欲求が勝ち、我慢して購入するのだった。僕の「行きつけの店」はダイナミック・オーディオの渋谷パルコPART3店。入らなくなったソフトを2枚持っていけば新品1枚と交換してくれるシステムを気に入っていたのだ。

 
フォルカー・シュレンドルフ『ブリキの太鼓』、『ファスビンダー・トリロジーBOX』、サミュエル・フラー『ホワイトドッグ』、レナード・カッスル『ハネムーン・キラーズ』

 トリミングの話しに戻る。
 ワーナー、フォックス、CIC(ユニヴァーサルとパラマウント)などのメジャー作品のソフトはトリミングが当たり前。しかし、たとえばソニーのソフトや松竹富士配給作品のソフトはノートリミングが多かったように思う。しかし問題があった。ひとつには字幕。当時の劇場用字幕は「書き文字」でありこれをそのままソフトに落とし込んでいて読みづらい。次に画質がやたら悪い。黒が灰色に近く白っぽく浮き上がり、全体がつぶれているため、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『コットンクラブ』『フール・フォア・ラブ』など夜の場面が多い作品の場合はほとんど何も見えないのだった。劇場とビデオでまるで異なる作品といってほど違ったが、逆に言えば、そのぶんだけ劇場で鑑賞することの価値も高かった。
 メジャー作品は「ビデオ化」を前提としており、ほとんどの作品をスタンダードサイズ(TVとほぼ同じ)で撮影し、劇場では上下にマスキングを施してビスタサイズで上映、ビデオ化の際にマスキングを外して撮影時のサイズに戻していた(つまり画像が削られることはなかった)。そのためトリミングによる被害は少なかったが、各社で画質にバラつきがあった。たとえばユニバーサル映画やパラマウント映画の画質は白っぽくて色味が薄い。当時ウォルター・ヒルは『ウォリアーズ』『48時間』『ストリート・オブ・ファイヤー』など夜景の美しさで知られたが、「白っぽく」ては叶わない。もはや別物であった。『48時間』のソフトにはもうひとつ問題があり、版権上、劇中でエディ・マーフィーが歌うポリスの「ロクサーヌ」が、別人が歌う声に吹き替えられていたし、ジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』ではラジオから流れる音楽が差し替えられていた。

   
リンゼイ・アンダーソン『if…もしも』、フェデリコ・フェリーニ『魂のジュリエッタ』、ミケランジェロ・アントニオー二『情事』、ドゥシャン・マカヴァイエフ『WR オルガニズムの神秘』

 ワーナーはとくにひどかった。まるで8ミリのような発色は最悪。ワーナーは70年代に傑作を多く制作したが、その多くはシネマスコープだったので、トリミングと相まって頻繁は失望させられていた。「ひどさ」で記憶に鮮烈なのが、ドン・シーゲルの「ダーティハリー」、シャッツバーグの「スケアクロウ」、アルトマンの「ロング・グッドバイ」、ケン・ラッセルの「肉体の悪魔」あたり。これらは「構図」や「色彩」の美しさで知られる作品なだけに失望も大きかった。『燃えよドラゴン』の場合、シネマスコープの広い構図を活かしたブルース・リーのアクションが展開するが、半分ちょん切れているとなると迫力は半減。いまでならほとんど詐欺まがいの商品だろう。
 ちなみに、僕が画質や構図にこだわるようになったきっかけはブライアン・デ・パルマの作品を観てからである。彼のシネマスコープの遣い方が好きで、なかでもヴィルモス・ジグモンドが撮影した「ミッドナイトクロス」とラルフ・ボードが撮影の「殺しのドレス」に狂っていた。この二作品は「ベストロン・ビデオ」からの発売で、当然トリミング版、しかもワーナーに匹敵するボケボケの画質だった。それゆえデ・パルマが得意とする技法――二分割画面(スプリット・スクリーン)、パンフォーカス、そしてスコープ画面を活かした移動撮影――はすべてぶち壊し。なんとか色見だけでも劇場で観たときの印象に近づけたくて、テレビの色調整やブライトをいじくりまわしていたが、ノートリミング版を入手したいま思えば、実にむなしい作業を繰り返していたものである。

   
テレンス・マリック『天国の日々』、モンテ・ヘルマン『断絶』、アン・リー『アイス・ストーム』、スパイク・リー『ドゥ・ザ・ライト・シング』

 筆者は納得のいかなぬ日々を悶々と過ごしていたが、ある日「輸入版のLD」は「ノートリミング収録」でしかも「画質が格段に良い」と読んだ。たしか雑誌『HIVI』だったと思うが、喜び勇んで、新宿の「紀伊国屋書店」で『アンタッチャブル』の輸入版を探し当て購入。これに手ごたえを感じ、さらに新宿の「ビデオ・マーケット」、続いて渋谷の「ディスク&ギャラリー」に足を運ぶようになった。
 まず一目見て感心したのは輸入版のジャケットが日本版のそれより格段に格好いいこと。日本デザイン全般がどうも野暮ったくていけなかったのだ。
 「あれもほしい、これもほしい」という精神状態に陥りつつ、心を落ち着けて、ビデオマーケットの店内を順に見ていくと、数ある輸入版の中で異彩を放っていたのが「クライテリオン・コレクション」だった。固定概念を打ち破るデザイン。シンプルだが高級感のある風情。特典映像の充実。監督承認のサイン……こういうのが欲しかったのだ! しかし財布の中身は軽い。千円札には限りがある。しかしどれかは家に持ち帰りたい。迷いに迷ったあげく「クライテリオン社版」の「タクシードライバー」を購入した。急ぎ足で家路を戻り、家のなかに飛び込むやいなや素早く「デッキ」に挿入し、再生……驚いた。念願のワイドスクリーン。しかしそれは『アンタッチャブル』で体験ずみである。しかし実は、色味の薄さに少し失望していたが、こちらは聞きしに増して「高画質」だった。日本版の『タクシードライバー』は「コロンビア・ピクチャーズ」(現ソニーピクチャーズ)からの発売。この映画はスタンダードで撮影されているからそのままの収録であり、「画面が半分切れ」というわけではないものの、ひどい発色であり、あの映画特有の官能性のかけらほどしか残ってなかった。「クライテリオン版LD」は違う。ニューヨークの魔的な夜景描写が、東京の狭いワンルームのなかへやってきたのだ。
「映画は映像を味わうもの……そういう当たり前といえば当たり前の事実を反映してくれるメーカーがやっと登場したのだ。
 現在は完全収録など当たり前のことだから「ノートリミング」などという「うたい文句」は成立しない。死語である。だがこの思想を広めたのが「クライテリオン社」なのである。やがてそれは大手にも普及し、特に「ワーナー」のソフトなど目覚しい進化を遂げた。スコットの『ブレードランナー』やアルトマンの『ギャンブラー』など見事な画質だったが、しかしそれでも「クライテリオン」が優位なのは、あの「ジャケット・デザイン」のためだった。

   
ポール・シュレイダー『ミシマ』、ウォン・カーウァイ『花様年華』、テリー・ギリアム『ラスベガスをやっつけろ』、コーネル・ワイルド『裸のジャングル』

 ところで、レーザーディスクはLPレコードと同じサイズで大抵の店で同様の売られ方をしていた。しかし先に書いたようにLDもLPもジャケットが命だから、意識的な店長なら見えるように飾りたいものである。その点で抜きんでていたのが渋谷のファイヤー通り沿いにあった「ディスク&ギャラリー」である。その名のとおり壁面をLDジャケットで埋め尽くすギャラリー形式の商品展開で、ファンの購買意欲を大いにそそった。店員さんがまた売り込み上手で、僕はずぶずぶと「輸入版LDの世界」にはまっていったが、その後、時代は「DVD」時代に移行し、ジャケットが小型化された。DVDはLDと異なり、日本製のデッキとの互換性がない(つまり見れない)。そのため輸入版店は厳しくなっていったが、LDよりもはるかに高画質かつ価格が安い。せっかく買い集めたビデオやLDだったが、「高画質」の文句に負けて、輸入版専用のデッキを購入し、蜜月の日々は続いた。当然のごとくクライテリオンも既発のLDをDVD化していくが、当初「小さなジャケットサイズ」に不安を感じた。つまりデザイン的にどうなのだろうと考えたのだが、さすがクライテリオン、ご覧のような素晴らしいデザインが揃っている。それはいまも抜きんでた存在であり、少々値が張るとしても仕方ないと思わせるだけの磁力を発し続けている。
 2000年代はインターネットも当たり前で、やがて店舗経営が難しくなると、ディスク&ギャラリーは店じまいしたが、ネットには「DVD Fantasium」なる「海外と同じ価格」で手軽に買えるサイトが登場して便利な時代になった。ネットでの購入は、あらかじめ目標に定めた作品のみに向かうから無駄はないが、店舗ならではの「発見の喜び」や「衝動買いの快楽」が減退したのは残念である。

 映画が劇場での占有でなくなって久しく、いまや自宅の本棚に並べられる「物」となったが、そのうちに完全にデータ化されて「ジャケット」など必要とされない時代になるだろう。生き残る道はクライテリオンのごとく「物」としての価値を限りなく高めることだろうが、そうなれば筆者の手が届く値段ではないかも知れない。
 いずれせよ、これからも刺激的なメーカーであり続けて欲しいし、いつかこれらジャケット・デザインを一望にできる写真集を出版して貰いたいものである。
(渡部幻)

   
ルイス・ブニュエル『小間使の日誌』、ロベール・ブレッソン『バルタザールどこへゆく』、ピエロ・パオロ・パゾリーニ『ソドムの市』、ドゥシャン・マカヴァイエフ『スウィート・ムービー』

   
マックス・オフェルス『快楽』

「クライテリオン・コレクション」のDVDデザインはあまりにも素晴らしい

2009-03-23 | クライテリオン・コレクション
「クライテリオン・コレクション」と言えばアメリカのソフト・メーカーの最高峰。
正式には「THE CRITERION COLLECTION」。
昔は高品質レーザーディスク・ソフトで知られ、買い求めたものだが、いまは小さなDVDになった。
素晴らしい会社で、世界中の名作・傑作をフォローし、ここから出ると「殿堂入り」を果たした気がする。
大手メジャー作品の発売は難しいだろうが、とにかく思わず感動してしまうラインナップなのだ。

画質は保障済みで特典映像のクオリティも高い。
しかし何と言ってもパッケージのデザイン・ワークが見事なのである。
パッケージだけで欲しくなることもしばしばであり、実際それほどでなくともお気に入り作品のような気がしてくる。つまりデザインの魔法にあてられてしまうのである。
例えばこれ。

    
サミュエル・フラー「拾った女」

フラーの中でも上位に入る好きな作品だが、このデザインにはしびれた。映画の冒頭で主人公のスリが電車の中で女のハンドバックから偶然に「ある物」をスッてしまう。男と女の汗、周囲の乗客、バッグに忍び寄る手の動き、絶妙なカット割りで描かれたこの場面の粋を見事に表現している。映画を観てなくても「この手の映画」が好きな人ならピンとくるだろう秀逸なデザインだ。
こんなのもある。

    
ジュールズ・ダッシン「裸の町」

これはニューヨーク派の原点ともいえるセミ・ドキュメンタリー・タッチの犯罪映画である。ことに印象に残るクライマックス。その一場面を切り取ったデザイン。遠景に浮かび上がるニューヨークと男のシルエットに感傷に浸らない映画のハードボイルドな精神がにじむ。

   
ビリー・ワイルダー「地獄の英雄」

ワイルダーの隠れた大傑作はジャーナリズムを痛烈に皮肉った作品である。社会の混沌が新聞の文字配列の中に整理されている。カーク・ダグラスの顔は英雄のそれにも汚れた英雄のそれにも見える。新聞のスクープを思わせるデザインが元新聞記者でもあったワイルダーの主題をストレートに伝え、思わず「何だろう」と手に取りたくなるパッケージになっている。

   
黒澤明「酔いどれ天使」

「世界のクロサワ」によるシュールな戦後やくざ映画。しかしまさかこんなデザインを施すとは日本人には想像できない。三船敏郎も志村喬も不在。白と黒が荒々しく分割されて対立する。その裏側に見える歩く男の姿に戦後の疲弊と混乱、そして男の意地が浮かび上がる。

   
ジャン・ピエール・メルヴィル「いぬ」

鬼才メルヴィルのモノクロノワール。その最高傑作のデザインは、黒字に拳銃、そして男二人と女一人。もうそれだけで充分。フランス製ノワールの「粋」にしびれるあのラストシーン。もう一度観たくなる。ベルモンドに再会したくなる。

   
ジャン・ピエール・メルヴィル「サムライ」

こちらはメルヴィルのカラーノワールの最高峰。いまプロの殺しの仕事に向かう。男はその身支度のなかに自らの精神を集中させていく。ドロンが帽子のつばを指でなぞる仕草、そのストイックな横顔を持ってくるとは思わなかった。

   
ジョン・カサヴェテス「フェイシズ」

アメリカ映画を変えたインディペンデントの父カサヴェテス。その初期の実験的な最高作が本作だ。彼の作品を観たことのある人ならひと目で納得するだろう激情を剥き出しになった顔。フレームをはみ出すクローズアップの数々が観る者をこれほど圧倒するものだとは彼の映画を観るまで知らなかった。何よりも雄弁であると同時に何より曖昧な「人間の顔」と言うデザイン。これしかないというデザイン。

   
ロバート・アルトマン「三人の女」

アメリカ映画史上最も異色な作品のひとつに数えられるだろうアルトマン芸術の最高峰。砂漠の中の水のないプールに描かれた奇妙な絵画とそれを黙々と描きつづける妊婦の女ジャニス・ルールと、シェリー・デュバルと、シシー・スペイセクの競演。もうそれだけでむせ返るような異端の匂いがしてくる。霞みがかったアルトマンの夢の映画。

   
マイク・リー「ネイキッド」

イギリスのユーモア監督マイク・リーによるダークな青春映画は、ヒリヒリと可笑しく、そのなかに強烈な悲しみを湛えている。90年代イギリスを代表するこの傑作の映像はまず絶望的なまでに黒い。その黒さを蹴散らしながら皮肉を連発する反逆児デヴィッド・シューリスの眼に映る人間の諸相。耳から離れないテーマ曲のメロディが聞こえてきそうなスチール選びである。

   
今村昌平「復讐するは我にあり」

スコセッシも尊敬する今村の代表作。存在自体が悪夢のごとき殺人者緒形拳の悪意と殺意に満ちた形相をモンタージュしたデザインワーク。ビートたけしが登場する以前の最も強烈な狂気を見事に表現したクライテリオンの傑作だろう。

   
今村昌平BOX 「にっぽん昆虫記」「豚と軍艦」「赤い殺意」

パッケージは豚の群れ。つまり『豚と軍艦』から。『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』とパッケージされている。
今村の濃密なスタイルはこれらモノクロ映画でこそ堪能できるかもしれない。個人的にはテレビで偶然に見た『赤い殺意』に衝撃を受けた。

   
大島渚「愛の亡霊」

大島が『愛のコリーダ』に続いて放った『愛の亡霊』と言えばやはり「井戸の穴」だろう。映画史に残したいあの「井戸」をパッケージに持ってきたクライテリオンのセンスに脱帽する。


次もクライテリオンのパッケージデザインを紹介したいとと思っている。作品解説は余分だと気づいたのでやめるつもりだ。それくらい「クライテリオン」のデザインは雄弁なのである。
(渡部幻)