ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

シナリオ、というもの2

2018-12-14 05:50:42 | 思うこと
ちょっと言い足りなかったので書き足します。
とはいえ、あくまで何も知らない素人ですが、その素人でも思う範囲内のことですよ。

「シナリオの書き方」という授業番組内のことでした。
プロの脚本家が自分の書いたシナリオの男女の会話のうち女性のセリフを消しアシスタント男女に自分で考えてみてください、という宿題を出したという授業でした。
ふたりがそれぞれ書いたセリフはあまり変わらず、プロの脚本家のものともそう変わりませんでした。なにしろト書きと男性のセリフは同じなのですから掛け合いの女性のセリフがとんでもないものになることは(日本人的性格からして)そんなにないでしょう。
脚本家は「二人とも上手ですね~」という評価で終わりという内容でした。

これはいったいシナリオの書き方の勉強になるのでしょうか?

そのプロの脚本家さんはどのようにして脚本を書いているのでしょうか。売れっ子さんのようでしたから実力はあるのだとは思うのですが。

シナリオ、というのは素人の自分でも明確な書き方というのがあると思います。
まず最も大切なものはテーマですよね。この番組ではテーマということにまったく触れていないようでしたが、そこを考えずにどうしてシナリオが書けるのでしょう?
設定として「結婚したばかりで離婚する男女の会話」というものだとはわかります。でもテーマが何なのかは提示されていません。それではシナリオは書けないはずです。でなければ書いてきたふたりに「テーマはなんですか?」と最初に聞くべきですよね。
例えば「女性の自立」とか、離婚するというのが設定でも「男女の真実の愛」とか、「結婚なんて制度はどうでもいいんだ」というテーマもあるでしょう。そのテーマがあってこそ二人の会話が展開されるはずです。
というかテーマがなければフィクションの会話はどう展開するのか?
テーマがないからごく当たり前のよくあるセリフのやり取りになってしまうのです。よくある男女のケンカのセリフにしかならないのです。その凡庸なセリフをTVでずっと聞かされるのは退屈というより拷問です。

夫との会話で自立に目覚めた女性ならそういうセリフを言うし、本当は深い愛を求めている女性というテーマならそういうセリフになる。結婚なんてやめて自由な愛の形を模索しましょう、というテーマならそういうセリフです。
なんとなくケンカする会話だから「自然なやりとりですねー」ってなるのです。そういうドラマを私は見たくないのです。そして日本のドラマはそういうのが多いんですねほんとにつまらない。

全てのセリフはひとつのテーマを表すセリフであるべきです。
例えば途中でジョークや歌が流れてもそれがテーマを意味していなければならないし、もっというと壁紙や風景や照明やBGMももちろんテーマを意味していなければならないわけですね。
ここはシナリオですからそこまで介入しないでしょうけど、ドラマをつくるスタッフが全員ひとつの明確なテーマを目指して作らなければドラマはガタガタかぼんやりとし意味不明のものにしかならないのですね。そのぼんやりしたドラマを作ってるのが日本の以下略。

例えばの話ですが、全てのセリフが一つのテーマを示す、と言って「愛」がテーマなのにみんなが「愛している」と叫ぶわけじゃないですよ。「愛」が大切でもその前には多くの困難があるわけじゃないですか。
幾つもの敵が罠が策略が主人公たちの愛を破壊しようとするのを二人が悩み疑い苦しみながら愛を勝ち取る、というテーマならそういうセリフになる、ということです。
だからむしろセリフに「愛している」というセリフはなかったりするんです。愛、とはなんなのか、というテーマだからこそ互いにののしり合ったり憎んだり騙したりもするわけで、ただその方向性が愛を問うことだと思ってこそセリフの方向性も見えてくるわけですよね。
そしてテーマの言葉を言わずして「愛」を表す、というのが高級なシナリオテクニックなのではないでしょうか。

だからとにかくシナリオを書く、というのなら「まずはテーマを明確にしてください。登場人物はそのテーマを表すためにはどんな設定にすればより効果的になるかを考えましょう」とはじめにいうべきです。
番組では「ふたりがどんな性格か深く考えてみましょう」と脚本家は言っていましたが、まったく順番が違います。まずテーマを掘り下げるための性格にするべきなんですよ。テーマのために二人の男女の設定が決まるのです。
例えば「女性の自立」をテーマにしたければ男性が寛容なのよりむしろ亭主関白で頑固な性格にしたほうが対立が生まれて面白いでしょう。「自立するの?どうぞどうぞ応援するよ」って男性じゃ話が続きません。女性は逆に最初はおとなしい内気な方が変化があって面白くなりますね。最初から男顔負けに気が強かったら当たり前な話になってしまいます。あまり単純にしたくないなら表向きは公平で優しいのに本音は男尊女卑だったのだとすれば深みが出ますね。
先にテーマがあっての性格設定です。

男女設定を先にしてしまった場合ならその設定を生かすにはどんなテーマにしたらその性格が生きるか、さらにどのようなストーリーやセリフにしたらその男女が魅力的に見えるか、を考えていくのですね。
「性格を深く考えてセリフに生かしましょう」ではないのですよ。

気が強い女性だと考えたので気の強い台詞を書きました、と生徒が答えるのを「いいですねー」と先生が褒めるのではシナリオの持つ意義がいつまで経っても理解できません。何のためのセリフなのかを教えてあげてください。それとも本気でそう思って脚本を書いている方なのでしょうか?日本の脚本界はどうなってるのか、怖いです。

今まで書いてきたのはシナリオというだけじゃなくて小説でもマンガでも同じことですね。
なので面白い物語は「このセリフはそういう意味だったのか」とか「あのセリフがここで生きてくる」とかありますね。一つのテーマを掲げて進めているからですね。そういう仕組みを読者や観客に気取られることなく進めてあっと驚かす、うーむと呻かせてくれるストーリーテラーはほんとに神ですね。
別に物凄い高級なテーマを言ってるわけじゃないんですよ。
「小さな幸せ」がテーマならいかにもみみっちい幸せを感じるセリフを書くべきですよね。そういうことです。




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