真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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ファティ・アキン『消えた声が、その名を呼ぶ』の壮大な地獄巡りと映画の美

2015-12-03 | 試写
 

 ファティ・アキンの『消えた声が、その名を呼ぶ』を試写で。
 近頃、試写で観た映画を書いておくよう心がけることにしているが、いつまで続くだろうか。

 第一時大戦中の1915年、オスマン・トルコから始まる。鍛冶職人のナザレットには愛する妻と双子の娘がいる。アルメニア人でありキリスト教徒であるがゆえにある日突然連行され、家族から引き離され、重労働を課せられたのちに他のアルメニア人とともにのどを裂かれて処刑されるが、奇跡的に生き残る。ここまでは容赦ない描写の連続で現実とは思えないような大量殺戮の歴史が映像化される。「復活」したナザレットは声を失うが、ここから壮大なる旅の物語がはじまり、途中、娘が生きているとの情報を得るとアメリカ・ノースダコタへと向かい、ついに辿り着く。

 20世紀前半オスマン・トルコのアルメニア人親子を襲った凄絶な受難劇である。西部劇を思わせる旅の物語で、果てはアメリカにまで辿り着く壮大なる移民の物語でもあるが、こういう、すれっからしではない「映画らしい映画の映像」を観たのも久しぶりな気がする。
 現在あまり見られなくなった類のエピックドラマとして、(内容は違うが)たとえば『アラビアのロレンス』『ドクトルジバゴ』(デヴィッド・リーン)、[『人間の条件』(小林正樹)『戦争と人間』『ウエスタン』(セルジオ・レオーネ)『ワイルドバンチ』(サム・ペキンパー)『エル・トポ』(アレハンドロ・ホドロフスキー)『ガリポリ』(ピーター・ウィアー)『アメリカ アメリカ』(エリア・カザン)『ゴッドファーザーPART�』(フランシス・フォード・コッポラ)『ラグタイム』(ミロス・フォアマン)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(レオーネ)『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(ポール・トーマス・アンダーソン)などと通ずる「魂の叙事詩」としての面白さがある(時代的な一致を含む)。「面白い」とは言っても、ここに描かれるのは、時代の大きなうねりに翻弄された個人が体験する地獄めぐりであり、そのなかで人間が、なおも行動――つまり「生きる」ということ――を起こし、生き残らんとするとき、彼や彼女を突き動かすだろう「動機」には普遍的かつ根源的な感動があるのである。

 
(ゴッドファーザーPART�より)

 「壮大なるエピックドラマ」というと、昨今は『スターウォーズ』もしくは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのように「ファンタジーの衣」をかぶせないとなかなか大衆に届かなくなっているようだが、『消えた声が、その名を呼ぶ』は、より生々しい内容を持つ大作であり、実際、それらにも負けないようなドラマチックな面白さを持っている。
 アキン監督は民族の悲劇を克明に捉え、その映像はリアリズムを土台にしながら、ときに現実の枷を外して超現実的な領域に踏み込んでいく。その点でこれはマーティン・スコセッシの『最後の誘惑』や『クンドゥン』に近い宗教的体験としてのインナートリップ・ムービーだと言えるが、ここに描かれる「トリップ」とは、見知らぬ世界への地理的・物理的・時間的な肉体の移動が精神を揺り動かし、その先にもたらされるだろう魂の浄化としての「旅」であり、その様を描いた体験としての物語である。

 

 アキンには監督としての新鮮な目、驚きに見開けれた目があり、それは自らの歴史を遡る者に不可欠の目でもあるが、同時に、現代的かつ理性的な「距離の眼差し」を保ち、恐るべき悲劇を描きながら決して情に溺れさせない。シネマスコープの撮影は見事。ことに美術造形は圧倒的で、ドラマの後半に広がる20世紀前半のアメリカの景観は一種幻想的ですらあった(セルジオ・レオーネの『ウエスタン』やイーストウッドの『荒野のストレンジャー』を彷彿とさせる)。音楽も特筆される。ナザレットの破裂寸前の鼓動に同期して早鐘を打つ音楽の効果は鮮烈。思わず身を乗りださせる。
 そんな本作の映像美を堪能するのには巨大スクリーンが相応しいと想像(試写室は小さい)するのだが、さすがに無理だろうか。タランティーノが新作西部劇を「70ミリ」で公開するらしいが、多分こうした動きは、ネットでの映像環境に対抗する「劇場向け映画づくり」として「3D」に次ぐ有効な方法論として検討されているのであろう。ファティ・アキンにはそんな「時代の要請」に応えられるだけの技量がある。少なくとも日本の映画状況のなかで今後先決となるのは、彼が描くような「内容」を受け止めることの出来る観客を育てていくことだろう。
 ちなみに、マーティン・スコセッシの盟友であり、『ミーン・ストリート』を彼と共に書いたアルメニア系アメリカ人のマーディック・マーティンが本作の脚本に参加している。苦悩する魂と暴力の相克を描くエピックドラマを好むスコセッシが絶賛したのにも納得。当然そうだろうと思わせる力作である。
(渡部幻)

   


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