真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

塚本晋也の『野火』 「1000ミリ望遠の目」で描いた戦場の異常

2015-08-24 | ロードショー
   

 塚本晋也の『野火』は想像したとおり飛び抜けた日本映画だった。戦争を描いて怖さのない作品など信用は出来ない。感傷過多、英雄譚などお話にもならない。そんな昨今の日本の戦争映画にへきえきしていた。しかし『野火』は恐ろしい。とにもかくにも恐ろしいのである。塚本演出は主観的かつ触覚的である。透徹し、生々しく、しかも美しい。「塚本作品」として観れば正当だが、昨今の日本映画としては超異端。しかしあえて言えばこれは久しぶりに観た「正当な戦場映画」なのだ。

 この『野火』を観て改めて思い知らされるのは塚本監督の人の「瞳」を映しだす才能である。「目は心の鏡」と言うが、肉体の変容が精神を揺さぶり、未踏のステージへと押し上げていく過程を、塚本は人=俳優の瞳を通じて描き切ってしまう。その意味で塚本はやはり、マーティン・スコセッシやデヴィッド・クローネンバーグと直系でつながる「俳優演出の天才」である。
 俳優とはつねに自らの「器官」や「触覚」に敏感な生き物であるだろうが、塚本は彼らにその五官を極限まで研ぎ澄ますことを要求し、その濃密な成果が集約的に本作に出た。三人の主演者――塚本晋也自身、リリー・フランキー、中村達也――がともに見事に恐ろしい。彼らの眼光に宿る異常はただごとでないが、それを捉えた撮影の力も大きい。スタンリー・キューブリックの戦場映画『フルメタル・ジャケット』のなかで、いきがって武勇伝を語る兵士の嘘を見抜いた兵士が次のような会話を交わす。

 「やつに実戦の経験はねえよ。第一、あの目つきがねえ」
 「目つき?」
 「1000ミリ望遠の目つき。長くクソ地獄にハマったときの――マジに――あの世まで見通す目さ」


 ここで三人の目に宿るのはまさしくそういう「目つき」である。目玉という、ぬるぬるとして、しかも弾力があり、意外にも頑丈な物質が、がい骨の穴の中にはめ込まれている。それがやはり奇妙な形をした耳と、二つ並んだ鼻の穴とで、脳に与える影響は計り知れない。嗅覚はともかく塚本の映画ほど目と耳を直撃し、全身に回る劇薬はない。三人のニッポン男児たちが、禁断の領域に堕ちていくさまを『野火』は描破する。古今東西、人は苦痛を前に目と耳をふさぐものだが、『野火』はその目耳を直撃してしかも片時もふさがせない。こうした演出姿勢もしくは演技姿勢は、元来、基本中の基本であるのかもしれない。50~60年代の日本映画にはそんな役者たちの瞳や映像がたくさんあった。しかし現時点において『野火』は稀に見る日本の戦争映画として屹立している。


人間がつくる映画もまた環境の生き物なのである

2015-06-17 | 雑感
人がつくる映画もまた環境の生き物だから、現在の環境で旧作を観ると昔とは違った顔を見せる。むしろ前向きに捉えるべきだが、作品そのものが少なからず時代の環境(社会背景、劇場環境)を意識してつくられるものなのだから、そのことを擬似的にでも少し想像できるほう人のほうが味わいは増すと思える。

昔日の薄汚い映像に郷愁を感じるのはまさに郷愁以外の何物でもない。34年ほど前に名画座で見た『俺たちに明日はない』のフィルムは、雨がざんざん振りの傷だらけで、ものすごく嫌だった。そこで別の劇場に出かけたが、そこでのフィルムは見違えるほどきれいで、映像に対する感動と理解が深くなった。

香港映画やマカロニウエスタンを日本で観た人の初見は、ほとんどテレビである。大抵最悪の画像で、シネマスコープがばっつり半分にトリミングされていたが、まず一般的にテレビ視聴者は「トリミング」という概念自体を知らなかったと思う。つまり気にしてなかったし、当時はそれで十分楽しめたわけだ。テレビそのものの画質だって悪かったし、16インチくらいのブラウン管で満足している人が多かった。するとその条件でも楽しめる映画が中心になった。つまり濃い味の娯楽作品であり、香港映画やマカロニはそうした鑑賞環境の条件にかなってもいた。だが、いまの環境は変わったのである。そうした鑑賞環境の変化は、映画の内容に対する理解をも変える。イタリア西部劇の基本的理解は言うまでもなくアメリカ西部劇の亜流である。アメリカ西部劇の基本は開拓の物語であり、アメリカ人にとってそれは彼らのルーツに関係している。だから生活の描写に時間を割くことが多いのである。

アメリカ西部劇に表現された開拓期の生活感や言葉使いや振る舞いの実感はマカロニに望むべくもない。マカロニのおもしろさの基本は過激なデフォルメであり、戦後イタリアのリアリズム(主に衣装やメイクの汚しに現れている)との融合から生まれた様式だが、それがのちに本家に刺激を与える。
そのことを知る昔の映画ファンはだからこそマカロニに眉をひそめたわけだ。西部劇がアメリカ史(歪みや娯楽化の捏造も含め)の物語だなんて西部劇=テレビで見るマカロニであった子どもは気にもしない。画像の悪いテレビや汚れた名画座のジャンクな暴力風味に映画の格好よさを感じたのである。刺激過多の質の低い映像の氾濫は、安上がりな視聴率優先の放送体制から生じた現象のひとつに過ぎず、技術的側面に関して言えば是正されるのも必然なのだ。結果、画質が良くなり、そこから新たな価値が発見され、古いテレビでは似たり寄ったりに見えたマカロニの奇妙な深みに気づくこともある。

フランスのJ・P・メルヴィルは西部劇はアメリカの物語だからノワールのようにヨーロッパ人が撮るべきではないと語っていた。僕が反省したのは「大人」になってからで、単純に思えていた本家西部劇も本格的な作品ほどあまり放送してなかったと気づいた。それはビデオ時代がもたらした恩恵だ。アメリカの西部劇はその歴史的背景を抜きに見れない作品も多いから、そのことを「難しく」感じる人もいるだろう。多分、正統西部劇を見慣れない現代の観客にとっては、ペキンパーの有名な『ワイルドバンチ』にしたって、その内容や背景や意図まで理解することは困難なのではないだろうか。映画の内容をすべてを理解することは不可能だし、さらにスルスルとすんなり面白がれる作品なんてほとんど稀なる存在に違いない。映画は観客の面白がろうとする日頃の努力の上に成立する。俳優の誰がいいとか、画面が美しいとか、衣装や小道具に目を向けるのも、そのひとつの現われなのである。

内容とは別に劇場やパンフなどのグッズに関心や愛着を向けるのもそのひとつであり、時が進みソフトのデザインや画質・音質にまで注目するのも楽しむためのたゆみない努力のひとつに違いない。画質などかなり改善されたがゆえに、かえって汚れたビデオや名画座への郷愁が湧いてくるのである。

エマ・ストーン×ミカエル・ヤンソンの“80年代スコット兄弟風”なアンダーワールド

2015-05-30 | ファッション写真















ひとつ前の記事でアビー・リー・カーショウを撮った
ミカエル・ヤンソンによるエマ・スートンのファッション・フォト。
(「インタヴュー・マガジン」2012年9月号)

アビー・リーのもそうなのだが、
リドリー・スコットの『ブレードランナー』
もしくはトニー・スコットの『ハンガー』を思わせる光と影の世界である。

「As She Waits」 アビー・リー・カーショウのマネキンは廃墟で待つ

2015-05-30 | ファッション写真














(撮影:ミカエル・ヤンソン/インタビュー・マガジン/2012)

現代のスターたちによる〝ヒッチコック〟ごっこ

2015-05-12 | ファッション写真

『ダイヤルMを廻せ!』
グレース・ケリー→シャーリーズ・セロン


『サイコ』
ジャネット・リー→マリオン・コティヤール


『裏窓』
グレース・ケリー&ジェームズ・スチュアート→
スカーレット・ヨハンソン&ハビエル・バルデム


『泥棒成金』
グレース・ケリー&ケイリー・グラント→
グウィネス・パルトロウ&ロバート・ダウニー・ジュニア


『レベッカ』
ジョーン・フォンテイン&ジュディス・アンダーソン→
キーラ・ナイトレイ&ジェニファー・ジェイソン・リー


『めまい』
キム・ノヴァク→レニー・ゼルウィガー


『マーニー』
ティッピー・ヘドレン→ナオミ・ワッツ


『鳥』
ティッピー・ヘドレン→ジョディ・フォスター


『見知らぬ乗客』
ファーリー・グレンジャー&ロバート・ウォーカー→
エミール・ハーシュ&ジェームズ・マカヴォイ


『北北西に進路を取れ』
ケイリー・グラント→セス・ローゲン


『救命艇』
タン·ウェイ、ジョシュ·ブローリン、ケイシー·アフレック、エヴァ·マリー·セイント、ベン·フォスター、オマール・メトウォーリー、ジュリー·クリスティ

精巧なヒッチコック映画のリメイク。

『サイコ』のマリオン・コテイアールは、
ジャネット・リーに似ているからではなく、
役名が「マリオン」だからに違いないが、
彼女の目と黒髪が生かされた素晴らしい殺人モンタージュになった。
このモンタージュのオリジナルは、
トリュフォーがヒッチコックに取材した
名著『映画術』(晶文社)で見ることができる。

『救命艇』にはしっかりエヴァ・マリー・セイントが起用されている。
エリア・カザンの『波止場』などの地味で上手い女優だが、
ヒッチコックは『北北西に進路を取れ』に彼女を出演させて美しく撮った。
『鳥』のジョディ・フォスター、『めまい』のゼルウィガーはピンとこない。
『レベッカ』のジョーン・フォンテインはきれいなのだが、
ナイトレイはあごを突き出しすぎだと思う。
わざとだろうか。

個人的に、このキャストで観てみたいのは
『ダイヤルMを回せ』と『裏窓』、そして『泥棒成金』。
すべてグレース・ケリー。
『ダイヤルM』のセロンは強そうな肉体の持ち主で、
あの役に向くとは思えないが、写真としては抜群。
『裏窓』のヨハンソンは、彼女主演の『タロットカード殺人事件』を、
『泥棒成金』のパルトロウは、彼女主演の『恋に落ちたシェイクスピア』を
それぞれに思い出し、なかなか向いていそうに思えるのだった。

セス・ローゲンの『北北西に進路を取れ』は
実現させてみると楽しいものになるのかも知れない。

海外における映画とファッション・フォトの繋がりは深く、
様々な映画のイメージが引用されてきたが、
これはことにおもしろい試みでもっともっと見てみたいと思わせた。
(ヴァニティ・フェア/2008)


『ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』 アルトマンのドキュメンタリー

2015-04-27 | ロバート・アルトマン


ロバート・アルトマンのドキュメンタリー映画が秋に公開。嬉しい。
映画ばかり見ながら過ごしてきたけど、
結局のところ、アルトマンが一番好きな映画監督なのであった。

『70年代アメリカ映画100』は、実はかなりの部分、アルトマンを軸に構成された本だったのだが、
というのも、彼こそ70年代的な態度や姿勢を体現し、貫いた監督であり作品群だったと思えたからである。

アルトマンは同時代の最も革新的なアメリカ監督であり、彼の手になるとあらゆるジャンルの、演技、脚本、撮影、編集など全ての要素が、巧みに従来の作法から「ずらされ」ていった。
彼は、アメリカの映画文化を批評的に扱いながら、アメリカとそこに暮らす人々の振る舞いを白日のもとにさらして、心からうんざりしつつも、同時に愛していたと思う。このアンビバレンツこそ信じられるものであったし、いまもなお信じられるものだと思うのである。

追記
作品評はこちら

『フォックスキャッチャー』 暗鬱な密室の〝アメリカ〟

2015-02-22 | ロードショー


ベネット・ミラーの『フォックスキャッチャー』は何もかもが圧倒的である。カンヌ映画祭で監督賞を獲得する以前から期待していたが、映画を構成しているあらゆる要素が完璧に機能していて、ミラーが「現代の名匠」としての地位を揺るぎないものにしたことを実感させる。

ミラーはデビュー作『カポーティ』で、天才作家トルーマン・カポーティと彼が取材した一家殺害事件の犯人の奇妙な共感と裏切りの顛末を描き注目されたが、『マネーボール』に続く三作目の『フォックスキャッチャー』でも、デュポン家の御曹司が1984年ロス五輪におけるアマチュア・レスリング金メダリストを殺害するに至った異様な経緯を暗鬱たるタッチであぶり出してみせる。社会階層の異なる有名・無名の男たちが共通して抱えている孤独感が、いかに両者を結びつけ、互いを必要とさせ、ときに利用しながら、破滅へ突き進んでいく過程、それが静謐な緊張感を張り巡らせた演出によって描破しつくされるのである。

アメリカ史に名を残すデュポン家の世界と金メダリストの世界は、ともに栄光の華々しさとは裏腹に、世界から隔絶され、内部から崩壊する過程にある。この二つの世界が結びつき、三人三様の男たちが暮らす「いっけん健康な世界」が「不健康な世界」に呑まれ、ゆっくりと窒息していく。共依存関係を築き、腐食していくさまの異様さ、極度の不健康さが、観る者をも蝕み、登場人物たちの内面的・身体的な危機を共有せずにおられなくなるのだ。

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』『ノーカントリー』『悪の法則』『ハートロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティ』『ソーシャル・ネットワーク』『her』『ダラス・バイヤーズ・クラブ』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』『ブルージャスミン』『マップ・トゥ・ザ・スターズ』、そして『ゴーン・ガール』、またはテレビドラマ版『FARGO/ファーゴ』や『トゥルーディティクティブ』など、ここ10年以内の現代アメリカ映画の映像には、現実感覚の崩壊と、暗鬱たる未来の予感が横溢している。結末の先に不穏を見るか、希望を見るかの違いはあるにせよ、ドラマの中心になるのは、いま足元から崩れつつある自国の過去と現在を検証する厳しい眼差しである。

ミラーはそうした現代映画の最前線に立つ人物のひとりだと言えるが、これまでのところ彼の主題は、アメリカ現代史の特殊かつ閉鎖的な人間関係の実話を材に、極めて普遍的な「人間の孤独」を浮かび上がらせることにあったと思う。『フォックス・キャッチャー』はその決定打とも言える傑作であり、アメリカを覆う不穏を、映像の隅々にまで行き渡らせることに成功している。「アメリカ」と「アメリカ人」の深淵をえぐりださんとするこの作者の眼差しと高度な映画芸術に昇華させる手腕は敬服に値するものだ。

ミラーは『カポーティ』で2005年のアカデミー賞にノミネートされたが、同年はクオリティの高い作品が揃っていた。スピルバーグの『ミュンヘン』、クルーニーの『グッドナイト&グッドラック』、アン・リーの『ブロークバック・マウンテン』、ポール・ハギスの『クラッシュ』だが、いまをもってアメリカ映画の重要作だといえる力作揃いだ。また、『クラッシュ』を除き残りすべてが過去を題材にしており、『カポーティ』と『ミュンヘン』『グッドナイト&グッドラック』は実話の映画化だった。「過去の悲劇」を描いて「現代の問題」を焙り出すことに成功した「ベテラン勢」。そのなかにあって「新世代」にあたるミラーもまた彼らに引けを取らぬ地に足のついた演出力を披露して注目されたのである。

『フォックスキャッチャー』は『カポーティ』の変奏であり、両者は非常によく似た人間関係を描いているといえる。
『カポーティ』は作家と殺人犯といういっけん対照的な人物がともに内に抱えた「心の茨」の交流を描いている。カポーティは犯人のなかにあり得たかも知れに自らの分身を見いだし、犯人は自分を利用しているだけかも知れない作家をまるで父のように慕っていく。カポーティもまた犯人に自らを投影し、感情移入を抑えることができなかったが、作家としての性(さが)によって細い糸でつながる信頼関係を打ち切ってしまうのである。
自らの「分身」への裏切りの行為は、のちに彼自身をも崩壊させていくこととなるが、この関係が『フォックスキャッチャー』でのデュポンとシュルツの関係を思わせるのである。その姿は映画作家ミラー自身にも重なるだろう。実在人物を自らの芸術に利用する。その過程で内なる歪みをも見出さざる得ないだろうことは、こうした創作に携わるかぎり、避けることのできぬ必然の帰結であり、ゆえにあのカポーティと重なり見えてくることもある。

『フォックスキャッチャー』でミラーは「事実」にとらわれず脚色を加えることで、自らの「真実」を追求している。実在のマーク・シュルツが、本作に対し怒りを表明していると聞くが、なるほどそういうことは映画や小説など「事実を元にした創作物」にはよく起こるトラブルだといえる。実話を元とする映画が目指すべきは「事実」の忠実な再現ではなく、その奥に潜む人間普遍の「真実」を突き詰めることである。「シュルツにとっての“事実”」と「映画にとっての“真実”」はまるで異なるものであり、観客が観ることになるのは、「現実の事実」ではなく「映画の真実」なのである。90年代の事件を80年代に置き換えたミラーの真意こそ知らないが、「事実の忠実な再現よりも」あくまで「映画リアリズム」を優先してはばからぬその決断と姿勢は、極めて理知的な判断によるものではないだろうか。見方によれば残酷とも冷酷ともとれるその判断が、本作を他に比すもののない傑作たらしめていると、感じられてならない。本作はそうしたミラーの作家性を現時点における最高度にまで高めた成果なのである。
また、彼は、俳優演出の天才でもある。『カポーティ』のフィリップ・シーモア・ホフマンとキャスリン・キーナー、『マネーボール』のブラッド・ピットとジョナ・ヒルなどに続き、ここでは、スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロから最高レベルの芝居を引きだしてみせ、そのアンサンブルは『ゴッドファーザー』や『ディアハンター』に匹敵している。『カポーティ』と同様、撮影も見事だ。時折綴り込まれる風景ショットの暗鬱たる寒々しさが、アメリカとそこに生きる登場人物たちの憂鬱を伝えるのである。それは黄金の70年代アメリカ映画を思わせる質感を持つが、ミラーは久方に現れた「映画の風景画家」といっていいかもしれない。

何より素晴らしいのは、ミラーのニューロティックかつパラノイアックな人間ドラマが、その奥底に人間という生物の儚さと哀しみへの共感を沁み込ませていることである。





「ストックホルム・ファッション・ウィーク」(2011年)のスレンダーな〝モンロー風〟ブロンド

2015-01-25 | ファッション写真
「ストックホルム・ファッション・ウィーク」2011年。 撮影はemma jonsson Dysell

ヴェラ・リンの「また会いましょう」~『博士の異常な愛情』

2015-01-02 | 音楽


『博士の異常な愛情』でスタンリー・キューブリック監督は
人間が築きあげてきたすべてが吹き飛んでしまう痛烈なラストにこの歌を流した。

**********

"We'll meet again,"
「また会いましょう」

またあいましょう
どこかで
いつの日か
きっと また 会えるでしょう
ある晴れた日に

ほほ笑み 忘れず
あなたらしく 笑みを絶やさず
青い空の輝きが
黒い空を払うまで

そして お願い
友人や隣人に もし出会ったら
じきに行くと 伝えておいて
別れ際に この歌を
力の限り 歌っていたと

またあいましょう
どこかで
いつの日か
きっと また 会えるでしょう
ある晴れた日に

**************

映画史上に名高いブラックユーモア。

水爆の爆発にあわせて流れてくる
イギリス人歌手ヴェラ・リンの優しい歌声が、
耳から離れないのは、それが反語として響くからだ。

人はどこまでも愚かな生き物になりうる。
それはもっとも「哀しいメッセージ」である。

私たちが、一度吹き飛ばしてしまったものとは、
「きっと、もう二度と、会えないでしょう」




ミシェル・マリの『ヌーヴェル・ヴァーグの全体像』~~時代を紐解き、目から鱗を落とす語りの力

2014-12-09 | 映画の本
   

 ヌーヴェル・ヴァーグ――その内実を理解するより先に口にしてきたし、されてもきた言葉である。それはすでに50年以上も前の歴史であり、しかも世代と強く関わるため、後追い世代が、その「全体像」を把握することが困難なのは、時の薬になめされて細部が整理されてしまうからである。

 個人的にそれは「両親世代」に属する「文化現象」としてある。たとえば、母親は『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール/1960年日本公開)を17歳の頃に「映画館」で観て、「こんな映画を待っていたんだ」と感じたという。ここには世代ならではの感慨と興奮があるが、劇場内の様相はそれとまた異なるものだった。閑散として中年男ばかりなのが奇妙だったが、突然、映画の上映前に「本物のストリップ・ショウ」が始まったのである。母親と友人は、行き先を間違えたのだと思い、そのまま固まって動けなくなったが、「ショウ」が終わると無事に「映画」が始まったのであった。勿論、日本でのお話であり、いまなら到底考えがたい環境であり状況ではあるが、映画もまた人と同じく環境の生き物なのであり、ことに街と結びついていた時代の映画は、そうした環境とともに脈打ち、その鼓動で観る者をも揺さぶり、ときに「時代の象徴」になることもあった。
 ヌーヴェル・ヴァーグという映画運動体もまた、個々の作品や作家に対してという以上に、ひとつの時代を指した言葉であり、象徴なのである。仮にDVDなどのソフト環境の整備が、すでに映画を「時の枷」から解き放っているとしても、映画=映像というものがそもそも備える記録的な資質が変わることはない。

 そこで本書『ヌーヴェル・ヴァーグの全体像』(矢橋透訳/水声社)の登場である。著者ミシェル・マリは1945年生まれ。やはり思春期にその洗礼を受けた世代に間違いない。ミシェルは約半世紀の「全体像」を捉え返す試みとしての本書の性格を、次のように位置づけている。「経済的技術的背景の分析を優先し、テーマ的文体的要素にはより限定された場しか与えなかった」「ここではむしろ、ひとつの運動の長所と弱点を含みこんだ全体的総括が提示されようとしている」のだと。当然、項目は多岐にわたり、個々の作家、海外への影響、現代への継承なども視野に収められる。

 詳しい人には知った内容かも知れないが、ミシェルは「経済的技術的」な「語りの力」で読む者の目から鱗を落としてくれる。とかく「テーマ的文体的」に偏りがちな「ヌーヴェル・ヴァーグ」観を心地よく裏切る、その感触は、多くの理論書や評論本の類いよりもむしろ「ヌーヴェル・ヴァーグ映画」そのものに近い。あの『勝手にしやがれ』や『大人は判ってくれない』のようにリアルで、軽やかなスピード感があり、簡潔かつ具体的で、コクがあり、情熱もたっぷり。水玉模様の装丁、280ページほどのコンパクトな本だが、その中身は驚くほど濃いのである。

(「キネマ旬報」2014年5月下旬号/渡部幻)

ホドロフスキーの『DUNE』は「幻」だからいいのだ

2014-06-23 | ロードショー
 『ホドロフスキーのDUNE』は実に面白いドキュメンタリーだった。
 これは結局作られることのなかった「幻の映画」について作者ホドロフスキーが語るドキュメントなのだが、その「壮大な妄想」に聞かされているうちに、観客の心の中にも「とてつもない傑作」が浮かび上がってくるという、実に刺激的な作品になのだ。

 ホドロフスキーのあの熱病的な語り口を聞いていると、どんなことだって可能なような気がしてくる。映画作家とはプロジェクトに携わる人々にとって予言者もしくは挑発者でなければならず、必要とあらば手品師にでも詐欺師にでもなるだろうが、このドキュメンタリーを見る限り『DUNE』構想時の彼はとにかく「最高の状態」にあったと見受けられる。オバノン、フォス、ギーガー、ピンク・フロイド、ダリ、ウェルズ……とてつもない才人たちをもたらしこみ巻き込むことを可能とする予言者であり挑発者たりえていたのであり、だから本作に登場する数々のエピソードが異様なテンションを呈すのも当然、ゆえに結局、構想が「妄想」で終わったときの落胆といったらない。もちろん「結果」は周知の事実。だからあらためて落胆することもないのだが。
 本作はこの「100%あり得ない夢想」の中にグイグイ観る者を巻き込んでいく。どれほどの類まれなる「壮大な企画」だとしても実現できなければ「単なる幻」に過ぎないし、なおもこだわり続ければ「誇大妄想狂の戯れ言」とも捉えられかねない。しばしそんな夢の実現にこだわり続けることそのものが生業たる映画芸術家なのだから仕方がない。ことホドロフスキーに限れば「幻想イコールで人生」、その逆も真なのである。
 本作を観た多くのファンが「実現して欲しかった」と語っているが、僕の個人的な感慨であり結論としては「完成できずに幻のままで良かった!」。幻は幻のままでこそ美しいのだ。

 テリー・ギリアムの『ロスト・イン・ラマンチャ』やオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』も頓挫した企画についてのドキュメンタリー映画である。また、70年代にはキューブリックの『ナポレオン』、80年代にはベルトルッチの『血の収穫』が頓挫している。いずれも残念なことだ。
 『DUNE』の伝説は長いこと噂に聞いてきた。僕はホドロフスキーの熱狂的なファンではないだろう。もちろん『エル・トポ』は折に触れて見返してきたし、異貌の傑作であり、真のカルト映画だと思っている。だが、多分、『DUNE』は空前の怪作もしくは珍作にこそなりえたとしても、彼自身の話から想像するほどの大傑作にはならなかったのではないか、と、そう思えてならないのである。

 あのプロジェクトの成立させるにはやはり時代の限界があるように思える。
 70年代のダグラス・トランブルはずば抜けた才能を持つ特撮マンであった。ホドロフスキーも最初彼にめを止めたが、結果うまく行かなかった。これはいかにも残念である。ドキュメンタリーを見る限り、トランブルの態度に問題があったのだろう。だがそれにしても技術的にははるかに劣るダン・オバノンへの変更は判断としてどうなのであろう。気にかかるところである。
 オバノンと組んで超絶的な「低予算映画」を作るのならば面白そうだ。しかし大作としてはどうか。この企画が「大作」であるということを忘れて、素直にイメージを広げれば、『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』と同じくらいのサイズだが、しかし無限の想像力を持つ異貌の怪作が生まれたかもしれない。

 だが、劇中、散々引用される、リドリー・スコットの『エイリアン』や『ブレードランナー』、ロバート・ゼメキスの『コンタクト』のような、もしくはそれ以上に立派な映像をつくれただろうか。このドキュメンタリーで示されるものを見る限り、技術的な土台が足りていないように思えてならないのである。
 あからさまに『DUNE』のコンテを真似しているらしい『フラッシュゴードン』ほどではないにしても、チープな特撮に堕した可能性もあるのではないか。
 当時のSF映画の大体はあんなレベルだった。いま思い起こしても、『スタートレック』『メテオ』『スペースサタン』『スーパーマン』。みんな実に安っぽい特撮映像ばかりだったように思う。
 トランブルはずば抜けた存在だった。彼の『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』、もしくはダイクストラの『スターウォーズ』、または『エイリアン』が格別に優れていたのであり、当時それらと同等のレベルまで到達するのは至難だったのだ。

 もちろん低予算のチープだが面白い作品もあった。トランブル自身、低予算映画『サイレント・ランニング』では安い映像ながらも魅力的な世界観を生み出していたし、オバノン×カーペンターの『ダークスター』(ホドロフスキーはこの傑作を観て彼を起用した)もまたその代表作だろう。
 
 だが、『DUNE』に期待されるのは、のちの『スターウォーズ』や『エイリアン』『ブレードランナー』に匹敵する大名作であろう。
 理想的に作られれば、フェデリコ・フェリーニとスタンリー・キューブリックが一緒にSF映画を作ったかのような壮大な芸術作品が生まれただろうか。

 リドリー・スコットのビジュアルは基本リアリズムで、80年代以降のあらゆる造形を先駆して現実に影響を及ぼしていった。ホドロフスキーの想像力はより神秘主義的な造形美学であり、ゆえに60年代から70年代に至る時代の記念碑にはなっても、当時の不十分な特撮技術でつくられれば目も当てられない惨たんたる結果になったかもしれないではないか……。
 
 僕はホドロフスキーを甘く見ているのかも知れない。彼なら前人未踏の映像で映画史を揺るがす大ヒット作をつくっていたのかもしれない。
 だが、カルト作家を越えてメジャー監督になるホドロフスキーをどうしても想像できない。リンチはなったではないかといわれれば、なんとも返答のしようがない。だがリンチのビジュアルの肝のひとつは50Sテイストにあり、それがいかに奇妙で無気味だとしても、アメリカ人(にかぎらない)人々の郷愁を刺激するところがあり、少なくとも50Sリバイバルに沸いた80年代の感性とも結びついていたのだ。

 『DUNE』が企画された70年代中盤から後半にかけては、アメリカにおけるいわゆる「映画作家の時代」の後半に差し掛かっている。映画産業の一職業であるところ「映画監督」は、60年代のヨーロッパ映画の新しい波やニューヨークを中心とするアンダーグラウンド映画の洗礼を受けて「映画作家」に生まれ変わった。
 彼らのつくる自己探求的で深遠な映像世界は、アメリカの資本と結びつくことで膨張し、大金をかけた問題作・超大作が多くつくられるようになった。
 暴走を始めた「作家の映画」は、ときに惨たんたる興行結果を残して。産業としての映画界を危機に陥れはじめたのである。
 コッポラの『地獄の黙示録』『ワン・フロム・ザ・ハート』、スピルバーグの『1941』、チミノの『天国の門』、アルトマンの『ポパイ』、スコセッシの『ニューヨーク、ニューヨーク』、ブアマンの『エクソシスト2』、フリードキンの『恐怖の報酬』、フォアマンの『ヘアー』……。黒澤の『影武者』、フェリーニの『カサノバ』『女の都』を並べてもいい。これら「作家の映画」は「1980年」に限界に達した。質的にはスコセッシの『レイジングブル』、興行的失敗ではチミノの『天国の門』で頂点に達し、後者は老舗ユナイテッドアーティスツ社を破産に追い込んだ。

 SFとホラーの特撮系映画は、商業的なそれなりの保障があったから、辛うじて82年まで延命する。そしてそこから、ラッセルの『アルタード・ステーツ』、カーペンターの『ニューヨーク1997』『遊星からの物体X』、ハイアムズの『アウトランド』、ウォドレーの『ウルフェン』、もしくはクローネンバーグの『ビデオドローム』、さらにはスコットの『ブレードランナー』などの異色作が生まれた。
 だが82年にはスピルバーグの『E.T.』が登場。潮流はいわゆるSFであるよりファンタジーに流れた。例のトランブルにしても83年の野心作『ブレインストーム』を成功させることはできなかった。

 実際上記の作品はどれも面白い。もう二度とは作られないだろうスケールの映画の夢が詰まっている。どれもどこか無気味な異色作ばかりだが、きっとホドロフスキーの『DUNE』も完成していたら、そんな作品になっていたに違いない。
 84年のデヴィッド・リンチ版『DUNE』たる『砂の惑星』など大予算にも関わらず、内容的にも映像的にも目も当てられない出来栄えだった(当時、新宿ピカデリーの巨大スクリーンで予告を見たときスケールの大きさに楽しみにしたが、合成の荒さに失望し、特撮の出来栄えは予算の問題ばかりではないと感じたものだ……)。
 
 結局どのように想像を膨らませてみたところで「現実」は、ホドロフスキーの『DUNE』が存在することを許さなかった(ホドロフスキー自身言うように「アニメ化」もできそうだが、どうせやるならやはり「実写化」の無謀にこそ「夢」を感じる)。
 巷では『DUNE』がもし完成していれば――大傑作となる前提で――『スターウォーズ』も『エイリアン』も『スターウォーズ』もなかったかも知れないと言われている。80年代以降の映画地図が書き換えられてしまうのだと。
 そういわれてしまうといかにもつまらない。僕は『エイリアン』『ブレードランナー』が存在する「現実」のほうを取る。『砂の惑星』の失敗があったから製作者ディノ・デ・ラウレンティスはデヴィッド・リンチに『ブルーベルベット』を作る自由を与えたのだ。ホドロフスキーは本当に気の毒だし、全部存在できるならば観たかったが、残念だけどそれはありえなかった。

 作品づくりとは可能性の探求であり、想像力のギャンブルである。ことに映画は多くの人が携わり、そこにクリエイティブの掛け算が生じ、正体の知れぬなにかが暴走を開始する……その営みにはえもいわれぬ感動がある。
 無謀から奇跡の作品が生まれた前例はいくらもある(『スターウォーズ』『ブレードランナー』『地獄の黙示録』もみなある種の間違いから生まれた傑作なのだ)。
 だからこそ、ファンは、ホドロフスキーと彼が集めた「戦士たち」(彼はそう呼ぶ)に無限の可能性を感じて我がことのように一喜一憂してしまうのだ。
 
 映画ドキュメンタリーの傑作である。

増殖を続けるのに処理の追いつかない悪夢状況

2014-06-16 | 雑感


 現在、映画、文学、音楽、美術、漫画、雑誌もろもろの歴史に触れる機会は、減ったのか増えたのか。
 時が進み、歴史になるたび、必見作品が山積みになって、収集のつかない時代である。もろもろのアーカイブ状況が整い、充実すればするほどに、もっともっと知らねばならぬ、という強迫観念だけいや増していくのである、
 人によってはパンクしてしまうだけだろう。
 ハードルは上がる一方であり、作品がそうしたニーズに答えれば答えるほど、専門性が上がり、大衆性は失われていく。
 もはや不治の病ごとくだ。
 
 一回の映画鑑賞または読書が人に与える経験密度はどうだろう。
 例えば一本の映画が、一回の鑑賞で、一人の観客に残すインパクトは、1950年代と2010年代では比較にならないほどに軽いものになっていると思える。80もしくは90年代と今を比較しても与えられる喜びも痛みははるかに弱まっているように思えるのだがどうだろう。
 両親世代の映画への思い入れはいまと比較にならないと感じたことがある。
 80年代に2000席近いキャパの有楽座と日比谷映画で40~50年代の名作を再上映したとき、老人を含む白髪の観客で超満員で立ち見まで出ていた。そして終了後に耳が割れんばかりの拍手が沸き起こった。当時で40年ほど前の映画を想い続けて駆けつけた年老いた人々の熱気で場内は暑かった。映画がそんな熱狂を引き起こすことはもう起こりえないだろう。映画をめぐる状況の形が変わったからだが、ではそれでも熱狂したい人の想いはどう処理すればいいというのか。


 
 処理も何もないのだが、一回性の熱狂が失われた代わりに、物好きは繰り返し観ることで補っているかもしれない。デヴィッド・プレスキンのクローネンバーグ・インタビュー(柳下毅一郎訳)が面白かった。
 90年代初頭の取材(『裸のランチ』のとき)。
 プレスキン「この1ヶ月というもの、わたしはあなたの作品をすべて、2回ずつ、家でビデオで見直していましたが、そして何度もスタート、ストップを繰りかえせるし、『スキャナーズ』の頭爆発シーンを繰りかえし再生できるのはとてもいいものでしたが、あれは本当に美しい」
 クローネンバーグ「ああ、そうだとも」
 プレスキン「まるでキューブリックの、『博士の異常な愛情』の最後での原爆シーンのようでした。ですがそれでもわたしは映画館に行って、暗闇に座って、イメージが大きく投射され満たされ、宅急便からの電話なんかに邪魔されないほうがいい。わたしは浅くではなく、深く集中したいからです。(略)映画の力のひとつは、観客が、文学とは違い、時間をコントロールできないことにあるんです。文学では、われわれは立ち止まり、飛ばし、ページを戻ることができますが、それに対し映画は〝なされる〟ものです。そのせいで受け身のイメージ消費者という疑いを抱く人もいますが……」
 クローネンバーグはこれに対し、
 「だがビデオでは、繰りかえすが、興味を持てない場所は飛ばして、おもしろい場所だけに集中できる。これは本の好きな文章やシーンだけ読みかえし、退屈な章は飛ばしてしまうのと似ている。集中を増すことになるのか減ずるのかは、実際、大いに議論できるだろう。(略)」「今では映画を持つこともできる。そして思うが、究極的いんは、あるいは一度の体験と替えられないかもしれないが、だが10年、20年のうちには、20年間映画に触れつづけることができたら、自分の引き出しにあって、いつでも取りだして観ることができるならあるいは究極的には、深く関与することができるかもしれない。そして映画監督のコントロールがいくらか、責任がいくらか剥ぎとられることは、映画を観る者が長い時間のあいだに得る関与によって埋めあわされるだろう」


 
 まさに実現しているし、インターネットが加速させたと言えるが、しかしそもそも、本と違ってソフトは、20年後も持つのか。
 ビデオ、LD、DVD、ブルーレイと変わるたびにマニアは買い換え、そのたび自分のその作品への愛情を確認したりするという、ほとんどマゾヒスティックで変態的な喜びの世界へと突入している。
 それで楽しい人はいい(自分も知らぬ間にその一員だった)として、そうでない人には単に鬱陶しいだけだろう。メディアが変わるたびに過去のソフトは質の悪いものとして淘汰される運命にある。デッキが無くなれば観ることもできない。
 また市場原理により前メディアで売れなかった商品は次世代に移行もしてもらえない。
 映画はむかし所有できない光と影の幻だった。そこに愛しさもあった。
 やがて映画は「持つ」こともできる時代に入った。
 だが、その時代も終わりつつあるかもしれない。20年間も持ち続けてもらう夢は、クローネンバーグが『ビデオドローム』をつくった1982年から2002年あたりまでの20年について実現したと言える。だが、その後の20年はどうなるかわかない。
 所有する時代が終わり、その特権的快楽がなくなり、いつでもだれでもどこでも取り出せるようになれば、逆にいちいち一生懸命になって観る人も減ってしまうに違いない。
 そしてそれはビデオが普及したころからずっと言われてきたことの末期症状に過ぎないようにも思える。
 映画はいよいよ考古学的な世界に突入し、新作も常に過去の歴史の参照をうながすようにつくられる。この20年すでにそうなってきた。
 かつて映画一本の一回性の重みは、一回性の人生の重みであり、生と死の比喩でもあったが、いま映画ファンは墓堀り人の役割を担いつつ、映画のゾンビ化の片棒を担ぐしかないのである。
 「映画」がこれからもなくなることはないだろうが、それはかつて見知った「映画」とは違う、別物であるに違いない。
 なんともはやである。




常盤新平『ニューヨーク紳士録』と無関係に広げた連想

2014-05-27 | 作家
常盤新平~『ニューヨーク紳士録』より~

「ジャーナリストにとって最高の名誉であるコロンビア・ジャーナリズム賞を得た『ザ・ライト・スタッフ』は宇宙飛行士たちの仕事と私生活の記録であるが、この「ライト・スタッフ」はいまやアメリカ語として定着している。ウルフは言葉の創始者でもある。
 たとえば「ラディカル・シック」――これは一九七〇年代、レナード・バーンスタインがブラック・パンサーのためにパーティを開いたとき、その模様を描いたウルフの作品のタイトルである。一九七六年には、「ミー・ディケード」をウルフは流行させた。
 アメリカとつきあうには若さが必要ではないかと思う。もともと私は時代遅れの人間だが、年齢をとって、いっそう時代遅れになった。しかし、アメリカの古いものばかり追いかける書き手が一人くらいいてもいいだろう。 」
(一九九一年七月。常盤新平『ニューヨーク紳士録』の「文庫版あとがき」より)

 常盤さんがこれを書いた頃の僕はまだ21歳である。
 そこから考えてみて、僕もそうだがアメリカもまた、ずいぶん年を食った感じがする。しかしそれでも、いまだアメリカについていくには、「若さ」が必要であるような気がする。
 アメリカと比較したときヨーロッパは成熟していると言われる。歴史を思えば、確かにそうだろうが、だが例えばいまのヨーロッパ映画の、個々ではなく漠然と俯瞰的に作品群を眺め、往年と比較したとき、そこにはもはや「成熟」の時期などとうに通り越した、別の「何か」を感じてしまうこともある。
 うまく言えないのだが、僕の生活実感には突き刺さらない、どことなくこじんまりとしてローカルな印象を抱いてしまう。むかしからヨーロッパ映画の名作はローカルな作品が多く、そのこと自体とても面白く、ゆえに映像表現が個性的かつ芸術的なのだが、そのさまがあまりにも「純粋」にすぎ、作者が自らの「作品」に触りすぎている様子を感じてしまうとちょっと白けてしまうことがあるのだ。

 生活は社会性と個人性のしがらみでありその格闘である。だから映画の成立ちからも、そうした「しがらみ」や「格闘」の感覚を受けとりたいのである。
 アメリカ映画は商業主義が強いゆえに、作品の表皮をひっぺがすと、会社と作者のしがらみや格闘が浮かびあがる。その多くは個人または作者の負け戦であるかもしれない。そこに僕はリアルな共感を覚えているなのようなのである。
 だが、それは「若さ」である。若さのしがらみであり格闘なのだ。
 若さと老いの違いはエネルギーの違いでもある。少なくともかつてのアメリカ映画の魅力は、イキイキと火花散らすエネルギー量にあったのかもしれない。
 ゆえに、もはや44歳を過ぎた僕も次第についていけなくなる可能性はあるが、今のところアメリカそのものが年を食ってきて、映画もある種のシンドさをにじませる作品が多くなってきているから、調度いい塩梅ではある。

 日本は、というか日本映画はどうだろうか。がっかりする確立が高いので、恐れをなしてあまり見なくなってしまった(ヨーロッパ映画やその他の国の作品を観る頻度も減ってしまったけど)。
 これはよくない。よくないのだが、僕の人生時間のうち、映画に与えることのできる残りの機会(時間、お金、そして縁も含む)は限られているから、漫然と対するようり、ギュッと絞り込まざるを得ないのであった。

 現在、映画、文学、音楽、美術、漫画、雑誌など、もろもろの歴史に触れる機会は減っているのか増えているのかわからない。情報の氾濫は行き着くところまでいって、自分が何を見るべきなのか、何が好きなのかも分からなくなると、つまり「自己」の基盤が緩くなってくる。
 一回の鑑賞または読書が人に与える経験密度はどうだろう。例えば一本の映画が、一回の鑑賞で、一人の観客に残すインパクトは、1950年代と2010年代では比較にならないほどに軽いものになっていると思える。80もしくは90年代と今を比較しても与えられる喜びも痛みははるかに弱まっているように思えるのだがどうだろう。両親世代の映画への思い入れはいまと比較にならないと感じたことがある。80年代に2000席近いキャパの有楽座と日比谷映画で40~50年代の名作を再上映したとき、老人を含む白髪の観客で超満員で立ち見まで出ていた。そして終了後に耳が割れんばかりの拍手が沸き起こった。当時で40年ほど前の映画を想い続けて駆けつけた年老いた人々の熱気で場内は暑かった。映画がそんな熱狂を引き起こすことはもう起こりえないだろう。映画をめぐる状況の形が変わったからだが、ではそれでも熱狂したい人の想いはどう処理すればいいのか。
 日毎、年毎に、いわゆる「必見作品」が蓄積していき、録画したDVDやブルーレイが見れないまま放置されてゆく。個人アーカイブが充実すればするほど、見なければならぬ、知らなければならぬという強迫観念ばかりがいや増していく。人によってはパンクしてしまうだろうが、それをこなしえる少数者はよりマニアックにより閉じざるを得ない。娯楽たる映画から大衆性が失われれば、個々はまるで違う作品を見ている孤独の人にならざるを得ないわけだ。たとえば、YouTubeで映像を見ているときにたまに思うことは、この映像をたったいま見ているのは世界で僕だけだろう、という孤立の感覚である。
 80年代にビデオが普及したりウォークマンが普及したときは、その感覚に特権的な快感を覚えたものである。ビデオやウォークマン、もしくはパーソナル・コンピューターは、ウルフの言う「ミー・ディケード」もしくは「ミーイズム」の機械的な結晶であり、だから爆発的に求められた。つまり、その孤独の振る舞いのなか
に、自由と、かけがえのない「ミー(自己)の確立」を錯覚していたような気配がある。そのときの気配を、若さゆえの誤診と考えることもできるが、最近たまに思うのは、あのころに始まり、いま徹底的に先鋭化しようとしている、この錯覚の装置が、まるで不治の病ごとく拡がりつつ僕も蝕んでいるということだ。
 とはいえ、こうしたシステム状況は大衆が求めたものであり、ぼく自身その例に漏れないのであった。これがもたらす「自由」の獲得は、人の本来が、どうしようもなく孤独な個々の生き物として、魂の入れ物たる肉体を浮遊させているだけの存在に過ぎない、という事実をあらためて暴いていくれた。僕はいま、この厳しい認識に戸惑っているのかもしれないが、その戸惑いは「進化」「成長」の過程で感じる過渡期的な兆候に過ぎずないような気もする。それは生命体としてのひとつの適応かたちであるが、それには見合うだけのエネルギーが必要であるだろう。適応のエネルギーが不足してれば、ただ滅んでいくだけなのだ。滅びもまた、ひとつの運命であり適応のかたちではあるのだろうが。
  
(5月26日のツイートより)
 
 

モノクロームに滲む少女の亡霊・・・・孤独・・・苦悩・・絶叫・・BAMBI MAGAZINE

2013-08-31 | ファッション写真








BAMBI MAGAZINE モデル=ダニエラが惹きつける〝部分〟フォト Photography by Anna Vatheuer

2013-06-28 | ファッション写真